39・誘拐(モーリタス視点)
俺は苦しさで目が覚めた。
薄暗くて目が慣れるのに少し時間がかかる。
ようやく目が慣れた頃、俺は何処かの部屋の床に寝ていた事に気がついた。
ここは一体……。
ぼんやりとしたまま辺りを見ると、この部屋にはテーブルも椅子も、何もなかった。がらんとしている部屋の中は薄暗くて何だか気味が悪い。この部屋ではドアの側で小さく灯る薄暗い光だけが確かなものとして存在していた。
……そうだ、ここが何処か確認しなきゃ。
「あっ……!」
身体を起こしたくて手で支えようとしたら、手は腰の後ろで縛られていて動かす事が出来なかった。
これは……どういう事なんだ!?
自分の状況がわからない。何で俺はこんなところにいる?何で手を縛られているんだ?何で床に寝ていたんだ?
……いや、焦っちゃダメだ。きちんと状況を把握しないといけない。俺は小さく深呼吸をして、まずは落ち着こうと自分に何があったか記憶をたどった。
確かいつもの様にヨーエンとダルと『いこいの広場』で待ち合わせて、揃って町へと出掛けたんだ。
三人でうろうろと色んな店の中で騒いだり、暴れたりしながら歩いた後、裏道を抜けて俺達のアジトのドアに手を掛けた時に後ろから声をかけられた。
『お前がチャルシット侯爵の息子だな』そう言われて振り向いたら、騎士団にでもいそうなガタイのいい男がいた。そいつは目以外を隠してて表情はわからないのに、俺の前に立ちはだかって威圧感たっぷりだった。俺は怖かったけど『それがどうした!』と声を振り絞った。
その男は『侯爵家の息子なんていいカモだ。俺と一緒に来てもらおうか』そう言ってきて。
『ふざけんなっ!』俺は、負けない様に睨み付けて叫んだ。
こういう時は目を逸らすと隙が出来るから気を付けろ、と以前教えてもらった事がある。だから俺はその男の動きに気を付けながら目を逸らさずにいた。
暫く睨み合っていたら、その男が一瞬俺から目を逸らした。その隙に俺は二人を連れて逃げようと身体を動かして……その一瞬の間に何かがあったんだ。
あの瞬間強い痛みを感じて……その後の記憶がない。
そうか、苦しかったのはあの時の痛みのせいか。
横を見るとヨーエンとダルトナムも俺と同じ様に後ろ手に縛られてぐったりと倒れていた。連れてこられたのは俺だけじゃなかった事に俺は初めて気が付いた。
慌てて無理矢理自分の身体を起こし二人の様子を確認すると、二人はぐったりはしているけれどその呼吸は乱れてはいない。
良かった。一先ず二人が苦しんではいない事にホッとした。
二人は今は大丈夫だ。次は今の状況を考えなければいけない。
あの男の話からするとこれはきっと誘拐だ。
ここには俺達三人だけでツィードはいない。上手く逃げてこの事を報告しに屋敷に戻ったのかもしれない。
……でも。
例えツィードから連絡を受けたって、父上はきっと俺を助けになんか来ない。身代金なんて銅貨一枚すら払わない。払う訳がない。
その考えに目頭が熱くなる。胸の奥が苦しくなる。
……わかってる。父上は俺なんか簡単に見捨ててしまうに決まってる。
父上は自分の気にいらない者や言う事を聞かない部下は容赦なく消してしまうのだ。父上は騎士団に所属していた部下を、意に添わない意見を言っただけで一太刀で殺したとツィードが教えてくれた。
昔一度だけ会った事がある父の部下だったその人は、優しく俺に騎士団の誇りについて教えてくれた。
国を護り、民を護る彼らは正義と誇りのもと日々研鑽していると言っていた。
その上に立っているのが父上だなんて許せない!
父上は自分の思い通りにならないと平気で相手を傷つけると聞いた。俺に騎士団の正義と誇りについて教えてくれた人は父上に殺されてしまったという。
衝撃だった。
普段屋敷で家族と過ごす父上は優しくて思慮深くて、それでいて武術に秀でていて、騎士団長として国にも認められていて……俺の自慢の父上だったのに!
信じたくなかったけど、ツィードは『残念ですが本当の話なんですよ』と教えてくれた。
俺が今迄信じていたあの素晴らしい父上はなんだったんだ!?俺や母上の前では本性を隠して、自分の部下には酷い事をしているのが父上の本当の姿なんだ!
昔は父上と同じ道を歩みたかったけど、本性を知ってしまった俺にはもうそんな事は言えない。
ツィードに相談したら『家名を貶めてしまえばもうお父上様も騎士団にはいられなくなるでしょう』と教えてくれた。父上なんか早く騎士団から出ていけばいい。俺が家名を傷付けてその時を早めてやる!
ずっとそう思っていたけど……俺は誘拐されてしまった。
身代金が手に入らない事を知れば俺はここで殺されるのだろう。勿論まだ死にたくはないけれど、この状況では俺は多分逃げられない。
「おい、ヨーエン、ダル。起きろ」
この部屋には俺達の他には誰もいなかったけど、俺は小声で二人を起こした。二人は目を開けてもぼんやりしていて、状況を理解できてない様だった。
「あれ、モーリィ……」
「ここ何処?……俺達どうしたんだ?」
俺は二人に誘拐されている事を告げる。二人はその時やっと手首を縛られ監禁されている事に気がついた。
「モーリィ、俺達どうなっちゃうんだろう」
「暗くて怖いよ。早く帰りたい」
二人は怯えて動揺している。俺は二人の兄貴分だから怖くてもそれを見せちゃいけない。
人を護るために人は強くなれると聞いた事がある。俺は二人を護らなきゃ、強くならなきゃいけない。
そう奮起はしたけれど、どうすればこの状況を覆せるのだろう。
多分この二人は無事に帰れる。二人は家族に愛されている。きっと身代金だって二人の為なら払うだろう。
でも俺は違う……そんな事はあり得ない。俺だけは自力で何とかしなければいけないんだ。
でも俺が歯向かうと、誘拐犯の機嫌を損ねて二人も痛い目をみるかもしれない。大人しく言う事を聞けば二人は無傷で帰れるはずだ。
……じゃあ俺は?
言う事を聞いたところで、親に見捨てられてしまう俺は助かる事はない。だからといってむざむざと殺されるのも嫌だ。……なら俺はどうすればいい?
考えを巡らせていてもこの状況をなんとか出来る気がしなかった。どんな手を想像しても最後にはやっぱり殺されてしまう結果しか見えてこない。
考える程に段々と『死』の恐怖が襲ってくる。今までに経験した事のない恐ろしさにどうしていいのかわからなくなって身体が震えてしまう。
「モーリィ、大丈夫か?」
「みんなで無事に帰ろうぜ!」
「……そうだな」
二人が心配してくれるのがとても嬉しかった。せめて二人には無事に帰って欲しい。
そう思っても、二人が助かった後残された自分はどうなってしまうのか……それを考えると恐ろしさで身体の奥から冷えていくのがわかった。
怖い!嫌だ!逃げたい!助けて!
俺には誰にも届かない、届けられない言葉を心の中で繰り返す事しか出来なかった。
「誰か来た」
ヨーエンの言葉にはっとしてドアの方に意識を向けると、外に人の気配がした。
誘拐犯がやって来たのだろう。もう俺は恐怖で目を瞑る事しか出来なかった。
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