キミが決めていい
ネギとそれぞれキーワード「アイドル」「中毒」「エンジン」の三つで書いた(ネギはタイトル「どちらにいかれますか?」で公開しています)作品です。短編ってことだったんですが、だいぶ長くなってしまいましたので全七部に分けて公開予定です。宜しくお願いします。
『キミ、トイレの花子さんになってみない?』
例えば私に近い未来が視える能力があって、こんなことを言われる未来を知っていたらどう対応しただろうか。両手の親指と人差し指を立てて、片目を瞑り舌をペロッと出して『イイネ!』と言っていただろうか。それともカラスが食い散らかした生ゴミでも見るような目で、腕を組みながら『ちょっと何言ってるかわからないですね』と言っていただろうか。
今となっては、もう考えるだけ無駄かな。
私は今までじっくり眺めたことのなかった、幾多の星が輝く夜空を飽きるほど見上げながら、少しだけ過去の自分に想いを馳せる。
ことの始まりは、一昨日の昼過ぎだった。
初夏の風が、私の頬を撫でる。
校舎の二階、開け放たれた窓から見下ろす校庭は、昼下がりの陽気で満ちていた。
体育の授業中の生徒たちの声を耳に、私は窓を離れ、廊下をゆっくり歩き出す。一歩一歩、確かめるように進む。しかしその足音は僅かも響かなかった。
『おい、そこのキミ』
不意に声を掛けられた。いや、そんなはずはない、と頭によぎるがそれより早く体は反応していた。振り返ると、そこには男の子が立っていた。身長は私より少し高いくらいだった。少し茶色がかった短めの髪にまだ幼さの残る顔立ち。そしてそこに収まる透き通った双眸は確実に私を捉えていた。私は、本当に私に声を掛けたのか確かめるように辺りを見回したが、それは悪あがきに終わった。
そして思わず、『私が視えるの?』とお決まりの台詞を吐いてしまう。
すると彼は、くくっ、と笑う。
『視えてるよ、”故”安藤芽吹さん?』
そして、私の目を見て言った。
そう、私は死んだ。ついひと月ほど前のことだ。まったくそんな予定ではなかったのだが。つまり事故死だ。
それは春も過ぎ、次の季節の色が濃くなってきた頃。五月にしてはやけに寒い日のことだった。しまい損ねた年季が入ったストーブに火を点し、自宅の居間でごろごろしていた。中間テストが終わって、手応えがあまりなかったな、とぼんやり考えてた思う。よく覚えていない。強烈な睡魔に犯されていくように段々と頭がぼうっとしてきて、でも眠いわけではなくて、あれ、なにかおかしいな、と思った時には体がほとんど動かなくなっていた。
そして気が付くとここにいた。
訳もわからず、ふらふらと立ち上がった。どうやら朝のホームルームが始まる前の時間帯のようだった。まだぼうっとする頭で、とりあえずはと自分の教室に向かったのを覚えている。そこへ向かう途中、同じクラスで仲良くなった子を見つけたので声を掛けた。が、反応しない。聞こえなかったのかと思い、もう一度、今度は気持ち大きな声を出した。だが反応はない。すたすたと歩いて行ってしまう。私は焦れて、さらにもう一度呼びかけながらその子の腕辺りに触れた。はずだった。私の手は、空を切ったのだった。私は、そこで唐突にすべてを理解した。
『名前合ってる?』
声を掛けてきた彼は、続けてそんなことを言うと、楽しそうにまた笑った。
『い、いや、合ってるけどさ……』
て言うかなんで知ってんだ。
『あの、あなた……その、何者なの?』
恐らく制服の白いワイシャツとチェック柄のズボン姿の彼に、私は堪らず問うてしまう。
『オレ? えーっと、マネージャーってところかな?』
すると彼からはふざけた答えが返ってきた。
『は? ふざけないでよ』
私が語気を強めると、彼は、
『いや、割と真面目に』
と真剣な表情になって答えた。そしてこう続ける。
『キミ、トイレの花子さんになってみない?』
私はもう一度、
『は? ふざけないでよ!』
もっと強めに同じ台詞を言った。
『死因は?』
彼が問う。私たちは屋上にいた。話していると彼がおもむろに歩き始めたので、なんとなくついていくとここに辿り着いた。ちなみに屋上に続く扉はすり抜けた。便利な体である。彼もすり抜けたところをみると、ここに来るまでの間に彼が言っていた、彼も私と同じ類のものらしいということは本当のようだ。私はひとまず彼の質問に答えることにする。
