6ページ目 嫉妬、しっと、シット
「アアアアア…………嫉妬がァァ、嫉妬が止まらないなァァァァ」
屋上の隅っこで、人の形をした真っ黒い物体がうずくまっている。負のオーラがビンビン。紫のモヤモヤが可視化しちゃってる。
顔は……目が点々で口がウニャリと曲がってる。子どもの落書きみたいだ。
「あれが移怪か……思ってたよりコミカルだな」
「移怪っていうのは未練とか怨念を持ったまま死んだ生き物がなりやすいんだよ。姿形はバラバラ。あんな風に黒いモヤみたいな奴もいれば、獣みたいなやつもいる。そして一番強い種族だと、人間とほぼ見分けがつかなくなるんだ」
「やっと移怪の情報が聞けたな。そんで、奴さんはどうなんだ? 強えのか?」
「いや、ああいうのはただ、人間の負の感情がなんとなく形をとどめてフワフワしてるだけ。言ってみたら移怪の中で一番弱いよ。私たちはあれを『啼雲』って呼んでる」
「啼雲……つまり経験値を集めるにはもってこいの雑魚ってことだな。でも見た感じ害はなさそうだし、ほっといてもいいんじゃねえの?」
「だーめ。啼雲を放っておいたらさっきも言った、人間とよく似た移怪に変化するの。そうなると私たち天使にとっても面倒なくらい強くなるから」
「育ち切る前に摘んどけってか。弱いものイジメは気が進まねえが、仕方ないな」
「啼雲は特殊な能力なんにも持ってないし、アンタでも倒せると思う。実践あるのみだし、ここで色々と練習してみたら? 危なかったらおそらく私もアンタを助ける努力をしようと考えるようにするのをできるだけ頑張ろうと思いつつある可能性もなきにしもあらずかもしれないんじゃないかな」
「こんなに背中任せられない仲間も珍しいぞ。まあいいや…………よっしゃ! そんじゃあ景気よく、先手必勝ォっ!!」
俺は地面を蹴り、勢いよく啼雲に殴りかかった。
「アアアアア嫉妬が止まらないなアアアアアアアアアアアアアアア!!! お前らさっきから男女で仲良く喋ってんじゃねえぞオラアアアア!!!」
啼雲は喉が潰れんばかりの咆哮をぶちかました。辺りに突風が吹き荒れる。
「ぐっ……なんだよこのプレッシャー…………!?」
「ひるまないで。弱いっていっても移怪。気を抜いてたらやられるよ」
「わかってる! おらぁ!!」
俺は啼雲に勢いよく拳を振り下ろしたが、いとも簡単に受け止められてしまった。なにこの感触グチュグチュしてすげえキモい!! おはぎ殴ったみたい!!
「アアアアアアアアアア…………女が男にアドバイスゥゥゥ! 勝って欲しいがゆえの応援メッセージィィィィィィ!! 嫉妬が止まらねえよオラアアアアアア!!!」
「ちょっ、強…………ぐへらっ!!」
啼雲は俺の手を掴み、渾身の力でぶん投げる。受け身を取るのに失敗した俺は、コンクリ地面に背中を強打した。
「い、いってえ……今の投げはめっちゃ効いたわ。骨にヒビ入ってなきゃいいけど……」
「背骨といい肋骨といい、今日はカルシウムがアンラッキーアイテムだね」
「肋骨はテメエのせいだけどな!! つーかアイツ、さっきから嫉妬嫉妬って……何をそんなに妬んでやがるんだ……?」
「さっきも言ったでしょ。啼雲は人間の負の感情が凝り固まった存在なの。あの啼雲の構成分子は『嫉嫉』。常に何かに嫉妬し続ける存在。いま抱いてるのは…………『性に関する嫉妬』だね」
ヒメラが屋上の壁にもたれかかりながら啼雲の解説をする。
「性だと?」
「あの啼雲、私とアンタに嫉妬してる。だから通常より力が上がってるんだよ。相手が男だけ、あるいは女だけだったら、もっと弱いはずだもん」
「はあ!? 俺とお前の間に男女関係が成立してるって言いてえのか!? 心外すぎて吐きそうだわ!!」
「なっ…………わ、私だってアンタみたいなのまっぴらごめんだし。アンタなんか全然好みじゃないし。アンタだったらまだゴキブリまみれのゴキブリの方が好みだもん」
「それただのゴキブリの集結じゃねえか!! さすがにそれよりかは上位にいさせて!!」
「うるせエエエエエエエ!!! 夫婦漫才するなアアアアア!!! ボクは夫婦漫才という言葉が13番目に嫌いなんだアアアアアアアアアア!!!」
激怒するにしては順位低くない?
