14.ここは誰の乙女ゲームの世界なのか
「あ。ルルちゃん、もうそろそろ行かなくちゃ」
時計を見たネネシーが、ルシールに声をかける。
「まだ寮の門限には早いだろう?もう少しゆっくりしていかないか?」
フィナンが慌てて声をかけた。
――まだ何も話せていない。
「ここから森を回って帰るんです。遅い時間になると、森は危ないですからね、そろそろお暇しないと」
眉を下げて答えるルシールに、フィナンが尋ねる。
「なぜ森に……?そういえば昨日も、どうして森にいたんだ?森は魔物が出るから危険だぞ」
「危険のない森の入り口しか入らないので大丈夫です。森へは食材集めに行ってるんですよ。昨日もだいぶん集めたけど、せっかくここまで来たから、今日も少し採っていこうと思いまして」
「食材……?」
フィナンが理解出来ないといったように顔をかしげる。
高位貴族のお坊ちゃまには、極貧生活など想像もつかないのだろう。
やれやれというように、ネネシーは首を振る。
「今は将来のお店に向けて、節約の時なんです。小さなお店でも二人のバイト代では、まだまだ買えないですからね」
「節約……。森で何の食材を集めるんだ?」
続けて質問をするフィナンに、ルシールが答える。
「今日は昨日に引き続いて、きのこ狩りです」
「今日の夜ご飯は、ルルちゃんがキノコのパンキュシュを作ってくれるんだよね」
「キノコは美味しいよね。あ、帰ってから明日のパンも用意しないとね」
「パン生地は任せて!」
「……」
キャッキャツと盛り上がる二人に、フィナンは黙った。
「パンキッシュとは何だ」とか「パン生地をどう任せるのか」とか、聞きたい事は多かったが、答えを聞いても戸惑うだけのように感じられた。
フィナンは隣に座るクレイグを見る。
どうやらクレイグも、二人に聞き返したいが、盛り上がる二人の会話に割り込んでいいものか躊躇っているように見える。
だけどとにかく、森に行くなら早い方がいい。
そう判断して、フィナンは立ち上がる。
「森へは僕も付き添おう。森の入り口とはいえ、用心するにこした事はない」
「――私も森へ付き合いましょう」
クレイグも二人との会話を諦めて立ち上がった。
「送っていただいてありがとうございます」
ペコリと頭を下げて、二人の少女はクレイグを振り返る事もなく寮に向かって歩いていく。
その背中を眺めながら、クレイグはため息をついた。
結局森へフィナンと二人で付き添ったが、あまりに真剣に食材探しに取り組むルシールとネネシーに、声をかけるのも躊躇われた。
帰りは、自分が乗ってきた馬車で送ろうと名乗り出て送ってきた訳だが、馬車の中でも二人の少女はキノコについて真剣に討議していたため、話しかけられなかった。
どうやら自分は二人の眼中にないらしい。
それだけは確実に分かった。
『また今度話す機会を見つけよう』
そう考えて、クレイグは今日の歓談を諦める事にした。
――そうして二人と別れたのが今である。
「食パンの器ができたよ」
「わあ、さすがネネちゃん。一瞬だね」
分厚く切った食パンの中身をきゅうっと推して、器を作る。
軽く押さえるだけでも器になるが、ネネシーがきゅっと軽く押すだけで、しっかりした噛みごたえのある器に変わる。
ルシールは、パンの器に炒めたキノコを入れる。それから卵と牛乳とチーズを合わせて、塩胡椒で味を整えた液を流し込んだ。
後はオーブンで焼くだけだ。
「これはチーズをお砂糖に変えたら、パンのプリンも出来そうだね」
「今度試してみよう!」
こうして焼けるのを待つ間も、二人でいればとても楽しい。
ルシールはオーブンを見つめるネネシーをそっと伺った。
今日改めて会ったフィナンは、乙女ゲームのヒーローに相応しい人だった。
ネネシーヒロインの乙女ゲームが始まったのかもしれない。
ルシールは自分の知る、乙女ゲームの条件を思い出す。
・前世にない髪色と、西洋風の名前を持つ世界。
・騎士と攻略対象者のいる世界。
・ヒロインは平民で、悪役令嬢は貴族であること。
フィナンはキラキラと輝く銀色の髪を持っている。
前世では白髪を銀髪と表現する事もあるようだったが、この世界の彼は本当に銀色の髪だ。
騎士のフィナンがいて――たぶん攻略対象者の、クレイグのいる世界。
クレイグは、騎士であるネネシーに魔法の研究の協力を求めようとした。
それはネネシーを誘うためだとしても、苦しいこじ付けにしか感じられない。
魔法使いと騎士は協力し合う事はあるけど、騎士が魔法の研究に協力するなんて話は聞いた事がない。
きっとクレイグはネネシーに惹かれているのだ。
近づく機会を伺っているのだろう。
ヒロインは平民と決まっているが、ネネシーは私と同じく平民にも負けないくらい貧乏なギリギリ貴族だ。
それはもう平民カウントしていいと思う。
ネネシーが平民と見るならば、ルシールも平民だ。
悪役令嬢は貴族と決まっているから、ルシールはネネシー主演の乙女ゲームの悪役令嬢にはならない。
そう考えて、ルシールはホッと安堵する。
悪役令嬢役に任命されれば、その役目を拒否する事など出来ないと分かってはいるが、ネネシーの邪魔だけはしたくない。
ネネシーはルシールにとって、前世を合わせた中でも一番の親友だった。
『これはネネシーの乙女ゲームの世界だ』
ルシールは確信する。
『ネネちゃんの恋が上手くいきますように』
ルシールは、オーブンの中のパンキッシュに向かって、そう祈った。
そんなルシールの隣でもまた、ネネシーはルシールの幸せを祈っていた。
今日のロングスタン家であった出来事の、ひとつひとつを振り替えってみると、どう見てもルシールの乙女ゲームが始まったようにしか思えなかった。
ネネシーの知る、乙女ゲームの世界。
・ヒロインはピンク色の髪である。
・ヒーローは金髪碧眼である。
・悪役令嬢は紫色の髪である。
――それは乙女ゲームの基本カラーだ。
ピンク色の髪のルシールと金髪碧眼のクレイグ。
そして見目麗しい銀髪のフィナンは、いわゆる攻略対象者というものだろう。
紫色の髪の悪役令嬢。
ネネシーはルシールの邪魔をするつもりは無いので、この点だけが合わない点だが、これから現れるのだろう。
――全てが当てはまる。
『どうかルルちゃんの恋が成就しますように』
ネネシーは、美味しそうな匂いがし出したパンキッシュを見ながら、心の中で静かに祈る。
「出来たよ!熱いから火傷しないようにね」
ルシールがネネシーに注意して、二人は熱々のパンキッシュをあちちと言いながら食べ始めた。
冷めても美味しいキッシュだが、焼きたてが一番美味しいものだ。




