33.新しい乙女ゲームの始まり
「待って!そこのあなた!」
呼び止められた声があまりに可愛い声だったので、思わずエルノノーラは足を止めて振り向いた。
声をかけてきた少女を見て――エルノノーラは息をのむ。
『彼女は私の乙女ゲームのヒロインだ』
見た瞬間、気がついた。
淡いピンク色の柔らかそうな長い髪。
背の高いエルノノーラを見上げる、髪色より少し濃いピンク色の瞳。
手を差し出して支えてあげたくなるような華奢な身体。
光の魔法なのか、細かくキラキラと品良く輝く光を薄く身体に纏っている。
どうしてだろう。
甘いケーキのような香りが彼女から優しく香ってくる。
前世から思い描いてきた妄想ヒロインを目の前にして、エルノノーラは呆然と立ち尽くした。
ルシールは、振り返った少女の姿を見て驚いた。
振り向いたその少女もまた驚いた顔でルシールを見つめている。
『なんて綺麗な子なの』
ルシールは少女を見て思う。
少し年上のように見える彼女は、輝く長い金髪をポニーテールにしている。
ルシールを見つめるその瞳は、真夏の、日差しの強い青空のような深く濃い青だ。
――とても美しい瞳だと思う。
騎士のような格好が、背の高い彼女によく似合っていて、とても素敵だ。
ルシールは少しドキドキしてしまった。
『緊張するわ。……だけど聞いてみなくちゃ』
そう決心して声をかける。
「あの。私は魔法科Sクラス一年の、ルシール・オルコットと申します。よろしければルシールとお呼びください。……あの。あなたも転生者ですか?」
驚いた顔でルシールを見つめていた少女は、ルシールの挨拶を受けて一瞬目を見開いて――そして嬉しそうに笑った。
「私はエルノノーラと申します。セルフィシュ国の第一王子カルヴィン様の護衛をする者です。
私はカルヴィン様の命を受けて、ルシール様にお願いに参ったのですが……そのお話の前にお答えしましょう」
そこまで話すとエルノノーラは声を小さくした。
「私は転生者です。ルシール様もそうなのですね?」
『やっぱり!!』
ルシールは驚きと共に嬉しくなった。
同じ転生仲間であるという事もそうだが、エルノノーラがルシールを見る目が温かくて、ルシールも彼女に親しみを持てたからだ。
「あの、良かったら私の部屋でお話しませんか?私は学園寮で生活しているのですが、同性であれば寮で受付をすれば部屋に入れますし。
相部屋ではありますが、今は秋休みで私一人なのです。
……あの。ご迷惑でなければ、ですが……」
少し興奮しすぎたかもしれない。
食い気味に誘ってしまった自分が恥ずかしくて、ルシールは赤くなって俯いた。
『会ったばかりの初対面の人から、部屋に誘われても不審に思われるだけよね。「やっぱりここでお話ししましょう」と言い直そうかしら』
モジモジと恥ずかしそうに俯くルシールに、エルノノーラの心臓は撃ち抜かれていた。
『私の運命……!!前世から思い描く、私の最愛そのものじゃない!」
心の震えをルシールに気づかれないよう、エルノノーラは平静を装う。彼女には素敵な女性と思われたい。
「ルシール様のお部屋に呼んでいただけるなんて光栄です。そうですね、秘密の話ですからね」
内緒話をするように小さな声で話すと、ルシールの顔が輝いた。
――『可愛い』
エルノノーラの心が震える。
ルシールも同じように小さなヒソヒソ声で言葉を返す。
「私の友達は私の事を『ルル』って呼ぶんです。
エルノノーラ様もそう呼んでいただけると嬉しいです。私もエルノノーラ様を『ノノちゃん』って呼んでもいいですか?」
ヒソヒソと話すルシールの可愛いお願いに、エルノノーラは口が緩んでしまわないよう、口元を引き締める。
『え?そこヒソヒソ声になっちゃう?そこは声を小さくする必要なくない?……何?この可愛さヤバくない?』
ガッと激しく心臓を鷲掴みにされた事を気づかれないように、穏やかに笑いかける事を意識しながら応える。
「可愛い呼び方を付けてくれてありがとうございます。『ノノちゃん』、いいですね。ルル様とのお話が楽しみです」
「私もです!ちょうどケーキもあるのです。お茶を淹れますね」
嬉しくてたまらないといった様子のルシールに、エルノノーラも心が弾んでいった。
寮へと歩きながら、エルノノーラはルシールを見て「おや?」と気がつく。
出会った時にルシールがまとっていた、キラキラと輝く光が消えていたのだ。
「ルル様、まとっていた細かい光が消えたようですが……」
不思議に思ってエルノノーラが尋ねると、ルシールは「何のことだろう?」というように一瞬考える様子を見せたが、「ああ」と呟いた。
「先ほどまで、攻撃魔法の訓練をしていていまして。ちょっと疲れたので、自分に癒しの魔法をかけてみたのです。……自分に癒しの魔法をかけても変わらないんですけどね」
ふふふと恥ずかしそうに笑うルシールを『可愛い』と思いながら、エルノノーラは更に尋ねる。
「どのような魔法なのですか?セルフィシュ国では魔法を使える者が少ないので、もしよろしければ手合わせ願えませんか?
こう見えて私はなかなか強いのですよ」
「私の攻撃魔法は未熟で、お見せするほどではないのです」
ルシールに慌てたように断られて、あまりにエルノノーラが残念そうな顔をしてしまったせいか、
「あの、ノノちゃんの服を駄目にしてしまうかもしれませんが、それでも良ければ……」
そう言い直してくれた。
「ありがとうございます!ぜひ手合わせ願います!」
そう言葉をかけて、周りに危険が及ばないよう誰もいない事を確認して、ルシールと少し距離を取って向かい合った。
『服を駄目にするほどの威力はあるということか。魔法攻撃を受けるのは初めてだから、気を引き締めなくては』
向かい合うルシールを、エルノノーラは注意深く見つめた。
ルシールの足元に、茶色い何かが現れた。
小さな三つの茶色い塊。
『使い魔か?』
――剣に手をかける。
ピルピルピルピルと震える物体をよく見てみると、小さな兎の形をしていた。
『……兎?』
意外な形に気を取られて、避けるのが遅れた。
ピョーンと飛んだ三羽のうちの二羽が、エルノノーラのお腹と足元に当たる。
――ペシャリと服を汚す。
一羽は足元にも届かず、落ちて崩れていた。
「やった!当たっ―あ。大丈夫ですか!」
ルシールは一瞬輝くような笑顔を見せたが、慌ててエルノノーラに駆け寄って、ハンカチで泥を払ってくれる。
その顔は、申し訳なさそうでありながらも、どこか誇らしげだ。
エルノノーラは動けなかった。
心臓を撃ち抜かされるのは、これで何度目だろう。
ダメだ。苦しいくらいに愛おしい。
ルシールは、エルノノーラの脳内妄想ヒロインそのままなのだ。
前世からずっと出会いを待ち望んでいたヒロインが、今目の前にいる。
『これからこの愛しいヒロインちゃんの側にいるのは、私だ』
そう固く心に誓う。
ピンク色の髪のルシールを愛するエルノノーラは、金髪碧眼の騎士だ。
ピンク色のヒロインと、金髪碧眼のヒーロー。
騎士と魔法使いがいる世界。
エルノノーラの祖国、セルフィシュ国には勇者もいる。――黒髪だが。
みんなの勘違い要素を、少しずつ詰め込んだ世界なのだ。




