マヤ・ユリウス・アイリア
遠征最後の敗北から一年が経った。
あれから俺は森の中で勢力を回復し、再び十万の軍勢を集めた。その間、帝国側では俺のことを正式に魔王と認めたらしく、魔王撃退に功あったひとりの少女が、北方属州防衛担当官として赴任してきた。
マヤ・ユリウス・アイリア。それが彼女の名前らしい。
帝国の傘下にあったアイリア王国の王女で、母はリキニウス卿の妹。アイリア王国が魔族の襲撃で滅んでからは叔父であるリキニウス卿のもとに身を起き、自らバレルタ騎士団に志願する。そこで剣の腕を磨いた彼女は元老院から剣聖の称号を送られ、それに伴う特権として本来ならば30歳以上が資格条件の元老院の議席を与えた。元老院議員となった彼女は演説を行った。
このままでは、早晩人類は滅ぶ。壁にこもったところで未来はない。真に生き残りたいなら、攻勢に出るしかない。魔物に勝利する以外に人類が生き残る道はない。
魔物に対する全面的な勝利という、おとぎ話に、当初は元老院のお偉方は鼻で笑うだけだった。しかし、俺が魔王として帝国に攻め込んだことで状況は一変する。元老院はかつてない危機に慌て、正規軍を送り出すもことごとく破れる。そんななか、魔王討伐軍司令官にマヤが名乗りをあげた。彼女は特例で二個軍団の指揮権を認められ、さらに叔父からバレルタ騎士団の騎兵三千を借りて俺のあとを置い、そして魔王軍を壊滅させた。その結果、剣聖マヤ・ユリウス・アイリアは名をあげ、市民から絶大な人気を得た。民衆の意向を無視するわけにもいかず、元老院はマヤを北方属州防衛担当官に任じ、一年間防衛を務め、帝国のために必要とあらば魔物の領域に侵攻する許可を得た。
彼女はその一年間で、防衛体制を徹底的に見直した。
国境沿いの道路網を整備し、のろしと騎兵による情報の伝達方法を確立。さらに軍団別の行動が基本だった帝国軍に、中隊別の行動を活用することで防衛の効率を高めた。これにより、10個軍団で守っていた地域は6個軍団で防衛可能となり、再編成なった防衛体制は鉄壁で、俺は何度か狼に率させた魔物の一隊を帝国領に放ったが、ことごとく撃退された。
一年間の任期を務めたマヤは、もともと持っていた二個軍団に、防衛線から解放された四個軍団、そしてバレルタ騎士団7700とシンパの元老院議員から借りた騎兵2千を連れ、国境のレルス河を越えた。
ここまでが俺が得た情報だ。ちなみに、帝国側の情報を得るのはそれほど難しくない。元老院の決定は会合所に張り出されるし、大きなニュースは属州の辺境地まで伝えられる。そして一年間、これらの情報を集め、ひとつわかったことがある。
あの遠征で俺が負けたのは、バレルタ騎士団が強力だったからでも帝国が新兵器を使ったからでもない。あのとき、帝国軍を率いていたのがマヤ・ユリウス・アイリアだったからだ。
結局、心の底では見下していたのだと思う。この国の人間は、21世紀の日本よりずっと遅れた文明の、いってみれば古代人たちでしかなく、科学を知らず奴隷を使うことを躊躇しない、未開な人間だと。
けれど、敵をあなどるのはもうやめよう。考えてみれば、アンは俺よりずっと生活力があったし、シーラスには頭脳で敵わず、リキニウス卿のような人間が政策を決めれば、俺はそれに巻き込まれ流されるだけの無力な一般人でしかなかった。
だから、思い上がるのはやめよう。俺は勝てない。頭脳で、指揮力で、武術で、マヤという少女には敵わない。それでもひとつだけ勝機はある。
相手が五万ならこちらは30万。全魔物を配下に収め数でゴリ押す。
現代知識でチートとか、クソ喰らえ。数こそ力だ。
俺は十万の軍を三つにわけた。
ひとつは森の中にいる魔物の群れを吸収し、数を集める部隊。もうひとつは帝国の、それもマヤが担当する地域以外の、防衛が手薄な地域を攻撃する部隊。そして俺は少数の部隊を率い、マヤの軍を追う。まっこうからの会戦ではかなわないが、ゲリラ戦法なら魔物のほうが有利。
しかし、それは失敗した。マヤは通常の行軍の形を取らず、歩兵の両脇を常に騎兵が守る形をとっていた。攻撃を仕掛けたら騎兵の餌食となり、攻撃したあとも騎兵が追ってくるため、逃げ切ることが難しい。ヒットアンドアウェイのゲリラ戦法は通じない。
俺は敵軍への攻撃を諦め、魔物の群れを吸収する部隊のもとへ向かった。
第二部隊に合流したら狼たちを小隊別に行動させ、群れ拡大の効率をあげる。また斥候を放って敵軍の行動も監視した。斥候には狼を使う。言葉は解さないが、大まかな意思疎通は可能だ。
