32.脳内乙女ゲームを知る者は迷走を極める
セルフィシュ国の騎士、エルノノーラは転生者だ。
剣の腕が立ち、要領も良く、なかなかの容姿を持つエルノノーラは、大きな野望を持って、女性でありながらも騎士の頂点とも言える第一王子の護衛騎士の立場まで上り詰めた。
エルノノーラの野望。
それは「乙女ゲームのヒロインに近づき、ヒロインの側に仕える事」――それが全てだ。
エルノノーラには前世の記憶がある。
前世のエルノノーラは、マラソンランナーだった。
毎日長距離の走り込みをしながら、妄想の世界に入る事を楽しんでいた。
エルノノーラの一番愛する妄想の世界は『乙女ゲームの世界』、その一択だった。
聖なる力を使える、ヒロイン聖女がいる世界。
ヒロイン聖女は、勇者と共に魔王を倒す旅に出て、無事魔王を倒した後に、その国の王子様と結婚する。
――そんな乙女ゲームの世界を夢見ていた。
前世のエルノノーラは、妄想乙女ゲームの世界を激しく愛していたが、実際の乙女ゲームはした事がない。
ただ乙女ゲームの妄想のキッカケを、前世乙女ゲームにハマっていた妹から軽く説明を受けただけだった。
「乙女ゲームって何なのさ?」
そう尋ねた前世のエルノノーラに、前世の妹は携帯を見ながら、面倒くさそうに答えてくれた。
「超絶清らかな聖女が、超絶強い勇者と旅に出て、超絶賢い王子と結婚するやつだよ」
『自分の携帯で調べろよ、邪魔するな』とばかりに、適当に言葉を返された感はあったが、その短い説明に前世のエルノノーラは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「超絶清らかな聖女」
――なんて素敵な女性なんだろう。
清らかな乙女のヒロインが、魔王を倒せるほどの力を持つはずがなく、か弱いヒロイン聖女はきっと勇者との旅に怯えていたはずだ。
「超絶強い勇者」
――その勇者にさえ怯えていたかもしれない。
きっと超絶強い勇者なら、傲慢で我儘で、女たらしで金遣いの荒い、下衆な野郎に決まっている。
そんな下衆野郎と一緒に、健気にも旅をして魔王を倒す快挙を掴むなんて……!!
「超絶賢い王子」
――そんな素敵な聖女ヒロインなら、超絶賢い王子と結婚しても頷ける。
前世のエルノノーラは、その設定の乙女ゲームに魅入られてしまい、自分で乙女ゲームについて調べる事もなく、妄想の世界に入っていった。
いつでも妄想しながら、どこかぼんやりとした頭でマラソンをしていたからだろうか。
家の周りをトレーニングとして軽く走ろうと出かけた所で、前世の記憶が途切れている。
きっとこれ以上は思い出さない方がいいのだろう。
そういった訳で、物心ついた時には前世の記憶があったエルノノーラは、将来ヒロインと結婚する事になると目星をつけた第一王子の護衛の座を掴むために、必死にのし上がったのだ。
王子の側にいれば、いつかはヒロインに会える。
『聖女のヒロインにあったら、王子の専属護衛を外してもらって、ヒロインの専属護衛についてやる』
――それが新しいエルノノーラの目標となっていた。
前世と今世。
数え切れないくらいに妄想乙女ゲームの世界に入り、その世界を掘り進めていき、エルノノーラの中の聖女ヒロイン像は詳細に渡って作り上げられていた。
エルノノーラの、愛しのヒロイン像はこうだ。
髪の色はやっぱり、薄いピンク色がいいだろう。
出来れば目の色もピンクであってほしい。
小柄で華奢な身体。可愛い声。
お菓子作りが得意で、いつも甘い香りをまとわせているのが良い。
「エルノノーラちゃん、アーン」と、優しく食べさせてくれたら完璧だ。
少し天然なところがあるといい。
真面目に取り組みながらも、少しズレた所を見せられて、心臓を鷲掴みされてみたい。
たくさんの男に望まれながらも、それに気づくことのない鈍感さも必要だ。
清らかなヒロインは、王子ただ一人の愛に気づくだけで十分なのだ。
癒しの魔法は弱い方がいい。
強い者は自分に自信を持ちすぎる。魔法の腕が弱くて、自信がない様子がグッとくるというものだ。
「エルノノーラちゃん、お疲れさま」
そう言いながら、微弱な魔法で一生懸命に癒しの魔法をかけてくれる少女。
――完璧だ。
完璧な理想のヒロインだ。
「ああ……私のヒロインちゃん―」
「止めろ。気持ち悪い」
エルノノーラの妄想を断ち切るように、セルフィシュ国のカルヴィン第一王子が冷たく言い放った。
「エルノノーラ、朗報だ。隣国のミサンダスタン国に聖なる力を持った少女がいるらしい。
メイデン学園という名の学園に通う、魔法科の特別クラスの16歳らしい。五大魔法保持者らしいが、その力の全てがとても弱いようだ。
それで彼女の話を今まで聞く事がなかったのだろう」
カルヴィン王子の言葉に目を見開くエルノノーラに、王子は笑顔を向け、言葉を続けた。
「その聖なる力を持った少女ならば、この国に現れた魔王を倒せるかもしれない。
その彼女にこの国の現状を説明して、至急協力を仰ぎたいと思う。
エルノノーラ、その役目を君に託そうと思う。――引き受けてくれるな?」
「とても弱い聖なる力……」
エルノノーラの魂が震えるようだった。
それは前世からずっと会いたいと願ってきた、エルノノーラ理想そのものだ。
「カルヴィン王子、承知致しました。必ず……必ずその少女と友達になり、彼女の護衛として認めてもらい、彼女と共に生きて行きます!」
震えるエルノノーラに、カルヴィン王子が声を低くする。
「エルノノーラ……貴様、目的を履き違えた時は二度とその少女の噂も届かない地に飛ばしてやるからな」
「……必ずその女性を説得して参ります」
大人しくエルノノーラは従順な姿勢を見せた。
エルノノーラの仕えるカルヴィン王子は、まだ少年でありながらも、頭脳明晰で冷徹な判断をも下せる優秀な王子なのだ。
「髪と瞳の色がピンク色で、小柄で華奢で可愛い声をした子だといいな。
それからお菓子作りが得意で、甘い香りがして、少し天然なところがあって、男の好意に鈍感な子だったらいいのにな。
更に癒しの魔法は弱くて、癒しの魔法を私にかけてくれるような子だったら最高だよね」
ミサンダスタン国へ向かう船の上でエルノノーラは、脳内妄想乙女ゲームのヒロインとの出会いに期待を込めて、一人呟く。
そんなエルノノーラが会いに行くのは、ルシール・オルコット男爵令嬢――ミサンダスタン国の、メイデン学園魔法科一年生の少女だ。
お知らせです。
実はここから第二章に入ってます。
そうです。「いつの間に?」な入り口です。
駆け足したかったところまで来れました。
本日から朝の一話投稿となりますが、
これまでの世界を知るあなたに
ここからの世界を覗いてもらえたらと思います。




