04.ここにも駄作な乙女ゲームが
ネネシーの目の前には、テーブルを挟んでひと組みの男女が座っている。
寄り添って座る二人は、ネネシーの婚約者のヴェイルと、ネネシーの幼馴染のサブリナだ。
必要以上に近すぎる二人の距離が、今の自分達の関係を物語っている。
ネネシーはそんな彼等を、ただ眺める事しか出来なかった。
「私はネネシーを裏切るつもりは無いの。だって私にとってネネシーは大切な幼馴染なのよ?裏切れる訳ないじゃない。
………私はただ、ヴェイル様が寂しい思いをしている時に側にいてあげたいだけ。
ネネシーったら、ヴェイル様の事を蔑ろにしすぎなんだもの。
ヴェイル様も、私の想いなんて気にしないで。私はいいの。あなたを困らせたくはないのよ」
「サブリナ、君という子は――なんて優しい子なんだ。いつも僕の側にいてくれる君こそが僕の運命の人だ。
幼馴染のために僕から身を引くなんて、そんな悲しい事を言わないでくれないか」
「ヴェイル様……。だけどネネシーを裏切れないわ」
――ネネシーの目の前に座る男女が、ネネシーをダシにして愛を囁き合っている。
ヴェイルは切ない顔でサブリナと見つめ合っていたが、やがて何かを決心したようにネネシーに視線を移した。
そして、黙って自分達を眺めているだけのネネシーに、ヴェイルはキッパリと告げた。
「やはり僕達は友達に戻らないか?それが僕たちにとっての最善だ。
これからは騎士の道を志す者同士、共に仲間として剣の道を励んで行こう。
――僕はサブリナを選ぶよ。婚約は破棄としよう」
『……そうなると思ったわ』
ネネシーは、すでに諦めが付いていた。
こうなる予感はあった。これはしょうがない事なのだ。
ネネシーは何も言葉を返せず深く俯く。
ヴェイル・カルダン。
目の前でネネシーに婚約破棄を告げた彼は、カルダン男爵家の四男で、メイデン学園の騎士科に通う、ネネシーより一つ年上の男だ。
ヴェイルとネネシーは、この春に学園で出逢ってすぐの頃に、ヴェイルに望まれて婚約を結んでいた。
そしてヴェイルの隣に座っているのは、ネネシーの幼馴染である平民のサブリナだ。
サブリナはネネシーと、小さなアパートの一室を借りて一緒に住んでいる。
ネネシーが田舎を出て、メイデン学園に通うために街へ出ることになった時、サブリナも「私も街で仕事を探すから」と、ネネシーに付いてきたのだ。
一緒に住んでいるサブリナには、ヴェイルとの婚約が決まった時に彼を紹介していた。
サブリナは「素敵な人ね」と喜んでくれ、しょっちゅう部屋にヴェイルを招待するように頼まれるので、会う時はいつも三人だった。
ネネシーがバイトから帰ると、ヴェイルと二人でネネシーを待っている事も多かった。
きっとネネシーがいない間に、ヴェイルとの恋を深めていたのだろう。
何も話さないネネシーに、追い討ちをかけるようにヴェイルは言葉を続けた。
「婚約破棄はネネシーに原因がある事に気づいてほしい。
こうして誕生日に魔剣を贈ってくれた事に感謝はするけど、今まで僕のために時間を作ってくれた事はあまり無かっただろう?
