01.駄作な乙女ゲーム
「ルシール、婚約を破棄させてくれないか?僕はもうこれ以上、自分の気持ちを偽れない。僕は運命の人に出会ってしまったんだ」
目の前に座る彼がルシールに告げる。
『やっぱりこうなるのね』
ルシールはハロルドの言葉を受けて、俯くことしか出来なかった。
目の前で婚約破棄を突きつけた男は、ハロルド・アンルーズ――アンルーズ男爵家の次男であり、ルシールの婚約者だ。
彼はメイデン学園に通う、ルシールより学年がひとつ上の騎士科の二年生だ。
私、ルシール・オルコットは、オルコット男爵家の一人娘で、この春に入学した魔法科の一年生である。
騎士科のハロルドと魔法科のルシールは、科が違う者同士だが、入学式で偶然の出会いがあってすぐに、彼の熱烈なアプローチに押される形で、スピード婚約を結んでいた。
婚約を結んでいたとは言っても、書類を交わした訳でもなく口約束のもので、破棄したところで家同士の不都合があるものではない。
ルシールが破棄を受け入れる言葉を、ひと言口にするだけで、簡単に無かったものになるような婚約だった。
ルシールが今いるこの場所は、街でとても人気のある、高級カフェの片隅だ。
この店はなかなか予約が取れない人気店だが、ハロルドの誕生日を祝うために、ルシールが3ヶ月も前に何とか予約を入れていたお店だった。
ハロルドの誕生日――今日という日のために。
ルシールの家――オルコット家は男爵という爵位は確かに持っているが、貴族枠に入れてもらう事が烏滸がましく感じられるほどの貧乏貴族だ。
この高級カフェで予約を入れていた「特別ティーセット」は、ルシールのバイト代3ヶ月分もする高額なセットで、3ヶ月の間必死にバイトをする覚悟で入れた予約だった。
『大奮発して頼んだスイーツセットだったのに。
何もこんな日に婚約破棄を言い出さなくてもいいじゃない』
ルシールの気持ちが重く沈んでゆく。
力なく視線を上げて、ハロルドの顔を見つめた。
決して人目を引くような容姿では無いが、『優しくて穏やかそうな人だ』と、初めて出会った時に好印象を持った。彼となら、ずっと一緒にいられるような予感がして受けた婚約だった。
彼の持つ濃紺の髪と瞳。
その濃い紺色の瞳は、以前はルシールを優しく見つめてくれていた。
だけど今の彼の瞳には、苦悩の色が浮かんでいる。
――まるで叶わない愛に苦しむ者のように。
憂いを見せるハロルドの隣には、寄り添うように女が座っている。
ルシールがやっとの思いで予約を入れたお店に、今日ハロルドが勝手に連れて来た女。
彼が出会ったという「運命の人」、シンディだ。
ルシールとシンディは友達だった。
シンディは平民だが、ルシールは貴族ギリギリの所にいるような貧乏男爵家だし、平民に差別意識は持っていない。
彼女とは学園寮で顔を合わせて話すようになり、一時は親友とも呼べるほどの仲ではあったが――こうなっては全て過去の話となる。
もう友達とも言えないだろう。
シンディが震える声で言葉をかけてくる。
「ルシール、彼は悪くないの。私が彼を愛してしまった事がいけないの。……ごめんなさい。ルシールを裏切るつもりはなかったのよ。ただ私の思いを打ち明けて、それで終わりにするつもりだったのよ」
「――そう?シンディが思いを打ち明けて、そしてハロルド様がそれに応えたのね。あの夏祭りの日、私が二人とはぐれてからの話かしら?……二人ともあの日は帰って来なかったものね」
ルシールの静かな声に、シンディは涙をポロリと落とし、ハロルドは俯いて声を絞るように謝った。
「……ごめん。僕はシンディの告白で、自分の気持ちに気づいたんだ。彼女こそが僕の運命だ。だから申し訳ないけれど、これ以上君との婚約を続けられないんだ」
ハロルドの言葉に、ルシールの気持ちは波が引くように冷めていった。
メイデン学園に入ってすぐに出会った彼は、ルシールにも「運命」だと話していた。彼の話す「運命」ほど軽いものは無いように思える。
ルシールは静かにため息をついた。
『もう終わりね。こんな茶番には付き合い切れないわ』
ルシールはそう考えて、深く息を吸い込んだ。
――ここからが勝負だ。
「ハロルド様、酷いわ!!親友だったシンディと一夜を過ごすなんて!
こんな不適切な関係が、通っているメイデン学園に知られたら、シンディは指導室行きの停学よ?就職にだって影響するわ!
それを分かって手を出すなんて、それがあなたの騎士道精神というものなの?」
ワッと泣きながら立ち上がった拍子に、座っていた椅子がガタン!と派手な音を立てて後ろに倒れた。
――店内の客達の視線が集まる。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!僕達の仲はそこまで――」
「ハロルド・アンルーズ様!婚約破棄、承りました!!どうかお幸せに!!!」
動揺して何か言いかけたハロルドの声に、言葉を被せて抑え込み、ルシールは店の外に駆け出した。
――お茶代は残ったハロルド達に任せることにして。
ハロルドだってお金に余裕がある訳ではない。
彼の家も裕福とは言えないし、次男でもある彼は継ぐ家もないから、騎士として生計を立てるために騎士科に入ったのだ。
厳しい訓練にバイトをする時間もないので、ルシール以上に金欠のはず。
更に勝手に連れてきたシンディの分と合わせれば、相当な会計額になる事だろう。
「婚約破棄の慰謝料として払っておけばいいのよ」
足早に街の中を歩きながら、ブスッとした顔でルシールが呟く。
婚約破棄の慰謝料というにはあまりに些細な金額だが、別に家同士の婚約でもないし口約束のものだから、妥当なところだろう。
――それに少なくとも、ルシールにとっては大きな金額だ。
「いくらこの世界が乙女ゲームの中の世界で、婚約破棄は付きものだとしても。
こんな婚約破棄なんて駄作も良いところだわ。どこに需要があるっていうのよ」
ブツブツと不満がルシールの口から漏れ出す。
「だいたい私が悪役令嬢だったとしても、あんなのがヒーローなんてあり得ないんじゃない?あんな薄っぺらいヒーローなんて、取り合う気も起きないわよ。
そもそも私が悪役令嬢なんておかしくない?
貧乏な男爵家の悪役令嬢って何なのよ。それに、悪役令嬢にしては、髪色が甘過ぎない?」
そう呟いたルシールは、通り過ぎようとしたお店のガラスに自分が映っている事に気づき、足を止めた。
ガラスに映るルシール自身の姿を、確認するようにまじまじと眺めてみる。
薄いピンク色の長く柔らかな髪。髪色よりは濃いピンク色の瞳。華奢な身体。
「こんな弱そうな見た目で、どうやってヒロインを倒せるっていうのよ。設定がおかしすぎるわ!」
不機嫌そうな顔の弱そうな女が、お店のガラスに映っていた。