2ー怪奇
翌日、再びラジカセを捨てにいった。だが帰宅すると、またしてもそれは玄関の中に戻っていた。
「なんでなのよ……?」
今度こそ勘違いではない。そもそも、そんな勘違いは最初からしていない。
紗知の中にある考えが浮かんでいた。
自分がラジカセを捨てるところを誰かが見ている。
ごみ捨て場はそこまで遠くはない。自分が捨てた後、ラジカセを回収し、なんらかの方法で自分が離れに戻るよりも早く離れを訪れ、なんらかの方法で玄関の鍵を開けてラジカセを置いて、さらに玄関を再び施錠する。
これを誰かが短時間でやってのけている。
だが、そんな突拍子もないことがありえるだろうか。第一、何のためなのか。ますますわからない。
でもそれならば、と紗知は、遠くのゴミ捨て場へ持っていくことを思いついた。
軽自動車に乗って隣町のゴミ捨て場までいき、ラジカセを捨てた。
自分を煩わせるラジカセを、とにかく一刻も早く視界から消したかったのだ。
「さすがにもうこれで大丈夫よね」
だが安心はできなかった。誰かが離れの合鍵を持っているかもしれないのだ。誰かが、と言っても、可能性として思い浮かぶのは大家しかいないが、まず大家がこんなことをする意味がわからない。
紗知は帰り道を急いだ。
どこにも寄らずに車を走らせ、いつものゴミ捨て場の前の道路を通りかかった時だった。男がゴミをあさっているのが目に飛び込んできた。身なりからして、おそらくホームレスだろうか。
「やあねぇ、この辺にホームレスがいるなんて知らなかったわ、出すゴミはちょっと気をつけないといけないかしら」
家に着いて車から降りると、大きなつばの日除け帽子をかぶった女性が、庭でしゃがんでいるのが見えた。おそらくガーデニングが趣味だという大家の妻だろう。
紗知は少し迷ったが、声をかけてみることにした。
「こんにちは」
下を向いてた日除け帽子が紗知の方を見上げる。日除け帽子の中の顔はやはり大家の妻だった。
「あら、こんにちは。お買い物?」
「ちょっと用事がありまして、今帰ってきたとこなんです。お庭のお手入れですか」
「雑草がひどくてねぇ。こうしてむしってもむしっても、しつこく生えてくるのよ」
足元には抜いた雑草がこんもりと小さな山を作っており、たしかに放っておくと大変なことになるのだろうと思われた。
ふと自転車の音が聞こえ振り向くと、二十歳くらいの男が自転車に乗って母屋の玄関の方にくるのが見えた。
「もしかして息子さんですか?」
「あら、こんなに早く帰ってくるなんて珍しいわ」
パンパンとズボンについた土を払いながらいそいそと立ち上がる。
「裕貴」
大家の妻が呼ぶと、自転車を降りた彼はこちらを振り向いた。紗知と目が合い、彼は小さく会釈した。
「うちの息子の裕貴です。裕貴、離れに住んでる一ノ瀬さんの奥さんよ」
「こんにちは」
紗知が言うと、小さな声で、こんにちは、と返してきた。
真面目そうな好青年だ。大家の妻が言うには、彼は医学生らしい。
「将来はお医者様ですか」
「そうなってくれればいいんですけどねぇ」
自分の息子が自慢なのか、嬉しそうに目尻を下げている。
紗知はその間にもラジカセのことが頭をよぎり、切りのいいところで、では失礼します、と言おうと顔を上げた時だった。
母屋の玄関扉が開く音が聞こえ、そちらを振り向くと、白髪頭の老女が出てくるところだった。おそらくこの家の祖母だろう。
大家の妻は、いかにも老人に声をかける時のような大きな声を出した。
「お婆ちゃんどうした?」
祖母は声に反応してこちらを見たが、どうも様子からしてはっきりしなさそうな、ぼんやりした感じが伝わってきた。
「……郵便やさんがくるのを待ってるんだけど、まだこないのよ……」
「郵便やさんは、午前中にきて、帰ったよ」
今は正午をとっくに過ぎている。
「きた?」
「うん。きて、もう帰ったよ」
「帰った? ……あ、そっか……」
納得したのかしてないのか、老女は表情に乏しい顔で二回三回と小さく頷き、今気がついたように紗知を見た。
「どなたさま?」
「離れに住んでる一ノ瀬さんよ」
「一ノ瀬です」
できるだけ柔らかい笑顔になるように心がけて、紗知は頭を下げた。
「いちのせさん? あら、まぁ……」
「うちのお婆ちゃんはね、ちょっと認知症が入ってるの」
大家の妻は囁くような小声で素早く紗知に説明した。
先ほどと同じやりとりを、この一時間ですでに三回繰り返しているらしい。
裕貴は知らないうちに母屋に入っていったらしく、すでにその場からいなくなっていた。
ドキドキしながら玄関を開ける。ラジカセはなかった。
「やったわ! もう、ほんとになんだったのかしら。誰のしわざよ?」
そう自分で言った途端、急にゴミ捨て場にいたホームレスの男が気になった。
――まさか、あのホームレスが。
だが、それではホームレスが合鍵を持っていることになり、いくらなんでも無理がある。
それに、もしそうだとして、引っ越してきたばかりだというのに、何故ホームレスからそんな嫌がらせを受けなければいけないのか。
何かがおかしい。すっきりしない。その片鱗すらつかめないような気持ち悪さが、胸でとぐろを巻いている。
今日はもう外には出ないでおこう。
紗知は念のために戸締まりをした。
「これでもう大丈夫」
施錠されているのをもう一度確認したところで、ゴトッという音が後ろから聞こえた。嫌な予感がした。
そんなわけないと思いながらも、ゆっくり後ろを見ると、思った通りのものがそこにあったのだった。
「……なんで?」
家の鍵はかかっている。家には自分以外誰もいないはずだ。
どういうことなのか、本気でわからない。
すると、今度は突然ラジオが勝手に鳴り出した。だが、ザアザアと雑音が聞こえてくるばかりで不明瞭だ。もちろん紗知はラジカセのどこにも触っていない。
紗知は崩れるように、へなへなとしゃがみこんだ。
「なによこれ……」
本気でわからない。何か説明のつかないことが、今、自分の目の前で起こっている。
やっとそこまで考えが到達した、その時だった。
廊下の奥を何かが横切ったような気がした。
一気に夢から覚めたような気持ちになり、紗知は手を伸ばしてラジオを止めた。
「誰かいるの?」
静かになった玄関に紗知の鋭い声が響いた。
武器になりそうなものを探すが、越してきたばかりでそんなものはない。
そうしてるうちに、またふわりと何かが横切った。長い髪が見えたような気がした。相手が女ならなんとかなるかもしれない。体力には自信があった。
「誰かいるなら出てきなさいよ」
靴を脱いで、ゆっくり廊下を進んでいく。
「なんでこんなことするの?」
まわりに注意を払いながらつきあたりまでいき、素早く左右と背後を振り返る。それから人が隠れそうな死角を全て確認したが、誰もいなかった。
人が隠れることができる場所は他にないかと考えていると、再び玄関の方からラジオのザアザアとした雑音が聞こえてきた。