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4ー望み

 ラジオが頻繁に鳴り出すようになった。音量も大きくなった。

 今ではわざわざ止めることもしていない。達也(たつや)が仕事でいない昼間、ひたすら耳をふさいで耐えていたのだった。それでもある日耐えきれなくなり、紗知(さち)は外へ飛び出した。

 かと言っていくあてがあるわけでもなく、停めている軽自動車の中で仕方なく携帯電話をいじっていると、母屋の玄関口から老女が出てくるのが見えた。

 周囲を見るが、大家の妻も誰もいない。認知症の老女が一人でどこへ行くのか。

 紗知は車を降り、老女に駆けよった。

「こんにちは。どちらへ行かれるんですか?」

 心配で声をかけると老女は足を止め、不思議そうな顔を向けてきた。

「郵便やさんへ行こうと思って……」

「郵便やさん?」

「てがみを出すの」

 手にはくしゃくしゃの便箋が握られている。

 紗知はにっこり笑い、ゆっくりとした口調で優しく言った。

「それなら、封筒に入れて切手を貼らないとちゃんと届かないわ」

「あら、そう……そうね……」

 尚も老女は不思議そうな顔で紗知を眺め、突然にんまりと笑った。

「ありがとう。ところで、どなたさま?」

「離れに越してきた、一ノ瀬(いちのせ)といいます」

 二度目の自己紹介だ。

 一転して老女は嬉々としてしゃべり始めた。

「いちのせさんっていうのね。お礼に、私のとっておきのひみつをおしえてあげるわっ」

「あら、なんです? 秘密って」

 紗知は小さな女の子と話しているような気持ちになった。

「こっちきて」

 紗知は言われるままに着いていく。認知症だが、意外と歩調はしっかりしているようだ。

 目にも鮮やかなツツジの庭と母屋の玄関前を通りすぎる。奥はコンクリート塀になっており、庭と物置小屋に挟まれたちょっとした空間があった。下の方を見ると、こんもりと土が盛り上がっており、石が三つ四つ重ねて置かれている。

「猫のむぅちゃんのお墓なの」

「まあ、猫を飼っていたのね」

「おとなしくてかわいいこだったのに、とつぜんてんごくに行っちゃったのよ……」

 老女は悲しげに目を伏せた。

「まあ……」

「だけどね――」

 ここで老女は、秘密を打ち明けるかのように声のトーンを落とした。

「――ほんとうはね、まだここにいるの」

「え?」

「ここでね、赤ちゃんといっしょにあそんだり、いっしょにねころがったりして、いつもたのしそうなの」

「赤ちゃん?」

 一体どこの赤ん坊のことを言っているのか。天国にいったと言いながら、まだここにいる、とはどういうことだろう。

「私といちのせさんだけのひみつよ?」

 老女は口の前に人差し指を立ててにんまりと笑った。




 家の中は相変わらず耳ざわりなラジオの雑音がザアザアと鳴り響いている。結構な大音量だが、大家や隣人からの苦情がないのが奇妙と言えば奇妙と言えた。

 だが紗知は、もうそんなことすら考えることができなくなっていた。限界はとっくに超えていたのだ。

「どうしてこんなことに……」

 もはや疲れはてて何もする気が起こらず、外に出る気にもなれなくなっていた。家事も手つかずで家の空気は暗くよどんでいる。

 思えば、夫の転勤前、社宅や団地だけは嫌だとずっと言ってきた。夫はそれを聞いてくれたらしく、安い家賃で借りられる一軒家を見つけてきたのだ。

 数日前までは楽しい気分だった。それなのに何故こんなことに。

 ラジオの音量が一際大きくなった。それは、まるで何かを訴えかけてくるようだった。

 たまらず両手で耳をふさぎ、紗知は大きな声を張り上げた。

「やめてよ! 私に一体どうしろっていうのよ!」

 誰に言ったわけでもなく、自然と出てきた言葉だった。

「もう、いいかげんにしてよぉ」

 涙声でそのまま身体を丸めてうずくまった。


 ――――再生を押して。


 ハッとした。

 昼間この家は自分一人のはずなのに、急に耳もとで女の声が聞こえたような気がしたのだ。

 聞いたこともないのに、何故かあの長い髪の女の声だと紗知は思った。

 恐る恐る見回すが、長い髪の女は見えない。ラジオはまだ大音量で鳴りっぱなしになっている。

 震える指先でラジオを止め、家の中は一気に静かになった。紗知の息づかいの音だけが微かに響いている。

「……再生?」

 再生とはどういう機能だっただろうか。

 紗知は今になって初めて、中にカセットテープが入っていることに気がついたのだった。

 再生ボタンの一点を見つめ、紗知はごくりと唾を飲んだ。




 カセットテープには赤ん坊の泣き声と赤ん坊をあやす女性の声。その後、ザクッザクッと土を掘るような音が録音されていた。

 おそらく長い髪の女はこれを伝えたかったのではないだろうか。

 前の住人にもおそらく同じ怪奇現象が起きていただろう。長い髪の女は、新しい住人がくるたび、これを伝えるためにラジオで必死に訴えていたのだ。

 紗知は携帯電話を手に取った。

「はい、小谷(こたに)です」

「一ノ瀬です。お話ししたいことがあります。明日お会いできませんか」

「話していただけるんですね?」

「お役に立てる話かどうかはわかりませんが」

「いえ、こちらとしてはどんなことでもお聞かせ願いたいので。できればその……今、話せるなら話してくれませんか。簡単に言うと、どういったことなんですか」

 そう言われて、紗知は簡潔に自分の考えを話した。

「――ただ証拠はなく、これは私の憶測にすぎません」

「なるほど。でも、一ノ瀬さんはそう思うんですね?」

「はい」 

「わかりました。明日会いましょう。詳しいことはその時に。では、明日の午後二時に、前と同じ喫茶店でお待ちしてます」

 翌日。指定された喫茶店で、紗知は逡巡と後悔の渦中にいた。

 自分がとった行動は軽率だったかもしれない。昨日の電話で自分の思っていることを、つい勢いのまま話してしまったが、簡潔に話したとはいえ、もう少し慎重になるべきだったのではないだろうか。

 ぐちぐちと煩悶している間に、約束の時間は五分ほど過ぎていた。

 小谷はまだ姿を見せない。

 さらに午後二時を三十分ほど過ぎたところで小谷の携帯に電話したが、彼は出なかった。それから紗知は一時間待ったが、結局小谷は姿を現すことはなかった。


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