一酸化炭素中毒――それが私の死因だ。
『それってあの、車のエンジンかけっぱにして、車内を排気ガスで充満させる、みたいなやつ?』
その通りだ。でも私の場合は部屋の中でそれが起こった。古いストーブが不完全燃焼を起こしていたらしい。それは幽霊になったのを理解したあと、家に帰ってみたらちょうど警察が親に私の死因を説明しているところだったのでそこで聞いた。見たことないくらい号泣する親を見ていられなかったし、いくら叫んでも届かない声と、いくら触れようとしてもすり抜ける身体に堪らなくなって早々に引き上げた。
『なんにせよ、ご愁傷様だったね』
……恐らくは遺族にかける言葉だろうけど、どうも。
『それで、さっきの件だけど、どうだい?』
トイレの花子さん。
私も小学校のときに聞いたことがある。学校の七不思議があれば、必ずと言っていいほど出てくるトイレにまつわる怪現象。それを起こしている張本人とされていたりする花子さんであるが、幽霊をスカウトしてやらせるものなのか? 幽霊界はよくわからない。そもそも幽霊になってから初めて話しかけられたというだけでも驚きなのに、そんなこといきなり言われても困る。
『ていうか、高校に花子さんなんて聞いたことないんだけど……』
とりあえずそう言ってみた。すると彼は、やれやれといった顔をして答える。
『別に高校に花子さんがいたっていいじゃないか。それに、”花子さん”ってのは役職名みたいなもんだよ。この学校を監視する……いや守るのさ。必要ならば少しだけど干渉もできる。それぞれの学校にいる花子さんにそこの管理の仕方は任せてあるから、何もしなければ荒れるし、しっかりやれば問題の少ない良い学校になる』
彼が一気に言った。なるほど……随分現実的と言うか、会社的と言うか。役職ってことは課長とか係長とか、そういうものと同じ肩書きということか。
『最近は少子化が進んで、学校が減ってきているから花子さんも少なくなったんだけどね……。でも少子化が進んでいるということは、その分死んでしまう子供も減っているということだ。つまり花子さん候補者も少なくなってるんだよ』
彼は更にそう続けると、私のほうを見た。だからなってくれない? とでも言いたげな目だった。
『ふーん……』
とりあえずその訴えの眼差しを無視して、私は屋上の柵の上に視線を向ける。そこには青く澄み渡る空に、こちらの事情などお構いなくのんびり泳ぐ白い雲。……はぁ。だからそんなこといきなり言われても困るってば……。それに、もっと先に知りたいことがある。
『あのさ、一つ聞いてもいい?』
なのでそれを聞いてみることにする。
『なんだい?』
『そもそも、この状態はどういうことなの?』
『この状態?』
彼はきょとんとした。ああもう、わかんないかな。
『だから、この幽霊みたいな状態だよ。私死んでるわけでしょ? なんかこう、天国とか地獄とか、この世じゃないところにいくんじゃないのってこと』
『ああ、なるほどね。確かに何も説明してなかったね』
彼が顔をぱっと明るくさせながら、わざとらしく右手で作った拳でポンと左の掌を叩く。じゃあ説明しよう、となんとなく楽しそうに言ってから語りだした。
『天国とか地獄とかはオレも詳しくないからノーコメント。で、ここはなんなのかだけど、端的に言うとあの世とこの世の狭間だね。現実世界と平行する四次元空間、緩衝地帯ってところかな。で、キミは幽霊。それは正解だね。肉体を失った、精神と魂だけの状態とでも言えばいいかな。キミがキミであるという認識があるから、肉体があるのときの姿をしてるわけだけど。あ、この”認識”ってのは非常に重要でね――』
それから彼はしばらくいろいろと喋っていたが、あまり耳に入ってこなかった。彼の話が途切れたところで、私はぼそりと呟く。
『ふーん……じゃあ、私は幽霊であることは、間違いない、んだね』
やっぱり、そうなんだ。
夢かもしれないと思っていた。どれだけそうであればいいか願っていた。しかし夢だとしたらやけに鮮明で一向に覚めない。だからこれは現実なんだろうと思い始めていた。死んでいるのに”現実”というのも変な話だが。
