42.移動ドアの先
将来森でカフェを開くという夢。
ルシールの夢は、呆気ないくらいに叶った。
勇者レオが現在魔物討伐をしている森の入り口で、ルシールは今、小さなカフェを開いている。
王城から遠く離れたこの地で、カフェへ毎日気軽に通えるのは、勇者レオの話していた国所有の『あのドア』のおかげだった。
あのドアとは、王城と森のカフェを繋ぐ扉の事だ。
勇者レオは、この扉の事を『どこでも繋がっちゃうドア』と呼ぶ。
――そう。それは確実に、前世のあの国民的アニメの事を指す言葉で、確かにあの扉そのものだった。
ちなみに国所有の扉は、セルフィシュ国では『移動ドア』と簡潔に呼ばれていた。
ルシールの開く森カフェのお客様は、常連さんがほとんどだ。
勇者レオと、カルヴィン王子、側近のライナートが常連さんで、後は王子に急用で訪れる執務官達だった。
国所有の移動ドアを使える立場にいる者は限られている。
これ以上のお客様は見込めなかった。
だけど一日に数えるだけのお客様でも、ルシールは満足していた。
ネネシーに恋人が出来てからは、料理を作る事が出来なかったし、秋休みに入ってから作る料理は、自分だけが食べる物だったので、『誰かのために料理を作れる』、それだけで嬉しかったのだ。
勇者レオの食欲はもちろんだが、意外な事に王子もライナートも、エルノノーラさえも食事量は多い。
たまに訪れてくれる執務官達もたくさん食べてくれるので、とても作り甲斐がある。
エルノノーラは料理ができないけれど、出来ることは何でも手伝ってくれた。
――以前のネネシーのように。
だから毎日がとても充実していて、本当に楽しかった。
「食材は王城の物を勝手に採っていいし、厨房で必要な物を調達すればいい」
カルヴィン王子がそんな許可を出してくれたので、その言葉に甘えて、基本的に王城内で食材を調達している。
王城の敷地内にある果樹園や農園の管理人、そして厨房の責任者に毎日会うようになって、彼等とも顔見知りになっていった。
彼等はとても親切で、見たことも無い食材をレシピ付きで手渡してくれたり、ちょっとしたお菓子を分けてくれたりするので、ルシールもお返しに癒しの魔法を込めた手作りスイーツを届けたりしている。
まだそれほど日が経つ訳ではないが、彼等ともすっかり仲良しになっていった。
食材に困る事は無いのだが、それでも森でキノコや木の実などを見つけると集めたくなってしまう。
エルノノーラが「自分がいれば危険はない」と言い切ってくれたので、二人で散歩を兼ねて森の食べ物を採りに行く事もあった。
今日もエルノノーラと森を歩いていると、ココの実がポツンと落ちているのを見つけた。
セルフィシュ国では、ミサンダスタン国ほどココの木が自然の中に自生している訳ではないらしい。
ミサンダスタン国であれだけあちこちで見かけたココの実は、森のカフェ周りでは初めて見つけた物だった。
ココの実を見つめながら、ルシールはネネシーを思い出す。
毎日ルシールのためにココの実ジュースを用意してくれたネネシーは、恋人がネネシーの手を心配するために、ココの実を拾う事もなくなった。
「ルルちゃんはココの実ジュースが好きだよね」と、恋人から贈られたよく似た味のジュースは分けてくれたけど、高級ジュースにも関わらずどこか味気ない気がしていた。
ネネシーがルシールのために用意してくれていたココの実ジュースだったから、最高に美味しかったのだ。
高級ジュースが味気なく感じていたのは、寂しかったからだろうなと、落ち着いた今はその理由を冷静に振り返ることが出来た。
そんなココの実の思い出を思い出していると、エルノノーラが尋ねた。
「ルル様、ココの実が気になるのですか?」
「ココの実の中に入ってるジュースが大好きなの。でも殻が固いから、殻割り職人さんじゃないと飲めないし残念だなって思ってたの」
「え?割らなくてもナイフで剥けばいいのでは?」
ルシールの言葉を聞いて、エルノノーラは剣ではなく懐からナイフを取り出してココの実を拾うと、スイスイと殻を剥いた後に、上部をスッと切る。
そしてココの木の枝をポキリと折って、ストローを入れ、「どうぞ」とルシールに差し出してくれた。
ルシールは驚いて一瞬声も出なかった。
ココの実の殻は本当に重くて固い。なのにエルノノーラはまるで軽いボールを拾うかのように掴んで、リンゴの皮を剥くように殻を剥いていった。
「ノノちゃん……!カッコいい……!!」
「え!」
キラキラと尊敬を含んだ目でルシールに見つめられ、エルノノーラは胸を撃ち抜かれる。
『ただ殻を剥いただけなのに……。私のヒロインはなんて可愛いんだ!』
エルノノーラは浮かれて饒舌になる。
「ココの実ジュースを飲んだ後は、中の白い部分を絞ったらココの実ミルクが出来るんですよ。少し固いんですけどね。私には造作もない事です。後で絞ってみましょうか?それも美味しいものですよ」
「ココの実のミルク?!……すごい!ノノちゃん、物知りだね!素敵!」
ルシールの褒め言葉に、エルノノーラは感動で打ち震える。
『森でカフェを開いて本当に良かった』
心からそう思えた。
エルノノーラと過ごす毎日は、とても楽しかった。
周りのみんなは優しいし、ルシールの作るカフェの料理やお茶は好評だ。毎日がとても充実している。
「何も問題がなかった」と言えればいいのだが――ただひとつだけ困っている事がある。
それは勇者レオが必ず持ち帰る「お土産」の事だ。
ルシールが、レオの討伐地の近くでカフェを開いてくれたのがよほど嬉しいのか、レオは討伐が一段落つくたびに、お土産と称して魔物の一部を切り取って見せてくる。
――必ず、毎回、欠かす事なく。
〈聖女ルシールへの面会時は、必ずその前にシャワーを浴びて身を清めること。服や剣などの道具も然り〉
レオ対策にカルヴィン王子が作ってくれた法を守って、彼は綺麗に川で身を清めて、お土産も血が残らないように洗ってくるのだが、そんな事が問題じゃないのだ。
以前より運ぶまでの距離が短くなったぶん、お土産の鮮度が良すぎて、どれもピチピチ動いて活きの良さを見せつけてくる。
――恐怖しかない。
勇者レオが戻る度にルシールが怯え、エルノノーラがレオを殴り飛ばすのだが、レオは懲りずに毎回毎回ピチピチ動くお土産を持ち帰る。
エルノノーラからその報告を受けたカルヴィンが、移動ドアを執務室に置いてくれて、いつでもルシールが執務室に避難出来るように配慮してくれた。
勇者レオが討伐から帰ってくる姿をカフェの窓から認めるたびに、ルシールはスッとひとまず執務室に身を隠している。
エルノノーラに怒られて、お土産を捨ててきたのを確認してから戻るのが、ルシールのお決まりの流れになっていた。
それだけが困っている事だった。




