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今日からキミも

『またね、瑞希……。タマも』

 トイレを出ていく瑞希の足音を聞きながら、私はもう一度呟いた。ほんとにありがとう、瑞希。私と話してくれて。ほんとにありがとう、タマ。瑞希を連れてきてくれて。

 思うに、これが私の未練だったんだろう。きっと誰にも、瑞希にも何も言えずに死んでしまって悔しかったし寂しかったんだ。顔を上げると、最後の涙がゆっくり頬を伝った。私はそれに触れる。自分の涙には触れることができた。温かい、と感じた。それが錯覚であっても構わなかった。そう感じられることが、何より大切な気がした。そうして、私はしばらくの間トイレの個室の壁に寄りかかって、魂の抜けたらようにぼうっとしていた。いや、もう私は魂だけみたいなものだから、それはおかしいか……。そう考えたら、ちょっと笑えた。

 もう成仏できる気がした。しかし一方で、何か引っ掛かるものがあった。それは何かわかっていた。そう、花子さんになること。


「芽吹、花子さんみたい」


 瑞希のこの言葉が、私の中に残って反響していた。そのとき、そうだよ、私花子さんになったんだとは言えなかった。まだ試用期間だから。でもそのとき、花子さんになったと言っていたらどうなっていたのだろう。花子さんになったから、またいつでも会いに来てなんて言ったのだろうか。さすがにそれはないか……。いや、どうだろうな。わからないな。まったく、人間は死んでも欲深い生きものだ。私は左耳の上の辺りに触れる。ヘアピンは無くなっていた。



 夜が明ける。稜線の向こうから光が溢れ始める。私は屋上にいた。顔を出した太陽からの光は私を透過して、どこまでも照らしていく。世界に朝が来る。

『やあ』

 ふいに後ろから声がした。聞いたことのある声だった。私は振り返る。そこには、花子さんパワーを私に託したあいつがいた。私と同じように、彼にも影はない。

『いい顔になったね』

 彼は満足そうな顔をして言った。なんだそりゃ、と思った。でも不思議と悪い気はしなかった。続けて彼は言う。

『試用期間は終了だよ』

『もう? まだ二日くらいしか経ってないよ』

『でもキミ、もう能力二つとも使っちゃったでしょ』

『う……、まあそうだけど』

 私は目を逸らし、左耳の上辺りのヘアピンをつけていたところを触れながら答えた。まあそうか、特殊な力がなければ私はただの幽霊だ。力を使い終わったら試験終了でも頷ける。

『いやーそれにしても、いい話だったね! 感動しちゃったよ。あんな風に花子さんパワーを使ってくれるなんてオレも嬉しいよ。いやぁ青春だねぇ、特に壁越しに叫びあって抱き合うようなシーンは切なかった……!』

 そして彼は、にわかにそんなことを感情を込めて言った。……は? いやちょっと待て。それって……!

『ってちょっと待った! あんた見てたの!? 私たちのこと!』

 私は思わず目を剥いて叫んだ。

『いやごめん、そんなつもりはなかったんだけど。能力使用中はこっちでわかるようになっているから、ついね』

『ついね、じゃないよ! なに覗いてんの! 最低だぞ!』

 私は声を荒げて抗議した。ここは怒るところだ。なにやってんだ、いたいけな女子高生を相手に! 見世物じゃないんだけど!? 私も瑞希も泣きまくってたし!

『悪かったよ。謝るって。でもオレはキミに花子さんパワーを渡した手前、キミを監視する義務があったんだよ。それは理解してくれ。それに、そうしてたからこそできたこともある』

 彼は両掌をかざして、それを左右に振りながら訴える。お、なんだなんだ言い訳か?

『なに?』

 いいよ、聞いてやろうじゃない……!

『キミたちが話し終わるまで、あのトイレには誰も入らないようにしておいた。それでチャラってことでどうだい?』

『え……そんなことしてたの?』

 確かに、瑞希と話している間は誰も来なかった。話す前は懸念していたことだが、いざ話し始めてからはそんなことは忘れていた。

『まあね。信じる信じないは、キミに任せるけど』

 ほ、ほーん……。私は勢いを失った。そうだとしたら、かなりいい仕事をしてくれていたことになる。いや、偶然かもしれないし……。でもあんな長い時間トイレに誰も入ってこないのも不自然だ。

