44・癒し
「で?なんだよこの状況」
「なんなんだろうねぇ……」
……本当に何なんだ。
わたしの視界の先にはいつものようにセルシュがランディスに剣の稽古をしているのが見える。
その横には何故かモーリタス、ヨーエン、ダルトナムの三人も加わっていた。
そしてわたしがお茶を飲んでいる隣にはそれを引き気味で見ているアイラヴェントがいる。
アイラヴェントは呆れたような困ったような視線をわたしに向け、わたしはその横で遠い目をして彼らを見ていた。
「あのさぁ、モーリタスが何でクルーディスとセルシュ様に弟子入りしてんの?」
「そうだよねぇ……おかしいよねぇ」
本当におかしい状況だと思う。
あの時わたしはアイラが辛い目に合わない様にと、容赦なく彼らに酷い言葉を浴びせたし、思慮深いいい子になってもらおうと説得と言う名の脅しを掛けた筈なのに……何故懐く!?
名前がバレたのは仕方がない。仕方がないけど、せめて怖がって近寄らないとかさぁ…関わらないとかさぁ…。
何でこんな面倒くさい事になったんだ……。
ため息しか出てこないよ……。
わたしは相変わらず彼らを遠巻きに見ているだけだけど、セルシュはまた増えた弟子達に丁寧に剣の手解きをしていた。セルシュってば本当に真面目で偉いなぁ、なんて思考が明後日の方向に飛んでしまっても悪くないと思う。
「まぁ……おかしい状況ではあるけどさ、今のモーリタスはだったらアイラに何かする様なバカな事はしないと思うよ」
これは確かだ。
今のモーリタスは父親を尊敬して学ぼうと思っている。チャルシット様は無駄に人を傷付ける様な事をしない。そんな人を尊敬しているモーリタスならきっとヒロインとの色恋でアイラを断罪なんてしないだろうし、今のうちに知り合っているならばこんないい子に酷い事なんて出来ないよね。
まぁ万が一そんな事になってもわたしが全力で叩き潰すけれど。
「うん……そだね。ありがと」
取り敢えずアイラはわたしの言葉に納得をしてくれたようだった。ひとまず目的は果たせたのだからヨシとしなければならないけれど。
……こんな筈ではなかったのに。
そんな事をつらつら考えていたら、曇った顔でアイラヴェントがわたしの顔を覗きこんだ。
「クルーディス、疲れきってるけど大丈夫?その疲れはわたしのせい?」
心配そうに見つめられてわたしは小さく笑う。
「違うよ。アイラのせいじゃないよ」
そう言ってわたしはアイラの髪を撫でる。この疲れはあの三人の勢いに振り回されているからなのよ。
彼らは元々真面目なのだ。真面目だからこそ良い事も悪い事も一生懸命になってしまう。わたしはその勢いに負けているだけなんだよね……わかってるんだけどさぁ。それでもさぁ……ため息位は許して欲しい。
だからアイラ、ちょっと充電させてね。
わたしはいつもの様にアイラの綺麗な栗色の巻き髪を撫でる事でほっと一息ついた。
「はぁ……癒されるわぁ」
「クルーディス、言葉遣い」
小声でアイラに注意されてしまった。
はっ!つい気が緩んでしまった。だって本当に癒しが欲しかったのよ。やっとゆっくりアイラを愛でられるんだもん。
「う、ごめんアイラ」
「……いいよ、わたしにしか聞こえてないし」
会話の間にもずっと撫でさせてもらってます。
アイラの髪はとても柔らかく、艶のある栗色のふんわりヘアーなのだ。撫でる度にレイラがマメにお手入れしてくれてるんだなー、と思う。
お陰でわたしの癒し行動に拍車がかかってしまうのは不可抗力なのよ。仕方がない事なのだよ。撫でていると気持ちよくてつい顔がにやけそうですよ。なんだろこれ、マイナスイオンでも出てるのかしら。
多分気の抜けた顔をしているわたしの顔を見て、アイラヴェントは少し心配そうな顔をする。
「なんだよ、ほんとに疲れてんだな。……わたしの髪に何の効能があるのかわかんないけどさ、今日はクルーディスが満足するまでいくらでも触っていいから」
「本当に?」
なんと!公認でお許しが出ましたよ!