帝国軍は森林地帯の南端部に向かい、俺が帝国領への攻撃に向かわせた第三部隊を撃破。そのまま森の南を流れる川沿いに東へ向かう。この森林地帯は南と西に大河があり、それが帝国領土との境だ。マヤが防衛を担当した国境は西の大河。
東へ進むマヤは道中でホブゴブリンの集落を破壊し、巨人を生け捕りにして、狼やオークも容赦なく殺していった。森の東の果てには大渓谷があり、帝国の世界地図はそこで終わっている。マヤは渓谷沿いに今度は北上してそのまま海に出た。そこから軍を五つに分け、別個に行動する。
チャンスだ。
マヤが率いていない帝国軍になら俺は何度も勝っている。
俺は2万の狼を率い、マヤが五つにわけた軍の中で、一番近場にいた一隊のもとに向かった。
それは歩兵部隊だった。軍団長に率いられた部隊は森を切り開きながら進む。狼を連れて遅いかかると、帝国軍は大きな盾を地面に置いた。突進の勢いが殺される。こちらの動きがとまるや帝国軍は剣を抜き、襲いかかってきたが、その剣がまた妙な剣だった。
両刃で幅広の剣なのだが、刃渡りは50センチ足らずでおもちゃのようだ。最初は不可解だったが、混戦となるやその真価がすぐにわかった。
基本的に、混戦状態となれば魔物のほうが有利だ。人間は大きな武器を振り回して戦うが、魔物は牙と爪だけで戦う。そのため、敵味方入り混じっての戦いではただでさえ動きにくいことに加え、味方を斬る危険もあって大きな剣は振るいにくい。しかし、短剣なら接近戦でも威力を発揮する。帝国軍はそれで狼の弱点を突き刺し、斬るときも最小限の動作で行う。マヤは徹底的に訓練を施したらしい。去年戦った正規軍とは動きの質が違う。
歩兵たちが大楯で狼の突進の威力をとめ、短剣で狼を突き刺す戦法で踏ん張っている間に、帝国軍の騎兵部隊が応援に来た。囲まれるとまずい。
俺は血に飢えた狼たちに撤退を命じた。それでも人間の肉を食おうとしていた狼は、やってきた騎兵に槍で串刺しにされていた。
敵はマヤひとりかと思ったが、マヤの訓練した兵士たちもなかなかに手強い。
やはり魔物の大団結は絶対に必要だ。オーク・オーガ、狼の3種族ではなく、ほかの種族も。
前は失敗したが、今は状況が違う。俺はマヤの演説を頭の中で反芻しつつ、ホブゴブリンの集落に向かった。
一番近い集落には十分足らずで着く。すでに帝国軍が通ったあとらしい。集落は壊滅していた。
知能の高いホブゴブリンは手先も器用で、家をたて人間と同じような集落を作る。喉の構造上、人間の言葉は話せないが、同族同士では会話をし、また人間の言葉も聞くだけなら可能だ。
俺は狼を後ろで控えさせ、集落の中央に進んだ。あたりにはだれも見当たらない。
「おい。聞こえるか」
言うが、返事はない。だが狼の鼻は反応している。いるはずだ。
「おい! 帝国軍に蹴散らされたんだろ! 俺は敵じゃない。魔物側だ」
実際、俺は今、狼に乗り、後ろには若干だが、オークとオーガもいる。
それに気づいたのだろう、一匹、また一匹と、小さな体躯の魔物たちが出てきた。140センチくらいの身長、浅黒い肌に、手足は異様に細長く、小さな角が生えている。
ぎゃあぎゃあと、騒音にしか聞こえない声で話し合い、俺と狼たちを遠巻きに眺めている。
「そのままでいい。聞け」
言うと、騒音がやみ、ホブゴブリンたちはいっせいにこちらを向いた。じっと、黙って俺のことを凝視している。
「知ってるだろうが、人間どもが攻勢に出てきた。このままだとお前らは早晩滅びる。それが嫌なら俺に手を貸せ」
わずかに空気が変わった。ホブゴブリンたちは顔を見合わせ、俺の言葉の意味を探っている。
「俺は今、狼、オーク、オーガの三種族を率いて人間と戦っている。配下の魔物は10万ちょっとってとこだ。けど、それでもかなり厳しい。だが、お前らの技術と集団性が加われば俺の軍はもっと強くなる。帝国軍にも負けないくらい。約束しよう。あいつらを森から追い出し、二度と魔物に手出しできないくらい痛めつける」
ホブゴブリンたちはまだ態度を決めない。だんだんイライラしてきた。
「いいか! よく聞け。このまま種族ごとに孤立してたら魔物は人類に負ける! だからさっさと選べ! みんな仲良く滅びるか、それとも俺の配下に入って生き延びるか! 俺がだれよりもうまくお前らを使ってやる!」
言い終えると、静寂が広がった。これ以上言葉は出てこない。
待っていると、ホブゴブリンの一匹が俺の前に出てきた。そして一礼。ほかのホブゴブリンたちもそれに続く。
