第三十一話 姫と獅子
クラルス姫は物憂げに廊下を歩いていた。兄に呼び出され、嫌な報告でなければいいと足取りも重くなっていたのだ。兄が仕事を始めてからクラルスが職務時間に呼び出されることなど一度もなかった、家族団らんの時間も無くなり、ルピナスの世話もあってメイドがいるとはいえ心が休まる時間もなくだんだん息苦しくなる毎日に、本人も気付かぬうちに疲れが表情にほんの少し漏れていた。
クラルスは王子の執務室に着くと少し緊張しつつノックして扉を開ける。
「お兄様、何の御用ですか?」
不安な感情は家族には十分に察知できるもので王子は安心させようと微笑んで肩に手を置いた。
「ああ、お前に専属の護衛を付けようと思ってな。外に出るたびに大所帯で出かけるのも大変だろう、その護衛がいれば自由に外出しても構わない。その子はまだ騎士でないのだが年も同じだし腕も立つ。見た目は怖いのだが優しい男だから怖がらないでやってくれ」
突然の提案にクラルスはどうしたのだろうと違和感を持った、軽々しく外出してはいけないと教えられ制限されていたのに護衛を付けるからと突然自由にしていいと言われ戸惑った。
「それはうれしいですけど……外に出る予定はありませんから、やりたいことがあるわけでもないですし…私と同じ年齢なら子供ではないですか。学ぶことも多いでしょうに私が邪魔をしては申し訳ないです」
「別にいつも一緒にいるわけじゃない、必要な時だけ呼び出せばいい。時には気分転換も必要だろう?」
確かに変化を望んではいた、しかしどうにもそういう気分にはなれなかった。何度か外には出たがどうにも楽しい気分にはなれずレオンのことも思い出してしまっていた。周りの人間は誰もレオンの代わりにはなれない、当たり前ではあるが強すぎた光であるがゆえにその喪失感も大きかった。自分も気付かぬうちに焼かれていたのだ、もう一度見たいと思うほど過去に縛られる気がして見ないようにしていた。
ある意味で不幸だとも言える、その光に愛されたことで心は夜のように静まってしまうかもしれない。愛と喪失、クラルスはそれを知るには早すぎたのだ。
その時、コンコンと扉のノックする音が響いた。少年の声がして王子は呼び込む。
「入れ! 呼んでおいたんだ、今日は顔見せだ」
扉が開くととても痛々しい少年の顔が見えクラルスはドキッとした。少年はクラルスを見るととても驚いた顔をして言葉も何も忘れてしまったように硬直していた。
「なにしてるレトゥム、入れ」
レトゥムと呼ばれた少年が自分から視線を逸らし進んでくる、その顔は凶暴さが見えて獣のような恐ろしさを感じさせクラルスは不安を覚えた。身を包む空気は相手を相手の熱を奪うようで寒く、この目を見たらルピナスは怯えてしまうだろう。
「なんでしょう殿下」
戸惑いつつも出した声はクラルスの想像通りの冷たい心を感じる声だった。本当に騎士を目指しているのかと疑問を抱かせるほど。
「今日からクラルスの護衛の任に付け」
「?! 殿下……!」
「拒否権はないぞ。クラルスが呼んだらすぐに来れるようにするんだ」
「はっ…はい……」
兄の熱が見えた、彼にこだわる兄の考えが分からずクラルスは拒絶しようとした。だが彼の表情が目に入ると声に出そうとしていた言葉は止まった。レトゥムはなぜかとても悲しそうな眼をして、拒否したいとかそんな気持ちではなくただただ辛そうにうつむいていた。
「用はこれだけだ、呼び出してすまなかったな」
どうするかも決められず、クラルスは感情を押し込めて受け入れた。そしてちらりとレトゥムを見たが目を逸らして自分を見ないようにしている様子を見てクラルスも顔を逸らした。
「いえ、お兄様。失礼します。お仕事頑張ってね」
部屋から出ようとするとレトゥムはエスコートするようにドアを開けてクラルスが通るのを待った。そして静かにドアを閉めて後ろをついていく。
「あなた、レトゥムと言うのね。これから世話になるのね……でも護衛の件はあまり気にしなくていいわ、あまり外に出る気はしないから…そんなに呼ぶことはないと思う」
「先日……街に降りていましたがもういいのですか?」
すこしたどたどしく緊張気味な口調、彼との間の分厚い壁はきっとこのままだろうとクラルスは考えた。
