Q3 もし、おしゃれな服を着る事が出来たら?
朝食を終えた後、すぐさま使用人が現れて部屋まで案内された。
部屋に入ると、そこには複数の使用人がいたが、メイド服ではなくシンプルな私服を着ていた。
「お待ちしていました。梨華様、亘宏様」
突如、現れた女性が挨拶した。その後ろにある色とりどりの服が洋服店の様に陳列されており、亘宏は豊富過ぎる服に目をパチクリさせた。
「こ、ここは……」
亘宏は恐る恐る陳列する服を指差しながら、梨華に尋ねた。
「ここは、試着室よ。私が着替える時、使用人に着替えさせてもらっているの。ここにいる人達は、全員私の専属スタイリストとファッションデザイナーで、ここにある洋服だって芸能人や海外のセレブから結構人気が高いブランドばかりよ」
それは、カラフルで個性的なデザインの服を見れば、何となく分かる。だが、興味こそあるが、ファッションに極めて疎い亘宏には、自分にどんな服が似合うのか全く分からなかった。
そもそも、致命的なまでにルックスが醜悪な自分に似合う服なんてあるのかどうかも怪しい。
「亘宏さん、初めまして」
最初にやって来たのは、若い女性スタイリストである。気さくで、親しみやすい雰囲気がある。
「ねぇ、彼の服をコーディネイトしてあげて」
梨華は亘宏の肩を叩きながらお願いした。
「かしこまりました。さぁ、どうぞ」
「えっ? ちょっとちょっと……」
スタイリストは、それぞれ亘宏の腕を引っ張り、彼の服を脱がした。
「いや、服は自分で脱げますから……」
慌てる亘宏を見て梨華は、
「それじゃ、私はちょっと部屋を出るわ。出来上がりを楽しみにしているわよ」
と言い残して、部屋から出て行った。亘宏は、梨華に「待って!」と声を掛けようとしたが、その言葉は届かなかった。
「それでは、まず採寸しますね」
スタイリストはメジャーを取り出して、亘宏の身体を採寸した。自分の身体を直接測られるなんて、何だか照れくさい気がした。
「3サイズは、上から、100 100 100ですね」
グラビアアイドルではないので、今まで3サイズなんて意識した事すら無かったが、まさか3サイズの数値が一緒とは思わなかった。
「あ、あの……でも、僕に似合う服なんてありますか?」
恐る恐る尋ねる亘宏に対して、スタイリストは、
「大丈夫ですよ。あなたにも、似合う服はちゃんとありますから」
と笑顔で答えた後、「では、少々お待ちください」と言って、数々の服を選ぶが、やっぱり不安は拭えなかった。
数分後、スタイリストが「お待たせいたしました」と言って、服を持ってこちらにやって来た。
「こちらの洋服はどうですか?」
スタイリストが持ち込んで来たのは、青のチェック柄のシャツと白いTシャツ、ジーンズ。割とカジュアルな服装である。
スタイリストから服を受け取ると、亘宏はそれに着替えた。
十分後、
「着替え終わった?」
扉の向こうから、梨華の声が聞こえた。
「うん、今開けます」
亘宏は扉を開けた。
そこには、今まで地味で寝間着同然の服とは違い、とてもカジュアルでおしゃれな亘宏の姿があった。生地の肌触りも良く、明るい感じである。
これなら、都会の街を歩いても、問題ないだろう。
「キャー、すっごく似合っている!」
梨華は、拍手をしながら褒めた。
「とても、よく似合っていますよ」
スタイリストも絶賛だ。
「そ、そうかな……?」
梨華やスタイリストから誉められて、亘宏は照れ笑いした。
「そんなに謙遜する事ないわよ。さっきの寝間着みたいな服と比べたら、断然カッコ良いわよ。これを着て、街を歩いたら、可愛い女の子から声を掛けてくれるかもしれないわね」
梨華がチャーミングな笑顔で返した。単に、お世辞を言われているだけかもしれないけど、梨華に褒められると、たとえお世辞であったとしても嫌味が無くて、素直に嬉しい。
このファッションで街に行ったら、本当に可愛い女の子から声を掛けてくれるかもしれない。
おしゃれな服で、街を意気揚々と歩く自分。誰もが自分に注目している。
「キャー、亘宏さんよ!」
「嘘、本物?!」
「あぁ、花村スゲーカッコ良すぎるぜ」
「あっ、私、亘宏さんと目が合っちゃったー!」
自分が道を歩けば若い女性が必ず振り返り、キャーキャーと黄色い声で手を振ってくれる。男性達も突如現れた街の有名人に驚きの歓声を上げている。まさに、自分はこの街のスターだ!
