02.乙女ゲームに詳しくない者は迷走する
ルシールには前世の記憶がある。
前世のルシールは、この世界のルシールと同じように貧乏だった。
家を出て一人暮らしをしていたせいもあって、生活費を稼ぐのに精一杯だった。
少しの無駄遣いも許されないくらいに切り詰めた生活をしていたのだ。
たまに遊びに来る友達は、ルシールを哀れんで食料品をスーパーで買ってきて差し入れてくれた。
差し入れられた野菜や卵を見て喜ぶルシールを眺めながら、友達は憐れみの目を向けてきたものだ。
ぷつりと記憶が途切れているのは、極貧生活で人生が断ち切られてしまったのかもしれない。
そこは測り知れないところだし、思い出さない方が良さそうなので、記憶の深追いはしないようにしている。
話は戻って、前世の友達だが。
彼女はいつも乙女ゲームを楽しんでいた。私の部屋でも携帯を見ながら、よくニヤニヤしていたものだ。
「ついつい課金しちゃうんだよね〜」
友達が口ぐせのようにそう話すので、「課金」という危険なワードに近づきたくなかった私は、乙女ゲームの世界を詳しくは知らない。
だけど友達は言っていた。
「乙女ゲームに婚約破棄は付きものよね。これがゲームの良いスパイスになるのよ。ヒロインを庇うヒーローが、悪役令嬢に婚約破棄を告げるのは定番中の定番だけど、そこがまた良いのよね」
友達は確かにそう話していたのだ。
前世の友達が話していた乙女ゲームの登場人物。
『ヒロインとヒーロー。ヒーローに婚約破棄を告げられる悪役令嬢』
それは、
『運命の愛のシンディとハロルド。そしてハロルドに婚約破棄を告げられるルシール』
この構図そのものだ。
今先ほど、まさにこのゲームの中の悪役令嬢役のルシールは、ヒーロー役のハロルドに、婚約破棄を突きつけられた。
婚約破棄があった今、このゲームはエンディングを迎えてしまった。
悪役らしい活躍を見せられなかった気はするが、私達の乙女ゲームは終わったのだ。
だけど、
『もうここからは乙女ゲームの世界に縛られる事はないだろう』
そう考えるとルシールの気持ちは少し軽くなった。
婚約破棄を怯えながら待つより、全てが終わってしまった今の方が、よほど気持ちが楽なことに気づいたのだ。
この世界が乙女ゲームの世界だと気づいてから、こんな日が来る予感はしていた。
最近のハロルドの態度を見ても、以前と違ってルシールに気持ちが向いていない事も明らかだった。
分かっていた事なのだ。
お店のガラス窓に映る自分をぼんやりと眺めていたルシールは、ホッと短く息をはきだし、顔をあげて歩き出した。
歩きながらまた思考の中に入っていく。
ルシールが前世を思い出したのは、わりと最近の事だ。
それは夏祭りの日。――ハロルドとシンディが結ばれた日だ。
あの日、一緒に祭りを回っていたはずのハロルドとシンディが姿を消して、ルシールは祭りの会場中を探し回った。
たくさんの群衆の中を歩き回り、疲れ果てて道の端に座り込んだ時に、突然ある言葉が頭に響いた。
「乙女ゲームに婚約破棄は付きものだから」
―――あ。
これは乙女ゲームの世界だ。
そう気がついた。
前世で友達が話していた言葉が次々と蘇ったのだ。
「この世界にはない髪色……素敵すぎるわ」
「名前は西洋風でしょ。やっぱり」
「来た!騎士様!」
「攻略対象者あっての乙女ゲームというものよね」
「ヒロインはやっぱり平民よね〜。貴族の悪役令嬢とは違って、この素朴さが魅力なのよ」
携帯ゲームを見ながら、楽しそうに呟いていた友達。
前世にない髪色。――この世界の髪色は様々だ。
西洋風の名前。――みんなの名前はそうだ。
騎士。――ハロルド様は騎士を目指している。
攻略対象者。――?
平民のヒロインと、貴族の悪役令嬢。――平民のシンディと、ギリギリ貴族のルシール。
「攻略対象者」に心当たりはないが、シンディは美人だし、男子生徒に人気だ。きっとたくさんの男子も攻略したのだろう。
――全てが当てはまる。
間違いない。ここは乙女ゲームの世界だ。
『後はこの先、私が婚約破棄を突きつけられる事があれば、私がこのゲームの悪役令嬢確定じゃない』
ルシールは道端に座り込んだまま、残酷な現実を目の前にして頭を抱えた。
ああ、前世で課金をしてでも乙女ゲームをしておくべきだった。
この世界が乙女ゲームの世界だと分かっても、乙女ゲームをした事がないから、この世界の事がよく分からない。
私が悪役令嬢である可能性を持っていても、どう対応したらいいのかが分からないのだ。
冷や汗が出る。
『悪役令嬢って何をして悪役になってしまったの?
何もしなくても、ヒロインの恋敵という時点で悪役なの?
こんな事なら、口約束といえどハロルド様と婚約なんてしなければ良かった。私だって浮気するような男と結婚なんてしたくない』
自分の中でグルグルと回る思考に酔って、頭を抱えたまま座り込んでいたら、親切な誰かが声をかけてくれた。
そしてその親切な人が、私を学園の寮まで背負って送ってくれたのだ。
――そういえばあの人は誰だっただろう?
冷や汗が止まらなくて吐きそうだったし、声をかけられた時に、ほとんど顔を見れなかった。
別れ際も、俯きながら「すみません…」としか言えなかった。
自分の中の黒歴史を思い出してしまい、ルシールははあああと深いため息をつく。
『駄目だ。こんな日は帰ってふて寝しよう。
あの高級カフェでお金を使う事がなかったし、今度久しぶりに買い物に出かけてみよう』
ルシールはそう考えて、少し重くなった足を寮に向けて進めた。