第十六話 獅子身中 ①
ルプスの死は王宮にもすぐに連絡が行き女王陛下にも伝えられた。
「陛下! 大変です! ルプス大将が亡くなられました!」
老齢の女王は狼狽え言葉を詰まらせた。
「なんてこと……」
「レオン様は生きておられる可能性が高いとも連絡がありました、いかがいたしましょう?」
「彼に連絡するわ……」
どこかの家の電話が鳴り筋肉質な老人が受話器を取る。
「はい。……陛下? どうなされました?」
事情を聴くと眉間にしわが寄り、持っていたコップを置き顔はより険しくなる。
「ええ、わかりました。すぐに」
受話器を置くとリビングの椅子にもたれて座っているぼさぼさ頭の男が酒を飲みながら口を開く。
「めずらしいな、陛下から直々なんて」
「ああ……いかなきゃならねぇ」
老人が家を出ると長髪の眼鏡をかけた男と玄関の前で出くわした。
「お出かけですか?」
「しばらく戻ってこねぇから街の事は頼んだ」
街の人間を撒いた後、アテリーネは三人と合流し休む間もなく歩き続けていた。いつの間にかレオンは気絶していて、目を覚ましたのは夕暮れだった。
アテリーネに担がれていたレオンは突然うめき声のような叫び声を上げ腕の中で暴れた。アテリーネがレオンを下して落ち着けようとしたが様子がおかしくアテリーネは時間を考えここで休む事を決めた。
頭の中で焼き付いた記憶が何度も再生され心臓を壊そうとするように鼓動を早めレオンはゆっくりと握ったこぶしを開こうと腕を上げた。
「大丈夫なのあんた? 怪我は?」
ファラベラの声にレオンは驚くように振り向くとその血走ったような目にファラベラは後ずさりした。ローターたちも困惑するがレオンは手に付いた血を見て震えだし恐怖にひきつった顔に変わっていく。
「おい、大丈夫か? そこに湧水があるから洗ってこいよ」
シェトランドの言葉に無言で立ち上がるとふらふらした足取りで湧水に手を入れた。何度も何度も手をこすり合わせていつまで経ってもそれは終わらない。その様子にシェトランドが慌てて駆け寄るとレオンはぶつぶつと何かつぶやいていた。
「落ちない…落ちない、血が落ちない……!」
何度も何度も手をこすり合わせ青ざめていく、シェトランドは恐怖を覚えて水からレオンを引き離した。
「何言ってんだよ、何も付いてない! レオン、血はもう落ちてる!」
涙をこぼしながら震える手を見つめ怯えた声でつぶやく。
「お父さんの血が……うぅ、ころしたっ…から…ぼくがよけいなことをしたからっ、怒ってるんだ」
「落ち着け! 何言ってんだ」
レオンはうずくまって過呼吸になり動けなくなった。それからしばらくして落ち着くとレオンは呆けたように目は虚ろになり生気も消えてしまった。
「話から察するに父親が向かえに来たが死んじまったらしい」
「死体の前でうずくまってたけど…あれが父親だったのか。わざわざこんなところまで来るとはね……」
アテリーネは感心していた、横になったレオンを見てファラベラは人生の無常さを感じて渇いていく心を感じた。
「家族を自分で殺して……どうやって生きていくんだろう……」
「あの様子じゃレオンは動けない。運んでやるしかないな……ローターはどうする? まぁ、今更戻ることも出来ないが」
シェトランドは頭を掻いた。
「僕も一緒に国に行くよ…助けてくれたのはレオンだけなんだ…」
傷ついたレオンの姿にローターはほんの少しだけ親近感を覚えていた、比べるべき痛みではないことは分かっていたが彼の未来を知りたかったのだ、自分の未来のためにも。
「今から出発するよ、国境はここからは近い…このまま行けばちょうど闇夜に紛れられる」
アテリーネはここからは気を張るよう言い、より慎重に周囲に気を張り巡らせながら足を進めた。
レオンはローターが背負うことになった、重いはずだが疲れても泣き言も言わず遅れることもなくしっかりと付いていき。数時間歩き続け、目の前に建物の明かりが見えるとアテリーネは屈むよう指示した。
「あれを越えたら国境だ……あたしが先に行くから、合図したらついてきな」
アテリーネが一人で足を踏み入れると、そこは集落とも呼べないほど規模の小さな拠点だった。見張りの人員のための家々がいくつかのグループに分かれて並び、他には何もない簡素な場所。
出歩く人の姿も見えず、静けさに違和感を覚えつつもアテリーネは合図を出しながら少しづつ進む。
