20.食パンを作りながら
ロングスタン家から寮に戻ったルシールとネネシーは、明日のための食パン作りを始めた。
パンは焼き上がるまでに時間がかかるので、平日は夕方から作り出す事が多い。朝食用のパンを、夜に焼き上げておくのだ。
ネネシーが力強くこねあげてくれる生地は、とても美味しく焼き上がる。
何度か生地を休ませたり発酵させたりする必要はあるが、二人でお喋りしながら発酵を待つ時間も楽しい。
だからパン作りは二人にとっての楽しい時間でもあった。
ルシール達がパンに使う材料は、バターではなくてオイルだ。
食パンの材料は、粉と砂糖と塩とドライイーストとスキムミルクとオイルさえあれば出来るので、材料のストックさえあれば買い物に出かける必要もない。
街に出れば、ついつい美味しいものに目がくらんでしまうので、買い物要らずの食パン作りは節約料理と言えるだろう。
将来カフェ開店を目指すルシール達には、素晴らしい料理とも言えるものの一つだった。
今日もネネシーが力強く生地をこねあげてくれた生地を休ませながら、二人はお喋りをする。
話題は自然と、討伐合宿に同じチームに参加してくれる事になったフィナンの事になる。
「フィナン様、本当に優しいね。魔物が出る討伐地は危ないからって、同じチームに入ってくれるなんて。試合で剣を持つ時は、目を瞑っちゃ駄目だって、ネネちゃんにアドバイスもくれてたね」
「剣を向けられると、勝手に目が閉じちゃうんだ。もし目を開けていられたとしても、何も出来ないんだけどね。
もしも貧乏じゃなかったら、騎士の道は選ばなかったと思うな」
ふうとネネシーがため息をつく。
「その気持ちは分かるよ、ネネちゃん。私も貧乏じゃなかったら、魔法科は選ばなかったと思うわ。魔物を見るのも怖いし、攻撃魔法なんて高度な魔法は一生使える気がしないもの」
ふうとルシールもため息をつく。
そして、「そういえば」と思い出す。
「乙女ゲームの世界に婚約破棄は付きものだけど。
私に婚約破棄を突きつけたヒーロー役のハロルド様は、自宅謹慎しちゃってるわね。
そんなヒーローの乙女ゲームって、需要があるのかしら?」
「私の乙女ゲームのヒーロー役のヴェイル様も、同じく自宅謹慎中だしね。
婚約破棄を無事に終えたヴェイル様は、ハッピーエンドのエンディングを迎えてたはずなんだけど……
ハッピーエンドの先って、それほど幸せはないものなんだね。
ヒロイン役は幼馴染のサブリナだけど、あの子の求めた幸せってこれなのかな」
ネネシーが話しながら首をかしげる。
「私の乙女ゲームのヒロイン役は、同じ寮のシンディだけど……平民寮から貴族寮へは来れないから会うこともないし、彼女が幸せかは私も分からないわ。彼女は普通科で科も違うから、学園でも会わないもの。
だけどヒロインは、ヒーローと幸せになるっていう決まりがあるわ。
ヒロインはどんなヒーローとでも、一緒にいるだけで幸せなはずよ」
ルシールがそう言うなら、そうなんだろうなとネネシーは思う。
「そっか……そうだね。それなら安心だよ。幼馴染のサブリナはちょっと怖い子だから、幸せで穏やかな気持ちでいてほしいんだ」
――ちょっと怖い子。
その言葉にルシールが引っかかる。
もし少しでもネネシーに危険があるなら、いざという時に守れるくらいに強くなりたい。
『少しくらい攻撃魔法が使えるように練習してみようかしら?』
ネネシーを想って、少し魔法の特訓でもしてみようかしらとルシールは考えてみた。
『一番良いのは、フィナン様がネネちゃんのヒーローとして、ネネちゃんを守ってくれると安心なんだけどな。騎士のフィナン様は乙女ゲームの条件を満たしているし、同じ騎士科だから学園でいつでも近くにいられるもの』
そんな風にも思う。
『ネネちゃんの気持ちを確かめよう』
そう考えたルシールは、ネネシーに尋ねる。
「ネネちゃん、フィナン様って素敵だと思わない?乙女ゲームのヒーローは騎士様って決まってるから。フィナン様がヒーローじゃないかと思うの」
「えっ!」
ネネシーは驚く。
ルシールがフィナンを「素敵」と言ったことに衝撃を受けた。
ピンクの髪の可愛いルシールは、どう考えても乙女ゲームのヒロインだ。
確かに元婚約者のハロルドから、ルシールは婚約破棄を突きつけられたが、濃紺の髪と濃紺の瞳を持つハロルドは、ヒーローカラーではない。
あの男はただのたかり野郎で、ルシールのヒーローとしてノーカウントだ。
ルシールのヒーローはきっと、「金髪」碧眼のクレイグだ。
――「銀髪」碧眼のフィナンではない。
ヒーローの職業に、魔法使いだとも騎士だとも限定はされていないはずだが、ヒーローカラーは絶対だ。
大好きなルシールには幸せになってほしい。
「確かにフィナン様は素敵だけど、クレイグ様はもっと素敵じゃない?だってほら、あのたかり野郎共から守ってくれたのは、クレイグ様だよ?
まるで王子様みたいだったと思わない?」
「えっ!」
ルシールは驚く。
ネネシーの真の運命の相手は、騎士のフィナン様だ。
――だって乙女ゲームではそう決まっている。
だけどネネシーがルシールを見つめる目は、真剣そのものだ。
きっとネネシーの心はすでにクレイグへと傾いているのだろう。
大好きなネネシーには、幸せになってほしいと思う。
出来れば運命の人と結ばれてほしい。
だけど一番大事なのは、ネネシーの気持だ。
ルシールはふうと静かに息をはきだし、優しく微笑んだ。
「そうだね。確かにクレイグ様は素敵だよね」
ルシールがそう言葉を返すと、ネネシーはホッとした様子を見せた。
きっとルシールに、自分の気持ちを肯定されて安心したのだろう。
少し微妙な空気が流れたので、『このお話は、今日はお終いね』と考えて、少し早いけど食パン作りの次の工程に移ることにする。
「じゃあ生地は休ませたし、そろそろ分割しようかな」
そう話しながら、空気を変えるようにルシールは立ち上がった。
誰が誰を応援してるのか、よく分からなくなってきましたね。
そろそろ説明図が必要になってきたでしょうか……