『……どうやったの?』

『なに、簡単だよ。あのトイレに入ろうとしてた人に"嫌な感じ"を与えたのさ。なんとなく入りたくない、と思わせた』

 彼は頷きながらドヤ顔でそう答えた。なんとも腹が立つ表情だった。しかし、人ならざるものができそうなことを……。

『……。わかったよ、信じる。チャラにするよ。ありがと』

 もうそういうことでいいや。私に花子さんパワーを貸し与えたくらいだし、それくらいできそうだ。何にせよ、瑞希と水入らずで話すサポートをしてくれたのならありがたい。

『お、意外と素直だね』

『意外は余計です』

 少しむくれた感じで私はそう言った。すると彼は楽しそうに笑う。高度を上げていく太陽にから注がれる光に世界は満たされていく。風が吹いて、木々の葉が囁く声が耳に届き、鳥の歌声が夏の到来を告げる。

『で、どうする? 花子さん、なってみる?』

 彼はおもむろに本題に移った。

『キミはいい花子さんになれそうだ。でも約束通り強制はしないよ。キミが選ぶといい。もう、未練はなくなったようだしね』

 未練がなくなった……。ああ、いい顔になったって言ったのはそういうことなのかな。確かに未練はなくなったんだと思う。幽霊になって彷徨っている間にずっと感じていた、心臓に鉛を塗りたくったかのような感覚はもうない。

 だけど、それとは違う別の感覚が生まれていた。

『うん……。未練はなくなった、んだと思う。けど、興味は湧いた』

 この感覚は、とても単純で純粋なそんな感じ。

『ほう?』

 彼はちょっと目を見開いた。私は、その”興味”の矛先を伝えてみる。

『”私がいなくなった世界”がどうなっていくのか、ちょっと見てみたくなった』

 それから、もう一つおまけ。

『それに、もうちょっと瑞希のことも見守りたいな、なんて』

 これは私のワガママだけどね。

『……。それは、』

 彼は私の話を興味深げに聞いていたが、少し目を伏せたあと神妙に語りだした。

『とても、つらいことかもしれないよ。”その世界”ではキミの存在はもうない。皆の心に残るキミも段々と薄らいでいく。キミは、それを眺めていることしかできないと思い知る』

 彼は優しいのだな。ふいにそう感じた。でもね。

『それは知ってる。あんたに声掛けられるまで嫌って言うほど感じたよ……。そうじゃなくてさ、私の死が変えたもの、私の死が残したものをちょっと知りたくなったんだ。私は、人間死んだら何も残らないって思ってたけど……。瑞希と話して、そうじゃなかったんだなー、って思ったから』

 そう言った私はきっと笑顔だったのだろう。彼も、ふっと穏やかに笑った。

『……そうか。うん。それもいいかもね。きっと面白いよ。先輩が言うんだから間違いない』

『え、どゆこと?』

『言ってなかったけど、オレも昔この学校の花子さんだったんだ。今はこの辺のエリアマネージャーみたいなことをやってるけどね』

 衝撃の、ってほどでもないけど、予想外の事実だ。

『へぇー……そうだったんだ。てか男でもできるんだ』

『だから言ったろ、”花子さん”は役職名みたいなもんだって。いやぁ懐かしいね、もう三十年くらい前だな』

『えっ! そんなに先輩だったの……? それにしては随分若いね』

 私は素直な感想を口にした。彼は得意げに腕を組みながら、

『そうさ、敬えよ後輩。見た目が若いのは、時間による老化がないからさ。前にも言ったけど、死後の世界は肉体が存在しないからね。死んだときの見た目のまま。キミもそうだろ』

 そういえばそんなこと言ってたような。私は制服にマフラー姿の自分を見て、そうであったことを確認してみる。しかし、だからこそ彼には敬語で話す気がしないのだけど。

『ふむ。で、花子さんやってみたいってことでいいのかな?』

 すると彼は、腕組みを解きつつ話を戻してきた。

『いやぁそれにしても、自身の死という厳しい冬を耐えたことで花になりたい気持ちが芽吹くなんて、キミの名前も相まって、なかなか詩的でいいね』

『サムいこと言わないでよ。もうこれから夏なんだから』

 私は彼をたしなめた。彼は心外だな、みたいな顔をした。そして私は、気持ち姿勢を正して彼の目を見る。彼はそれを察知すると、私の目を見返してきた。私は息を吸う。それを言葉に変える――


『……うん、花子さん、なってみる。やらせてください』


 私は告げた。

 見た目は私と同じくらいの年齢の男の子に。朝早く、二人しかいない学校の屋上で。

 なんだか告白するシチュエーションみたいだな、とふと思った。

 彼は口元に笑みを浮かべて、双眸を閉じた。私の言葉が染み渡るのを味わったかのように、深く頷いた。そして、右手を差し出してきた。

『ふふ……、了解。では採用だ。おめでとう、今日からキミも七不思議界のアイドルだ』

 七不思議界って……。

『そんなニッチなアイドル嫌だな……』

 私はそう答えながら、彼の手を握る。そのあと、あ、霊体同士は触れられるんだと密かに驚いた。握手を解くと、彼はポケットから何かを取り出した。中指と人差し指と親指で保持されたそれは、赤いヘアピンだった。試用期間に渡されたものよりしっかりしていて、デザインも凝っている。チューリップがモチーフになっているのは同じだった。

