コーヒー
「マスター、子連れだが構わないかい?」
うちの常連がそう言った。私はゆっくりと頷き「えぇどうぞ」と答える。
ドアベルがからんと鳴り、毎朝通りにスーツの彼が、ズボンに二つの影を連れて店内へ入った。 影は白のワンピースに身を包んだ少女と、Tシャツとデニムを着こなした少年から伸びていた。
「じいちゃん!じいちゃん!アイス!アイス食べよ!」
「お兄様......店内ではお静かにお願いします......」
「いつものを頼むよ。三人分ね」
少し騒がしい兄の少年。もっぱら冷静な妹の少女。慣れている様子の祖父の彼。吹き出しそうな空気感だった。見ているだけで面白い。
「畏まりました」
口角が笑いでぴくぴく痙攣するのを抑え、私は注文を承る。彼がいつも頼むのはコーヒーブラック。 これぞ大人、これなくしてダンディーを語れるものか。ダンディーな大人の成分はブラックコーヒーが多分に含まれている。三人はカウンター席に座った。
「ねぇお爺さま?いつ出来上がるの?」
「そうだな。あの長い針が一周の半分回るくらいだ」
「うへぇ、なげぇよぉ」
「そう言うな。見ているだけで面白いものなんだよ」
私は30分程時間をかけてコーヒーをつくる。良質な豆をじっくりと煎て、相性のいい水と組み合わせ、コップに入れる一挙一動に気を付ける。
「相変わらず手が込んでいるね」
子供達の相手もせずに彼は言う。兄妹二人も黙って私がコーヒーを作る姿を見ていた。
「えぇ勿論。手間暇を惜しまず、ただ一心に身を注ぐのです。お客様に御満足いただくために」
私は誇りを持ってそう答えた。自慢気に胸を張る私だが、御三方にそこまで注意深く見られると困る。
「......」
少女はキラキラと効果音でも付きそうに私の手を見る。
「......」
見慣れたように彼は頬杖をつく。
「......」
少年はもうほとんど寝ている。
たとえ私がコーヒーを淹れるのに熟練していたとしても、流石に緊張してしまう。普段から寡黙な彼だが、祖父としての威厳か目付きの鋭さが違う。
それから会話も無くおおよそ30分が経過した。軽く肝が冷える体験だった。丁寧に淹れたコーヒーの仕上げにかかる。
「ここからは、企業秘密ですので......」
私はそう言って、三人の目を逸らさせた。カウンターから一度下げる。そして再びカウンターに戻した。
「お待たせ致しました。コーヒーブラックです」
そう言って三つのカップをそれぞれ差し出した。少年が興味深そうに黒いコーヒーを見て、くい と一口飲んだ。
「お ゙ぇ、ぅえ ゙ぁ、どぶ、ドブだこれ」
少女もくぴと飲んだ。
「う......。お爺さま、ドブです......」
彼もぐびと飲んだ。
「あぁ、美味い」
予想外通り子供舌には早かったらしい。角砂糖のビンを渡すと、二人はビンを空にする勢いでコーヒーに入れ始めた。
「うぅ......。ドブだこれ......」
「お祖父様......。とっても、信じられないくらい、とってもドブです」
「あぁ、美味かった」
2人はみるみる顔が歪んでいった。まだ苦いらしい。彼はいかにも美味しそうに飲みきった。ふぅ、と一息つくと彼は言った。
「もう一つ貰おうか」
「じいちゃん、アイス」
「お祖父様。後生です」
「......アイスを二つ」
「畏まりました」
私は30分程時間をかけてコーヒーをつくる。良質な豆をじっくりと煎て、相性のいい水と組み合わせ、コップに入れる一挙一動に気を付ける。そう銘打っている。
実際には全然違うのだが。
「ここからは、企業情報ですので......」
俺はカウンターから一度下げ、保温庫と冷凍庫を開けた。
そして、前々から準備していたインスタントコーヒーをカップに入れる。
死ぬ程安物で「あ、案外いけますね」という味を選んだ。ちなみに不味い。これを飲みにくるのは舌がイカれているか、貧乏な人間だけだ。
さらにスーパーで仕入れた安物のアイスをすくってアイス用のガラスであるファウンテンウィアに入れた。
ハーゲンダッツなんて大層なものでなく、爽やらMOUよりも安いアイス。コンビニで買えて、人気がなく、何より激安。これもどこだって食べられる。わざわざうちに来て食うなんて。
それらを再びカウンターに戻した。
「お待たせ致しました。コーヒーブラックとアイスです」
私は三人にそれぞれ差し出した。
「ここのアイスは美味いんだ」
と、彼。そりゃあ苦いモノの後に甘い物食ったら美味いだろう。
「ホントだ美味しい」
と、少年。当然だ。糖分だけは多いアイスを仕入れている。格安の。
「これは......今までで一番かもしれません」
と、少女。コンビニでも食えるぞ多分。
「そうですか。それは何よりです」
と、平然と私。
「アイス一つ取っても、出来るだけ手間暇をかけているのです。どんなに美味しい豆も、淹れ方一つで不味くなりますからね」
感心したような視線。それを飄々と避けて、年季の入った振りをする。
「まぁ、私なんて未熟ですよ」
俺はいかにもジェントルマンぽく、いかにもダンディーで、いかにもマスターぽく振る舞った。今まで培ってきた技術全てを集結させ、出来るだけそれっぽく。決してインスタントコーヒーだとバレないように。