それに、”死んだ瞬間”の感覚は、今でも嫌になるくらいはっきりと私の中に残っていた。あの、「あれ?」と思った瞬間から、身体が自分のものじゃなくなったかのように全く言うことを聞かなくなって、それから頭のてっぺんから意識が吸い取られるように消えていって、その漏れていく意識の表面に映る私の人生の名場面集、いわゆる走馬灯ってやつを強制的にを眺めさせられながら「あ、死ぬ」と思ったのを覚えている。五感をすべて使って死を感じたような瞬間に、五感はすべて消えた。あれは”死”だった。圧倒的で暴力的で成す術がなかった。だからこれは夢じゃないんだろうとはずっとどこかで思っていた。
『……なら、私はなんで幽霊になったの?』
そうなのだ。死んだのなら然るべきところに行くべきなのではないか。いつもでもこんなところにいても仕方がないのではないか。すると、彼は事も無げに言う。
『それは簡単だよ。キミ、未練があるんだろ? この世界に。でなければ、死後一ヶ月以上経ったあともこんなところをうろうろしていたりしないよ』
『……っ!』
腑に落ちた。幽霊の存在理由と言えばすぐ考え付くような単純なことだった。そうか、なんでそんなことに気付かなかったのだろうか。いや、考えないようにしてたのかもしれない。訳がわからなすぎて頭が働かせられないまま、考えるのをやめていたのかもしてない。
……未練か。なんだろう。
『ところで、話を戻すけど』
彼は私の心模様など露知らず、おもむろにそう言った。
『その様子だと、未練が何かパッとは思いつかない感じなんだろ? じゃさ、未練を探すついでに、花子さんやってみないかい? 試しにさ。試用期間みたいな感じで。その結果で、キミに花子さんをやってもいいか決めてもらうなんてどう?』
意外と心模様を読まれていたようだった。しかし何としてでも私に”花子さん”とやらをやらせたいんだな……。
『ん、んー……。まあ未練は何かわからないのはその通りだけど……』
『やると言っても、特に何も条件は出さないし、特にやらなきゃいけないこともないよ。キミの過ごしたいように過ごせばいいだけさ。あ、でも少し現実に干渉できるようになるよ。”花子さんパワー”が使えるようになる』
『”花子さんパワー”?』
なんだその怪しいけど微妙に魅力的なワードは。私はちょっと興味が湧いてしまった。思わず彼のほうを向く。
『どんな力なの、それ?』
『引き受けてくれるなら教えるよ、一応部外秘だからね』
彼は顎に親指と人差し指をあててにやりと笑った。くっ……むかつく笑顔だ。
『……取引上手だね』
『ふっふっふ、気になるだろう』
正直気になった。現実に干渉できる力なんて言われて気にならないほうがおかしいだろう。それに、やってもいいかなと思い始めていた。彼については謎だらけだし、信用できるのかもわからないが、もう死んでるのだからそれ以上酷いことにはならなそうだし、別に他にやることないし。強いて言うなら未練探しからの成仏コースを目指す、ということはあるが、未練がわかったところでどうにもできず成仏できない可能性もある。だったら、試しに”花子さん”とやらになってみたほうが余生を楽しめるかもしれない。いや死んでるんだけど。
『……”花子さん”、試しになったあと、強制的にやらせられるとかはない?』
『それはないよ。さっきも言った通り、キミが決めていい』
『ほんとだね?』
『嘘は言わない。誓うよ』
私が確認すると、彼は真剣な表情を見せて肯定した。私は、その表情を信じることにした。もしかしたら死んでるのに死んでないような今の奇妙な状況に半ばヤケになっていて、判断力を狂わされているのかもしれないが、別にそれでもよかった。未練探しだろうが花子さんだろうが、やることができるのは歓迎だった。ふらふらと幽霊をやってるよりはずっと建設的だ。
『じゃあ、やってみようかな……』
『その言葉を待っていたよ!』
彼は嬉しそうに叫び、指をぱちんと鳴らして私を指差した。私は彼の突然の大声にびくっとなった。
『いやぁ英断だね。素晴らしい。では、約束通り”花子さんパワー”について説明しよう! おっと、それを可能にするアイテムも渡さないとね!』
彼は水を得た魚の如く、身振りを大きく生き生きとした表情をして矢継ぎ早に捲し立てた。
『お、おお……。よろしくお願い……します』
私は若干たじろぎながらも、そう答えた。そして彼が語りだす、その内容に耳を傾ける。