しかし意外なことに集落の出口が見えてもそこには誰もおらず、扉のない壊れた門が放置されているだけだった。不審に思い一度戻るか悩んだが後退したところで好転することはないとアテリーネは近づくことに決めた。ゆっくりと光を背に暗闇に進み、門の向こうに敵がいないか確認するため槍を構え一気に門を通り抜ける。しかし門の向こうにも誰もおらず静寂が広がるだけだった。
四人に見えるところまで戻り合図をだすと皆は走って出てくる、国境だというのにあまりの警戒されなさにアテリーネは肩透かしを食らったがその後ろで門の飾りのはずの石像が動き出していた。
シェトランドが気付き声を出すのと同時に一瞬の殺気を感じ取り咄嗟にガードするがアテリーネは吹き飛ばされる。
「ちっ、おかしいと思ったんだ」
番犬は石像に擬態し現れた者を待っていた。けたたましく吠え、建物からぞろぞろと人が出てくる。
「ふぅー、脱走しようとする馬鹿がまだいたか……食われて死ぬところは見ててやるよ」
男の言葉を無視してシェトランド達は一か所に固まる。
「アテリーネ……あの犬、倒せそうか?」
「あの犬ころ、多分訓練されてる。簡単な相手じゃないよ。レオンが動けたら話は変わってただろうけどねぇ」
「ここまでか……」
犬は牙を突き立ててアテリーネを噛もうと突っ込んで口を思い切り閉じる、一度二度三度と避けられると苛つくように吠え、アテリーネは犬の顔を切り付けた。しかし分厚い皮と毛のせいで薄く切れただけで余計に怒らせただけだった。
シェトランド達では助ける事も出来ず、ひとまず逃げようとしたが眼帯の男が一人出てきてローターを蹴り飛ばし行く手をふさぐ。レオンも投げ出されローターも地面に転がる。シェトランドはファラベラを下ろし殴りかかるが簡単に避けられあしらうように蹴り飛ばされ踏みつけられ痛みに悶える。
「兄さん!」
「逃げ場があると思ったのか? 掃き溜めで産み落とされた下痢便共が! 藁にもすがる思いで来たんだろうが俺達に殺されるために来たんだよ、ボケが! お前たちの頭を切り落として腐った豆みてぇにしてやる!」
犬の爪を槍で受けながらアテリーネが叫ぶ。
「レオン! 戦え! こんな所まで来て死なせる気か!」
レオンはピクリと反応し、震える体を起こす。その様子に踏みつけている眼帯の男は嘲笑交じりに声をかける。
「体調が悪いなら無理するなよ、先に殺してやろうか?」
「レオン……ここで終わり…結局無駄だった」
ファラベラはすでに諦めて死を覚悟しせめて兄の下でと地面を這って向かう、だが眼帯の男は目前に迫ったファラベラをいたずらのように軽い力で蹴り飛ばした。何度も何度もファラベラはせき込み、痛みと苦しさで涙がこぼれていた。レオンは呆然としながら剣を抜いた、しかし構えられもせずとたんにガタガタと震えて手から滑り落ちた。周りの大人たちは呆れた様に馬鹿にする。
「開放してやる、恐怖からな」
眼帯の男はレオンに近づくと剣を蹴り飛ばして遠ざけた。レオンは何の反応もせず一発殴られ転んでも心が別の場所に行ったように別の所を見ていた。
「お前もう死んでるな。なら最後に殺してやる」
男は背を向けるとファラベラにまっすぐ向かってどう殺すか見下ろしながら考えた。シェトランドは妹に覆いかぶさって庇おうとするが髪を掴まれて持ち上げられると痛みに叫び相手の腕を掴むがその行為に何の意味もない。ただ腹を殴られ地面に叩き落とされただけだった。
「レオン……僕たちは最初からだめだったんだ、せめて君だけでも逃げろ」
ローターもすでにあきらめ、敗北の精神が逃げろと言わせた。しかしその精神がレオンを振り向かせた。倒れている兄妹の姿が救えなかった苦しみを呼び起こさせレオンは叫んだ。
その声に振り向いた眼帯の男を殴り、何度も何度もこぶしを振るった。その光景に驚く大人たちのスキを突きアテリーネは番犬を大人たちの方へ思い切り投げた。
「今のうちに行け!」
シェトランドは即座に動き、二人を抱え全力で走った。数人の男がそれを追いかけようとしたがレオンが前に立つ。
抱えられた二人はレオンの名を叫ぶがシェトランドは止まらなかった。レオンは掴まれると地面に叩きつけられ蹴られる。抵抗することも動くこともしなかった、男たちは追いかけようともせずレオンに怒りをぶつけた。