8
*** ***
村の最深部に位置する孤立した家屋。天井の全てを炎に喰われ、今にも崩れ落ちそうな心許ないその空家の前に立ち塞がるのは、二メートルは優に超える体躯をした大男だった。辿り着いた場所は、すでに消え去った光の袂に間違いはない。
目の前の大男が標的の召喚士であるか、あるいはその護衛であることはこの状況が物語り、分かり易く伝えていた。こちらの持っている標的の情報は、召喚士一人と護衛役の凄腕の魔導士一人。二人の身体的特徴も聞かぬまま赴いたのだが、この状況でこの場に残っている方が護衛役と見るのは、常識的な見解だろう。
つまり、どうしても戦闘は避けられないらしい。
「やれやれ……。やはり、村人の悪知恵に踊らされるほど間抜けな訳はないか」
ため息交じりに、男は自分よりも頭二つ分も背の高い敵に、気安く声をかける。だが、不用意に相手に近づきすぎる油断は見せず、一定の距離は保ったままの立ち位置で、敵意に満ちた相手の眼光を男は正面から受け止めた。
「そう、睨むなよ。あんたみたいな屈強な大男に睨まれちゃ、怖くてしょうがない」
軽口を叩きながら、男は微笑まで振る舞って見せる。初見の相手が敵の場合、相手の気性、性格を把握できる手段は会話ぐらいしかないのだから、軽口も牽制の一つと言える。もっとも、男の場合、それは駆け引きの一つではなく、ただの悪い癖の一つに過ぎなかった。
「――なぜ、村を燃やした。貴様の目的は我々じゃないのか」
軽口には応じない頑なな敵の台詞と声色に、男はあくまで軽い調子で声を返した。
「知りたければ、直接魔女にでも聞いてくれ。こっちも好きで辺境の集落を焼き払うほど悪趣味じゃないんでな」
「……貴様」
「命令されたのさ。この村に潜む召喚士を捕らえてこい。ついでに村も焼き払えってな。だから、ついでに焼き払ったまでだ。まあ、自業自得ってやつさ。あんたらがここに潜んでるってのを魔女側にリークしたのは、ここの連中だ。護衛のあんたを召喚士から遠ざけておいたから、狙うなら今夜だってな。どうかしてるぜ。強欲な魔女も、そんな魔性の女の褒美に釣られる人間の神経もな」
まあ。そう呟いて、男は苦笑を洩らす。
「こうして、俺の前に護衛役の凄腕の魔導士は立っちまってるわけだがな」
「なるほどな。昼間持ちかけられた儲け話は、やはり嘘だったか」
「まあ、こっちもその辺の事情は知らんが、さすがに賢明だな。失いたくなければ、大事なものは常に傍に置いとくもんだ。自分の手の届く所にな」
言葉を交わしながら、男は抜け目なく敵をつぶさに観察する。年齢は三十代半ばと見て間違いない。精悍な顔立ちからも、これ見よがしに晒された上半身の筋肉の鎧からも、相手の経験値の高さが窺える。
更に、レベルの低い魔導士ならば、敵と認識した相手を前にすると、どうしても魔力を無駄に震わせてしまうものだが、目の前の敵は全く感じないほどに、見事に魔力を抑えている。先入観を持つことを嫌い、標的の情報はあえてほぼ聞き流していたが、耳に残ったそのフレーズがこの敵のものだったとしたら、それはあながち誇張ではないのかもしれない。
「聞いてるぜ。あんたの魔導士としての通り名。瞬刹のシェリー、だろ? 随分と物騒な通り名だ」
「――その物騒な通り名の意味を、貴様はすぐに知ることになる。怖気づいたなら、今すぐ失せろ。今ならまだ見逃してやってもいい」
「なるほど。まさに、強者の台詞だな。――けど」
男は不敵に微笑みながら、右手を天に向け突き上げた。
『吸引』
男から呟かれた言葉の後をその意味が追う。
村を焼きつくしていた炎が、まるでそれぞれに統一された意思を与えられたが如く、至る所から同時に上空に舞い上がる。男の頭上数十メートルで炎の赤は唸りを上げて、次々とその身を混同させ、一つの巨大な炎の塊へとその姿を形成する。
夜空に出来上がった小型の竜巻は、大気を焼き尽くし、男の突き出した右手へと唸りを上げて降りかかり――火柱は一瞬にして男を呑みこんだ。
「……!」
灼熱。灼音。灼臭。その全ては、瞬く間に男に呑みこまれることとなる。その光景は形容し難く、ただ、炎が消えて男がその場に無事立っている結果だけが取り残された。
「さて。あんたは随分強そうだから、村一つ分の炎じゃ心許ないが――な」
ゆっくりと掲げた右手を下ろし、男は戦闘開始の意思を伝える。
「俺の通り名は、炎火だ。炎火のグレン」
「……」
「あんたも名乗れ。――殺し合いの始まりに、互いが名乗らないってのも締まらないだろ」
炎を内に宿しながら、男の目は冷酷に温度を冷ます。