そっちもいなかったみたいね
さて。
”花子さん”の研修生となった私は、とりあえず学校を回ってみることにした。なんせ入学してから二ヶ月そこそこで死んでしまったわけだから、知らないところも多い。いや、幽霊となったあとに一通りうろつきはしたが、細部までは覚えていなかった。時間はあるし、あらためてどこに何があるのか知っておいてもきっと損はないだろう。試用期間とはいえ、私はこれから”花子さん”という学校を人ならざる力で管理する仕事を請け負うわけだ。それを思うと、何か学校について詳しくなっておかなければいけない気がした。
『よっ……と。これでいいのかな』
私は彼から渡された二つのヘアピンを左耳の上辺りにつけた。それぞれ黄色と白色のもので、チューリップをあしらったデザインになっている。聞かされた”花子さんパワー”は二種類あり、それを可能にするアイテムがこのヘアピンというわけだ。それぞれに一つずつ能力が割り振られており、一回使うと消滅するとのこと。つまりそれぞれの能力の使用は一回きり。正式に花子さんになれば何回でも使えるらしい。なんか、無料会員と有料会員の格差みたいだな……。
私は校舎を回りはじめる。幽霊の身体はとても便利で、私が思うように障害物をすり抜けることができる。壁、ドア、天井や床まで。基本すり抜けるが、私がやろうと思えば普通に床を歩くことも可能だ。おまけに空も飛べる。というよりは浮ける、と言った感じが強いのかな。最初は楽しくて浮いて移動ばかりしていたけど、そのうち歩くのと浮くの半々くらいに自然となった。やはり歩くほうが落ち着くとわかったからだ。幽霊なのに変な話だが。
今は放課後になったところだった。一目散に帰る生徒、部活に向かう生徒、委員会の仕事が面倒くさいとぼやく生徒。いろいろな予定を抱えた生徒で廊下は賑やかだった。そんな中にいると、私もそんな生徒達の一員になったように感じる。
しかしそれは錯覚なのだ。
私はそれを思い知る。彼らの視線が私に向けられることはなく、また彼らの身体は私に触れることなくすり抜けていく。どんなに願っても、私は彼らに触ることはできなかった。壁や床、無機物に触れることはできても、彼らのように"生きている"ものに触れることはできない。生と死が、彼らと私を明確に線引きしているようだった。
こんなとき、私は得も言われぬ寂しさを感じる。強烈な孤独が私を蝕み身動きが取れなくなる前に、私はあまり人のいない場所へ逃げるように移動した。
幽霊なったことを自覚してしばらくは、学校をうろつくこともしないで、人気のない場所でずっとぼうっとしていた。時折、家に帰ってみたりしたが、そこにはもう居場所がないことを知った。私のいた場所は、家族から寄せられる喪失によって支配されていた。私と共に、私の居場所も死んだのだ。いないものとして扱われているのに、そこにい続けるのは辛すぎた。ここにいることを知らせようとしても手段がなく、家具に触れられても、例えばただの椅子がとんでもない質量を持っているかのように動かせないのだ。そこにいても、ただ家族が悲しむ姿と、私が間違いなく死んだことを目の当たりにするだけだった。そして、私の死は世界に影響を与えず、時間はいつも通り流れていることを否応もなく実感する。なので私は、程なく何かをするのをやめて、学校の人気のない場所でおとなしくすることにした。
そんなとき見つけた場所に、ひとまず避難する。生きているときも人混みが苦手だったが、まさか死んでも苦手なままとは。もっともその理由は変わったが。
いくつかある私の避難場所、今回選んだのは体育館の裏だった。そこへ向かう。しかし途中、体育館へ続く渡り廊下に出る辺りで、一組の男女が言い合いをしていた。おそらく三年生だ。
「だから栞、それは違うんだって。話聞けよ」
「なにが違うの? 訳わかんない。わたしよりそれを優先する理由がわからない」
「いや普通そうだろ……お前のほうが訳わかんねえよ」
「はぁ!?」
ちょっと立ち聞きしてみた。なにしろ向こうからは見えないので堂々できる。あの男の先輩、確か陸上部で大会とかも行ってる有名人だったような。名前なんだっけな、前聞いたと思ったんだけど……さ……さ、なんとか……ダメだ、思い出せない。まあいいか、よくあるカップルのケンカだろうし、女のほうが本格的に怒ってから内容も破綻してて特に面白くないし。スルーしよう。早く体育館裏でゆっくりしよう。そしてそこにはすぐ到着した。さすがの定番、やはり今日も人気はまったくな……い?
