8・出会い
「っ!」
わたしの言葉にびくりと身体が固くなるアイラヴェント。
彼女はどうしていいのかわからないらしく、侍女に救いを求める様に視線を移す。侍女はアイラヴェントに微笑んでゆっくりと頷いた。それに少し落ち着いたのか彼女は大きく息を吐いた。
「あの……あ、あんたもあのゲーム知ってんの?」
「はい。少し前に急に色々思い出して……」
意を決した様に顔を上げた彼女は、少し戸惑いながらわたしを見つめている。わたしは彼女をこれ以上怖がらせない様にと笑顔で答えた。
「えっ?うわ一緒じゃん!まじかー。俺自分がおかしくなっちゃったかと思ってたよー」
何だよお仲間かよ、と言った彼女は力が抜けたらしくその場にしゃがみこんでしまった。
わたしもこの状況に混乱はしているのだが、アイラヴェントの動揺を見ていたら逆に冷静になっていった。
彼女に手を差し出して立たせてあげると、混乱したままではあるが小さい声でありがとうとお礼を言うアイラヴェントはとても可愛らしい。
今の彼女には『悪役令嬢』の欠片もなくて、わたしの想像していた彼女とはかけ離れていた。
わたしがもっと詳しく話が聞きたいと言うとアイラヴェントも同じ考えらしく、一緒に中庭の方に移動する事にした。
陰でこそこそしていると変な勘繰りをする輩に目をつけられる可能性がある。中庭ならそれ程人も多くはないがそれぞれが会話や景色を楽しんでいる場所だ。誰も気に止めないはず。
子供だけれど一応貴族として醜聞は避けるべきなのでそこに彼女を連れて行く事にしたのだ。
アイラヴェントの侍女レイラは気をきかせて彼女から少し離れ、それでも目の届くところで自分が仕えている令嬢を見守っていた。
「彼女も前世の事知っているの?」
「うん、俺が小さい頃から世話になっている侍女で一番信頼してるんだ。だからぼんやりとだけど話してる。困った時には相談に乗ってくれたりしてすげーいい奴なんだ」
「そっか、良かったね」
わたしはアイラヴェントにもいい侍女がついている事に安心をした。誰かに話が出来るって大事だものね。
「クルーディスは……あの、そっ、そーゆー奴はいるのか?」
ちょっと心配そうにアイラヴェントはわたしの顔を覗きこんだ。
「うん、わたしにも聞いてくれる人はいるよ。心配してくれてありがとう」
ちょっとSっ気があってツンデレですけど、わたしの話をちゃんと聞いてくれるシュラフには感謝してますよ。
「い、いやっ別に心配なんてしてないけどなっ!俺お前に殺されるかもだしっ!」
真っ赤になってぷいっと横を向くアイラヴェントについ笑みがこぼれてしまう。
あらあらここにもツンデレな子がいますね。なんて可愛らしいんだろう。
この可愛らしい子にわたしはどうしても聞きたい事があった。
「アイラヴェントはもしかして……元は男の子なの?」
「……うん。やっぱバレるよね」
しゅんと俯くアイラヴェントには本当に悪役令嬢の欠片も感じない。
バレた事に落ち込む姿に、本人の素直な性格がそのまま出ているんだろうなと思った。
「バレない様に普段は頑張ってるんだけど、根っこがヤローだからいつもしんどいんだ」
「そっか、わたしも実は前はOLやってたんだよね」
「えっ?そーなの?俺と逆の状況なんだ!うわーすげー親近感!」
自分の中身を教えるとアイラヴェントはテンションが上がりわたしの手を掴んでぶんぶん振った。
「何だろう、殺されるかもしれないとしてもわかり合えそうで何だか心強いな!」
そう、ゲームでは二人の関係は決して良いものではないのだ。それでも心強いと言ってくれるアイラヴェントの素直さにこちらも親近感が湧いた。
「お嬢様……そろそろ本当にお戻りになられた方がよろしいかと」
タイミングを見計らいアイラヴェントの侍女がそっと声を掛けてきた。ここで長々と話し込むのは得策ではないものね。
この侍女もアイラヴェントの事を考えて行動しているのだと思うと彼女達の関係が想像出来て嬉しくなった。
「あっ……そっか、そーだよな。クルーディス、また今度詳しい話聞かせてくれる?」
「いいですよ。その時は貴女の事も聞かせて下さいね」
「オッケー!じゃあな!」
アイラヴェントは大きくバイバイと手を振り、侍女に連れられて広間に戻っていった。
暫くそのまま見送っているとアイラヴェントは歩きながら侍女に怒られて謝っている様子でちょっと笑ってしまった。
きっとわたしの手を握ったり、先程のバイバイと手を振ったりしていた事を令嬢らしくないと怒られているのだろう。そんなやりとりに二人の信頼関係を垣間見た気がしてほっとした。
「さ、戻ろっかな」
そろそろセルシュもおなか一杯になってひと息ついている頃だろう。
胸やけを避ける為にあの場を離れたら思いがけずに悪役令嬢のアイラヴェントと会うことになるなんて……。それ自体が予想外なのに中身はもっと予想外なんて。
思い出しながらついつい笑いが込み上げてくる。
あの子と仲良くなって何とか守ってあげられたらいいな。そんな事を思う。あの子の中身はきっと中高生位かな。
この感情が女性として小さく弱い子供を守りたいというものなのか、男の子として彼女を守りたいというものなのかはわからない。
どちらにしても『守ってあげたい』のだからそれでいいと思った。
アイラヴェントから少し遅れて広間に戻るとセルシュは妹と誰かの相手をしていた。
「おう!クルーディスやっと戻ってきたか」
「お兄様ったらふらふらと何処へ行ってらしたんです?」
妹はそう言いながらもセルシュと一緒にいられた事は嬉しそうだ。そんな妹にごめんねと言いながら頭を撫でるとわかればいいんですとそっぽを向かれた。
そんなやりとりを横で誰かがくすりと笑っている。
「あ、そうそうクルーディス。こちらがこないだ話をした紹介したかった人だ」
なんてぞんざいな紹介だろう。セルシュ、そんな扱いでいいの?
