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それは、今から数分前までの会話だった。
「いい、リルファ? さっきのリルファの魔力で、僕達の居場所は敵にばれちゃってると考えた方がいい。つまり、敵はすぐにここに来ちゃうってことだよ。でもね、あのリルファの光はすごく大きかったから、きっと村の外からでも見えるはずなんだ。つまり、シェリーも異変に気付いてすぐに駆けつけてくれる。僕達にできることは、それまで時間を稼ぐことだけだと思う」
「う、うん」
「僕の変身魔法なら少しは時間を稼げるし、シェリーの「瞬刹」の通り名を使えば、うまく敵を追い返すことができるかもしれない。幸い、シェリーは自分からその通り名を謳うことがないし、戦闘も瞬殺で済ましちゃうから、通り名だけが一人歩きしてて、シェリーの正体は謎ってことになってるからね」
「でも、トト。それじゃ、トトが――」
「うん。でも、リルファの望んだ、これが結果だよ。リルファが誰にも危ない目に遭って欲しくないって思ってるのは知ってる。でも、現実はそんなに優しくできてないって僕は思う。リルファが命を狙われなきゃいけないこんな現実が、優しいわけなんてないんだよ」
「……」
「でも、僕も見てみたいって思う。そんな現実に負けないリルファを。ううん、それは単なる僕の望みでしかないんだけど、それはね。――多分、僕にとって命よりも大事」
「トト……」
「いい? リルファはここに隠れてて。何があっても絶対出てきちゃ駄目だよ。それで……できたら、召喚魔法で僕を助けて――って、僕が言ったことはシェリーには内緒ね」
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――なんて格好をつけた自分に、たったの数分で後悔しているトトがそこにはいた。
いくら、容姿を屈強な大男に化かしたところで、中身まで屈強に化かせるほど変身魔法も便利にできてはいない。おまけに、人の目を欺く魔法のくせに、その弱点が見破られ易いというのは、矛盾していないか、なんて誰かを責めてみても、もはや後の祭りだ。
目の前の現実は、たった今大量の炎を文字通り呑みこんだ魔導士の男が「名乗れ」だの「殺し合いの始まり」だの言い出しているのだ。さっきまで「睨まれたら、怖い」とか言っていたくせに。だから「――その物騒な通り名の意味を――以下省略――」と胸を張って言ってみたのに。
――本当に現実は優しくない。……主に、自分に。とトトは心底嘆いていた。
「――どうした。さっさと、あんたも名乗れ」
敵の魔導士――グレンと名乗った男をトトは見つめる。第一印象は、どこにでもいそうな、細面の少し男前な中年オヤジ、だった。それが、会話の進む度にその印象は冷酷な魔導士へと化けていき、今に至っては、全身をすっぽりと覆うその赤のコートも、耐火専用の魔導装備品なのだと察してしまっている。
ちなみに、髪がアフロなのは職業病というものだろうか。
それはさておき、この状況で残された手段が「ハッタリ」しかないのは無残なのか、まだあるだけマシなのか。とにかく、トランスの弱点に気付かれなければ、まだ少しは粘れるはずなのだ。あの調子ではリルファの召喚が成功する確率も、シェリーが助けに来てくれる確率も五分五分なだけに、頼れるのは己の演技力のみ。
……絶対絶命の意味を、たった今トトは理解した。
「――いいのか?」
開き直って、トトはグレンに向け微笑んで見せた。その不敵な微笑みに、トトの思惑通りグレンは警戒の色を顔に浮かべた。
「なに?」
「いいのかと聞いている。私の力は特別なのだ。誰が相手であろうと一瞬でケリのつく代物だ。戦えば、私はまた憂うこととなるだろう。貴様の死体の傍で、貴様のために……な」
「へえ。それはまた、随分お優しいことだな。さすが、魔女を敵に回してまで召喚士を守るだけのことはあるってかい」
「御託はいい。貴様は死が怖くないのか。私に挑めば、待っているのは死のみだ。……悪いことは言わん。やめておけ。私は強すぎるのだから」
「御託はいいって言う奴の台詞とは思えんな」
「聞け。そして、生き急ぐな。貴様はまだ若い。今死ぬには惜しいのだ」
「俺とあんたと、そう歳が離れてるとは思えんが? それに死ぬには惜しいって、俺のどこを見ての意見だ、それは」
だんだん、警戒が怪訝へと変化していくグレンの顔に、トトは冷汗を流しながら、腕組みをする。
「き、貴様。いい加減にしておけ。私が見逃してやろうというのだ。とっととありがたく逃げんかっ!」
「……あんた。さっきまでと印象が大分変わったな。虚勢ってのは弱い奴の張るもんだぜ」
もっともなグレンの台詞に、トトは。
「もう、いいっ、っっこの愚か者がっ! そんなに死にたくば今すぐ瞬殺してやるわ! いいか、10秒だ。10数える間に消え失せねば、貴様は永遠に冥府で彷徨うこととなるぞぉ!!」
いかんなく大根振りを発揮した。
「殺すか逃がすか、どっちなんだよ」
殺し合いの場で、敵が敵にツッコミを入れる微妙な空気の中、トトは自らの死の宣告を開始した。
後戻りの利かないテンカウントの一つ一つを息の続く限り引き伸ばすこと、高らかに。5カウントを切ると、もはや男の冷たい視線=体裁も気にならなくなる自分がそこにいた。
「よおおおおおおぉーーーーーーーーんん!!」
なぜ、こんなことになったのだろうと、トトは想いを馳せる。
「さああああああああああーーーーーーあぁあぁっぁぁあっぁぁ……ぁ゛」
それは、リルファが立ち向かうと言い出して利かなかったからだ。でも、リルファはリルファなりに、今自分にできる精一杯を選んで、頑張っている。だから、トトも今自分にできる精一杯を選んだのだ。それなのに、あの魔導士は儲け話にあっさり食いつき、肝心な時にこの場にいないではないか。
「んにいぃいぃいっぃいぃぃいいいいいいいいーーーーーーーーーーー゛!!」
あいつだ。全部あいつが悪い。あれほど、勝手に行動するなと釘を刺してあったのに、こっちが寝ているほんの半日の間に、気が付けば森の中で遭難中って、どんだけ方向音痴だ、お前は。
「いいいいいいいいいいっちいいいいいいぃぃぃっぃぃぃ゛い゛ぃ゛……」
取り乱す被害者を尻目に「地図がおかしいのでは?」って、おかしいのはお前の方向感覚だっ! って言ったら、ぶたれるしっ!
「ぜ……ろ?」
――って、これ……走馬灯?
迫ってくる炎の塊を見守りながら、トトは立ち尽くす。
――その時だった。
唐突に、死角から少女が炎の前に割り込んできたのは。
「リ――」
言葉も追い付かない、刹那。何が起きたのかトトが理解する前に、炎はリルファを呑みこみ、炎上した。
「リル……ファ?」