Q1 もしセレブ美女に声を掛けられたら?-1
「あなたの面倒を見るのは、もうたくさん! 今すぐこの家から出て行って!」
数日前、花村亘宏はボサボサ頭に灰色のパジャマを着た状態であるにも関わらず、母親からの突然の勘当と共に、父親の手で強引に自宅を追い出されてしまった。あの日は強い雨が降っていた。それにも関わらず、自分を追い出したのだから余程ストレスを溜め込んでいたのだろう。
原因は、自分でも分かっていた。分かっていたけど、どうする事も出来ず、学校にも行かず、仕事や就職活動もせずに、ただ家で携帯電話の画面に映る二次元美少女のあられもない姿を見ながら自慰に耽け、現実から目を背け続けながら自堕落な生活を送っていたばかりに、こんな有様となってしまった。
いつかはそんな日が来るかもしれないと心のどこかで思っていたけど、いざ訪れたところで、成す術は全く無かった。せめて、なけなしの小銭と携帯電話だけでも、持たせて欲しかったのだが、勘当された以上、彼らがそんな事を聞き入れてくれる訳がない。
家を失い、路頭に迷った事から、どうにか仕事を探さなくてはならないと思い、まずは近所のコンビニに入って、求人誌のフリーペーパーを手に取り、自分が出来そうな仕事を探した。
しかし、学歴はおろか、何の資格も特技も無い人間が就ける仕事は無かったので、すぐさま求人誌を投げ捨てた。
だが、よくよく考えてみれば履歴書とボールペンの購入や無人で証明写真を撮る為の金も無かったので、仮に良い仕事が見つかったところで無意味だった事に気付くと、コンビニの壁に八つ当たりしたが、足を強く撃って思わず飛び上がった。
傍から見れば、この光景は滑稽に映ったかもしれない。
こういう場合、役場やNPOに相談するという手があるが、二次元のエロ画像ばかり見ていた亘宏がそんな事を知っている訳がなかった。
携帯電話も奪われているので、ネットで何か方法を探す事も情報を集める事も掲示板やSNSで助けを求める事も出来ない。
もうダメだと思いつつ、かといって行く当ても無く、彷徨いながら歩き続け、結局近くの駅のベンチで夜を過ごした。
そんな生活を数日続けていたら、多少は痩せてくれても良いのだが、ウィンドウショッピングのガラスに映っていたのは、脂肪を溜め込んだ汚い浮浪者の姿だった。
夕方になって、そろそろ空腹の限界が来た。今までは駅に近い公園の水道水で飢えを凌いでいたが、そろそろ固形の食べ物を口にしたくなった。だが、肝心の金が無いので、どうすれば良いのか全く分からなかった。
そんな時、駅の入口で若い男性が食べかけのハンバーガーをゴミ箱に捨てた。きっと味が不味かったのかもしれない。でも、ゴミ箱に入った、しかも男がかじったハンバーガーを食べるのは抵抗があった。
どうせなら、可愛い女の子が食べたものが良かったのにと思ったが、空腹には勝てず、亘宏はゴミ箱の口に手を深く突っ込んだ。がさごそと音を立てながら、中を漁って取り出すと出て来たのは、さっきのハンバーガーの包み紙だった。では、肝心のハンバーガーはどこにあるのかと、こっそりと覗き込むと、先程のハンバーガーは、パンと具が無残にもバラバラになっていたので、がっくりと肩を落とした。
その時、後ろから声が聞こえた。
「あっ、ゴミ発見!」
振り向くと、そこにいたのは柄の悪い不良三人組だった。
「誰ですか?」
亘宏は怯えながら尋ねた。
「俺達は、ゴミ清掃員だよ! と言っても、俺達が取り扱うのは、社会のゴミだけどな!」
リーダー格と思われる中央の少年が嘲笑しながら答えた。コイツらのどこが清掃員なんだ。お前達の方が社会のゴミじゃないかと思ったが、そんな事を言い返す度胸は亘宏には無かった。
「お前みたいな奴がいるとな、駅の景観が汚れるんだよ!」
「そうそう。てめぇみたいな連中は、ここで排除しないとな」
中央の少年が亘宏を強く突き飛ばした。壁に後頭部を強く打ち付けられた。更に、不良は亘宏の胸倉を掴み、拳を構えた。その時である。
「コラ! そこで何やってるの!」
向こうから怒鳴り声が聞こえた。
「ヤベエ!」
「マズイ、逃げるぞ!」
犯行現場を見られて、チンピラ達は慌ててその場から逃げた。どうやら、助かった様だ。それにしても、一体誰が助けてくれたのだろう。声からして、若い女性の様だが。
「君、大丈夫? 怪我は無い?」
心配そうに駆け寄って来たのは、黒いビジネススーツを着た女性だった。年齢は、恐らく二十代半ばで、自分より年上。ファッションには詳しくないが、海外の高級ブランドと思われる黒のパンツスーツを身にまとい、金のラインが入ったワインレッドのスカーフが印象的だ。長い黒髪も艶があって綺麗に整えられており、モデルか女優の様に清楚で美しい顔立ちである。
きっと、彼女は学生時代、スクールカーストの頂点に君臨し、多くの友人に恵まれ、男性からもモテモテな学園のアイドルとして持てはやされ、非常に充実した学校生活を送っていたに違いない。