そんな彼を周りの人達は放っておかない。
早速、パリコレモデル並みに抜群のスタイルを持った美女が、キュートすぎる笑顔で亘宏に声を掛けた。
「ねぇ、今晩私の家で過ごさない? 場所は、六本木のクラブよ」
パリコレ美女から、逆ナンという形でお誘いを受けてしまった。しかも、セレブが大勢住む六本木なら、幻想的な夜景を見ながらデートをする事が出来るかもしれない。更に、パリコレ美女は、亘宏の耳元で蠱惑的に囁く。
「今晩は、寝かさないから」
今ここで、パリコレ美女のお誘いに乗れば、夜はきっと強烈に甘いひと時が過ごせるのだろう。
そこへ、また別の美女が現れた。今度はウェーブのかかった黒髪と豊満な体型が印象的なセクシー&グラマー美女である。
「ちょっと、あなた。私の亘宏さんに何をしているの?!」
グラマー美女は、亘宏の腕を自分の胸に挟み、誘惑してくる。
「亘宏さん、こんな女と付き合うより、私と一緒に過ごした方が楽しいわよ。今日、おしゃれなバーがあったから、そこで二人きりで飲みましょう」
グラマー美女からの熱烈なアプローチに、心が惹きつけられる。バーで、美女と二人きりでカクテルを飲み、その後はホテルのベッドで一夜を共にする。そんな夜も悪くはない。
「待ちなさい! 花村君は私だけのものよ!」
「私だって、亘宏君とデートするんだから!」
「皆して、ズルイ! 花村さんとドライブに行くのよ!」
その後も、亘宏を放っておかない美女達が次々と押し寄せて来て、取り合いになる。
一見すれば、このまま取り合いが続けば修羅場と化して、警察が駆けつける程の騒動になってしまいそうだが、妄想の世界で大勢の美女達に揉まれる体験は亘宏にとっては、昇天しそうになった。
甘くて心地の良い妄想に浸っていると、別のスタイリストが声を掛けた。
「では、こちらの服はどうですか?」
今度は、黒を基調とした服を持って来た。
黒の唾広帽子とスーツにワインレッドのシャツが目立ち、いかにもマフィアの様な渋い雰囲気である。チョイ悪と言われるには、まだ早すぎる年齢だが、割と絵にはなっている気がした。
「凄い凄い、とってもよく似合っている!」
梨華に褒められた時、亘宏は金髪のグラマーな外国人美女を脇に抱え、黒のリムジンで、赤ワインが入ったグラスを片手に侍らせている様を妄想した。
仕事を終えた凄腕スナイパー・ノリヒロ。今夜は、高級ホテルにあるレストランで、ディナーをした後、ホテルのスイートルームで彼女を抱く予定だ。
「今晩は、素敵な夢を見させてあげるよ」
そんな甘い言葉を美女の耳元で囁く。
ところが、せっかくの甘いムードを邪魔する形で銃声が鳴る。敵対するマフィアからの攻撃だ。どうやら、背後から銃を撃って攻撃している。これじゃあ、彼女が怖がるだろ。
亘宏は窓を開けると、背後から追いかけてくる車に、ピストルを二発撃つ。すると、敵は「ぐあっ!」と、悲鳴を上げながら、顔を引っ込め、更にもう一発タイヤに向けて撃つと、車がスピンして、そのまま壁に激突し、そのまま爆発して敵の車は炎に包まれた。
「ふぅ……君に怖い思いをさせてしまったぜ」
敵からの攻撃で怯えてしまった美女の頬に機嫌直しのキスをすると、彼女は先程の戦いの疲れを吹き飛ばす程の微笑みを見せた。
そして、夜は高級レストランでディナー。赤ワインをグラスに入れて、都会の夜景を見ながら乾杯。ミディアムで焼いた高級ステーキを口にした後は、スイートルームのベッドで、とびっきり甘いひと時を過ごすのであった。
「むふふ……」
梨華とスタイリストの言葉に褒められて、亘宏は再び内心舞い上がっていた。完全に自分の世界に入り込んでしまっている。こんなところを梨華や使用人以外の誰かに見られたら、明らかにドン引きされても仕方ないだろう。
だが、今まで人から誉められる事が無かった亘宏にとって、誰かに称賛されたのは、本当に嬉しかった。
「そ、そう褒めてくれると嬉しいです」
亘宏は、満更でもない様子ではにかんた。
「それでは、どの服になさいますか?」
スタイリストから訊かれて、亘宏は困惑してしまった。どれも良い服なので、正直どれにしようか迷ってしまった。
二十分ほど迷った末、スタイリストが最初に選んでくれたカジュアル系の服を着る事にした。
「次は、髪を切るわよ」
「か、髪ですか?」
亘宏は自分の髪を抑えながら青ざめた。
「そうよ。美容室で髪を切ってもらう様なものだし、メイクもするから」
