3ー粘着
一連の怪奇現象を、紗知は夫に話す気にはなれなかった。達也のことだ。何言ってるんだ、と一笑に付すにきまっている。どうせ頭がおかしいと思われるだけに違いなかった。
ラジカセはとりあえず棚の中に放置することにした。あれ以来、今のところ勝手にラジオが鳴り出すようなことはない。
翌日、用事を足し、買い物をするためにスーパーへ向かっているところを知らない男に話しかけられた。眼鏡をかけた白髪混じりの男で、書類バッグを肩からさげている。
「島口さんの家の離れにお住まいの方ですよね?」
つまり、紗知のことを知ってて声をかけてきたということになる。
「どなた?」
紗知は警戒心を剥き出しにして尋ねた。
「突然で申し訳ございません。私、こういうものです」
名刺を渡される。
「ジャーナリスト?」
「はい。実は、ある事件を調べているのですが、そのことについて是非お話を伺いたく、少しでかまいませんのでお時間をいただけませんでしょうか」
「なぜ私が? 何も知りませんよ? すみませんが急いでますので」
「お願いします! どうか、お時間はとらせませんので!」
無視して歩き出す。そんな紗知をどうしても引き止めたかったのだろう。男は叫ぶように言った。
「あの離れに住んでた家族が行方不明になってるのをご存知ですか」
思わず足が止まった。
「……え?」
初耳だった。おそらく達也も知らないはずだ。これは無視するわけにはいかないことなのではないか。
数分後には、近くにあった小さな喫茶店の奥のテーブルで向かい合わせに座っていた。
「小谷と申します。先ほどは不躾なまねをして申し訳ございませんでした」
「いえ。けど、どういうことなんですか。さっきおっしゃったことは本当なんですか」
「ご存知なかったんですね」
「ええ。行方不明とか、事件だなんて、一言も……」
「三年前の夏、夫婦とその子供の三名の姿が忽然と消えて誰も所在がわからず、現在未解決の失踪事件として扱われています」
「そんな……」
当時、離れの家の中はとくに荒らされた形跡はなかったらしい。捜査のため、しばらくはそのままにしていたが、もう手がかりになるようなものは出てこないと判断され、また貸し家として出されたのだそうだ。
「その後、一ノ瀬さんが住むまでに三回住人が変わってます。その期間は約半年です。半年の間に三回も人の出入りがあるのは妙だと思いませんか?」
とっさにラジカセのことや、家で起きた怪奇現象が頭をよぎった。
「そこでなんですがね、一ノ瀬さん」
「なんですか」
「島口さんのこと、どう思います?」
予想外の質問に、紗知は目をしばたたかせた。
「大家さんですか? もちろん感じのいいご夫婦だと思ってますよ」
「感じのいいご夫婦。皆さんそう言うんですよね」
含みのある言い方だ。
「何を言いたいんですか」
「もちろん島口さんのご家族も警察からいろいろ事情を訊かれたでしょうが、警察はあの大きな家の中まで調べたわけではないんです」
あの立派な母屋の中に、行方不明の家族が監禁されているとでも言いたいのだろうか。
「つまり、大家さんが何かを隠していると。小谷さんはそう考えているわけですか」
小谷は明確な答えを言わなかった。肯定とも否定ともつかない表情だ。
「なにぶん証拠がありません。何か気がついたことがあれば、何でもいいから教えて欲しいのです。忽然と消えた家族に何があったのか、私はどうしても真実が知りたい」
紗知は目の前の初老の男をじっと眺めた。
もちろん失踪事件のことは知らないし、自分を悩ませている怪奇現象と事件は関係があるとは思えない。
「そう言われても、うちは本当にまだ引っ越してきたばかりですので……」
紗知は怪奇現象のことを黙っておくことにした。
「では、何かありましたら名刺にある携帯の番号に連絡ください。何時でもかまいません」
それから数日間、再度ラジカセを、今度は違う町のいろいろなごみ捨て場に捨てにいってみたが、結果は同じだった。勝手にラジオの雑音が鳴り出して、長い髪の女らしきものが現れるのも同じだった。
一人で耐えていた紗知の心は疲弊していた。
「ねぇ、この家に住んでた人が三年前に失踪して行方不明になってるって、知ってた?」
「は? なんだよそれ」
やはり達也も初耳だったらしく、不審そうに顔をしかめた。
「ちょっと前にね、失踪事件を調べてるっていう人に会ったの」
「なぁ。それって、眼鏡かけたおじさん?」
「そう」
「俺のとこにもきたよその人。無視したけど。そっか。俺が無視したから、紗知のとこにいったんだ」
「その人が言うには、私達の前に半年間で三回、この家の住人が入れ替わってるそうよ」
達也は何か考えるように沈黙した。
「ラジカセもね、捨てても捨てても何故か家に戻ってくるの。隣町まで捨てに行ったのよ? わざわざ車に乗って。それでもダメだったの。家に帰ってきたら、絶対あるのよ。そしてね、ラジオが勝手に鳴るの。何度止めてもしばらくしたらまた勝手に鳴り出すの。もうどうしたらいいのかわからなくて、棚の中にしまってあるわ」
紗知が言い終わると、タイミングを合わせたかのように、廊下から耳ざわりな雑音が聞こえてきた。
「ほら、また棚の中で勝手に鳴り出したわ」
「そんなわけあるか。壊れてるんだろ」
達也は苛立たしげに床を踏み鳴らして廊下に出ていった。紗知が後を追うと、達也は収納棚を開けて雑音を止めたところだった。
「それだけじゃないのよ。この家、何かいるみたい。髪の長い女の人」
達也の肩がビクッと揺れた。
「ねぇ。この家、なんか変よ。おかしいわよ。人がいなくなったり、怪奇現象が起きたり……」
「怪奇現象って、紗知……」
「引っ越してきたばかりだけど、私わかるの。ワガママかもしれないけど、私、この家嫌だわ。今すぐ出たい」
達也は黙って何かを考えているようだ。
「ねぇ、やっぱりダメかしら」
何か言ってくれるのを待ったが、いつまでたっても何も言わない夫がもどかしく、紗知は腹が立ってきた。
「ねぇ、なんで黙ってるの? なんとか言ってよっ。私、勘違いなんかしてないしっ、頭おかしくなんかないからっ。もう限界なのっ。ねぇ、お願いよ」
悲痛な声が廊下に響く。紗知の頬を涙が伝い落ちた。
「私、頭おかしくなんかない……」
「頭おかしいだなんて思ってないよ」
「……本当?」
「実は、俺も見た」
「え……」
涙をぬぐうのも忘れて達也の顔を見上げた。
「俺も、見た。長い髪の女」
達也はもう一度言うと、肩の荷が降りたかのように、ふうっ、と息を吐き出した。
「今まで霊とかそんなもの信じたことないけど。でも、この目でたしかに見たんだ」
そう言うと、達也は紗知の頬を手でぬぐった。
「新しい職場のことで頭がいっぱいで、ちょっと苛ついてたんだ。すまなかった。この家はやめて、また探そう。仕事もなんとか調整するから。それまでもう少し耐えてくれるか」
紗知は涙を流しながら何度も頷いた。