「うわっ、ちょっ!」
嬉しさのあまり両手でわしゃわしゃと触りまくってしまって、アイラの頭はぐちゃぐちゃになってしまった。
「やり過ぎ」
ぷぅと頬を膨らませて注意されてしまったけど、アイラはわたしの手を止める事はしなかった。優しいねアイラ。
流石に悪いと思い、手ぐしで髪を整えてみる。艶やかなアイラの髪は手櫛でもすぐ元のさら艶ふんわりスタイルに戻った。どうやったらこんなに綺麗な髪質を保てるんだろう。レイラって本当に凄いなぁ。
「まーたお前らいちゃついて」
稽古を中断してセルシュはわたし達の所にお茶を飲みに来たらしい。ランディス達は師匠がいなくても真面目に稽古を続けていた。偉いなぁ、皆。
わたしがアイラを構っているとセルシュはいつも呆れた様な顔をする。だってアイラの髪って本当に気持ちいいんだもん。
「これは僕の癒しだからね」
これをしないとここに来る意味がないでしょ。
「ま、いいや」
どかっと椅子に腰掛けて、セルシュはレイラにお茶を淹れてもらっていた。わたし達も新しく淹れてもらい、一緒に温かいお茶を飲んだ。
「セルシュ師匠、あの三人組はどうなのさ」
いつぞやの仕返しとばかりにわたしはセルシュを茶化す。
「げ。もうそれ止めて欲しいんだけど……ほんとに悪かったよ」
仕返しが堪えたのかセルシュはぐったりとテーブルに突っ伏してしまった。
よし。これでチャラにしてあげよう。
「あいつらチャルシット様に稽古つけてもらえばいいんだよ」
「どうしたの?」
「やっぱ騎士団所属してる親がいるだけあってそれなりに出来るやつらなんだよな。だからランディみたいに1から教える事はないけど、なんつーかこう……色々面倒なんだよ」
先程まで見ていた限りでは彼らは一生懸命教えてもらっていた様だけど、何があるんだろ。
「……セルシュ様はあの人達についてるくせを直すのをためらってる?」
「……よくわかったなお嬢」
アイラの発言にセルシュは驚いていた。
「だってセルシュ様の剣の太刀筋があの三人のとはちょっと違うから」
「あれはチャルシット様が教えた時に癖になってるんだと思うんだけど、俺が勝手にそれを直すのはどうなんだろうと思ってさ」
セルシュは困っている様で頭をがしがしと掻いた。
わたしは二人の会話についていけずに呆然ですよ。
アイラは本当に剣の稽古をしたいんだろうな。でもレイラが許すとは思えないからセルシュの稽古の時には見ながら色々研究をしてるのかもしれない。
「それならそれをそのまま話してチャルシット様に相談しても らったら?」
「それはどうなんだろう」
アイラの話は正論だけど、子供が大人のやっている事にケチをつける形になるのはセルシュとしても不本意なんだろうな。しかも相手はその道のプロなのだ。
「だって折角やる気になって稽古してるのに中途半端じゃ勿体無いよ。チャルシット様だってきっとその癖に気が付いてると思うし」
「うーん、そうか……まあ悪い事じゃねーし、そうすっかな。よし!」
セルシュは何か吹っ切れた様で、勢いよくお茶を飲み干すと、また彼らのところに戻って行った。
「アイラは本当によく見てるんだね」
「まぁね。自分が出来ない分見てるしかないからさ」
「そっか」
残念そうに呟くアイラ。わたしは視線をセルシュ達の方に向け彼らを見る。言われてみればランディスがセルシュの指導のままの動きだとすれば、三人は微妙に力の使い方が違うのがわかる。アイラでも気付く事が出来るのに自分は先生に付いてまで習っているのに……何か凹む。もっと精進しなきゃいけないかもしれない。
なんて事を思っていたらアイラがこちらを呆れた様な顔で見ていた。
「それにしても」
「ん?」
「クルーディスもセルシュ様もそんなに弟子を取ってどーすんだよ。道場でも開くつもり?」
「うわっ!それ最大級の皮肉だから!」
くすくす笑いながらアイラはわたしをからかうようにそう言った。わたしを弄るのが楽しいらしい。
事の経緯はどうあれわたしはアイラの憂いをひとつ取る事は出来たのかな。オプションの弟子は要らなかったけどね。それでもアイラが笑ってくれるならいいのかなと思ってしまう。
最近アイラの笑顔を見ると嬉しくなってドキドキする事があるのは『わたし』の感情なのか『僕』の感情なのか。
まぁ結局は嬉しいのだからどちらでもいいか。
まだわたしはこの世界で10年程しか生きていないのだし。その感情がどう転んでもアイラとはずっと仲良くしていきたい。それだけは揺るがなかった。
「ま、道場開くなら応援するし頑張れ!」
う。最上級の笑顔で肩をたたかれてしまった。トドメですからね、それ。
「アイラのいじめっ子」
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