「あれはルピナスの誕生日プレゼントを買いに行っていたの。外に出ると騒がれるから簡単に外に出るわけにはいかないのよ」
「そう…でしたね……」
また辛そうな顔になる彼を見て自分に同情でもしているのだろうかとクラルスは思った。顔に惑わされただけで本当は感受性が豊かなのだとしたら冷たい顔は何なのだろうと心に引っかかった。
「もう帰っていいわ。外に出る予定もないから…兄さまの言ったことは気にしなくていい」
そう言うとレトゥムは安心したように体の強張りが消え、敬礼をしてその場を去ろうとした。クラルスはそのまま別れようとしたが戻る道がふと暗く見えた、変わらない日常に戻る事を心がためらっていることに気付いてしまった。
「待って!」
引き留められたレトゥムは戸惑ってクラルスの言葉を待った。
「ルピナスにも会ってあげて、一緒に暮らしているのだけど心の傷のせいで閉じこもってるの…あの子は嫌がるかもしれないけどすこしは外に出してあげたい……」
「……はい」
たった一言の同意の声だったが不思議な声、クラルスはそう感じた。知らない感情……まるで開かない扉のようだと、外から開ける事も出来ず中を想像する事も出来ないのに存在は認識できる。
クラルスは同じだと思った。ルピナスに見せられない自分の弱さ、母と兄が自分に見せようとしない悩み。それに触れようとしないのは無力だと知っているから、レオンならどうしただろうと頼るようにクラルスは考えてしまうがそれは自分にはできないと思ってしまう。
クラルスが自室に戻るとルピナスはいつも通り抱き着いた、父親が死んでからいつもこうで一人になるのを怯えて誰かがそばにいないといけない。
「ルピナス、今日はねお兄様に護衛を付けてもらったの。あなたにも紹介させて、レトゥムと言うの。一緒に守ってもらいましょう」
ルピナスはちらりと見ると怖がってクラルスの服に顔を埋めてしまった。ルピナスを見るとみんな同じ顔をする。かわいそうだと思っても誰にもどうする事も出来ない……せめて一緒にいて傷を誤魔化してあげるぐらいしかできない、しかしクラルスもそれに引っ張られ悲しい顔をする。
レトゥムは妹の状態に食いしばるような表情で痛みに耐えようとした、皆に支えてくれと必死に祈りながら血が抱きしめる感覚に安らごうとした、だがクラルスまでもが悲しんでいる様子にただただ悲しくなった。
「怖がらせてしまって申し訳ありません……離れているので誤用があればお呼びください」
泣く前の我慢するような声、クラルスにはそんな風に聞こえ振り向くとレトゥムは顔を見せないように背を向けて離れてしまった。
「駄目よ、そんな態度を取ったら。傷ついてしまうわ」
ルピナスの背中を押して彼に近づいた。
「ごめんなさい……」
「謝る必要はありません……本来なら…あなた達に近づくべき人間じゃありませんから」
その時、彼は自分たちの事をとても考えてくれていると気づいた。何も知らない相手だが不思議とそう感じ、自分が歩み寄らなければその優しさを受け取れないと思いクラルスは提案した。
「せっかくだから…墓参りに行かない? お花を買って、供えてあげましょう? 最近行ってないでしょ、どう?」
ルピナスは少し悩んでうつむいた、両親に会いたい気持ちと不安が拮抗したがこくりとうなずいた。
「うん…」
「お願いできる? レトゥム」
「はい…もちろんです」
二人は目立たない服に着替え、深々と帽子をかぶった。レトゥムは二人から少し離れて後ろをついて行くがクラルスに堅苦しくせずに近づいてと言われ、戸惑いながら少しだけ歩み寄る。ほんの少しの距離の縮まりにかみ合わない優しさがすれ違う。
クラルスは街の人混みを前にするといつもと違う感覚に戸惑った。
「姫様、人通りの少ない道を行きましょう。大通りは少し…人が多いですから」
「ええ、案内をお願い」
前に街に降りた時、レオンも考えて案内してくれていたのだろうか……彼は自分の事をよく見て、反応を楽しんでいた。簡単なきっかけであの時は気づかなかったことを知ると疑問を持たずに受け取っていたことを反省しクラルスはそれを自分の優しさにしなければと思った。
花屋に着くと女店主は驚いて声を上げようとしたが咄嗟に我慢した。
「姫様、ルピナス様。いっいらっしゃいませ、お二人だけなんですか? 騎士の姿が見えませんが…」
