47.ココもっち
『本日のおすすめ ココもっち』
ルシールの森カフェに続く移動ドアは、カルヴィンの執務室の片隅に置かれている。
移動ドア前には、ルシールが手書きで書いたメニューが、最近貼られるようになっていた。
「カフェは日替わりおすすめメニューだから、うっかりお店に入って嫌いなメニューだったら困るだろうから」
というルシールの配慮だった。
「ココもっちとは何だ?」
書類から目を上げた時に、本日のメニューとして書かれた文字に気がついたカルヴィンが、ライナートに尋ねた。
「さぁ……?初めて聞きますね。ミサンダスタン国の食べ物でしょうか」
ライナートも、ルシールがガリガリとメニューを書いている時から気になっていたワードに首をかしげた。
「…………」
再び二人は書類に目を落としたが、『ココもっち』が一体なんなのかが気になった。
「これでは集中出来ないな。少し早いがルシール嬢の店に行ってみようか」
「確かにそうですね」
意見が合って、執務室の二人は森カフェに続く扉を開ける事にした。
「いらっしゃいませ!」
ルシールが笑顔で挨拶をする。
その姿を満足そうにエルノノーラが眺める。
――カフェに入る時に、必ず見る光景だ。
「本日のお勧めを二つお願いするよ」
「ココもっちお二つですね!すぐにお持ちします」
カルヴィンからのオーダーに、ルシールはイソイソと準備を始めて、しばらくしてコトリと二人の目の前にお皿を置いた。
美味しそうな焼き色のついた、シンプルな見た目の焼き菓子だった。生地が詰まった、膨らみのないパウンドケーキのように見える。
甘い香りはココの実とバターの香りだろうか。
「これは……?」
「ココもっちです」
「ココもっち?」
「はい」
ライナートの質問に、真面目に答えるルシールだったが、隣で聞いているカルヴィンにも、その会話ではココもっちが何なのか分からない。
試しに食べてみると、もちもち食感の濃厚なココの実ミルクの味わいが、なかなか美味しいものだった。
「美味しいな。ココの実ミルクを使っているのか。これを作るまで大変だっただろう?」
カルヴィンがルシールにそう尋ねると、「嬉しい話題来た!」とばかりにルシールが目を輝かせた。
「そうです。本当ならとても大変なものなのです。
ココの実ミルクは、あの超硬質な殻の実の内側にある、白い部分を削り取って作られるものですからね。
……驚かないでくださいね。この殻を剥いたのはノノちゃんなんですよ!ノノちゃんはリンゴの皮を剥くみたいに、あの硬い硬い殻もスイスイ剥く事が出来るのです!
こんなくらいの小さいナイフでですよ!」
ルシールは、「こんなくらい」と手で大きさを示しながら、興奮冷めやらぬ様子でカルヴィンとライナートに熱く説明をする。
「ノノちゃん、本当に格好良いですよね!」
嬉しそうに話すルシールの後ろで、エルノノーラが自慢げな顔をしていた。
――それはどこか人を苛つかせる表情だった。
そんなエルノノーラを見て、カルヴィンとライナートは、ココの実ミルクのお菓子が作られた経緯に気がつく。
カルヴィンの「大変だっただろう」という言葉は、この国ではとても珍しいココの実を「探すことが大変だっただろう」とかけた言葉だ。
――他の国の者に比べて身体も大きく力も強いセルフィシュ国の者であれば、ココの実の殻など誰でも剥ける。
おそらくルシールに褒められたくて、必死にココの実を探し集めて、「こんなの造作もないですよ」とか言いながら、わざとらしく小さなナイフで殻を剥いて見せたのだろうと、エルノノーラの行動を読んだ。
『あいつを調子に乗らせたままにしておきたくない』
得意げな顔でこちらを見てくるエルノノーラに、イラッとさせられながら二人の男はそう思った。
「ああ、このお菓子はココの実ミルクから作られていましたか」
そう話しながらライナートが、テーブルの上に飾られたココの実に手を伸ばし、懐から取り出した小さなナイフ――エルノノーラの物より明らかに小さなナイフ――を、スッと撫ぜるように殻に滑らせてスイスイと剥いて見せた。
「え………」
ルシールが驚愕の表情で、ライナートの手元を見つめる。
「あの、ライナート様。それココの実ですよ……?」
「そうですね。あ、ココの実ジュース、召し上がりますか?」
「え……?あ、はい」
ルシールは反射的に返事をして、ストローをさしてくれたココの実を受け取った。
受け取った実は、重い殻を剥いた物でもズシリと重い。
「本物のココの実だ……」
思わず呟く。
「ルシール嬢はココの実ジュースが好きなのか?もう一つどうだ?」
そう声をかけながら今度はカルヴィンが、プスリと指を殻に引っ掛けて、みかんの皮を剥くようにココの実の殻を剥いてみせた。
「…………」
ルシールは驚き過ぎて声も出なかった。
カルヴィンはまだ14歳だ。男の子だとはいえ、17歳のルシールの3つも年下で、背丈も力もルシールの方が勝っているはずだった。
――ルシールの中では。
『セルフィシュ国のココの実は重さはあるけど、実は殻は柔らかいものなの?』
ハッとその可能性に気づき、ルシールもテーブルに飾られたココの実を手に取って、少し硬めのみかん――八朔くらいをイメージして、グッと勢いよく親指を殻に突き立てた。
「…………っ」
痛い。痛すぎて声が出ない。
これはアレだ。足の小指をテーブルにぶつけたくらいの衝撃だ。
指を抱えてしゃがみこみ、痛みで動けないルシールを見て―――エルノノーラが顔色を変えて王城の医務室に運びこんだ。
「突き指ですね。全治三日です。三日間はお店を休んでくださいね」
王家お抱えの医者にそう診断された。
治癒魔法を持つのはルシールくらいのこの世界では、よく効く薬が治療では使われる。
王家の貴重な薬で、親指の腫れや痛みは引いているが、念のためにカフェのお休みを告げられた。
三日の間お店はお休みで、ルシールは久しぶりに『何もしない時間』を持った。
のんびりとお茶を飲みながら、ルシールはふとネネシーを思い出す。
カフェを開いてから特に、ルシールはあまりネネシーを思い出す事がなかった。
忙しくて充実した時間を過ごす中で、あれだけ感じていた寂しさもいつの間にか消えていた。
『ネネちゃんもきっと、こんな時間を過ごしていたんだろうな』
今は穏やかな気持ちでそう思える。
ルシールに恋人はいないけれど、ずっと側に付いていてくれる人達がいる。
ルシールの微弱な魔法を上手く使ってくれる勇者レオも、その適正を見出してくれたカルヴィンとライナートも、仲のいい素敵な護衛のエルノノーラもいてくれる。
カフェで作るものはみんな喜んでくれるし、突き指で片付けが出来なかったカフェも、みんなで片付けてくれた。
今なら卑屈な気持ちなど持たずに、ネネシーの恋や活躍を喜ぶ事が出来る。
『お父様とお母様にはこの前手紙を送ったけど、ネネちゃんにも手紙を書こうかしら?フィナン様にも楽しく過ごせている事をお伝えしようかしら?』
落ち着いた気持ちで、そう思えた。
ルシールがそんな事を考えている時。
〈聖女ルシールの前でココの実の殻を剥かないこと〉
カルヴィンの自戒の意味も込めて、また新しい法が作られていた。
ハワイのお菓子、バター餅。
ココナッツミルクとバターと砂糖と餅粉で焼いちゃうものなんですよ。ココナッツ繊維も入ってたかも。
以外と和を感じる焼き菓子です。




