第十九話 客人
レオンは家に戻り庭で剣を抜いた、柄を握ると手の震えは収まらないがそれでも握る。素振りをするとすぐに呼吸が乱れトラウマが肉体を鉛のように重くし、冷汗が流れて体が強張り荒い呼吸で膝から崩れ落ちて剣を落とした。ボルトはその様子を見て苦しそうに眉をひそめた。
「何をしてるんですか! 無理をしてはいけませんよ」
ティトが家から飛び出して慌てて駆け寄ったがレオンはティトの手を払いのけた。
「やらせてよ……このまま死にたくないんだ…」
ラニウスも家から出てきて悲し気に止める。
「まだ来て数日じゃねぇか、焦るなよ」
「寝てたってしょうがないんだ! 殺しただけなんだよ僕は……休んでも逃げてもこの血は消えないんだ!」
怒りをぶつけるようにレオンはこぶしを地面に叩きつけた。震える足を踏ん張って立ち上がり剣を振るが手に握り続ける力がなく硬い音を鳴らして落ちた。それでも自分を痛めつけるように剣を握ろうとするその手をラニウスが止めた。
「それを握るのはまだ早ぇ、剣を握るだけが修業じゃねぇさ。俺が付き合ってやる」
ラニウスの声にレオンはすこし落ち着きを取り戻した。
「ラニウス!」
ティトは納得せず目つきを鋭くしてラニウスを見つめた。
「仕方ねぇさ……」
「俺達で面倒見てやればいいんじゃねぇか」
ボルトが後押しすると、ティトはため息をついて諦めた。それから訓練の日々が始まった。素手での格闘、様々な武器の避け方。武器を手に取ることは出来なかったが動きを見て学んだことは多かった。座学も必要だとティトとの授業も始まった。
そんな生活が1年ほど続いたある日、レオンは朝から徒手空拳の稽古をしていた。小さな岩を砕くけるほどに成長したが庭に置いていた剣の柄に手を掛けると途端いつもの発作がでる。じっと剣を見ていると後ろからラニウスの声がした。
「何度確かめたって同じだぜ、心の傷は時間で治るもんじゃない。剣を抜くのはしばらくやめろって言ったろ」
「ここにいても変わらないならどこかに行くべきかな? 何か動いていれば変わるかも……」
「今は準備の時間だって言ったろ。無理すればまた傷つくだけだ」
もやもやとした感情に悩んだが行く所などどこにもない、また訓練を再開しようとするとティトが騒がしく玄関のドアを開け良い知らせだと普段より大きな声を出した。
「ファラベラさんの治療はうまくいってるようだと連絡が来ましたよ」
その知らせにレオンの表情は変わらなかった。
「そっか…よかった」
素っ気なくそれだけ言った。
「あなたが助けたんですよ」
「僕じゃなくてお医者さんだよ」
ティトは頭を掻いてどうしたものかと頭を悩ませた。その横でラニウスが町の入り口の方向に顔を向け怪訝な表情をした。
「誰か来たな」
ラニウスは街の入り口に向かい、少しすると後ろに子供を連れて戻ってきた。
「やっぱりここにいたか」
そこにいたのはアシヌスだった。驚くレオンは言葉を失ってただただ見つめた。
「おいおい……そんなに驚いたか?」
「どっ…どうやってここに…?」
アシヌスはそれには答えなかった。大人の二人はいぶかしんでたが何も言わなかった。
「ずいぶん変わったな、顔色が悪いぞ」
あの時とはまるで違う、ずっとずっと吸い込まれそうになるほど沈んだ闇夜のような瞳を見てもアシヌスは驚くこともなく目を逸らすこともしなかった。
「アシヌスだって…前と変わったよ」
アシヌスもずいぶんとやつれていたが妙に清々しい表情をしていて、それがレオンを不安にさせる。
「よくここがわかったね」
「あいつが教えてくれたんだよ、もうずいぶん前に思えるけど…どれくらいたったけな…まあとにかく居てよかった」
教授の事を言っているのだとすぐ理解できた。あんな奴のことなどレオンにはどうでもよく目の前の友人が心配だった。
「僕の力が必要だから来たんでしょ? なにをすればいい?」
「ちがうんだ…会いたくなったから来ただけなんだ」
アシヌスがはぐらかした返答するとまた誰かが来たとラニウスが言った。それはまっすぐこちらに来るらしく皆は入口の方向に目を向ける。現れたのは目つきの悪い短髪の女性でにらみつけるようにラニウスたち一人一人に視線を合わせ、子供たちを見ると怪訝な表情をした。
「お嬢さん、用はなんだい?」
ラニウスが尋ねる。
「用件は二つ。男を探しに来た、知ってるはず。それとレオンという子供に届け物を頼まれた、どっちがその子?」
女性は写真を取り出し見せた。ラニウスはちらりと写真を見てため息を小さく吐きうなずいた。