店主は外を見回して狼狽えていた。
「護衛ならちゃんといるわ。突然来てごめんなさい」
女店主はレトゥムに気付くとぎょっとして少し怯えた。
「お兄様が選んだの、立派な護衛よ。お墓参りに行くからお花を包んでくれる?」
「もっ申し訳ありません…! すぐに用意しますから少々お待ちください」
店主は頭を下げると店内を駆けまわる。待っている間クラルスはいくつもの花の香りの中に思い出の香りを見つけた。いつもレオンが買ってきていた花が並んでいて見ていると懐かくて寂しい気持ちになった。
「ねえ、レトゥムは好きな花はある?」
そう聞かれるとレオンは悲しげな眼を迷わせることもなく一つの花に目を止めた。同じ花を選んだことに自然とうれしい気持ちが湧いた。
「この花…です」
「私もこの花が一番好きなの。大切な人がいつもくれたから」
クラルスはその花をじっと見ていた、その横で悲しげにその様子を見ているレオンに気付かずに。
「この花も一輪買わせて。短く切ってくださる?」
店員からそれを受け取るとレトゥムの胸ポケットに刺した。
「邪魔かもしれないけど、これで少しは怖がられずに済むかしら」
彼は少し恥ずかしそうにお礼を言うとその様子がかわいくてクラルスが思わず笑うとルピナスが間に入った。
「お姉ちゃんを取っちゃダメ。お兄ちゃんがいるんだから」
「そんなこと言わないの。困らせちゃダメ」
「……不安にさせてしまって申し訳ありません」
その優しい声にルピナスは罪悪感を感じていたが謝れずにクラルスの服に顔をうずめてしまった。その気まずさを割るように女店主が花束を持ってきた。
「この花は私達から送らせてください……お二方にはとてもよくしていただきましたから。こんなことじゃルピナス様の慰めにもなりませんけど」
差し出された花束をルピナスは両手で受け取った。
「あ…ありがとう……」
ルピナスは花束を握りしめてきゅっと顔をしかめて泣きそうになっていた。クラルスは肩を抱いて声をかける。
「行きましょう」
三人は墓前に花を供えて眠る二人に祈った。
「お兄ちゃん…お父さんが死んだこと知ってるかなぁ」
「知らないんじゃないかな……知ってたらきっと戻ってくると思う。それか戻ってこれない理由があるのかも」
「やっぱり…悪い人につかまってるのかな。お母さんもお父さんも安心して眠れない…」
「そうね……ご両親も心配してるだろうから早く顔を見せてあげたい…わたしもレオンの笑った顔が見たいわ」
しばしの無言の後、戻ろうとクラルスが言って墓地を離れた。城に戻る途中、ルピナスが屋台に気付いた。
「あっ、アイス…」
クラルスとルピナスは懐かしい気持ちになった、前にレオンと一緒に食べたアイスの屋台だ。
「買って食べない? 私も食べたくなっちゃった。みんなには秘密ね、勝手に食べたら怒られちゃうかもしれないから」
ルピナスはうなずいた、レトゥムがお金を出して近くのベンチに座って冷たいアイスを口に入れると甘さが口に広がる。
「おいしいね、お姉ちゃん」
「そうね。あなたは食べなくていいの?」
そう尋ねた時、クラルスはレトゥムの表情が一段と暗くなっている気がした。
「ええ、いいんです……お二人は、彼が生きていることを疑わないのですね」
申し訳なさそうな声だった、聞いてはいけないことを聞くそんな感情の声。それにクラルスは自分の感情をありのまま伝えた。
「そうよ、だって忘れられないから……死んでるなんて思いたくないの。人の笑顔が好きな…希望に満ち溢れた人だったから、私も信じる心を無くさないようにしてるの」
「お兄ちゃんはとっても強いから絶対生きてる! 戻ってきたら抱きしめてもらうの」
ルピナスの頭を撫でるクラルスの表情は期待と不安が混じっていた。
「アイス、溶けちゃうから食べましょう……」
城門をくぐったところでレトゥムと別れた。クラルスにとって不思議な感情にさせる少年だったが別れ際にこう思っていた。彼は最後まで丁寧に……でも少し悲し気に私たちと接していた、理由は何も分からないけれどいつか彼も笑顔になる日が来ればいいなと。
レオンは二人を見送った後、少しの間立ち尽くした。自分の罪を再確認すると胸が苦しくなっていた。
『君が俺の事を忘れないなら、俺が忘れるしかない……でも忘れられるだろうか君への思いを……』