ようやく、四種族目だ。
ホブゴブリンを引き入れたことで、俺が率いる魔物の群れは完全に軍隊と化した。
ホブゴブリンは力はあまりないが、人間の言葉を解し、話すことはできないが教えれば文字は書ける。知能が高いため、集団で行動するときも効率がよく、こいつらを使うことで群れを一気に組織化、雑多な魔物の群れは四種族の混成軍となった。
今の俺の軍は狼部隊とオーク・オーガ部隊で成っている。オークは60匹で小隊、10個小隊で中隊を形成し、小隊、中隊はオーガが率いる。さらにその上にホブゴブリン五人から成る班を置き、これに十個中隊をまとめさせ、一個軍団とした。これで完全に帝国軍と同じ編成だ。また別に20匹で班を作り、これを技術班とする。
手に入ったホブゴブリンは57匹。うち20匹は技能班で、残りの37匹で7つの軍団を率いさせる。それでも全軍は十万、7個軍団は4万2千だ。余った5万強は引き続き中隊までの編成で帝国領へ攻撃させる。5個軍団は群れの拡大。そして俺が率いる2個軍団と狼3千匹は単独行動中の帝国軍一個軍団のもとへ向かった。行軍方式は帝国軍と同じ、騎兵を先行させ、そのあとに歩兵が続く。本来ならこのあとに荷馬車が続くが、魔物の群れに荷物はない。荷物がなければ当然、行軍速度はあがる。
帝国軍は一日泊まるだけの陣幕も堅固なものを律儀に作る。柵と塹壕で守られた長方形の空間に整然とテントが並び、ちょっとした軍事基地だ。その中にはバリスタなどの兵器も置いてある。
帝国軍に奇襲をかけるため、灌木に軍を潜めて夜になるのを待つ。
魔物は夜目がきく。松明は必要ない。夜中の奇襲は魔物に有利。
20中隊ある歩兵部隊を4個中隊ずつに五分し、四つに陣幕を四方から囲ませ、同時に突撃させる。残りのひとつには応援を呼ばせないよう、陣幕の周囲を固めた。
見回りの歩哨が魔物の奇襲に気づき、金属板を叩いて中の兵に知らせると、にわかに陣幕の中が騒がしくなる。魔物たちが歩哨を殺し、柵を壊したところで胸当てと剣を装備しただけの帝国兵たちが飛び出してきた。訓練が行き届いているおかげで、こんな状況でもパニックにならず、小隊ごとに集まって魔物との戦闘を開始した。軍団長は見張り台に登り、そこで全体を俯瞰しながら的確な指示を飛ばす。
戦況が膠着してきたところで、狼部隊を解き放った。ホブゴブリンがオーガに指示を出し、見張り台を破壊させる。それでも軍団長は一歩兵として戦い、オーク数十匹を殺したあと、狼たちに食い殺された。戦闘は一晩中続き、朝になってようやく最後のひとりが倒れる。
このとき、逃げた帝国兵はひとりもいなかった。一個軍団6千人、全員が討ち死に。こちらの損害もあったが、得たものは大きい。
帝国の武器と陣幕をホブゴブリンに見せ、その模造品を作らせることに成功した。だがオークもオーガも複雑な機械は使えないので、これらを活用するためにももっと多くのホブゴブリンを手に入れる必要がある。
この周辺には五つホブゴブリンの集落がある。そのうちのひとつに向かった。
前と同じように、ホブゴブリンの集落で演説を行い、ホブゴブリンたちを味方につける。これもうまくいき、新たに獲得したホブゴブリンを連れて二つ目の集落に向かう途中のことだ。
別行動中の第2軍を率させてきたホブゴブリン数匹が狼に乗ってこちらにやってきた。狼もホブゴブリンも満身創痍で、戦いがあったのだとすぐにわかる。応援の要請かと思い、そのホブゴブリンが書いた手紙を受け取った。それを読んで、我が目を疑った。
帝国軍の攻撃を受けた第2軍の五個軍団、壊滅。生き残ったのはホブゴブリン7匹、狼22匹。オークは逃げ散ったので被害はわからないが、手元に残らなかったという意味では全滅と同じだ。
帝国の一個軍団を全滅させ、技術を奪った代わりに、五個軍団と多数の狼をまるごと失った。
それからホブゴブリンと狼を使って情報を集める。
五つに分けていた軍勢のうちのひとつを全滅させられたと知ったマヤはただちに全軍を集結。それと並行して斥候を放ってこちらの動きを把握し、第2軍の進路を先回りしてこれを殲滅した。その後も中隊別に行動して帝国領に攻撃を仕掛けていた第3軍を各個撃破しつつ、こちらに向かってきている。
まずい。かなりまずい。
ここで本軍まで壊滅させられたら再起はまず不可能といっていい。ホブゴブリンは知能が高い。俺の敗北を知れば手下に加えるのも難しいだろう。
どうすればいい。
挽回? マヤを相手に?
