魔王
この世界で人間が住んでいるのは帝国領内のみ。なら、帝国滅亡が世界を滅ぼす第一歩だ。
俺は鬼化したことでかなり強くなっている。しかし、いくら力が強くてもひとりで一国を落とすのは不可能だ。俺は考え、とある魔物にあたりをつけた。
森を走り回ること三日、目当ての魔物を見つける。白い、体長2メートル越えの狼だ。二十匹ほどの群れ。
この狼は常にボスを先頭に群れで行動する。ほかの群れを襲って戦い、負けた群れは勝った群れに吸収される。大きな群れだと200匹以上。二十匹なら小さいほうだ。
けど、最初はこれでいい。
狼たちはすでにこちらに気づいている。突っ込んでいくと、向こうも雄叫びをあげ、何匹かがこちらに向かってきた。それらを蹴散らし、ひときわ大きな個体、群れのボスに、殴りかかった。
勝負は一瞬でついた。ボス狼の頭はくだけ、脳漿が飛び散り、残った胴が地面に倒れる。その身体を裂いて、心臓をえぐりだし、食らった。
効果はすぐにあらわれた。
周りの狼たちが俺にひれ伏した。俺をボスと認めたらしい。
俺は狼たちを引き連れ、別の群れを探しに出た。
群れは森のあちこちに散らばっていた。最初はしらみつぶしに探していたが、途中で古代の武将が使っていた索敵法を思い出し、それを使う。五匹で隊を組ませ、何隊かを波状に送り出すのだ。これを定期的に行い、周囲の地勢、魔物の位置を探り、狼の群れならば襲って自分の群れに加える。教師になるため、古代の武将の逸話を学んでいたのだが、こんなところで活きるとは思わなかった。
身体はというと、狼の心臓を食らってすぐには変化なかったが、一週間ほどすると歯が伸びて牙になり、爪も刃物のように鋭く、硬質なものに変化した。あとは足の速さ、ジャンプ力、俊敏さ、嗅覚などが総合的に向上している。
身体の変化が終わるころには俺の群れは七十匹にまで膨らんでいた。まだ二百匹の群れに突撃するのは早いかと思ったが、記憶の隅にあった古代の名将の逸話を思い出す。かつて、帝国がまだ小さな都市国家でしかなかった時代、とある大国に目をつけられ、兵力では圧倒的に劣るルース側の将が考案した戦術だ。これによってルースは十倍以上の兵力差がありながらも圧勝を続け、ついには危機を乗り切った。この戦術は使える。
ここら一帯の魔物の分布は把握している。東に30キロ行ったところに、ニ百匹越えの狼の群れの住処がある。
日帰りで往復できる距離。
俺は移動しながら、狼たちを二つのグループに分けた。若い狼と、比較的老いた狼。それで布陣を組む。
スピードでは劣るも、ベテランの狼たちを中央に、経験は浅いが俊敏な若い狼たちをその左右に配する。ベテランたちにはあらかじめ指示を与え、俺は右翼の指揮、左翼は副ボス格の狼に任せる。数は中央30、右翼20、左翼20。これでニ百匹の群れを襲う。
相手の群れは開けた草原地帯にいた。500メートルを切ったところで向こうもこちらに気づき、殺意を飛ばし始める。威嚇では追い散らせないと知るや、何匹かが飛び出してきた。それは中央の狼たちが片付ける。こちらの実力を見て取るや、相手の群れのボスは雄叫びをあげて走り出した。配下の狼たちもそれに従う。
二つの群れは衝突し、戦いは俺の予想通りに進んだ。
まず、中央の老狼たちが相手を足止めする。そのすきに左右の若狼が相手の脇と背後に回りこんだ。あとはこの包囲網を縮めていく。
狼の魔物は騎兵と同じく、助走をつけて相手に突撃することで、その威力を発揮する。
相手の群れは狭まる包囲網の中、助走をつけることなど叶わず、つぎつぎと食い殺されていく。戦意が失われたところで、俺はひとり飛び出し、敵のボスを討った。