「タマー! タマー? いないのー? タマー」
いや、人がいた。そしてそれは見覚えのある人物だった。彼女は私の生前のクラスメイトで、一番初めに、そして一番仲良くなった子だ。名前は相原瑞希。出席番号で私の前の子だ。
「タマー! タマー……」
タマとは確か、彼女が飼っていた猫の名だ。彼女は人懐っこい性格で、私と仲良くなるとすぐ家に呼んでくれた。そのとき、彼女に紹介された白と黒のまだら模様の猫だ。顔が白と黒に綺麗に分かれていて、四本の足に白い靴下を履いているような配色が特徴的だった。家の中で飼っていると言っていたので、恐らく脱走してしまったのだろうと推測する。しかし学校にいるのだろうか。
彼女はひとしきり猫の名前を呼ぶと、少し疲れた顔をして、
「いないなぁ……」
と呟いた。もう一度辺りを見回してから引き返していく。私は彼女に近づくと、何回かやったように前に立ってみる。彼女はお構いなしに私に迫ってくると、スッとすり抜けた。やはり見えてもいなければ触れられもしない。
しかし私は、彼女についていくことにした。事情が知りたくなったのだ。それにもし学校にいるのなら、私が見つけられる可能性もある。ちょうど校舎を回っている途中であったし、一石二鳥というものだ。
瑞希のあとをついていくと、私が毎朝向かっていた教室に着いた。教室に入ると、ひとりの女子生徒が席に座って待っていた。
「どう? いた?」
彼女は立ち上がりながら瑞希に問いかける。名前は、ええと、なんだったかな……顔は覚えているけど、名前が思い出せない。
瑞希が浮かない顔で首を振る。
「そっちもいなかったみたいね」
そしてそう言った。名前が思い出せない彼女が神妙に首肯する。
「校舎内は一通り探してみたけど、やっぱり建物の中にはいないみたいね。人にも聞いたりしてみたんだけど……朝に見たって話だったかしら?」
「そう。でももうどっか行っちゃったのかな……ありがとう、さっちゃん。手伝ってくれて」
思い出した。彼女は篠田皐月だ。瑞希と同じように、クラスの中でも目立つ子だ。はっきりとした物言いをする美人、という印象だった。篠田さんとは話したことはないが、瑞希とは話している姿を何度か見たことがある。
「いいのよ。もう一回探してみる?」
篠田さんが提案した。彼女は良い人のようだ、と思った。
「今日はもう大丈夫……もう少しだけ探して、私も帰るよ」
「そう……わかったわ。それなら、私は生徒会行くけど……あまり無理しないでね。何かまた、できることがあったら言って」
篠田さんは荷物を持って、瑞希を覗きこむようにして言った。声の調子で、心配していることがわかる。
「うん、ありがとう。本当助かるよ」
そして二人は手を振り合って別れた。篠田さん、私が引き継ぐから大丈夫ですよ。
二人の会話から、瑞希の猫、タマがいなくなって、それが今朝学校のどこかで目撃されたことがわかった。しかし情報が少なすぎる。それだけでは、瑞希が言ったように、もう学校の敷地内にはいない可能性が高い。
とりあえず、瑞希が帰るまで見守ることにした。瑞希は言った通り、校舎内を回りながら窓から外を見たりしてタマを探し、それから帰っていった。タマは発見できず、校門前で校舎を振り返りながら溜め息をついた瑞希が印象的だった。
瑞希は、高校の入ってからできた唯一と言ってもいい友達だった。他にも何人か話す人はいたが、友達と言っていいほど仲良くなったのは瑞希だけだと思う。たった一ヶ月の付き合いだけど、地元から離れた高校に入学して、中学からの友達がいない私にとって、瑞希は大切な友達だった。私が死んだと知らされたときも、瑞希はとても悲しんでくれた。それだけに、幽霊になってから彼女から私の存在がまったく認識されないのが辛かった。当然と言えば当然であるが、それゆえに、これまであまり彼女に近付けなかった。しかし、この状況なら私ができることがあるように思えた。ならば、何もしない手はない。