いや、それ以前にマヤの目的はなんだ。そもそも、俺を倒すことが目的なら最初から全軍を使って俺を攻めてくればいい。それをせず、魔物の群れを蹴散らしながら森林地帯をめぐり、今度は五つの部隊に分かれての行動。
動きが読めない。
けれど、マヤは読んでいる。俺の動きを。でなければ第2軍の進路に先回りしての迎撃などできない。
「くそっ」
いや、落ち着け、俺。思い出せ。マヤ・ユリウス・アイリアには頭脳戦では絶対に勝てない。
深呼吸する。
魔物の大団結を組んで数でごり押す、それが俺の戦略だ。鮮やかな勝利を決めることじゃあない。
今の俺にできるのは、逃げの一手。
俺は全軍を率い、小隊ごとに分けて森の中に潜ませつつ、森の中央部に身を隠した。
マヤは第3軍をすべて片付けると、森の奥深くに入ってきた。森の中に潜ませていた小隊がいくつか潰されたが、俺が潜んでいるあたりまでは来ず、適当なところで切り上げ、再び五つに分かれての行動を開始した。それぞれの隊は何かあれば応援にかけつけられる程度の距離は守りつつも、森のすべてを監視できるような配置を保ち、その上で魔物の群れや集落をひとつずつ潰している。
行動できない。魔物の群れを集めようにも、こちらが動けばすぐに手近の軍団がかけつけ、それと戦っている間にマヤ率いる本軍がやってくる。
できることといえば、情報収集くらいだ。狼に乗せたホブゴブリンの小隊を作り、森中に散開させて地勢、魔物の分布を調べ、帝国の行動を探る。
すでにかなりの数の魔物がやられたが、まだ森全体で200万はいる。30万くらいはかき集められるだろうし、それだけあれば相手がマヤといえど数で押し切れるはず。
だが、やはりマヤの戦略は緻密で、俺はなんの行動も起こせないでいた。その状態で一ヶ月が過ぎたとき、ようやく事態が動いた。
この森の東の果てには、大渓谷があり、そこがこの世界の果てとされている。マヤはその渓谷に橋をかけ、対岸に渡った。帝国にそれほどの長さの端をかける技術はないはずだが、マヤが新技術でも発案したのだろう。あとで見に行ったら、吊り橋がかかっており、その周辺を五個中隊が守っていた。
なんの意図があってかはわからない。だが、これはチャンスだ。
鬼のいぬ間に洗濯、マヤのいぬ間に軍勢集め。どのくらいの期間、向こうにいるのかはわからないが、この時間で30万の軍勢を集め、迎撃体制を整える。
俺は森中に散らせていた軍勢を集めた。今、手元にあるのは二個軍団と狼3千、ホブゴブリン134匹。
俺はまた、軍勢を三分した
俺はホブゴブリン20匹と若干の狼を率いてホブゴブリンを説得して回る。残りは二等分して、ホブゴブリン指揮のもと、森の中にいるオーク、オーガ、狼の群れを吸収していく。
やはりホブゴブリンは頭がいい。俺が魔物の軍を集め、帝国と戦い、大敗したことも知っていた。それでも説得を繰り返すと多くの集落は配下に加わることを承知する。
途中からは俺自身が説得するのに加え、ホブゴブリン20匹の班を作り、狼に乗せ、また護衛の狼をつけて同族の説得に向かわせる。これで効率はあがった。
あとは巨人も手下に加えられたらいいのだが、それは前に失敗した。
どうすればいいのかと悩んでいるとき、狼を乗りこなすホブゴブリンを見て、ふと思いついた。それを試すため、そこらへんをうろついていた巨人を生け捕りにする。
巨人は身長5メートルほど。赤い肌に、顔の中央に大きな目がひとつだけあり、口は耳元まで裂け、黄色い髪と、角が生えている。ビジュアル的にはオーガより鬼っぽいが、知能は低く、一度走り出したら途中で曲がれない程度にはバカなので、やはり日本の鬼とは違う。
この巨人を痛みで調教しておとなしくさせ、ホブゴブリンを乗せてみた。結果、ホブゴブリンは見事に巨人を乗りこなせた。
この方式なら巨人も軍隊に加えられる。
最初は狼の群れを率い、ついでオーク・オーガのナワバリを加え、さらにホブゴブリンで組織化し、戦車級の巨体を持つ巨人まで手に入れた。帝国側は俺のことを魔王と呼び、また俺が率いている魔物の群れを魔王軍とも呼ぶらしい。