ボスが討たれると、ほかの狼たちも降伏する。
この日の戦いで俺の群れは230匹にまで膨れ上がった。その後、一ヶ月かけて狼たちを兵士に仕立て上げる。二十匹つづの小隊に分け、縦五匹、横四匹の長方形のままで常に行動させる。さらに移動のときも右翼、中央、左翼の順で行動し、敵を見つけるやそれを横に並べてただちに戦闘を行う。この本隊とは別に精鋭だけで遊撃隊を編成し、それも戦術に組み込んだ。
群れは五百匹にまで増えた。そろそろいいだろう。
俺は狼たちを率い、帝国領に向かった。
国境の河を渡ると、一面の小麦畑。500匹以上の魔物の群れを見た農民たちは作業どころではなく、悲鳴をあげて逃げ回る。その中のだれかが告げたのだろう、騎士団が出てきた。国の正規兵ではないところを見ると、ここはどこぞの貴族さま個人の別荘の中の土地か、あるいは別荘の近くの農耕地帯か。
まあ、どっちでもいい。
俺は狼たちを敵に向けて走らせたまま布陣を組む。相手の騎士団の兵たちはまず、魔物を率いているのが人間であることに驚き、ついで整然とした陣形を組んだことにも困惑の色を示す。
俺は体長三メートルほどの狼に乗り、中央を指揮する。両翼は配下に入れた群れの、かつてのボスに率いさせた。敵の騎士団はいまだに困惑が収まらず、隊長が怒鳴り声をあげて隊列を組ませているが、綺麗に兵達が並ばない。それでもようやく布陣なり、こちらに向かってくる。
敵は600騎といったところ。だが、バレルタ騎士団ほどの戦闘力はない。さんざんに蹴散らし、逃げ帰る兵のあとを追って貴族さまの別荘にまでたどり着いた。ついでとばかりそこを襲撃し、狼たちを放して自由に人を食わせる。
索敵に出していた隊から正規軍の接近の知らせが届くと、狼たちを連れて屋敷を離れた。まだ六千人単位で行動する正規兵を相手にはできない。狼500匹はかなりの戦力であり、戦術を駆使し入念に準備すれば一個軍団くらいは全滅させられるかもしれない。だが、帝国の滅亡には繋がらない。
人間相手に戦って勝てることはわかった。今回の成果はこれで十分だ。
俺は次の目標を立てながら、狼たちと森に入った。
狼たちがとってきた獣の肉を焼いている間、果物をつまみつつ計画を練る。
帝国の兵力、バレルタ騎士団、森林地帯の魔物の分布、生態、それらの条件をもとに帝国を滅ぼすための算段をつける。
まずはこのまま群れを増やす。しかし、狼はいわば騎兵。正規軍を相手にするなら歩兵が欲しい。最終的な目標は、歩兵5万騎兵4万、これだけあれば帝都を陥落させられる。だが、実際に狼たちを率いてわかったが、軍が膨れれば膨れるほど、指揮をとるのが難しい。指揮系統の確立と、命令伝達のシステム化。狼の知能ではそれも限界があるが、知能の高い魔物もいる。それらを利用すればより綿密な軍事行動が取れる。当然、こちらの決戦兵力は狼部隊だが。
考えていて、どうしても気になるのはあの少女の存在。俺が帝国から逃亡した日、一度だけ剣を交えた、バレルタ騎士団の少女。
いや、いい。俺は別に一対一の試合に行くんじゃない。数の暴力で押せばどれだけ強い個人がいようがなんの意味もない。
食事を終え、行動を開始する。とうに日は暮れているが、狼たちは夜行性だ。大軍を率いる必要はないので、二十体ずつ組んだ小隊を五つだけ連れて行く。十分も走ると洞窟が見えてきた。入り口付近にはオークがたむろしている。
豚顔だけに鼻がきくのか、まだ距離があるのにオークはこちらに気づいた。先行隊にオーク五体を殺させると、残ったオークは洞窟の中に逃げ込む。
一個小隊だけを連れ、洞窟の前まで来た。残りは30メートル後方に控えさせる。
