Q8 もし、幸せな生活に不信感を持ったら?-1
屋敷に住んで一週間が過ぎ、豪奢な生活にも徐々に慣れてきた。最初は、突然の生活に戸惑っていたが、セレブの生活も楽しめる様になった。
何せ部屋は豪華だし、おしゃれが堪能出来たし、ショッピングにも行ったし、貧乏だった頃と比べたら、とても華やかな生活である。
今や、この屋敷は完全に自分の家である。梨華や使用人も優しいし、好きな料理も出て来る。パソコンだって、やりたい放題だ。当初は、タイピングに若干の苦労があったが、いざ使いこなすと、格段と便利になった。今では、ネットサーフィンやアニメの動画視聴、ゲームを楽しんでいる。
だが、そんな日が続く中で、亘宏にある違和感が生まれた。居心地が良すぎるのである。
当初は、豪華な屋敷や使用人からのおもてなしに感銘を受けて気持ちがハイになっていたが、屋敷での生活に慣れてくると、だんだんシラフになっていくのである。
喩えるなら、カップルの時はラブラブだったのに、結婚して同居を始めると次第に互いの欠点に目が付き始めて、ケンカになったり倦怠期を迎えたりする具合である。
あの時の亘宏はホームレス生活に限界を感じていた事から藁にも縋る思いで了承したが、そもそもホームレスになった底辺ニートの自分に、手を差し伸べてくれると人が簡単に現れるのだろうか。
仮にいたとしても、その相手が一流企業の美人なお嬢様で、立派な屋敷で住む事になって色々と豪遊する――そんな物語の世界にしか出て来ない都合の良い出来事が実際にあり得るのだろうか。そういう事なら、ボランティア団体に拾われた方がまだ納得がいく。
確かに、かつてのドブ同然の生活と比べたら、今のリッチな生活の方が十分幸せだし、周りが自分に色々と親切にしてくれるのは嬉しいけど、ここまで尽くしてくれると逆に違和感や不気味な印象が強まってしまうのである。
今まで、人から虐められてきたりぞんざいな扱いを受けたりしていたせいで、根がすっかり人間不信になってしまっていたからではあるけど、それを差し引いてもここまで都合の良い展開が起こる訳が無い。
何故、彼女達は路頭に迷っていた自分に、これだけ親切にしてくれるのだろう。こんなに都合の良い展開があって良いのだろうか。
根拠は無いが、もしかして何か裏があるのではないかと勘繰ってしまうのだ。
しかし、それを口にして、梨華を傷つけたり嫌われたりしてしまう事も嫌だった。ましてや、それが原因で屋敷を追い出されたら、元も子も無い。そんな好意と不信感がせめぎ合っていた。
その為、周囲に気付かれない様に屋敷の内部を探る必要があると考えた。もしかしたら、この前フットマンが仕込んだティッシュボックスの他にも、隠しカメラがあるかもしれないと考え、部屋中を調べてみる事にした。
最初に調べたのは、サイドテーブルに置かれてあるアナログ時計である。母親がよく見ていたサスペンスドラマで、ストーカー被害に悩む女性の部屋に置かれてあった時計に隠しカメラが仕込まれていた事が発覚するという場面があったからである。
早速、時計を手に取り、怪しい箇所が無いかを調べる。だが、ただ必死に時計を見るだけでは、カメラが仕込んであるのかよく分からなかった。分解するにもドライバーが無いので、調べる事は出来なかった。ドラマの刑事みたいに見抜く事は難しい。
次に睨んだのは天井のシャンデリア。煌びやかなデザインの電灯にも、実はカメラが仕込んであるのではないかと推理した。だが、豪華な飾りが邪魔をして、中央の電灯がよく見えない。そこで亘宏はベッドに乗って立ち上がり、爪先立ちで電球に手を伸ばした。
すると、
「うわあっ!」
亘宏は、バランスを崩してそのままベッドからドシンと倒れ落ちて、背中を強く撃ってしまった。幸い、負傷しなかったが背中に痛みが残ったので患部を手でさすった。
その時、先程の転落の音で気付いたのか向こうから駆けつける音が近付いて来た。
「亘宏様、失礼いたします」
扉の向こうで木水が一言断った後、こちらが返事をする前にドアが開き、木水が入って来た。
「亘宏様、先程大きな音がしましたが、何があったのですか」
木水は張りつめた表情で訊いてきた。
「えっと……この前のティッシュボックスの他にも、まだ隠しカメラがあるんじゃないかと不安になっちゃって……」
亘宏は慌てて弁明した。それを聞いて木水は、
「そうですか。ですが、昨晩梨華様がお話しした通り、既に隠しカメラはこちらで全て撤去しております。仮にカメラが部屋に残っていたとしても、保存する為のパソコンも既に処分しておりますので、亘宏様の行動が撮影される事は一切ありません」
きっぱりと言い切る木水の言葉に、亘宏は「そうですか……」と漏らした。しかし、木水は再び張りつめた表情に変わった。
「今回は特に問題は無かった様ですが、今後周囲に迷惑を掛ける行為は慎んでください」
木水に叱られて亘宏は「はい」と返すしかなかったが、「迷惑を掛けてはいけない」の「迷惑」の基準がどんなものなのか亘宏にはよく分からなかった。
怪我を心配させてしまった事については申し訳ないけど、隠しカメラを調べようとしただけで、あそこまで叱るものなのか。
まだ完全に不安は拭えなかった。どうして、木水はあれだけ張りつめた表情で自分に警告してきたのだろう。まだ、他にも何か隠しているものがあるのではないかと思った。
とはいえ、どうすれば相手に悟られずに動けるのか全く分からなかった。何せ、相手は使用人集団である。かなりの凄腕である事は間違いない。
もし、自分がまた怪しい動きをしていると分かれば、彼らがすぐさま駆けつけて来るに違いない。下手に動いて、迷惑行為と判断されたら屋敷から追い出されてしまうかもしれない。彼らに自分の意図が気付かれない様に動くのは至難の業である。
散々悩んだ末、今は多少気になっても下手に動かずあくまで屋敷での生活を楽しんでいるフリをした方が無難だと亘宏は判断した。
だが、演技が下手な人間が何事も無いフリをしても些細な行動や表情、ちょっとした油断や隙から相手に見抜かれてしまうものである。