これで俺は五種族混合の、その名に相応しい、魔王の軍勢を持つに至った。あとは数さえ揃えば決戦の舞台は整う。
魔王対帝国。俺はマヤに勝ち、帝国を滅ぼし、そして——そして、どうしたいんだろう。わからない。
どっと疲れがやってくる。そのときふと、最初にマヤと会った、あの夜のことを思い出した。
俺はきっと勝ちたいのだと思う。いままで誰にも選ばれず、相手にされず、惨めで、悔しかったから。
けど、あの少女に勝つことができれば、マヤ・ユリウス・アイリアをくだすことができれば、そのすべての敗北を帳消しにしてあまりある。
俺はマヤに勝つ。こんな惨めな人生、終わらせてやる。
帝国なんてどうでもいい。過去なんてもう気にしない。考えている余裕がない。頭は戦術戦略のことでいっぱいだ。
「…………マヤ」
つぶやいたところで、返す声はない。周りに魔物しかいないから当たり前だ。
ふっと、笑みが漏れた。必ず勝つ。この戦いだけは。
それからは本気で熟考する。30万集めたとして、それでどうする? 大渓谷から戻ってきたマヤを全軍で出迎えるのが普通だ。しかし、普通の戦略なら読まれる。別の場所に橋をかけて戻ってこられたら30万はなんの役にも立たない。
軍の配置という問題が新たに浮上した。マヤの立場ならどうするか考え、その行動を予想し、戦略を練る。
まず、橋を出てきたマヤを挟み撃ちにするように二つの部隊を置くか。いつ戻ってくるかわからない以上、長期間滞在するための基地を築く必要がある。それはホブゴブリンに作らせらばいい。そこに歩兵と狼の部隊を駐屯させ、ホブゴブリンに基地の運用、軍勢の指揮を任せる。
また、マヤが別の道をとったときのため、森中を監視できるように基地を置かなければならない。ただ基地をぶったてたところですぐに攻め落とされる。山や川、泉、沼地、他の基地との連絡、それらを駆使して攻め落としにくい基地を作る。塹壕も深くし、柵もより堅固に。
新たに獲得した巨人部隊も戦術に組み込み、マヤと戦うことになったときのための布陣も考える。
考えすぎて頭が破裂しそうだ。けど、俺程度の頭を振り絞ったところでマヤは出し抜けない。だから、これじゃあまだ足りない。空自にいたころ、同期のやつにチェスを誘われて、そのときは断ったが、チェスでもしてれば少しはマシな戦略を考えれたかもしれない。
いや、ないものねだりしても仕方ない。
基地の配置を決め、帝国軍の動きをシュミレートしてみる。またたく間に三つの基地が落とされ、俺は追い詰められて死んだ。これじゃあダメだ。
配置を変え、またシュミレート。やはり死んだので、また変えて、シュミレートして。
1日1日、時間はすぎていく。基地の配置は決まらず、けれど魔王軍はどんどん膨らんでいく。マヤがいつ帰ってくるかもわからない。
俺は思考を切りやめ、ホブゴブリンに作らせた地図に×印をつけていった。これで勝てる気はまるでしない。けれど、これでいくしかない。あとはそれぞれの基地をどれだけ堅固堅牢に作れるかだ。
すべての基地を作れる時間があるとは思えないので、優先順位をつける。最初に作るのは橋周辺の四つの基地だ。
俺は新たに基地造りのための班を編成した。
ホブゴブリン20匹からなる技術班を五つ、力仕事のためのオーガと巨人をそれぞれ30匹と10匹。さらに護衛・索敵のための狼部隊500匹。それらをつれて基地の建設予定地に向かう。
四つの基地の配置だが、まず橋の出口を囲むように三つ、そしてその三つのを俯瞰できる後方にひとつ。この後方が本営で、俺と5万の軍勢がここにこもる。ほかの三つにはそれぞれ2万づつ。この四つが第一防衛線だ。
本営は背後に急峻な崖がそそりたち、右手に川、左手には沼地が広がる。天然の要害、というやつだ。ほかの三つの基地も川などで守られている。
工事は本営から着手した。