待っていると、やがて洞窟の中から、重い足音。あらわれたのは黒い鬼、オーガ。
出てくるや咆哮。ただの狼ならそれだけで逃げるだろうが、兵士化した狼たちはたじろきもしない。
オーガが一声うなると、棍棒を持ったオークたちが襲いかかってくる。狼十匹を出してそれらを蹴散らすと、今度はオーガが自ら出てきた。狼を殴り、蹴り、食い殺し、向かってくる。
俺は乗っていた狼の腹を蹴り、前に進んだ。持っていた槍を投げてオーガの目を貫く。
「があああああああああ!!!!!」
オーガは悲鳴をあげるが、槍をへし折って向かってきた。狼を操り、その背後に周り、剣で斬りつける。が、やはり皮膚は硬く、剣のほうが刃こぼれした。仕方ないので狼から飛びおり、直接殴った。
やはり殴り合いならこちらに分がある。
ただの人間のときにオーガと渡り合った俺だ。オーガの肉を食らった今、ただのオーガごとき敵じゃない。
足をへし折り、肩をえぐり、手刀で腹を貫く。
オーガは息絶え絶えになりながらも反抗してきたので、狼に喉を食い破らせる。それでもさすがのタフさで、まだかすかに動いていた。オークたちはといえば、自分たちのボスがやられたのを見るや一目散に逃げ出す。
「失敗か」
俺は狼たちに命じてオーガを食わせる。さしものオーガも骨だけになったら死ぬだろう。
オーガは、こう見えてかなり賢い魔物だ。基本的には一匹だけで行動するが、ナワバリを張って、その範囲内のオークを手下として使う個体もいる。こいつはここら一帯のヌシで、70匹のオークを従えていた。ただ、オーガは同族同士で群れることはなく、そのためナワバリもそこまで大きくはならない。以前、アンの街を襲ったオーガは百匹以上のオークを連れていたが、あれはかなり大きな群れだ。オークを従えることはできないが、オーガを手下にできればその下のオークも手に入ると思ったのだが、うまくいかなかった。
が、歩兵戦力はどうしても欲しい。ほかのオーガを当たってみよう。
俺は狼たちを従え、別のオーガのナワバリへ向かった。
何度か同じことを繰り返したが、一匹のオーガも手に入らない。そこでやり方を変え、狼たちをオーガと戦わせてみたら、これがうまくいった。
一個小隊を送り出すと、苦戦しながらも狼たちはオーガを戦闘不能に追いやった。殺してしまっては従えるもなにもないので、そこで攻撃をやめさせる。オーガはタフな上に回復も早く、30分もすれば全快して狼たちに襲いかかった。そこでまた狼たちは苦戦しながらも倒し、されどオーガはまた復活し。これを繰り返すうちに狼たちも戦い方を学んできたのか、効率的に連携しながらオーガの身体を破壊できるようになった。
五度、六度とオーガを瀕死に追い込み、そのたびにオーガは復活してくる。しかし七度目の復活で、オーガは向かってくることなく地面に仰向けに寝転んだ。それが降参の合図なのだろう。狼が俺のほうへアゴを向けると、オーガは俺のもとまで歩いてきて同じポーズをとった。一度降伏するとあとは従順なもので、ナワバリ内のオークたちを連れて、俺の群れに加わった。
この方法はオーガを手に入れると同時に、狼を精鋭化するのにも役に立った。
最初にオーガを殺した小隊の生き残り12匹は、戦闘技術が向上し、連携も強くなっている。その中でとくに強そうな一匹を小隊長とし、そいつに命じてほかのオーガを手下にして連れてくるよう命じると、見事オーガを従えてきた。俺のほうでも小隊を率いてオーガを手下にし、精鋭化した小隊は別個に行動させる。これによって俺の群れは爆発的に拡大した。