「僕に届け物? 誰から?」
不審者を見るように眉間にしわを寄せながらレオンは尋ねた。
「異常者からよ、あんなのから手紙を出されるなんてご愁傷様。無視してもよかったけどあいつの手紙なんてほっとくのも気色悪いし早く受け取って」
彼女は冷たく言い、差し出された手紙を前にレオンは身構えた。受け取るが開けることをためらっているとティトが手を重ねた。
「読まずに捨てるというのはどうですか?」
少し悩んだ後、ティトの手をどけ封を開けると中には手紙のほかに地図が入っていた。
「あいつ…何を書いたんだ?」
アシヌスが尋ねた。
「しるしの付いた町にあの時一緒にいた子がいて、困ってるから手助けしてやれって」
「向こうか?」
ラニウス達は厳しい顔つきで地図を覗き込む。
「ここは……王国の外れですね。のどかな田舎町のはずですが……」
「誰だか書いてるか?」
アシヌスの問いにレオンは首を横に振った。
「行かない方がいい、絶対ろくなことにならない」
アシヌスは強く言ったがレオンの心は決まっていた。
「行きたいって言っても行かせねぇぞ」
「一緒に行ってくれればいいじゃないか」
「危ない事はさせられないって話だ」
ラニウスは叱るように語気を強めた。話が長くなりそうな雰囲気を見て女性が口を開く。
「ねぇ、私の用事は無視?」
「ああ、すまん。案内しよう、目的は歩きながら話してくれ」
ラニウスはさっさと行ってしまった。
「お客が来ちまったか……二人も来るなんて嫌な日になるな……」
いつの間に玄関に立っていたボルトはそうつぶやき、シャベルを持ってひっそりと出かけた。
「あの時と変わってないな」
アシヌスは不安交じりに言う。
「あいつが何を考えていても、困ってる子には関係ない……アシヌスは逃げてきたわけじゃなって言ってたけど……会いたくなったってどういう意味?」
尋ねられると戸惑って口を閉じ、どういうべきか迷っているように視線が泳いだ。そしてはぐらかそうと話題を変えた。
「もし、行くなら俺もついて行っていいか? 国の町がどんな感じか見たいんだ。こんなチャンスに度とないし……」
焦って早口になるアシヌスの話をティトが遮った。
「ちょっと待ってください。君の目的を聞かせてくれないと自由に歩かせるなんて出来ません。向こうから理由もなしに来れないって分かってるでしょう。誰に送られたんです?」
詰められて口ごもると観念したように白状した。
「子供を殺して来いって言われたんだ……レオンと一緒に逃げた子を…」
「えっ? 教授に命令されたの!?」
レオンは少し興奮してアシヌスの肩を掴んで揺らした。アシヌスは目を合わせずに弱々しく返す。
「違う、いや……分からないけど。命令したのは俺を買った組織の人間だ」
レオンが困惑しているとティトが代わりにどうするか尋ねた。
「やめたよ。人を殺してまで生きていけるほど…強くないんだ……」
「それじゃあ、アシヌスはどうなるの?」
「……別に殺されやしないさ。できないことを分かってて送ってきたんだ、あっちに戻っても別に何もない。戻らない方が問題さ、俺が戻らなかったら一緒に買われた奴らがどうなるか分かんないからな」
アシヌスはむりやり笑っていた。
「なにもされないわけないじゃないか! 行かせられない……!」
肩を掴む手が力強くなるとアシヌスは合わせなかった目をレオンに向けた。
「別に助けてほしいわけじゃない。どう生きてるのか見たかったんだ……お前は強いから生き残れたけど、俺たちの事なんか忘れてるんじゃないかって……忘れてほしくなかったんだ! 俺の代わりに……足掻いてほしかったんだ」
二人ともとても悲しい顔をして見つめ合った。
「僕は……弱かったよ…今も弱いまま。だから強くなって……強くなって……今度こそ守りたいんだ…」
レオンは苦しみ交じりに言い、アシヌスの目には涙がたまっていく。
「理由は分かりました。でもこれ以上、背負わせることは出来ません。話は騎士たちに」
ティトが手を伸ばすとアシヌスは後ろに下がった。
「いい……自分勝手に来ただけで…聞きたいことは聞けた」
アシヌスは涙を落として走り去ってしまった。追いかけようとしたレオンをティトは腕を掴んで止めた。
「行ってはいけません! あなたの精神状態は重症なんですよ! これ以上負担をかけては…!」
「目の前の人間を見捨てて後悔しないわけないじゃないか!」
ティトの手を振りほどいてレオンは駆けだした。