技術班に一週間で敵軍五万の軍勢の攻撃に耐えられる基地を作れと命じた。無理は承知だ。ホブゴブリンたちは抗議したが、これができなければ魔物は人間に滅ぼされるだけだと言い渡した。
ホブゴブリンたちは相談し、これまでの集落を作る方法では不可能だと判断したらしく、新しい方法を模索し始めた。その結果、基地を構成する要素を、柵、塹壕、基地の柱や壁、武器などのようにわけ、ひとつの班がそれだけを専門に作り、残りの班ができたパーツを組み立てることで建設速度を一気にあげる。作業途中で柵作り班が、班内で行なっている作業をより細かに分割。木を切る、紐を作る、組み立てる、の三つに分け、流れ作業を行うことでさらに効率をあげる。それを他の班がまねし、基地の建設は五日で終わった。この作業方式を徹底し、ほかの三つの基地もそれぞれ三日で作る。予定通り、本営に五万、三つの小基地に2万づつの軍勢を入れ、小基地はホブゴブリンに基地の運営、軍勢の指揮を一任する。また、戦況によっては独断で軍を動かす権限も与えた。これでかなり柔軟に対応できるはずだ。
また、三つの基地と本営の間は、連絡が用意なように木々を切り倒して道を作った。これで応援に駆けつける時も迅速に行動できる。
ついで、この本営から北に4つ、大渓谷をすべて監視下におけるよう、基地を配置する。この四つができるのと同時、別行動していた軍勢から、目標の数の魔物を集められたと報告が届いた。
俺は森の中央部に全軍を収集した。
全軍を並べられるよう、オーガと巨人に命じて森の木々を取っ払い、更地にする。技術班に命じて台を作らせ、それに登った。
なかなかの景観だった。
オーク、オーガ、狼、、ホブゴブリン、巨人。総勢32万5千。オーク・オーガは6千ごとの軍団に分かれて方形を組み、それがさらに中隊、小隊と分かれている。狼とホブゴブリンは20匹ずつの小隊を組み、歩兵の横に。そして後ろには横一列にホブゴブリンの御す巨人たち。
口元がにやける。なんだこれ、すげえ、テンションあがる。
「いいか、よく聞け! 今日からお前らはただの魔物じゃない。この俺様に率いられる魔王軍だ! 俺は魔王の名において、帝国の将を打ち、そして人類を滅ぼす!! 勝利するのは俺たちだ!!」
言葉を理解できるのはホブゴブリンだけ。それでも空気は伝わったのだろう。魔物たちが一斉に雄叫びをあげる。ホブゴブリンたちは鳥の鳴き声みたいな声を、狼たちは遠吠えを、オークは鼻息を荒く鳴らし、オーガは鼓膜が破れそうな覇気こもる雄叫びをあげ、巨人は耳元まで裂けた口をめいっぱい開けて恐竜のような鳴き声をあげる。
旗でもあればカッコつくんだが、そんなのは思いつかん。
軍旗も標語もない、ただ目標だけは明確で、それさえあれば十分だ。
新兵の訓練と基地建設を急ピッチで進める。訓練はこのとき作った広場を使い、すべての技術班で情報を共有させ、効率的な作業法を発明できたらただちにほかの班と同期、加速度的に作業効率をあげる。
訓練メニューに新しく模擬戦を加え、さらに予想に反して基地は予定地すべてに建設できたので、これらの基地を核として、その補強のための基地を作り、それらの基地をつなぐ連絡路をより広く、まっすぐに通して、歩きやすいよう地面を踏み固めた。
訓練なった軍勢をそれぞれの基地に置き、俺は古参兵で編成した親衛隊を率い、第一防衛線の本営に入った。
これで完全に迎撃体制は整った。あとはマヤが帰ってくるのを待つだけだ。
すべてが順調に進んでいると思った。だが、まったく予想していなかった問題が起きた。
マヤの帰りが遅すぎるのだ。
一週間たち、一ヶ月たち、最初は士気も高く常に小隊ごとに行動していた魔物たちだが、だんだんと気が緩み、バラバラに行動しだす。軍の中核をなす狼たちですら、命令もないのに勝手に外に出て狩をはじめる始末。本営がこれでは、ほかの基地はなおさらだ。あるところなどは基地の運営をしているホブゴブリンたちにオークが遅いかかり、狼を護衛につけていなければ基地が内部崩壊するところだった。