あのマネージャーとか言っていたよくわからない男が私に託した、”花子さんパワー”とやらを使ってみるか。試すには良い機会だ。
花子さんパワー、その一。学校の敷地内の窓や鏡、つまり景色が写りこむ全てのものと視界を同期させることができる。ただし一つずつ片目のみ。瞬きで切り替え。この力を使えば、大量の監視カメラの映像をチェックするように学校中の様子を見れる。
よし、使ってみよう。もし学校内にタマがいるなら、これで見つけられるかもしれない。明るいうちに全てチェックするのが理想だ。今日は天気が良いので、私は何となく屋上に赴いた。給水塔に座ると、心地よい風を感じた。
よし。花子さんパワー、全開!
意気込んでそんなことを思ってみるが、なんの視覚効果やサウンドエフェクトが現れることもなく、視界が地味に切り替わっただけだった。
これは、思ったより辛い……。
一映像につき、〇、五秒くらいしか見ていないはずなのになかなか終わらない。一体いくつあるのだろう。しかもパッと見てどこの映像なのかわからないものも多く、判別に時間が掛かる映像もたくさんあった。それにやはり見つからない。一度猫が視界に入ってテンションが上がったが、明らかに色も模様も違ってタマではないことがすぐにわかって、テンションが下がった。
ここにもいない。
ここにもいない。
ここにも。
ここも。
いない。
これはもう、学校にはいないかもしれない。そう思ったときだった。次の映像に切り替える瞬間、前の映像の隅に何かがカットインしてきた。慌てて映像を戻す。そこには何かが動いていた。遠いのでわかりづらいが、これは間違いなく猫だ。白と黒の模様をしているように見える。これはタマかもしれない。可能性は充分にある。確かタマは首輪をつけていたはず。しかしこの映像では確認できない。この場所に行って自分の目で見るしかない。
ここは……どこだ?
門らしきものが見えるが正門ではなさそうである。ということは、裏門か!
私は視界を自身のものに戻す。そして、裏門へ急いだ。なんとなく来た屋上だったが、ここからならすぐに裏門へ向かえて都合がいい。私は迷わず屋上から飛び降りて、滑空するように裏門へ向かった。ふわりと裏門の近くに着地すると、辺りを見回してタマを探す。
どこ、タマ!
私は心の中で叫ぶ。すると視界の隅で何かが動いた。反射的にそちらを見ると、
「にゃあ」
白と黒に塗り分けられた顔、靴下を履いているような足元が印象的な猫が、こちらに向かってゆっくり歩いて来ていた。
いたーっ!
私はその猫に駆け寄ると、しゃがんで首輪をチェックした。毛に埋もれるようにしながらもしっかりとはまった赤い首輪が確認できた。猫が歩みを止めてお座りのポーズをしたので、確認しやすくなった。首輪から垂れ下がる銀色のタグを発見したのでそれに顔を近づけて何か書いてないか探ってみる。すると、恐らく飼い主の住所と、その猫の名前が刻まれていた。”タマ”、と読めた。私は、タマを見つけた。
やったよ瑞希! タマ見つけた!
私は思わず、その場でガッツポーズをした。そして勢いで、タマを抱きかかえようとするも――その手は空を切った。そうだった。生き物には触れられないんだった。そこで私は、はたと気付いた。
見つけたはいいけど、どうやって知らせればいいんだろう?