29.ネネシーの幸せ ≠ ルシールの幸せ
「だいぶん遠くまで飛ぶようになったわ」
ピョーンと飛ぶ手のひらサイズの泥兎は、以前より遠くに飛ぶようになった。
その様子を満足気に見つめて、ルシールはふうと息をつく。
今は魔法科の討伐訓練の授業時間だ。
微弱な魔法しか持たないルシールと、ペアになるクラスメイトは相変わらずいなくて、ルシールは一人校庭の片隅で、独自の攻撃魔法を訓練していた。
討伐合宿後すぐに、クレイグとネネシーは付き合い始めて、今では二人は仲の良い恋人同士となった。
それと同時にネネシーは、『魔法使い補佐』として騎士科から魔法科に転科して、クレイグやルシールと同じクラスのSクラスにもなった。
科を移ることも、魔法を使えない者が魔法科に入ることも異例の事だが、討伐合宿での実力を見せられた魔法使い達は、ネネシーを歓迎した。
クレイグがネネシーを、自分の側だけに置く『クレイグ専属の魔法使い補佐』としてしまった事も、ネネシーへの溺愛ぶりを見せられている周りは納得するしかなかった。
クレイグは魔法科イチの実力者だ。その能力で周りのみんなを黙らせていた。
そう。クレイグのネネシーに向ける愛情は、溺愛という以外に言い表せないほどのものだった。
ルシールとネネシーの部屋は、連日のようにネネシーに贈られるプレゼントで部屋が埋まっていったし、今まで二人だけだった時間は、クレイグも含めた三人の時間になった。
優しいクレイグは、決してルシールを邪魔者扱いして、二人きりで過ごそうとする訳ではない。
だけど……
「はい。これ、ネネシー好きでしょう?」
そう言って買って来てくれたスイーツを、クレイグがネネシーに食べさせる姿は、いつも見せられる光景だ。
目の前で見せつけられる溺愛ぶりに、いたたまれない思いをしながら、そっと視線を外して一人黙々とスイーツやお弁当を食べるルシールの姿も、いつもの光景となっていっていた。
休みの日も、二人はクレイグの屋敷に招待される。
ルシールが「二人で楽しんできてね」とやんわりとお断りしても、「ルシール嬢も是非一緒に」「ルルちゃんと行きたい」と二人に強く押されて断りきれず、結局恋人達の邪魔をする形になっていた。
クレイグのあまりの溺愛ぶりに、執事のワルツも見ていられないのか席を外す事が多くなっていた。
なのでクレイグの屋敷のお茶会では、ルシールはかなり居心地が悪い思いをしながら、手元のカップをじっと眺めながらお茶を飲む事に集中していた。
色々な関係が変わったのは、それだけではなかった。
討伐訓練授業でも、当然ネネシーはクレイグと組んで、いつも二人で大きな活躍を見せている。
ネネシーのあまりの補佐力に、「魔法使いの救世主のようだ」と、クラスの皆がネネシーを褒め称えた。
今までルシールが話した事もないような、プライドの高い高位貴族の魔法使いの女生徒達までもがネネシーを認め、ネネシーを取り囲んだ。
クラスの皆に囲まれても、優しいネネシーは必ずルシールもその場に呼んでくれる。
ルシールは皆の羨望の眼差しが、ネネシーに向けられる事を親友として誇らしく思いながらも――ネネシーとクレイグが中心となり、魔法論で盛り上がるその場で一人居づらい思いがしていた。
ルシールの魔法は、相変わらず微弱な力だったからだ。
わあああああと遠くで歓声が上がる声を聞いて、ルシールは顔を上げた。
討伐訓練の授業時間、危険な練習場所には近づけないルシールは、遠く離れた校庭の片隅でいつもその歓声を聞いている。
どうやらまたクレイグペアが、何か大きな技を決めたようだ。
『またクレイグ様とネネちゃんの二人から、二人の活躍を褒め合う話を聞く事になりそうね』
そんな事を考えながら、ルシールはもう一度泥兎を生み出す。
ピルピルピルピルと震えるだけの泥兎は、形は可愛いが攻撃魔法にはならない事に、本当はルシールも気が付いている。
生み出した時はとても素敵なアイデアに思えたのだが、こうしてネネシー達の大きな活躍を聞いていると、自分の魔法がどれほど役に立たないかを思い知らされるようだった。
だからまだこの泥兎の事は、ネネシーにも話せないでいる。
元々はネネシーを守るために思いついた攻撃魔法だったが、今のネネシーにはクレイグが付いている。微弱な魔法保持者のルシールの出る幕などない。
将来魔法使いになれないルシールに出来る事は、節約料理と節約お菓子を作る事くらいだ。
だからネネシーと小さなカフェを開こうと、料理やお菓子作りを頑張ってきた。
だけど今はその料理やお菓子を作る機会も持てない。
節約料理などしなくても、毎日高級レストランから高級デリカとふわふわのパンが届き、毎日高級ケーキ屋から高級スイーツが届く。
森でルシール達が採ってくるような節約食材ではないご飯は、前世を含めて食べたことのないような美味しさだ。
そんな豪華な料理を、優しいクレイグはもちろん二人分で贈ってくれる。
だから二人は料理をする必要が無くなったし、ルシールだけ「私は手作りするから」と断る事もできなかった。
一度遠慮の言葉をクレイグにかけた際、「私もルルちゃんと同じご飯を食べたいから」とネネシーも遠慮し出して、結局断り切れなかったのだ。
『このままカフェも開けなくなっちゃうのかな』
最近はそんな不安を感じる事がある。
あれだけカフェ計画で盛り上がっていたネネシーとの会話は、クレイグの話と討伐成果の話を聞くばかりになっている。
あまりにネネシーが嬉しそうなので、ルシールもつられて笑顔で話を聞いているが、夜寝る前になると急激な不安に襲われる時があるのだ。
『私は何者にもなれないのかしら……』
あまり考えないでおこうと思っているが、遠くから聞こえる歓声に、自分の駄目さ加減が際立つように感じられた。
――ペシャ。
目の前でピルピルと震えていた泥兎は、力を失くしたように土に戻ってしまった。
その小さな土の塊を見ながら、ルシールは素直に親友の事を喜べなくなっている自分に落ち込んで、心が沈んでいった。