初日はオーガ4匹、その配下のオーク170匹を手に入れ、三日でオーガ33匹オーク1300匹。オークが3千を越えたところでオーガ・オーク部隊の編成を行う。
狼が騎兵なら、オーガ・オークは歩兵だ。騎兵のときは騎士団の編成を真似たが、今回は帝国の正規軍の編成を真似る。
60体のオークで小隊を作り、オーガに率いさせる。10個小隊で中隊。中隊長にはオーガの中でも100匹越えのオークを従えていた個体に任せる。帝国軍ではさらに10個中隊で一個軍団となるが、魔物の群れでそこまで明確な組織を作ることは難しいので、作るのは中隊までにしておく。
オーク・オーガ部隊を兵士化する作業の片手間、別の魔物二種の獲得に向かったが、これは完全に失敗した。
ホブゴブリンという、知性の高い魔物は知性が高すぎるゆえに、こちらがいくら力を示しても弱肉強食の原理に従わない。
巨人という、名前のまんまでっかい人形の魔物は、こちらはアホすぎて指揮系統もあったもんじゃない。
当初の予定では狼から成る騎兵、オーガ・オークの歩兵、そしてホブゴブリンと巨人でそれぞれ部隊を編成し、この五種の魔物で帝国を滅ぼそうと思っていたが、三種で決行しなければならなくなった。
まあ、いい。歩騎混成軍10万が絶対目標だ。これさえ成れば、なんとかなる。
オーガ部隊もまた中央、右翼、左翼に分け、団体行動を叩き込む。ホブゴブリンがいればもっと細かいこともできたのだが、それは仕方ない。
秋が過ぎ、冬も過ぎて、また春になる。雪解け水が心地い季節、ようやく軍の編成が成った。
騎兵4万5千、歩兵4万の大部隊。騎兵に偏ってはいるが、十万はそろえた。
さあ、戦争だ。
全軍を率いて国境の河を渡り、北方属州に入る。すぐに住民が気づき、近くの別荘から騎士団が出てきたが、こちらの軍の規模を見るや尻尾巻いて逃げていった。
まず目指すのは北方属州の州都。そこから街道に乗り、一気に帝都を攻める。当然、帝国側だって黙ってやられはしないだろう。さっそく正規軍が出てきた。その横には、さきほど逃げた騎士団。軍の大きさから見て、正規軍三個軍団に騎兵千騎ってところか。
両軍の距離が二キロのところで軍をとめる。若干進路を変え、街道をそれて平原地帯に入った。向こうも会戦は受けて立つつもりなのだろう、こちらに合わせて移動する。
こうして、第一戦ははじまった。
俺が帝国軍の編成を真似たから当然なのだが、向かい合った両軍は完全な対称性を示した。
中央に歩兵、その脇を騎兵が固める。歩兵はさらに中央、右翼、左翼に分かれ、それがさらに前衛、中衛、後衛の三列に分かれる。ただし、帝国軍には弓兵や投石兵など、技能部隊も混じっている。
こちらがただの魔物の群れではなく、組織化された軍隊であることはすぐに気づいたのだろう。帝国側から騎兵の一隊が出てきた。おそらく、交渉役。
予想通り、騎兵たちは近づいてくると大きく手を振って戦意がないことを示す。こちらも騎兵を一小隊だけ連れて前に出た。
「第13軍団、第1騎兵分隊分隊長のヴァッロだ。司令官クインティリウスから交渉を任されてきた」
「俺は……えー、あー、魔王だ。帝国を滅ぼすために魔物を率いてやってきた。交渉する気はない」
俺が適当に言うと、相手は眉をひそめる。
「魔王とは、魔物の首領のことか。見たところ、人間に見えるが」
「そんなもんだ。何度も言うが交渉する気はない。さっさと戻って司令官にそう伝えろ」
「そうか」
短いやり取り。使者は配下の騎兵たちに声をかけ、軍団に戻っていく。