「性への嫉妬の力が上乗せされたアイツは相当手強いけど……どう? 協力したげよっか? 今までの私に対する無礼を土下座して詫びて、私の言うことならなーんでも聞く従順なワンちゃんになってくれるなら、アイツ倒してあげてもいいよ。ほぉら……『ヒメラちゃん助けてワン』ってシッポ振ってお願いしてごらん? かわいいワンちゃん?」
倒れたままの俺を見下ろし、好き放題言いやがりくさってる暗黒天使。
わっっっっるい顔してやがんなぁコイツ。はじめて笑顔見たわ。
「遠慮しまくりますわ。壁は壁らしく壁に寄りかかって一体化しといてくださ~い」
「ぐっ、このっ…………あーそうですかはいはいわかりましたぁ。じゃあここから動かず全力で応援させてもらいますぅ。そーれ、啼雲さんファイト~」
「おいおいてめえいくらなんでもそれは不謹慎すぎだろ!! 平和を乱す敵を応援するなんてそれでも天使か!!」
「アンタを倒した啼雲を私が倒す。これぞ食物連鎖。啼雲もアンタも倒せるし、まさに一石二鳥。いぇいっ」
「『いぇいっ』じゃねえわ! じゃあ俺がアイツ倒した後でてめえもぶっ殺してやらぁ!! 首ゆすいで待っとけやクソ天使!!」
「せめてセッケン使いたいなぁ……」
「夫婦漫才するなと言うに!! もう一度言うぞオオオオ!! ボクは夫婦漫才という言葉が304番目に嫌いなんだアアアアアアアアアア!!!」
この数十秒で凄まじく落ちたな。そこまでいったらもう好きな言葉にしたらいいんじゃないの?
「クソが!! ボクの前で仲良くし続けやがってもう許さないぞオオオオ!! 嫉妬…………嫉妬嫉妬嫉妬嫉妬嫉嫉嫉嫉嫉嫉嫉嫉嫉嫉妬妬妬妬妬妬妬妬妬妬妬妬妬妬嫉嫉妬妬嫉妬嫉嫉妬シツシツシツシツシツシツシツシツシィィィィィィィィィィィィィットオォォォォォォォォ!!!」
啼雲の様子がおかしい。悲痛な叫び声と同時に、激しい地響きが視界を揺らす。
「なっ、何だ!? なんかでっかくなってね!? 成長期!?」
「そんな……啼雲が巨大化するなんて聞いたことないよ……。まさか、移怪がこの短期間で強化されているの……? アンタはどう思う?」
「知るかあそんなもんっ!! お前はどうなんだよ!? 聞いたことないならないなりに、作戦とか立ててくれや!!」
「さっきの『シットォォォォ』は『嫉妬』と『SHIT』が上手く掛かってたなぁ、と感心しててそれどころじゃない」
「思考回路に味噌汁こぼしたのかてめえ!! つーかヤベエぞ! 学校の奴等が外に逃げ始めてる!」
下を見ると、先程の地響きにパニックになった生徒が、グラウンドにゾロゾロと流れ出ていくのが分かる。
後を追うように校内放送がかかり、避難命令が出された。
「私たちが『外の方が危ないんだから校舎に戻れ』って言っても従うわけないよね。そもそも皆には移怪が見えてないんだし…………はあ、わかったよ。手っ取り早く終わらせるために私も手伝うわ」
ヒメラが俺の隣に並び、先程の10倍は大きくなった啼雲と相対する。
「アンタも一回見たでしょ? 私は『天華の術』っていう技を使うんだ。天使の技には刃法、盾法、歩法の三種類があるの。特別サービスだよ。アンタに私の戦い、特等席で見せたげる」
ヒメラは自信満々に啼雲と距離を詰める。
『天華』ねぇ……確か天国で餓舞裏獲流に使ってたのは盾法の……【露返し】、だっけ? 飛び道具を跳ね返す能力っぽかったけど……他にもあるのか。
「へえ、よく覚えてるじゃん。それじゃあ正解したご褒美にもう一つ」
啼雲は腕をドリルのように尖らせ、ヒメラを串刺しにしようと振りかぶった。
「天華盾法【蜜撫】」
ヒメラが両手を前にかざすと、目の前にネトネトした黄色の巨壁が出現した。
啼雲のドリルが接触した途端、壁はそれをベタベタと包み込むように、ひとりでに動き出した。
「なっ…………なんだァァァァこれはァァァァ!!?」
そうして完全に動き封じ込められた啼雲の腕の上に、ヒメラが軽快に飛び乗る。
「さてと、今度はこっちの番よ。天華刃法…………【多根刈り】」
続いてヒメラのターン。
啼雲のおはぎアームをジャンプ台にして天高く飛び上がり、体を大きく捻りながら啼雲に向けたのは、傷一つない純白の右手のひら。
すると、刃の形をした緑色の斬撃がヒメラの手から無数に放たれ、啼雲の体を容赦なく斬り刻んでいく。
「ドドマァァァァァァァァァァァァァァ!!!」
どこか幻想的で美しい、至近距離から放たれた刃物の流星群を捌ききれるはずもなく、啼雲は断末魔をあげるのが精一杯だった。なぜタンザニアの首都を。
「すげえ……倒したのか?」
「まあね。でも、啼雲なんてこんなもんだよ。アンタの実践演習はまた次の移怪が出たときに…………がっ!!」
一瞬の出来事だった。
ヒメラが何かに強く弾き飛ばされかと思うと、遠くのフェンスに豪快に激突した。金属音がシンバルのように木霊する。
「え、ちょっ…………ヒメラッ!!」
気が付くと俺の足は、鈍い音を立てて灰色の地面に不時着した天使へと、まっすぐに引き寄せられていた。