六 永遠の都、平安京
大江山と戻り橋の事件から、丸五年が経った。
藤原の政治を改めるため、都と距離を置き武士の勢力を拡大する。そして王政復古の号令を天下にとどろかせる。
兄さんが描いた夢は、僕たち摂津武士に藤原の首輪ががっちりはまってしまったせいで、あっけなく潰れた。僕も兄さんも金時も、摂津の主だったものは、なにかあるたびに京へ呼び出され、大小さまざまの用事を頼まれるのだ。
それを跳ねつけて藤原の権勢を無視し、足早に政治の主導権を奪還することもできたかもしれない。
しかしそれには僕たちはまだ若く、力がなさすぎた。
兄さんの武士勢力拡大という思惑も、十年二十年、その長きを耐え続け、藤原の干渉を避けつつ進めるという前提があったからだ。
「せっかく、京の周りではアホを演じとったのに。お前ら二人のせいで台無しやないか」
「カシラのは、半分以上が素だとおもうけどねえ」
兄さんが京を含めた西にいるとき、普段から間抜けた振る舞いをしているのは、京の貴族たちを欺くためだったのだ。源氏の頼光はどうしようもないアホウ。そう思わせて日々を過ごすのが大事だった。
その反面、本当に果たすべき役目のときは人が違ったようになる。相模に行ったときや、大江山での行動力と決断力。そっちが兄さんの本当の姿だった。
長年一緒にいる僕でも、そのことになかなか気づかない。それほど兄さんの嘘は達者だったのだ。
僕たち摂津武士は今、京の周辺治安を乱す盗賊、その討伐を主だった仕事にしている。平安京には各地から税が運ばれる。盗賊はそれを狙うことが多いのだ。
若い頃から周辺の山々で遊びまわり、下手な盗賊団よりも土地勘のある僕らである。適材適所とも言うべき成果を上げ、それは京の中心で号令を出すオヤカタさまや関白さまの評判をよくすることにも繋がっていた。でもそれは場当たり的な対処に過ぎない。
盗賊が出るからやっつけるのではなく、盗賊が出ない世の中を作らないと。
京の南、羅城門は相変わらず荒れ果てている。それでも平安京はなかなか滅びない。
まだまだ夜の時代は続いてしまうようだ。
「おお、これは摂津の英雄たちではないか。これからお役目かな」
ある日の京で任務を拝命した帰り道、僕たちは羅城門の手前で安倍晴明さまに会った。
「なんやねんオッチャン。酒なら持ってへんで。最近は真面目にやっとるからな」
頼光兄さんがいつもの悪態をつく。
今になって僕は思う。戻り橋に現れた女の姿をした妖怪。あれは晴明さまの術ではなかったのだろうかと。
僕たちが藤原の秘密を握ったまま摂津で力を蓄えたなら。いずれ武士は貴族を京から追い出して世の中を変えるだろう。
しかし、勝つほうが武士に代わるだけで、結局は京の都が血と炎の赤色で染め上げられる。京の守護神、安倍晴明はそれを自らの術で回避した。
それが戻り橋事件の真相ではないだろうか。
「晴明さま」
「ん、なんじゃ綱どの」
「お体を大切に。どうか長生きなさってください。お酒は程ほどに」
僕の想像が当たっているとしたら。
まだ僕たちはこの人に感謝できるほど老成してはいない。
なにしろ夢と理想を潰されたのだ。
それでも、いつか夜は明ける。朝が来ないということはないのだ。
僕と金時は、その後の人生もひたすら戦いの中で過ごした。
一度、金時に聞いたことがある。僕は武門の生まれで、こうする以外に生き方を知らない。それに比べて金時は野山の仕事でも、あるいはまったく違う世界で生きることもできるほど、若く才気に満ち溢れていた。
死んでもいいと思うまで、会って間もない頼光兄さんに尽くすのはどうしてなんだ、と。
それに対して答えた金時の言葉はこうだった。
「だって俺、足柄でナベっちに負けて、一度死んでんも同じじゃんよ。それを拾ってくれたのはカシラなんだから、カシラのために死ぬのは当然だろ。命の恩は命でしか返せねえし」
僕はそれを聞き心の中で、あのときに有無を言わさず金時を斬り殺さなかった自分を、少しだけ褒めた。
筆者追記
頼光の実弟である源頼信は河内(現在の大阪府南部)に武士団を持ち、その末裔は東国に土着してのちの鎌倉幕府を築いた。
また、徳川家康は江戸幕府を建てた際に清和源氏の血統を自称したとされる。