名前を聞かれ、とっさにはぐらかしたが、これだけの数の魔物を従えてるんだ、魔王といったって言い過ぎじゃないだろう。実際、十万の兵を集めれるのなんて一国の王クラスだし。帝国の常駐戦力は25万だが、総動員数は70万だ。もちろん、これは国力を示す数字で、70万人の兵がいっぺんに出てくることはありえないが。
さっそく開戦と行きたいところだが、まだ距離が遠い。全軍に命じてゆっくりと前進する。向こうでも前進の合図。帝国軍の指令はラッパで行われるが、こちらは狼の雄叫びで合図する。
500メートルを切ったところで、一度軍をとめる。向こうもまた同じようにした。どうやら司令官が兵たちを鼓舞する演説を行なっているらしい。人間を率いるなら士気をあげる工夫も必要だが、俺が率いているのは常に人の血に飢えた魔物たちだ。
そばに控える大狼に目配せする。半年以上戦ってきた仲だ。それだけで通じる。
大狼が遠吠えをあげた。それが合図だ。
両翼の狼部隊が走り出した。帝国側はまだ演説が終わっておらず、完全に虚を突かれた形だ。それでもさすがは覇権国家の誇る正規兵。慌てることなく、司令官は手短に演説を締めくくると、開戦のラッパを鳴らした。
だが勢いはこちらにある。
まず、狼部隊が敵の騎兵にぶつかった。遅れてオーク・オーガ部隊も敵歩兵に突っ込む。このときは狼部隊は将官格の狼二匹に率させ、俺は歩兵を指揮していた。
敵は四個軍団2万4千に、騎兵2千。数では圧倒的に劣る。
それでも激戦だった。
とくに帝国正規兵の戦闘力はすさまじく、こちらの歩兵の前衛は壊滅。中衛もかなりの打撃を受けた。しかし、騎兵戦は始終こちらが優位だった。敵の二千に対し、こちらは4万。まず数で圧倒し、さらに狼たちは俺の軍の中核であり、もっとも長く過ごした仲だ。結束も固く、連携も完璧。敵騎兵をあっという間に食い散らかし、敵歩兵の背後と両脇に回り込んだ。
あとはいつもの包囲壊滅戦だ。
横と背後を狼に、前方を俺自ら率いるオーク・オーガに囲まれた正規軍は剣を振り回す空間すら失われ、次々と倒れていった。
この日の戦い、帝国軍の死者歩騎合わせて2万5千、こちらの被害、歩兵1万7千、狼900。
歩兵の被害は大きかったが、勝利には違いなかった。
次の日は精鋭だけを連れて近くの街を襲撃し、そこを奪って軍の休息地に使う。住民たちは魔物に与えて飢えを満たさせた。朝起きたら周囲を敵に囲まれていた、なんて間抜けなことにならないよう、夜中は狼たちを見回りにつかせる。しかし心配していたことは起こらず無事に朝を迎えた。そのまま街を出て一気に州都を目指す。
日が暮れるころ、州都が見えてくる。さすがにその城壁は立派なもので、陥落させられないことはないが時間がかかる。俺の目的はあくまで帝都だ。州都に立ち寄ったのはそこから帝都に続く街道が伸びているから。
州都には攻撃を仕掛けず、帝都まで伸びる街道に乗り、それを南下する。この街道を下れば、魔物の速度なら帝都には6日で着く。
夜になったらまた街を襲撃してそこに泊まる。この日は州都から軍団がやってきが、狼だけで撃退できた。翌日も街道を走っていると、河が見えてきた。北方属州と本国の境界、リヴェナ河だ。アンと帝都に行ったときは大きな橋がかかっていたのだが、それは半ばから壊され、対岸にはすでに布陣なった帝国軍が待ち構えていた。これはなかなかに厄介な形だ。
しかし、進軍以外の選択肢はない。
対岸に渡ったものから各個撃破されるのを防ぐため、こちらも全軍を中央、右翼、左翼の会戦時と同じ形に布陣し、そのまま河を渡る。
帝国の軍団は一個軍団ごとに方形を組んだ布陣なので、何個軍団かは見ればすぐにわかる。今回、対岸で待ち構えているのは六個軍団。軍団付きの騎兵に加え、騎士団も加わっているので、騎兵の数も多い。騎兵の数ははっきりとはわからないが、2万はあるだろう。河を渡る不利もある。今回は覚悟したほうがよさそうだ。