梨華は笑顔で話すが、不安があった。近所に床屋さんはあったが、美容室なんてオシャレな店は無かった。美容室と言われると、オシャレな人しか入れないイメージがあって、仮に近所にあったとしても、どことなく入りづらい空気がある。
もし、あんなところへ、ブサイクな自分が入店したら、速攻で追い出されるのではないかという恐怖すらあった。
もちろん、これは本人の被害妄想であるが。
メイクだって女性がするものだと思っており、男性の自分がメイクをされるとは思ってもみなかった。身だしなみを整える程度ならともかく、そんなものでブサイクな顔が良くなるのだろうか。
「お待たせいたしました」
今度は、美容師の若い男性がやって来た。爽やかな笑顔が印象的な好青年である。亘宏にとっては、嫌いとまではいかないまでも若干苦手なタイプである。正直、オーラが違い過ぎて、近寄りがたい雰囲気があるからだ。
ああいう男は、いかにも女性からモテそうなイメージがある。もし、街で彼が可愛い女の子とデートしているところを見たら、「リア充爆発しろ」と呪詛を唱えているに違いない。
「今日は、彼をとびっきりカッコ良くしてくれる?」
梨華が美容師に注文すると、
「かしこまりました」
と言って、亘宏を椅子に座らせると、クロスを着させた。
そして美容師はハサミでテンポ良く、亘宏の髪を切って行く。髪を切る音がリズミカルで心地良く、ジッと待っている中、だんだんと瞼が重くなっていき、そのまま眠りに就いてしまった。
「終わりましたよ」
美容師に声を掛けられて、目を開けると、鏡の中には綺麗に髪を切り揃えた亘宏の姿があった。しかも、不揃い気味の眉毛もキリッと整えられており、シミで汚い肌も綺麗になっている。
これなら、街を歩いていても、不審者扱いされたり気味悪がられたりと、周囲に不快感を与える事は無さそうだ。
でも、一体どうやって仕上げたのだろう。
「あ、あの……肌は、どうやって……?」
「お肌の方はパックをした後、ファンデーションとコンシーラーを使いました」
「ファンデーション? コンシーラー?」
「はい。色が白いので、少し明るいカラーを使いましたが、いかがですか?」
肌が白いのは、今まで家に引き篭もっていたからなのだが、依然と比べたら肌色は良く、病的な印象は全く無い。
試しに鏡の前で顎に人差し指と親指を添えて、カッコつけのポーズを取ってみた。自分で言うのもなんだが、割と様になっている。こうして見ると、自分の容姿もそんなに悪くなかったのだと思える。
夜のクラブに行けば、ステージでレコードを回すクラブの花形・DJよりも注目を集める。ヒップホップの音楽に合わせて、アクロバティックなヒップホップダンスを披露して、会場を沸かせる。
そんなダンスを見て、DJが声を掛ける。
「Hey、ノリヒロ。お前のダンスはマジでCOOLだぜ! そのダンステクニックをステージで見せてくれ!」
DJからの突然のお誘いで、亘宏はステージに上がった。
ステージに上がった亘宏は、刺激的なBGMが流れる中、ウィンドミルを披露する。巨体から魅せるアクロバティックな動きに、会場から黄色い歓声が上がる。
レコードの摩擦音がリズミカルに流れ、会場を更に盛り上げる。
「キャー! 亘宏クン、カッコイイ!」
「こんなダンステクニック見た事が無い!」
「コイツ、マジでヤバイぜ!!」
観客達は、自分のパフォーマンスに黄色い声を投げかける。
今の自分は、まさにダンスヒーローだ!
当然、実際はダンスなんて全く出来ないのだが、妄想の世界では、現実では絶対に出来ないパフォーマンスを披露して、亘宏は一人で悦に浸っていた。
「さぁ、イメチェンも終わった事だし、ちょっと二人で出掛けましょうか?」
「お、おでかけ?!」
まさかのお誘いである。
「だって、あなたは今までずっと自宅に引きこもっていたのでしょ。自分のルックスにも少しだけ自信が持てる様になったのだから、これを機会に外に出るのも良い機会だと思うの」
「でも……」
梨華の意見には一理あるが、果たしてそれで上手くいくのかと思った。
妄想の中では、かなりの美女達からもてはやされたり、注目を集めたりしていたけど、現実ではそんな風にはいかない。
そんな事をして、もし誰かに笑われたり、過去の自分を知っている人に出くわしたりして、気まずい雰囲気になったらと思うと、とても不安になる。
そんな亘宏の内面を見透かしたのか、梨華は、
「大丈夫よ。今のあなたなら、絶対に笑われる心配は無いわ。もし、あなたを悪く言う人が現れたら、私が何とかしてあげるから」
それを聞いて、亘宏は頷いた。
童貞の妄想は凄まじいですよね。