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落ち着けと自分に言い聞かせる状況に陥ったのはいつ以来だろう、とグレンは思案する。炎をかき消すほど強力な召喚士の魔力の輝き。その持ち主が自ら死線へと飛び込んできた理由。少女の光が消えると同時に、御衛の大男の魔導士は黒猫へと変化。そして、光が呼び出した人間二人……。
謎だらけの中、グレンの取った行動は至極冷静なものだった。この場に召喚士がいて、御衛のはずの大男の正体は化け猫。この際、猫の正体はどうでもいい。注目すべき点は現状を吟味して導き出される結論だ。
今この場に「瞬刹のシェリー」と呼ばれる御衛の魔道士は、どうやらいないらしい。
仕事の一番の障害だと思っていたものがなくなった。だが、ことはそうそう思い通りにはいかないものだ。
グレンは魔女との約束を思い返す。
――召喚士を生きたままここに連れて来なさい。ただし、もし召喚士が召喚魔法を使ったなら……その時は、召喚獣もろとも殺しなさい。
魔女の口から出てきた殺せという言葉。まるで、日常会話の単語の一つのような軽い口調から、魔女の気性が窺えた。ただ、胸糞が悪かった。そんなことを口走る女も、それに同意する自分自身も。
命まで奪るわけじゃない、と心のどこかで線引きしていた妥協点を消し去ったのは、召喚士の少女のあの光。どこまでもまっすぐで、強力な魔力の轟は、妥協など付け入る隙もなく切実だった。
守りたい。その一心が、魔力を伝い染み入ってきた。幼い少女のせめてもの願い……。
だが、それを叶えてやればグレンの望みは叶わない。
命を尊ぶべき良識はまだ捨ててはいない。その上でその望みを叶える為に犠牲が必要だというのなら、他人の命を奪うことも厭わない。もちろん、自分自身の命もその範疇だった。
敵が行動を起こす前に、グレンは敵の全てを炎の檻に閉じ込める。
今更、まともな罪悪感さえ享受することは許されず、グレンは冷静に徹する。
敵の能力は未知数。ならば、安全圏から攻撃を仕掛け相手の出方を窺うのがセオリーだ。
自ら発生させた炎上網をグレンは油断なく見つめる。戦闘において、自らの身を安全圏に置いておくのはセオリーだと誰かが講釈を垂れていた。それを思い出すと今でも苦笑が漏れてしょうがない。実際の殺し合いの場のどこに、安全などという死角があるというのだ。セオリーなど、破るためにあるものだというのに。
静寂の夜。煌々と灯る炎を見つめながら、グレンはただ待ち受ける。
予想外を予想の内に留めておくために――。
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「嫌な予感がする。私が行くまで無事でいろ、リル……」
闇夜に堕ちた森の中、魔導士の呟きは憂いに満ち、それに伴い魔力はただ虚しく浪費されていく。惜し気もなく行使する魔力。疲労は胸騒ぎと共に膨らむばかりで、一向に森の中から抜け出すことは叶わない。
(おかしいのはお前の方向感覚だっ)
トトに言われた言葉を思い出し、魔導士は自らを叱咤する。
「焦るな……。研ぎ澄ませ……。集中しろ……」
感覚を集中させるも、それが方向感覚であるがゆえの絶望に魔導士は気付かない。もとより、絶望の行き着く結末など魔導士の眼中にない。
「……仕方無い。外聞など気にしている場合ではないか」
あるのは、ただ。
「――リル。今行く」
守るべき少女の未来だけ――。
姿を消した魔導士に、もう闇夜の呪縛は届かなかった。