5ページ目 絶壁スカイツアー
「うぐっ……ぜんっぜん分からない。俺ってこんなにバカだったのか……」
1限、数学の授業が始まって10分。
黒板に所狭しと並べられた数字の羅列に、早くも目が回ってきた。
「なあなあ、ヒメちゃんってサイタの妹やろ? メッチャかわいいやんけ? なあなあ? 今でも『いっしょにお風呂入ろ』とか『トイレ怖いからついてきて』とか言われてるん? なあなあ? この世で最も実現不可能なんはタイムマシンでも不老不死の薬でもなく永遠の平和やと思うねん。なあなあ?」
おまけに隣からウザい関西弁で質問攻めされて、まったく集中できない。このクラスでは平和というワードを用いて社会を風刺するのがトレンドなの?
「ピンくんピンくん、さっきの話の続きだけどどう思う? ワセミーは誰がなんと言おうとオカルトのしわざだと思うの」
んで前の席お前かい。前の席なのにあのスピードで衝突してきたの?マッハちゃんなの?
しっかし、改めて皆が席に座ってるこの状況を後ろから見ると、余計に空席が目立つな。先生側はなんの対処もしてないのか? マッハちゃんってなに?
まあいいや、ここは居眠りタイムにしよう。よく考えりゃ、俺は実質ヒメラと二人暮らしになるわけで、別に家族に報告される心配もないから不真面目でも大丈夫だよな……
……そういえば、俺の家族は…………俺の家族『だった』人たちは、どこにいるんだろう?
何も思い出せない。母親は? 父親は? どんな人だった? どんな顔? どんな性格? 夫婦仲は良い? 悪い? 仕事は何をしていた? 俺は一人っ子だったのか? 兄妹はいたのか?
俺は…………愛されていたのか?
ピピピッ……ピピピッ……
教師の声とチョークの音のみに支配されていた教室に甲高い電子音が鳴り響き、俺は返答のない質問攻めを終えた。
「ん? おい誰だ!? 携帯の電源は切っておけといつも言ってるだろ!?」
男の先生が怒ってる。あ、よく見たらあの人さっきヒメラのTシャツ見て舌打ちした人だ。
音は最前列から聞こえる。まさかとは思うが……。
ガタン、と派手な音を立ててヒメラが立ち上がる。そのまま上靴の音をツカツカと出しながら俺の席までやって来た。
「立って。行くよ」
「はい? 行くよって……まさかさっきの電子音って……」
「そう、移怪が出た。場所はこの学校の屋上。私一人じゃこの学校の人たちにまったく被害を及ぼさずに戦えるか分からないから、アンタも協力して」
「んなこといったって……ぬおっ!!」
ヒメラは有無を言わさず俺のエリを掴み、助走をつけて教室の窓から飛び立った。そして、背中から羽を出し、猛スピードで上空に向かって飛行する。
「おいおいおいおい!! おまえこんな所で天使の姿に戻るなバカ!! せめてもっと人がいないところで……」
「大丈夫、皆には私が羽を生やして空を飛んでたってことにしとくから」
「だいじょばないじゃん!! 事実が素っ裸で解き放たれるじゃん!! お前マジでちゃんと言い訳考えとけよ! 真実を全裸発射すんなよ!」
ほんっと、コイツはもう……。
ここでおさらいをしておこう。
移怪ってのは、死んだ人の魂が天国に向かう前に(何らかの方法で)悪い魂に変えられ、魔物のようになったものらしい。
そんでそれを良い魂に戻してやるのが贄薙ぎ。今の俺だ。
移怪の外見、強さ、戦闘方法、そんで具体的にどういう被害を人間に及ぼしているのか……このサスペンスドラマの最後のシーンに出てきそうな天使は何も教えてくれない。
「絶壁って言いたいの? なら落とすよ? 人を落とすのが絶壁の役割だから」
「やめてくれ、いま落とされたらサカテくん地面にめりこんで地上絵になっちゃう。めりこみサカテになっちゃう。売れないピン芸人みたいな名前になっちゃう」
ヒメラに運ばれ空を飛ぶこと数分。なかなか屋上に着かない。
というのもこの天使、めちゃめちゃ低速飛行。
本人は顔を真っ赤にして必死に羽をバタバタ動かしてるんだが、少しずつしか上がっていかない。
「いや、遅すぎない? カメも鼻で笑うわ」
「うっ……うるさいな…………」
「調子よかったの飛び立った直後だけじゃねえか。目的地は屋上だろ?こんなんだったら階段かなんか使った方が良かったんじゃ……」
「うるさいってば……はあ……はあ……もうすぐ着くから……黙っててよ……」
何でそこまで空から行くことにこだわるんだろう。その方がカッコいいと思ったのかな。
「ギクッ」
「サカテくん記憶ないから定かじゃないけど『ギクッ』を口に出す人とはじめて出会ったと思うぞ」
「もう、ちょっと黙っててよ……! ほら……もうすぐ着くから……気を引き締めて……」
ところどころで要領悪いんよなぁこの子。
さらに数分後、屋上到着。
「はあ……はあ……」
「おつかれ。次から普通に足使って行こうな。さて……そんで? その移怪さんはどこに……」
「…………らない…………ない…………まらないなァァァ………………」
なんか聞こえる。
「止まらない、止まらないなァァァァ…………嫉妬が止まらない、止まらないなァァァァァ………………!!」
なんか居る。