こういうときは知能が高い魔物ほど我慢もきく。ホブゴブリンはひとりも軍紀を乱していない。だが、アホなオークや、オークよりはまだマシなオーガですら、退屈な基地生活に飽き始めていた。
本で得た知識には限界がある。まさか準備を整えるのが早すぎることに弊害があるなど思いもしなかった。兵は遊ばせておくとただの暴徒に成り下がる。
基地の強化や、新たな連絡路の開通など、新たな仕事を与えて魔物たちを働かせておけと、基地長のホブゴブリンに通達。それでしばらくは持つが、やはり魔物が欲するのは人間の血であり、戦いだ。あまりに軍紀が緩んだところでは帝国領を襲撃させ、フラストレーションを発散させる。それでもまだ足りないのか、ぽつりぽつりと脱走兵が目立つようになってきた。完璧に整えたはずの防衛体制にほころびが生じる。
まるでそれを読んでいたかのようだった。いや、読んでいたのだろう。
マヤ・ユリウス・アイリア出現の報が届いた。
ただちに全軍に通達し、迎撃体制を整えるよう命じるが、気の緩んだ軍隊は機能しない。通達は遅れ、それが届いてからも行動が遅い。それでも第一防衛線だけはなんとか復活できた。まずは三つの基地から兵を出してマヤの軍に襲撃をかける。それで足止めしている間に俺が本体を率いて応援にかけつけ、少しでもマヤの兵を減らし、疲弊させる。これを繰り返すことで徐々に相手のスタミナを削っていき、最後に圧倒的な数の兵を投入して一気にカタをつける。これが基本戦略だ。
用意していた戦略通り、三つの基地から兵を出してマヤの軍のもとに向かわせた。半日もせずに出会するはずだ。そこから戦闘がはじまり、四時間は持ちこたえるはず。
頭の中で時間を計算しつつ、軍勢を率いて外に出た。全速力での行軍。見る間に本営が小さくなっていき、一番近い小基地を通過。そこからしばらく行ったところで、狼に乗ったホブゴブリンが正面から全速力で走ってきた。前回のことを思い出し、また全滅したのかと焦ったが、今回は無傷だ。ホブゴブリンにも必死さがない。けれど、困惑は見て取れた。ホブゴブリンから手紙を受け取る。
『橋を渡り、大渓谷から帰ってきたマヤはそこからまっすぐ進み、迎撃軍とぶつかる寸前に姿を消した』
「どういうことだよ?」
尋ねると、ホブゴブリンは「私にもなにがなんやら」的なことを身振り手振りで伝えてくる。
思考が白く飛ぶ。どうすればいいのかわからない。
ありとあらゆる可能性を検証したはずだった。マヤが戻ってくる時間、大渓谷を渡る場所、その後の行軍進路、だが、軍勢が突如消えるなどだれが予想できるだろう。
相手の行動によってこちらの行動パターンも決めていたが、予想していない行動ではどうしようもない。だが、じっとしていては相手の思う壺だろう。どうすればいい。
とにかく一度戻ろう。
今度は歩いて基地に戻る。ほかの三部隊にも帰還命令を出した。一応、斥候を出して敵軍を探す。消えた部隊だ。そう簡単に見つからないだろうと思った。けど、俺の予想はことごとく覆される。
マヤの部隊が発見された。最低限の荷物だけを持ち、荷馬車すら連れず、全速力でこちらの本営に向かっていると。
俺は率いていた本隊と三つの分隊に本営への、全速力以上のスピードを出しての集合を命じた。
最初に到着したのは本隊だ。ついで近場にいた部隊から本営に入ってきた。第一、第二部隊を本隊の左右に、第三部隊を前方に配置。最前面にはホブゴブリンが操る巨人を並べる。帝国軍が来るや、巨人を進撃させて敵を撹乱。続いて第三部隊に突撃させ、本隊含む三つの部隊で包囲壊滅戦に移行する。
そそり立つつ崖を背に、敵が来るのを待った。雑多な魔物の群れも、今ばかりは物音ひとつ立てない。緊張で身体がこわばる。正面の門を凝視していると、ようやく帝国軍で使われている、突撃のラッパの音が鳴り響いた。つづいて、オーガですら気圧される鬨の声。
待ちに待った瞬間のはずだった。今、俺が率いているのは11万の軍勢。マヤが率いているのは、遠征で数を減らした5個軍団とバレルタ騎士団。正確な数は不明だが、3万は越えないはずだ。さらにこちらは天然の要害に築いた基地の中。数の優位、地の利、すべて完璧に用意した。
