06.ピンク色の髪のヒロイン
「本当にしつこいわね。あちこちに待ち伏せしすぎじゃない?ストーカーじゃん」
ネネシーは、食堂前の扉付近に立つヴェイルを見つけて、足の向きを変えた。
今日のお昼は食堂ではなくて庭園のベンチで食べる事にしようと、庭園に向かう。
婚約破棄の翌日の今日、朝から学園のいたるところで、ネネシーはヴェイルに待ち伏せされていた。
きっと魔剣の支払いや、昨日のカフェでのお茶代、そしてサブリナの生活費などについて、ネネシーに文句を言いたいのだろう。
金の切れ目が縁の切れ目だ。
ネネシーとヴェイルの間には、今はもう飛び越える事も出来ないくらいの、とてつもなく幅広くて深い溝が出来ている。
関わっても碌なことはない。
昨日は今までのアパートを出てから、ネネシーにとっては少しだけ高いランクの宿でゆっくりと過ごした。
そのまま宿に住みたいくらいに快適な部屋だったが、魔剣代を稼いだといっても、そんな使い方をしていてはすぐに底を尽きてしまう。
『今日から住む部屋を、放課後に急いで探さなくちゃ』
そう考えて、庭園のベンチに座って昼食をとったネネシーはふうとため息をつく。
本来ならば、メイデン学園騎士科の特待生として入学したネネシーは、学園寮費が大幅免除の特権がある。
――入学時の春に申請していれば、の話だが。
もちろん来年の春になればまた申請する事は出来るが、この中途半端な時期の受け入れは難しい。
一部屋分でも部屋が空いていれば入れるが、そんな都合のいい話などない。学園寮は人気なのだ。
寮の相部屋が片方分空いていて、相手がそれを受け入れてくれるなら入ることは出来るかもしれないが、今まで一人で使えた部屋に、ネネシーを受け入れてくれる寮生などいないだろう。
誰でも一人で自由に部屋を使いたいに決まっている。
それに色々な科の者が寮には住んでいるが、騎士科の者との同室は嫌がられる事が多い。
朝の訓練で早くから起きてゴソゴソと動けば、相手を起こしてしまうし、汗臭い女騎士と友達になりたがるような子もあまりいない。
落ちこぼれとはいえ騎士を目指す自分が、同じ部屋になる子に疎まれる事は分かっていた。
それにサブリナから強く願われたこともあって、学園寮を利用せずに、サプリナと一緒にアパートで同居する事を、春にネネシーは選んでしまった。
あの時はそれが最善だと思っていたが、今更ながらに悔やまれる。
「あーあ」
晴れた空を見上げながら、思わずぼやきを声に出す。
ネネシーがこんな目に合うのは、ネネシーの乙女ゲームの世界が駄作だからだ。
『ピンク色の髪をした、可愛いあの子だったらきっと、とても素敵な乙女ゲームの世界になるんだろうな』
ネネシーはふと、一度だけ会った少女を思い出す。
夏祭りのあの日、あの子は道端に座り込んでいた。
夏祭りの神輿を担ぐバイトの帰りだったネネシーは、ぐったりした様子のその少女を見て、慌てて駆け寄って声をかけたのだ。
どうやら知人とはぐれてしまったようで、探し疲れて休んでいたらしい。
歩く事も出来ない様子だったので、ネネシーが背負って少女の家に連れて帰ってあげる事にした。
帰り先を尋ねると、その子はネネシーと同じメイデン学園の生徒で、学園の寮生だという事が分かった。
あまり意識がハッキリしない様子だったその子は、「重いのにすみません……」とうわ言のようにずっと謝っていた。
力の強いネネシーは重さなんて全く感じなかったし、今まで「力仕事はネネシーがして当たり前」という扱いしか受けた事がなかったので、ネネシーは何だかその子の言葉が恥ずかしくも嬉しかった。
『名前も聞けなかったけど、あの子にまた会えるといいな』
夏祭りの日に出会った子を思い出しながら、ネネシーが何気に顔をあげた時――まさにその少女が目の前を通り過ぎようとしていた。
ピンク色の髪の、可愛い少女。
『夏祭りの彼女だ!』
ネネシーの座るベンチは、茂みの影になるのか少女はネネシーに気づいていないようだ。
『声をかけてみようかしら?いきなり声なんてかけたら、驚かせちゃうかしら?……挨拶なら大丈夫?』
声をかけてみたいけど、ドキドキして迷ってしまう。
そうやって何も言えないままにオロオロしていると、可愛いあの子が呟いた。
「あのレベルくらいの人がヒーローになるべきよね。あれくらいのレベルがあれば、つい課金しちゃうのも納得だわ。……やっぱり乙女ゲームは危険ね」
「えっ!」
――ネネシーは思わず声に出してしまった。
「乙女ゲーム」「課金」
そんな言葉はこの世界にはない。
そのような言葉を話すのは、きっとネネシーと同じ者だ。
『彼女も転生者かもしれない!』
ネネシーは思わず立ち上がる。
ネネシーの声に驚いて立ち去ろうとした少女に、必死な思いで呼びかける。
「待って!そこのあなた!」
立ち止まって振り返った少女に、ネネシーは尋ねた。
「あの……乙女ゲームって……?」
ネネシーがそう尋ねた途端、少女の顔が悲しげに影を落とす。
『違うの。あなたを悲しませたい訳じゃないの。ただ私と同じ転生者なら――いえ、転生者じゃなくても、あなたと話したかっただけなのよ』
ネネシーはどう言葉を続けたらいいのか分からなくて、焦れば焦るほど言葉を見つける事が出来なかった。