31.三人目の転生者
秋休みに入って二週間が経とうとしていた。
そろそろネネシーが、クレイグの領地からルシールを迎えに来る頃になっていた。
秋休みに寮に残る者はごく僅かで、寮の中でも寮生の姿を見ることは珍しいくらいだった。
ルシールは久しぶりに一人部屋生活に戻り、静かな時間を過ごしていた。
ネネシーとクレイグが恋人になってからは、寮でも魔法使いの貴族の女子に部屋に誘われる事が多くなって、寮生活も賑やかなものに変わっていた。
高位貴族の誘いなど断る事も出来ないし、ネネシーは必ずルシールも誘ってくれたが、ルシールはその集まりも自分だけが浮いている気がして、落ち着かない思いでいた。
誘ってくれる女子は皆、ルシールにも好意的な態度を見せてくれていたが、それは『ネネシーの友達だからだ』という思いを消せなかった。
自分に自信を持つ事ができなかったのだ。
だからこうして静かな一人の寮生活は、自分でも意外なくらいに心が穏やかでいられた。
寮に残る事は誰にも言わないつもりでいたが、秋休み初日に、街で偶然出会ったフィナンには気づかれてしまった。
「ルシール嬢は秋休みは帰省するらしい」
フィナンはそうクレイグから聞いていたようで、街で会ったルシールが、食料品の入った買い物袋を抱えている訳を尋ねられた。
思ってもいなかった偶然の出会いに、言い訳を用意していなかったルシールは、咄嗟に上手い言い訳を思い付けなかった。
「私が早々にクレイグ様の領地に行っても、二人の邪魔になるだけですから……」
暗い声が出てしまい、ルシールは俯いてしまった。
『明るい声で話せば、軽い冗談に聞こえるはずなのに。これじゃ本当に行きたくないって言ってるようなものじゃない』
分かっているけど、明るい声など出せなかった。
俯いたまま顔を上げる事が出来なかった。
ルシールの様子を見て、事情を察したらしいフィナンが、
「クレイグには上手く話しておくから、一緒に僕の領地に来ないか」
そう言って誘ってくれたが、ルシールは丁重に断った。
クレイグとネネシーのように恋人同士ならともかく、友人同士の関係で領地になど付いて行けるはずがない。
それにネネシーが「クレイグ様が嫌がるから」と話すので、フィナンの家に立ち寄る事がなくなり、デリクに会う事も無くなっていた。
フィナンと同じクラスだったネネシーは、今は魔法科にいる。フィナンの噂も聞かなくなり、彼とは以前より少し離れた関係になった気がしていた。
別れる前にフィナンは、「僕もクレイグの領地の収穫祭の時には遊びに行くよ」と言ってくれた。
『フィナン様の領地とクレイグ様の領地は、とても離れているってネネちゃんが話していたわ。きっと私を気遣ってくれたのね』
フィナンは久しぶりに会ったにも関わらず気遣いを見せてくれ、少しだけクレイグの領地に行くことに前向きになれた気がした。
そんな秋休みの初日だった。
一人の生活に戻ってから、再びルシールは節約料理作りを始めている。
森の食材を一人で摂りに行く気は起きなかったが、帰省の旅費を使う必要も無かったので、少しだけ余裕ある買い物が出来ていた。
「今日はバナナケーキを作ろうかしら」
ルシールは黒ずんできたバナナを見て呟き、早速思いついたパウンドケーキを作る事する。
今日はバターたっぷりの贅沢バナナケーキだ。
バターは贅沢品だが、こういう時くらいはいいだろう。
パウンドケーキはオイルでも作れるが、バナナケーキだけはバターを使うのが、ルシールのこだわりだ。
オイルケーキは、あっさりふんわりの軽いケーキに仕上がるが、バターケーキは味に深みあるどっしりケーキになる。
バナナケーキは食べ応えある、どっしりケーキであるべきだとルシールは考えている。
バターに砂糖を加えて白っぽくなるまで混ぜ合わせ、卵を少しずつ加えて、分離しないように気をつけながら混ぜ合わせる。
贅沢バターケーキに失敗は許されない。
上手く混ぜ合わせたところに、粉と潰したバナナを交互に加える度に、サックリ混ぜ合わせる。
それをオーブンで焼けば完成だ。
バナナケーキは日持ちがするし、一人でも食べ切る事が出来る。どっしりケーキは朝ごはんにもオヤツにもなる、かしこいやつだ。
そうやって機嫌良くバナナケーキを焼き上げた後、ルシールは日課にしている攻撃魔法の練習のために、庭園に向かった。
秋休みでほとんど人がない学園では、ルシールの魔法の腕程度なら、庭園で練習をしていても誰の迷惑にもならない。
そもそも泥兎攻撃は、攻撃にもならないので、万一人に当たったとしても、怪我をさせる事もない。
だから庭園での泥兎作りは、秋休みのルシールのルーティンにもなっていた。
「ふう」
一通りの練習を終えて、ルシールはベンチで休む事にする。これも日課だ。
このベンチは、ルシールとネネシーが初めて会った時に、ネネシーが座っていたベンチだった。
少し茂みの陰になるので、あまり人目につく事がないベンチは、ネネシーのお気に入りの場所だったようだが、今ではルシールのお気に入りの場所にもなっていた。
そよそよと少し涼しくなった風を感じながら、ルシールはボンヤリと一人ベンチに座り、自分に癒しの魔法をかけてみる。
キラキラとした細かい光がルシールを包み込む。
自分に癒しの魔法をかけたところで、何が変わるわけでもないが、気持ちが暗く沈みそうになる時に、自分自身を慰めるクセのようなものになっていた。
そうやってボンヤリと座っていると、ひとりごとを呟きながら人が通る気配がした。
そのひとりごとを聞くつもりは無かったが、誰もいない庭園では、その声がわりとハッキリと聞こえてきた。
「なんか緊張してきたわ。……乙女ゲームのヒロインちゃんにやっと会えるのだから当然よね。
ああ……ヒロインちゃん…!!」
「えっ!!」
――聞こえてきた言葉に思わず声が出た。
「わ!やば!」
ルシールの言葉に驚いたのか、ひとりごとの主が駆け去ろうとする。
「待って!そこのあなた!」
慌てて立ち上がって、背中を向けた少女に声をかけると、その少女が振り向いた。
呼び止めたルシールの顔を見て――呆然とした顔で、再び少女が呟く。
「私のヒロインちゃん……?」
ルシールは確信する。
『この子も転生者だ。私はヒロインではないけど、この子は「乙女ゲーム」と言っていた。私やネネちゃんと同じ、転生者なんだわ』
そんな確信を持って、ルシールは目の前の少女を見つめ返した。