前衛が河に入った。人の胸くらいの深さの河だ。オークでも歩いて渡れる。
中衛が入ってきたところで、帝国側の攻撃が始まった。弓兵たちが一斉に矢を放つ。オーガはなんともないが、オークと、若干の狼はそれで死に、下流に流されていった。
後衛が河に入ろうとしたところで、敵騎兵の突撃。
それと同時、背後から鬨の声があがった。
振り返ると、北方属州駐屯軍が後ろから迫っていた。後ろのオーガ・オークたちは戸惑い、足が鈍る。いくらオーガの知能が高いとはいえ、所詮は魔物。後衛だけは河を引き返して後ろの軍に攻撃させる、などという細かい命令できない。
一か八かだ。
狼に雄叫びをあげさせる。全速力での進軍、突撃の合図だ。
河の中にいた魔物たちは一斉に走って敵に向かい、動揺していた後衛も雄叫びをあげ、一心不乱に河を渡る。
飛び出していた帝国騎兵がまず餌食になった。騎兵を食い殺した狼たちは敵歩兵に飛びかかる。戦術もなにもない、勢いだけの攻撃。いつものように包囲することはできず、狼たちは敵の中央を突破する勢いで攻めていく。オーク・オーガ部隊も戦闘に入り、弓兵たちを蹴散らして敵歩兵に突撃した。
俺はとっさの判断で副将格の狼に狼部隊の全軍と、オーク・オーガ部隊の前衛と中衛を任せ、オーク・オーガ部隊の後衛のもとへ向かう。そこでそいつらに命じて反転させ、河を渡ってやってくる北方属州軍に向かい合った。そのときに、本国の軍に対する狼たちが敵軍を突破し、帝国軍は左右に二分された。
戦線は三つにわかれた。
狼がクサビとなって敵軍の中央を寸断したことで、正面の敵は二分され、背後に北方属州軍。規模は正面右、正面左、それぞれ3個軍団と騎兵一万、後ろに2個軍団と騎兵5千。
最初に崩れたのは北方属州軍。
河を渡ってきたところを各個撃破され、撤退。これで手が空いたオーク・オーガの後衛を二分し、正面の敵の左右にぶつける。
こうしてようやくいつもの包囲壊滅戦にもっていけた。いつもは囲いはひとつだが、今回は二つだ。
今日の戦いでの敵軍の死者は、狼たちを総動員しても数えることができなかった。こちらの被害は歩兵一万に狼八千。残った魔物は5万と少し。
帝国軍に勝つたび、手勢が失われていく。
帝都に向かって街道を南下中、二個軍団ずつにわかれた四個軍団から挟み撃ちにあった。このときも撃退はしたが、こちらも無傷とはいかず、手勢は五万を切った。
それでも帝都にはたどりつき、オーガに城壁を攻撃させる。しかし、田舎町の城壁とは違い、帝都の城壁はびくともしない。
神々の住まう場所、とルース人たちは言うらしい。
攻めてみるとまさしくその通りだと思う。堅牢たる城壁に守られ、建国以来八百年間もの長きにわたって外敵をよせつけなかった街の威容は、神々に守られているとしか思えない。
五万の魔物では包囲もできない。やはり十万は絶対必要だ。
いったん退くしかない。次は、途中で手勢が失われることを計算に入れ、軍を編成し、途中での戦いも効率的にこなそう。
首都を落とせなかったとはいえ、一度目の遠征は成功だ。
俺は魔物をつれ、森を目指して北上した。
北方属州に入り、国境の河が見えてきたころ、後ろから帝国の軍が追ってきていることに気づいた。行軍速度を落とし、敵軍を観察する。
たいした規模ではない。二個軍団と、騎兵3千たらず。しかし、その騎兵の武装に見覚えがあった。
全員が純銀製の腕鎧で右腕を覆っている。バレルタ騎士団の武装だ。リキニウス卿所有の騎士団で、個人が持つ戦力でありながら帝国の最高戦力と呼ばれる騎兵集団。
