17
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発火した掌が、ひどくゆっくり近づいてくる。体は動かない。恐怖を感じる余裕もない。眼前まで死が迫った――。
「……?」
はずなのに、それは勝に触れることを拒む様に視界から消え失せた。
入れ替わりに映るのは、夜空。満月。背景を頭上にして立つ、全裸の女。
それが、意識の途切れる前に見た勝の最後の景色だった。
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衝撃がグレンの腹部を貫いた。反転する景色。重力からの解放。気が付けば、何かによって吹き飛ばされた体が地面に墜落し、受け身すら間に合わずグレンは天を仰いでいた。
吐血。腹の中を侵食していく鈍痛。ダメージに上乗せされた地面との接触が呼吸を断絶する。口内に滲む血の味と臭い。指一本動かせない苦痛に意識が遠のきながら、皮一枚で繋がった意識を繋ぎ止めるのもまた、苦痛による作用だった。
(一体、なにが起こった……?)
そう自分に問いかける。何が起きたのかは、理解の外だった。
「……っ!」
敵の一人に止めを刺す瞬間。その間際に何かが割り込んできたのだ。
芳香。女独特の柔らかな香りが鼻先を掠めた。長い黒髪のなびきをかろうじて視認した時には、もう吹き飛ばされていた。
瞬刹。まるで事態に説明を付けるように、グレンの脳裏にその言葉がよぎる。それを嫌な予感と認めざる負えないほど、受けたダメージは甚大だった。
体の回復を待つ暇はない。息も絶え絶えに、グレンは這いずる様にしてなんとか上体だけを起こした。体の動きに連動して刺さる痛み。その源。筋肉で固めた腹部を貫いた跡が、生々しい痣となって残されていた。だがそれは、受けた衝撃にはとても見合うことのない、小さな拳ほどの痕跡だった。
不可解は大抵、魔法という言葉で片がつく。何が起こったのか? 答えは拍子抜けするほど単純だ。
(殴られただけ、か……)
おそらく、肋骨のニ、三本はもっていかれた。大の男に全力で鉄槌で殴られれば、おそらくこれぐらいのダメージは負うだろう。だが、体にむち打ち、立ちあがったグレンが目にしたものは、そんな粗暴とはかけ離れた光景だった。
女。裸体。美麗。光景から切り取った言葉がグレンの頭の中で交錯する。そこにいるのは、業火を背に、月明かりに照らされて立つ、長い黒髪の美しい女だった。
「……」
女神と言われれば否応なく信じるようなその神秘的な光景を前に、グレンは不覚にも少しの間呆然と立ち尽くす。だが――。
「!!」
手をかざしただけで、巨大な灼熱の牢獄を一瞬で消し去った女の行為に、グレンは正気を取り戻す。
初めに取り戻したものが恐怖だと自覚しながら、グレンは地面に血色の唾を吐き捨てた。