しかしわたしの心配を他所にセルシュは自分の後ろにいた今笑っていた人の事を促した。
「初めまして、ルーカスです。噂のエウレン侯爵のご子息にお会いしたくてセルシュに無理を言いました」
セルシュにとても雑な紹介をされても動じないその少年は、さらっとした金髪の優しげな雰囲気を持っている少年だった。彼はその優しい笑顔でわたしに握手を求めてきた。
あっ……この子……。
わたしは記憶の中にあるその見知った顔に愕然とした。しかしその動揺を表に出さない様にこちらも笑顔で握手を交わす。
「こちらこそ初めまして。エウレン侯爵の長子クルーディスと申します。どのような噂かは存じ上げませんが、お耳汚しになっていない事を祈るばかりです」
笑顔には笑顔で。何故この方が身分を隠して自分に会うのかわからないので、当たり障りのない様に答えるしかない。
「……いや、クルーディス殿の話は皆が褒めてばかりで、まるで物語の王子様の様だと言っていてな。是非本人と話をしてみたかったのだ」
しみじみとおっしゃってますけど、その端々に見える言葉遣いではお立場バレバレですよ。
一応そっとセルシュの方をみたら彼も苦笑していたので、まぁ本人が満足ならいいかと突っ込むのは止めてみた。
「多分な御言葉ありがとうございます。皆様が若輩者の私に気を使って下さっているだけですので逆に申し訳なく思っております」
そう言って一礼をしたが、ルーカスと名乗っているこの方はそれに鷹揚に頷く。普段から傅かれているのが当たり前の環境にいるこの方にとっては当たり前の行動なのだろうけど、身分を隠したい人の取る態度ではありませんよね。
えーと、その辺は放置でいいのかしら。周りにはこっそり護衛らしき人達がいらっしゃるし、変に不敬な態度を取って〆られるよりはこのままこの方の話に乗っかっておいた方がいいのかな。
その後そのままルーカスは色々な話をした。わたしの先日のパーティーでの話を聞いたと思ったら何故か領地の話、国の行く末の話と段々グローバルな話になっていった。
でもまだクルーディスとしてはそんなに知識もなく意見も持っていなかったので、クルーディスとして当たり障りのない話をしてルーカスとの会話を続けた。
わたしにはこの方がこうしてわざわざ『ルーカス』として接触してきた理由がわからない。きっと色んな話をしてわたしを試しているのだとは思うけれど、その目的がわからなかった。わたしはただ相手の話に合わせて、それなりに相手が納得出来る言葉を探して会話を続ける事しか出来なかった。
暫くして護衛らしき方がルーカスに目配せをしてきたのだが、ルーカスは話に夢中で気付かない。
「ルーカス様、お時間は大丈夫なのですか?」
さりげなくこちらから助け船を出すと、
「おおっ、そうだった!つい楽しくて時間を忘れていたな」
「こちらこそ色々なお話を聞けた事に感謝致します」
「次の機会を楽しみにしているぞ。ではまたな」
そう言って笑顔で去っていくルーカスにわたしは一礼をして見送りそっとため息を吐いた。
今のは一体なんだったんだろう……。
「ねぇお兄様、あの方はどなたなのですか?」
リーンフェルトにはルーカスの態度が不遜なものに見えたのだろう。訝しげな表情でわたしの方を見た。かといって本人が立場を隠しているつもりなのだからわたしにはそれに答える事が出来ない。わたしは曖昧に笑ってリーンの頭を撫でた。
「いいかいリーン。相手がどのようなお立場なのかわからない時には自分より上の方だと思ってお話する事が大事なんだよ」
「何故ですの?」
「だって本当に上位の方だったらどうする?後で色々言われるのは嬉しくないでしょ?自分より下の身分の方であっても相手に敬意を払える事が出来ればその方も気分が悪くはならないよね。どんな相手でも敬意を払う事はとても大事な事なんだよ」
「……そうなんですね」
リーンはわたしの話に不服そうな気持ちは残っているが、理解はしてくれた様だ。
「やっぱお前すげーわ」
今迄黙っていたセルシュが急に肩を組んできた。何かが彼にとって嬉しかったらしく肩に回した腕に力がこもっている。
「ちょっと、セルシュ痛いって」
こっちはセルシュに対して結構怒っているんですよ。
身分を隠していたあの方は我が国の第三王子ルルーシェイド。あのゲームでは勿論王道の攻略対象でもある。
ゲームでもヒロインとのお忍びデートでは『ルーカス』と名乗り、立場を忘れて二人できゃっきゃうふふと楽しんでいたっけな。
さっきの彼の様子を思い出し、護衛さん達振り回されて可哀想だな、なんて思った。
それよりも今はセルシュだ!
「ねぇ、セルシュ。少し僕はお前と話がしたいんだけどね……」
わたしがセルシュに微笑みながら冷たい視線を送ると、彼は悪びれもせずわたしから離れて肩をすくめた。
「あ、やっぱわかっちゃった?」
彼の言葉にわたしはため息をひとつ吐いた。
「……そりゃわかるでしょ」
「……だよな」
二人で顔を見合わせて一緒に大きなため息をついてしまったのは仕方がない事だと思う。