彼女は、心配そうに亘宏の顔を見つめている。
「だ、大丈夫……です」
亘宏は、軽く頭を下げたその時、腹の虫が鳴った。亘宏は思わず腹を抑えた。
「君、もしかしてお腹が空いているの?」
亘宏は、羞恥心のあまり顔を俯けたが、ゆっくりと首を縦に動かした。
すると、美女は「分かった。ちょっとそこで待ってて」と告げ、駅内のコンビニに入って行った。
待つ事数分。美女はレジ袋を提げて、店から出て来た。
「はい、どうぞ」
美女は亘宏にレジ袋を差し出した。中を覗くと、そこには幕の内弁当とペットボトルのお茶があった。もちろん、割り箸とお手拭き付きである。
幕の内弁当の中身は、ごま塩が振りかけられた日の丸ごはんに、唐揚げとエビフライ、卵焼き、ポテトサラダ、焼き鮭などバラエティ豊かな品数だった。おにぎりやサンドイッチでも十分ありがたいのだが、贅沢にも弁当をくれるとは思わなかった。
家にいた時も、これだけのおかずが出た事は滅多と無かったのに。
亘宏は、お手拭きで手を拭いた後、割り箸を割ると、途中でお茶を飲みながら物凄い勢いで弁当を食べた。
「美味しい?」
「美味しいです」
美女からの問いに亘宏は、食べ物を頬張りながら答えた。最初は何か裏があるのではないかと警戒していたが、こんな自分にもご飯を奢ってくれるなんて、何て良い人なのだろうと思った。
「あ、ありがとうございます……」
弁当を食べ終えた後、亘宏は美女にお礼を言った。
「どういたしまして。ところで君、もしかして家が無いの?」
突然、質問されて、亘宏は口を詰まらせた。痛い所を突かれた気分である。しかし、彼女ならきっと今の自分を助けてくれるかもしれないと思って、打ち明けた。
「そうなんです……僕、先日親から家を追い出されて、今完全にホームレスなんです」
やっと、思いを伝える事が出来た。それを聞いて、美女は憐れみの表情を見せながらも「それは大変だったわね」と真剣に頷き、亘宏にある提案をしてきた。
「だったら、私の家で暮らさない?」
「えっ?」
思ってもいない、お誘いである。それにしたって、家に暮らすというのは突然である。
「だって、あなたは今住む場所が無いんでしょ? だったら、ちょうど良いじゃない。今から家に電話をするから、許可が下りれば、あなたも住めるわ」
美女はにこやかに話した。
普通の人だったら、話が美味すぎて逆に怪しいと警戒してしまうが、早くもホームレス生活に限界を感じていた亘宏は、藁にも縋る思いで、
「分かりました、しばらく住まわせてください」
と、美女に深く頭を下げた。
「分かったわ。じゃあ、今から電話するから待ってて」
そう告げると、美女は少し離れたところへ歩き、スマートフォンで電話を掛けた。きっと、自分を家に入れたいと家族に連絡しているのだろう。
数分後。美女は電話を切ると、亘宏に笑顔を向けた。
「許可が下りたわ。あなたも家に住んで良いって」
それを聞いて、亘宏から笑みが零れた。これで野宿をする必要は無くなった。
「じゃあ、今から私の車に乗せてあげるから着いて来て」
と誘うと、美女は駐車場まで歩き、白い車に乗った。見たところ、高級感のある外車である。どんな車なのかと、エンブレムを見たら、何とボンネットに馬の立体エンブレムがあった。
これを見た瞬間、亘宏はゴクリと唾を飲んだ。
この車は、アメリカでトップクラスのYou Tuberが乗っていたものと同じモデルのフェラーリだ。
世界的に有名な自動車メーカー・フェラーリの車はメディアで見た事はあるが実際に間近で見るのは生まれて初めてである。
亘宏が住む街では、なかなかお目に掛かれなかった。
若くして、こんな高級外車を運転しているなんて、きっと彼女は裕福な家に生まれた人に違いないと亘宏は思った。
運転席を見るとパッと見、二十代後半の男性が座っている。トレンディ俳優として出て来そうな気品のある顔立ちで、いかにも美青年という言葉が似合う。きっと、彼女の兄なのだろう。さすがに、彼氏ではないと願いたい。
「失礼します」
亘宏は恐る恐る車の後部座席に座った。インテリアは黒を基調としており、高級感があるが開放的なデザインである。フェラーリの中って、こんな風になっていたのかと感動のあまり身震いした。シートも皮を使っていて貫録があり、座り心地もちょうど良い。
そして、美女が亘宏の隣に乗ると、運転手の男性に告げた。
「彼も家まで送ってあげて」
それを聞いた男性は、爽やかな笑顔で答えた。
「かしこまりました、お嬢様」
その会話に、亘宏は耳を疑った。兄妹間で「かしこまりました」と返すのは不自然である。そんな台詞を使うのは、主人に仕える使用人くらいだ。
思わず、「兄妹じゃなかったの?」と尋ねようとしたが、質問を入れる間も無く、今まで兄だと思い込んでいた運転手の男性は、エンジンを掛けると、そのまま駐車場を出て、街の中を飛ばして行ったのであった。