『お試しではない正規品だよ。はい、これで花子さんパワーは正式にキミに宿る』

『うん』

 私はヘアピンを受け取る。

『好きなところにつけてくれ』

『……うん』

 それを少しの間眺めて、意を決して、前と同じ左耳の上につける。すると、

『おわっ』

 スカートが赤くなった。正しくは、黒に黒のタータンチェックだったのが、赤のチェックになった。おお、なかなかかわいいデザイン。

『花子さんぽいだろ?』

 彼は得意げな笑みを見せた。確かに。私は自身の姿を見ながらそう思った。この学校の制服はサスペンダーがついたような吊り式のスカートなので、ブレザーの下の赤く染まったそれを見ると一層に花子さんぽい。

『ふふ、よく似合っているよ』

 なんか恥ずかしくなった私は、

『ん、どうも』

 そっけなく返事することでそれを誤魔化した。

『あ、そうだ』

 私が普段は閉めないブレザーのボタンを閉めていると、彼が何か思い出したように人差し指を立てた。

『ちなみにだけど、キミがタマと話せたのはタマが霊感の強い猫だったからだね。今回はたまたま猫だったけど、霊感の強い人間にはキミの姿が視える人もまれにだけどいるから、注意してね』

『へえ……。うん、わかった』

 ”タマ”と”たまたま”は掛けたのだろうか。

 それは置いておいて、やっぱり、霊感が強い人って視えるんだ。視られる側になるなんて考えたこともなかった。気をつけてと言われてもどう気をつければいいのかと思ったが、聞かないでおいた。体験すればわかるだろう。

『まあ、やってくうちにいろいろ疑問は生まれると思うから、その度に聞いてくれればいいよ。この屋上で呼んでくれれば来るから』

『普通に呼びかければいいの?』

『そうだね、それで大丈夫。すぐ来られないこともあると思うけど』

 ふむ。で、

『なんて呼べばいいの?』

 それが重要だ。やっと聞くタイミングが来た。今まで密かに待っていた。

『あ、名乗ってなかったっけ』

『うん』

 私は大きく頷いた。

『それは悪かったね。オレは長谷川(はせがわ)完太郎(かんたろう)。好きに呼んでくれ』

 案外普通の名前だった。もっとこう、何かびっくりするような名前を言うと思ったがそんなことはなかった。まあそんなもんか。じゃあ、長いから短くしよう。

『じゃ、完太郎で』

『おっ、年上を呼び捨てかい?』

 ええー、だって、

『好きに呼べって言ったし』

『そうだったね。ま、いいか。うん、花子さんになってくれて助かるよ。ありがとう。これでオレも、ここの臨時花子さんはやらなくて済む』

『臨時でやってたんだ』

『まあね』

 彼は、長谷川完太郎はニッと笑った。それは今までよりも近しい感じの笑みだった。彼は私の三十歳以上年上らしいが、享年は同じくらいだろう。きっと生前、この笑顔を親しい友人に見せていたのだろうと思うと、少し嬉しくなった。

『うん。じゃあ何かあったらよろしく、マネージャー』

 だから私も、少し親しげに返してみた。

『うむ。よろしく、芽吹くん』

『あっ、なんか嫌味な上司っぽいねそれ』

『はは、だろう?』

 彼と私は笑いあった。まるで普通の高校生みたいに。



 ――あれから数日が経った。



 私がいなくなった世界に異変はなく、今日も日が昇り世界は光に満ちていく。私は、誰もいない屋上で伸びをした。そこから見える緑は日に日に濃さを増し、夏の日射しに耐える準備を怠らない。風が浮き足立つ季節を煽るようにそれらをざわめかせ、その音に刺激されるように命あるものたちが目を覚ましていく。そして、それを象徴するように蒼穹の空に純白の塔を思わせる入道雲がそびえ立つ。

 死んだ私が、その営みを眺める。それは羨望でも諦念でもなく、展開の読めない映画に夢中になるような高揚感。役者ではなく観客としてでも、それに関われる幸福。

 それは人によっては不幸に映るかもしれない。でも今の私にとっては幸せだった。

 だって見てよ、ほら。

 登校してくる生徒たちの中に見つけた、私の一番の友達。

 瑞希の結われた髪には、私が選んだシュシュが見えた。


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