そして先頭で軍を率いている人物に見覚えがあった。
二十歳になるかならずやという年頃。司令官の羽織る紅いマントに、バレルタ騎士団の武装。右腕の銀鎧に受けた陽光で白く輝く、長い黒髪。
満月の夜、対峙した少女だ。鬼となった俺の身体をたやすく切り裂き、圧倒した少女。
おもしろい。
Uターンを決め、帝国軍に襲いかかった。彼女は指揮杖をふるい、騎士団に突撃を命じる。俺も狼部隊を出した。
さあ、雪辱戦といこう。
彼我の戦力、彼、歩兵2個軍団1万2千、バレルタ騎士団3千。計1万5千。
我、オーク・オーガの歩兵部隊1万1千、狼部隊3万5千、計4万6千。
三倍近い兵力差。とくに騎兵は敵の3千に対しこちらは3万6千。それでもさすがは帝国の最高戦力。劣勢でも一歩も引かず、一瞬とはいえ狼部隊をひるませた。そのまま全員が抜刀姿で攻め込んでくる。的確に狼の喉を斬り裂き、目を貫き、人馬一体の動きで狼たちを翻弄する。
しかし、それも最初だけだ。
次第に数の有利があらわれてくる。騎士たちは押され気味になり、やがて踵を返して逃げ始めた。全軍に命じて全速力でそれを追う。
もうちょっとで追いつくというときだ。
騎兵が二手に分かれ、景色がひらけた。騎兵が逃げた先には小高い丘があり、その丘の斜面には布陣なった二個軍団が整然と並んでいた。騎兵はそのわきにつく。ラッパが鳴ると、軽装歩兵たちが妙な機械を持って前に出た。巨大な杭のようだが、上にごつい弓がついている。
軽装歩兵はそれを地面に置くと、ばね仕掛けの杭が飛び出し地面に固定された。それを一列に並べた兵たちは、矢を装填し、一斉に放った。
矢が効くのはオークだけだ。無視して突っ込む。
そして次の瞬間、肩がえぐれた。
人の親指よりも太い矢が次々と飛んでくる。オーガの肉に突き刺さり、狼もまた動けなくなる。
バリスタ、とかいうやつか。
だがあれは矢の装填に時間がかかったはず。こんな一瞬の間断なく矢が降り注いでくるような武器じゃなかった。
なんとか目を開け、敵軍を見る。すぐに仕掛けはわかった。兵たちは五人のグループを作り、それぞれ二つのバリスタを持って、ひとつで矢を放っている間にもうひとつのバリスタに装填し、またそれを撃つ。信長の鉄砲隊みたいなもんか。
もう何十分も矢の雨にさらされている気分だ。しかし実際には3分もなかったろう。第2のラッパが鳴ると軽装歩兵たちはバリスタをどけ、撤退する。そして第3のラッパで、全軍が突撃してきた。
あの少女を先頭に、斜面の勢いを借りた兵たちが雪崩れ込んでくる。まず狼部隊が蹴散らされ、ついで後ろのオーク・オーガたちが攻撃にさらされる。
オークは簡単に殺され、オーガは鋼鉄の網で地面に縫い付けられていた。いくら攻撃しても死なないタフさが売りの黒鬼も動けなければ戦力にならない。
まずい。まずいまずいまずい。
生き残っていた狼たちを連れて逃げようとしたときだ。
周りを軽装歩兵に囲まれていた。もちろん、バリスタも一緒だ。
後ろでは、俺がいつもやっている包囲壊滅戦が展開されている。しかし、今回包囲されているのは魔物側。正面に歩兵、後ろと脇をバレルタ騎士団に囲まれたオークたちは逃げ場もなく、つぎつぎと倒れていく。
それを見届ける間もなく、バリスタの一斉放射がはじまった。
それでも軽装歩兵たちの数は少なく、包囲には穴がある。それが幸いして、俺をはじめとしてかなりの狼が逃げることができた。
しかし、オーク・オーガ部隊は全滅。俺は生き残った狼たちとともに国境の河を越え、森の中に逃げ込んだ。
こうして、俺の初遠征は、大失敗に終わった。