特に最近なんてゆっくり顔も合わせる事もなかったじゃないか。
そんな風に蔑ろにされたら、気持だって冷めていくよ」
ヴェイルの言葉を受けて―――ネネシーの中の何かが切れた。
ネネシーがヴェイルとの時間を作れなかったのは、ネネシーが貧乏学生だからだ。
私、ネネシー・トロバンは、ギリギリ貴族を名乗る極貧男爵家の長女だ。
ネネシーは騎士科の特待生として学費等を優遇されてはいるが、それでも生活するにはお金が足りない。
放課後や休日はバイトを頑張って、それでやっと生活を維持するためのお金を捻出してきたのだ。
ヴェイルを蔑ろにしたつもりは全くない。
――ヴェイルもサブリナも、それを分かっているはずなのに。
ここ最近特に忙しかったのは、ヴェイルの誕生日にとっておきのプレゼントを贈りたかったからだ。
今ヴェイルが大事そうに手元に置いている、ヴェイルがずっと欲しいと言っていた魔剣。――主以外は使えないという、主に忠誠を誓う剣だ。
魔剣としてのランクは低いが、ヴェイルもお金に余裕がある訳では無いので、とても喜んでくれた。
それなのに、プレゼントを受け取るだけ受け取って、「ありがとう」のひと言と共に受けた言葉が、「婚約破棄」だなんて。
魔剣の支払いは、主との契約完了後だ。
契約が無事結ばれた上で、選ばれた主に支払い義務が発生する。
ネネシーのように魔剣を贈る場合は、支払い義務が贈り主に向かう魔道具を手渡される。
頑強なその借金督促魔道具が壊れない限りは、支払いの義務に追われる事になる。
先ほどヴェイルが魔剣に主と認められた時点で、ネネシーが支払い人となっていた。
ネネシーはヴェイルの前にスッと手を差し出して、その魔道具を見せる。
「ヴェイル様、婚約破棄を受け入れます。破棄後に友達になるつもりもありません。
もうヴェイル様とは他人になった以上、魔剣の支払いは拒否させてもらいます。これはその支払い契約の魔道具なんですけどね」
そう言って手の中の魔道具を握り潰した。
――ポロポロと手の中から破片が落ちていく。
「……魔道具が壊れちゃいましたね。支払い義務はヴェイル様に移りますが、ここ数ヶ月分の私のバイト代で買える物ですから、ヴェイル様――いえ、カルダン様ならすぐに返せるはずですよ」
ヴェイルにニコリと笑いかけて、ネネシーは席を立つ。
そうそう、と思い出したようにサブリナにも声をかける。
「サブリナ、あなたとの縁もここまでにさせてもらうわ。私は部屋を出ていくから、部屋代が苦しかったらヴェイル様を頼ってね」
ついでにお茶代も被せてやろうと、ネネシーはそのまま足早に店を飛び出した。
立ち上がった時に、呆然としたヴェイルの顔が見えたが、ザマアミロと思ってしまう。
騎士を目指す者は、本来バイトなどしている時間の余裕はない。
ネネシーが極貧過ぎて、何とか周りに認めてもらっているだけなのだ。
貴族として普通レベルの生活をするヴェイルなんかがバイトを認められる訳がない。
この話の流れが学園で知られた所で、手痛い目に合うのはヴェイルの方だ。
捨てるつもりの女に魔剣を買わせようとしたなんて、騎士道精神に外れ過ぎている。
皆に話して自爆するなら、それはそれで自業自得だ。
それにサブリナとの同居を解消したとしても、経済的に苦しい思いをするのは、どちらかといえばサブリナの方だ。
何かと「今月はあまり稼げなかったの」と言われるので、ネネシーがほとんどの家賃を負担していた。
だから今より小さな部屋を選べば、ネネシーの生活費の中で、部屋代の負担はそれほど変わらないはずだ。
お店から離れて人通りの少ない通りに出ると、ネネシーはホッと息をつく。
そして自分の両手を眺めた。
ネネシーは怪力だ。
身体は華奢で、剣すら握れないような体格をしているのに、力だけは誰よりも勝っている。
力だけは誰よりも勝る。
――そう。ネネシーは力だけだ。
この怪力さを認められて、騎士科の特待生として学園に入れたが、ネネシーの剣の腕は酷いものだ。
本当はネネシーだって剣の才が無い事に入学前試験から気づいていたが、「人より優れた能力を持つ特待生は、学費免除」という魅力に勝てず、騎士科を選択した。
一度特待生と認められれば、卒業まで学費免除は続く。
そこを見越して、騎士の道で落ちこぼれになる覚悟を持って選んだ道だった。
『絶対に壊れないと言われるあの借金督促魔道具さえも、砂のようにしちゃったわ。……こんな女、誰にも選ばれる訳ないじゃない』
ネネシーはぐっと唇を噛む。
この怪力があるから、学費免除を勝ち取ったのだ。
泣くような事ではない。
そう自分に言い聞かせる。
ネネシーが顔を上げると、目の前のお店のガラス戸に、情けない顔をした女が映っていた。
薄い紫色の髪に、それより少し濃い紫色の瞳。華奢な身体。
貧相で情けない顔の女が、こちらを向いている。
「こんな力だけが強い女が悪役令嬢の乙女ゲームなんて、どこが面白いのよ。駄作もいいところだわ」
泣きそうな顔でネネシーは呟いた。