けれど、凡人がどれだけ策をめぐらし、ありとあらゆる可能性を考え準備に準備を重ねたところで、天才はただの一手でそれらをすべて覆す。
帝国軍の鬨の声は、背後から聞こえた。土石流のような轟音とともに、マヤ率いる帝国軍は崖を駆け下りてきた。
それだけですべてが逆転した。
まず、この布陣。三方を崖、川、沼地に守られ、正面の敵を迎え撃つ布陣は、完全に裏目に出た。背後から攻められては巨人部隊は使えず、全軍を反転させるのに時間がかかる。そして、突撃のタイミングはマヤが握っていた。つまり、敵はすでに勢いに乗り、こちらはまったく動いていない状態。精神的にも効果は絶大で、すでに魔物たちは敵軍に呑まれている。
それでも救いはあった。
魔王軍は帝国軍の真似をし、隊ごとに方形をとって布陣している。当然、その長方形同士の間には隙間があり、それが通路として使えた。ホブゴブリンは小回りが効く。巨人を反転し、その通路を通って敵軍にぶつけた。しかし、マヤの手勢は巨人の急所を的確に攻撃し、効率的に非戦力化する。この時点で俺はここでの戦いを諦めた。
本隊と第二、第三部隊に敵軍を足止めするよう命じる。俺は無傷の第三軍だけでも率いて逃げる。それが最尤のはずだ。
命令通り、三つの部隊が敵軍に襲いかかった。数では有利だが、優勢になれない。理由を考えて、すぐ思い至った。ここは基地の内部。空間は限られ、大きすぎる軍は身動きが取りにくい。対してマヤは
バレルタ騎士団を中心に精鋭だけを率いてきたのだろう。1万以下の軍勢で、狭い空間を利用してこちらの軍を手堅く削っていっている。崩れるのは時間の問題。さっさと逃げたほうがいい。
だが、そこでまた鬨の声。今度はなんだと思えば、右手の沼地を帝国の歩兵たちが渡ってきた。こちらの軍の右翼に襲いかかり、これで完全に戦況は定まった。
俺は動けないでいた。
なぜだ。あの沼地は狼でも歩けないことは実験済み。鎧を被った歩兵に渡れるはずがない。
目を凝らして沼地を見渡して、ふと気付いた。水がひいている。普段は入れば腰まで沈む沼地のはずなのに、今は帝国兵の膝丈の深さしかない。
ありえないありえないありえない。
ここは陸地の中の沼だ。海じゃあるまいし、干満などあるはずがない。
けれど、ただの事実として、今は水がひき、帝国軍はそれを渡ってきて二度目の不意打ちをかけ、自軍は崩壊寸前。
考えなくていい。とにかく今は逃げろ。
第三軍に命じ、正面出口から飛び出す。そこで目にした光景に、もはや笑みがこぼれた。
帝国のバリスタ部隊が待ち構えていた。
将校の命令一下、一斉に矢が放たれる。ここに来てようやく俺の頭が動いた。
オーガ部隊に突撃を、狼部隊に急停止を命じる。オーガが前に出て肉の壁となり、狼はその後ろを通って森に入った。
俺が連れて行けたのは狼部隊だけ。ほかは死んだか、森の中に逃げて野良魔物に戻ったのだろう。
この日、魔王軍は初戦で11万を失った。残り21万。第一防衛線破棄。第二防衛線も11万を失っては機能しない。第三防衛線へ後退。
第三防衛線は本営を持たない体制だ。第二防衛線の本営は国境をすべて視界に収められる位置に作り、それを核として周辺に小基地を築いていた。帝国に帰るマヤを迎え撃つためだ。つまり、第一防衛線はここで勝てれば儲けの賭け、第二防衛線が本命で、第三防衛線は保険だ。本営を作らないことで完全な敗北を避け、拠点をつぎつぎと乗り換えることで時間を稼ぎ、俺の本隊と別に二部隊を編成、ひとつは野良魔物の群れを集めて配下に加えることでこちらの損失を埋め、もうひとつの隊は何部隊にも分かれて散発的に特攻をかけることで敵軍をじわじわと削る。ぶっちゃけただの泥試合だ。
けど、それでいい。マヤ相手に鮮やかに勝つなんてどだい無理な話だ。何度負けても這い上がり、あがいてもがいて、最後に勝てればそれでいい。
ずっと、そうやって生きてきたから。