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薄暗い階段を降りて、色とりどりのポスターが扉や壁のいたるところにびっしり貼りめぐらされていて、正面の扉を開くとすぐに受付があった。
スタッフらしき男がアツシに「エキストラの方たちですか」と無表情に声をかけた。
「あっ、そおっす、エキストラっす」とキャップをとって大きな声でペコペコ頭を下げて答えるアツシに、機械的に「ではこちらに名前と住所、電話番号を記入してください」と僕の方もちらりとみて云った。
感じの悪い奴と思いつつも、アツシがやたらと「テンション上がってくるわ」と連呼して云うのがおもしろくてしょうがなかった。
「でもすごくねーか、手島舞のミュージックPVのエキストラだぜ」と云いながら、わりとこじんまりとしたライブハウスで50人も人が入ったら汲々状態ですでに人をかきわけていないと前に進めないところを、アツシはずんずんステージ近くに進んでいった。
だいたい、僕はというとアツシとはまったく対照的で今回この会場で新曲のPV撮影をする手島舞という歌手をほとんど知らないに等しかった。
ただ何となくざわざわとするライブ会場内に今か今かと緊張感に満ちた周りの雰囲気に圧倒されていた。
「で、手島舞っていうのは有名なのか」と僕が横に目を輝かせまわりをキョロキョロみまわしているアツシに尋ねると、僕の目の前にいるアツシと同じような連中の幾人かが後ろを振り返り冷やかな視線で僕を睨みつけてきた。
アツシも「ヒロ、おまえマジでそんなこと云ってるのかぁ、今CMでもラジオでも彼女の曲聞かない日はないぜ」とあきれ顔だった。
「まあ、あんまりテレビも観ないし、ラジオはほとんど聞かないし・・・」と言い訳がましくアツシに云うと、チェッ、とわざとらしくアツシは舌打ちをして頭をオーバーに抱えた。
そんなことをしていると時間になったようで急に照明が落ち、そしてステージの右端から大きな歓声が上がった。歓声の方に視線をやるとパッと、ステージの袖からスポットライトがあたって、手島舞が僕たちに向かって手を振り現れた。
「やべェー、マジで生の手島舞だぞ、ヤベェーヤベェー」と隣で興奮するアツシを見て思わず吹き出してしまった。
「なにがおかしい、どう考えてもこの状況やべェーだろ」ともうアツシは手島舞を食い入るように見つめ「ヤベェー」としか云ってなかった。
ライブハウス内もアツシのように今にもステージ上になだれ込んで行きそうなぐらいの興奮状態で、ステージ上の手島舞が笑顔でその歓声にこたえ、そのとなりでマイクをもったプロデューサーらしき、わりと大柄で黒の枠ぶちメガネをかけた顔立ちの整った40代半ばくらいの男が「今から今日、みなさんにやって頂く流れを説明します」と云って今日撮影するPVの内容と僕たちがエキストラとして手島舞が歌う新曲に合わせノリノリに会場の観客として声援を投げかけるように伝えられた。
手島舞に対する僕の第一印象は、「やっぱ芸能人はきれいだな」といったまったく単純でごく当たり前の印象でしかなかった。
髪はロングで目元が笑うと愛くるしく印象的で、軽く笑窪ができる。
ジーンズにTシャツといったラフな格好だが、スラッとしているが胸の膨らみは結構ある感じでスタイルは良いといったところだ。
僕は彼女が歌う歌声を初めて聞きながらまわりと同じように幾分はずかしさをしのんでノリノリに乗りながらこんな女性と付き合う男性はいったいどんな奴だろうかと、嫉妬まじりに考えながら手島舞の透きとおる歌声にいつの間にか聞き入っていた。
「ヒロも満更じゃなかったな」とアツシは含み笑いをして軽く肩をあててきた。
「手島舞って結構いけんじゃない」と、平静を繕ってわざとそんなに関心もないように云っ
た。
「どれだけおまえは上から目線なんだよ、てか実際に今超注目されているっちゅーの」とケラケラ笑った。
「そっか、なるほどね」と云って僕も一緒になって笑った。
ライブハウスを後にする頃、すっかり日も暮れていた。明日は僕だけバイトでアツシは休みだからと、「今日は久しぶりに飲み明かそう」とひどく無頓着なことを云う。
アツシに言わせれば、今日生の手島舞を見たという興奮もさめやまずといったところだろう。
僕も最悪、飲み明かしてバイトに遅刻したら、いっそのこと体調がすぐれないと店長に云って明日のバイトはさぼるかと思った。
高円寺には東京に出てきてから、今日が初めてでまったくどこに行っていいか分からずアツシの顔を見てみると、アツシもキョロキョロとあたりを見回しているので「お前も高円寺来たことないのか」と聞くと「当然」と胸を張って答えた。
しばらくぶらぶらと歩き回ったあげく、年期の入ってそうな居酒屋に入った。
居酒屋に入ると数人入ったらもう一杯といったような造りでママさんらしき人が後ろを向いたまま「すいません、今日は貸し切りなの」と甲高い声でいった。
「あっ。そっすか。残念だなー。ヒロ次いこう」と僕が中に入ろうとしたところでヒロはすで
に踵を返していた。
「え、何で。」
とアツシをよけて一旦店の中に入ると「せっかく来て下さったのにごめんなさいね」とママさんがようやくこちらを振り返った。
「あら!?」
ママさんは僕の顔を見るなり、声を発ししばらく口元を押さえながらじっと僕の顔を食い入るように見つめてきて
「やっぱり、そうだ、ヒロくんでしょ。」
とママさんに自分の名前を呼ばれた瞬間、グルグルと僕の思考回路がめぐりめぐった。
「誰っ???」