八話目
「それから昔伯母さんがココの国の人間と仲良かったから聞いたことがある、悪魔の話。そこからおそらくはうちの神社の神様だかの関係上ここに呼ばれた。儀式の前に。違うか?」
「お見事。と言うか冷静な判断力と記憶力ね」
「まあ、何かに利用しようと俺に近づいたんだろ?儀式の当事者だからな、俺は。終始賑やかし以外っつーか、お前たち二人は俺のほうに視線が有ったしよ。で、俺はなにをすれば良いわけ?当事者なんて言ってるけど、俺は儀式反対派なんだぜ。それは資料に無かったのか?」
秋斗の言葉に初めて明菜の瞳が揺れたのに気付いてしまった。そりゃそうだと思う。秋斗にすれば他人事かもしれないが僕たち、教会の人間にとっては今現在も進行している事件だ。何かに縋り付いてでもそれを打破しようとするのは当たり前だ。ナプジャでは神様かもしれないがこちらではなんというか、害虫だ。普段の僕のように。
「秋斗。あなたね、こちらの状況は理解していないようね」
「俺の手にはお前たちの資料がないからな」
「今現在ラングエンドではこれまでにない勢いで悪魔憑きの事件が起こっているの。過去最悪と言われた去年の数倍の速さよ。なにか対策を打たないとラングエンドは悪魔に乗っ取られてしまう」
「残念ながら協力できることはないぞ。撲滅できる手段があるなら聞きたいくらいだ。実際いるかどうかわからないものを消すってのはどうするか、さ」
「悪魔は居るの」
「どうだか」
秋斗が鼻で笑ったように吐き捨てれば、明菜がガチャリと音が鳴る程勢いよくカップをソーサーに下ろした。
「悪魔は居るの。一年間で莫大な使者を出す程度にはね。あなたには関係ない話かもしれないけれど、親善でもないのに呼ばれて来たのはあなたたちよ。拒むのは勝手だけどこれからの生活をしっかり考えなさい。こちらにはあなたたちにない強力な権力があるんだから」
明菜は一思いにそこまで言い放った。かなり抑えてはいるけれど怒りは完全に伝わっている。僕は少し怯んでマズイと思った。あの明菜が少し威圧的に言い放ってからではない。秋斗の表情を見てだ。秋斗は先ほどと同じ格好で明菜をじっと見ている。怯んだ様子もない。秋斗が次に言うセリフで僕の今後の扱いも変わってくる。秋斗へのではない。父や兄の僕に対する、だ。
「明菜…言い過ぎじゃないかな」
「ご、ごめんなさい」
「秋斗。気分を害さないでくれ。明菜は責任者だし、見知った人間がいなくなったこともあるんだ」
僕が明菜を制して秋斗の方を向けば座っていた椅子が床を引き摺って嫌な音を立てた。明菜は居た堪れないというように横顔をさらしているが、秋斗はそこから目を離さない。ナプジャの人間は分かり辛いと聞いたことがあるが、秋斗もそれに漏れずわからない。これは怒っているのだろうか。それとも呆れている?表情が変わらないからまったく見当がつかない。動いたのは数回の瞬きをした瞼と呼吸に上下する肩だけだ。
「秋斗…怒ってるんなら僕があやま」
「怒ってない…面喰ってただけだ」
「え」
「んなマジで怒んなよ…ちょっと毒づいただけじゃねぇかよ」
「秋斗」
「わぁーたよ。つってもできることねぇけどな」
座っている椅子の足の間に手を置いて、少しバツが悪そうに斜め下を向いて秋斗は言った。明菜が様子をうかがうように秋斗に向く様子を見て、僕はこの二人は似てると思った。僕にはとても扱いにくい二人組だ。そしてその二人と共にこれから過ごすことが多くなることは明白。頭痛がするような気がして少し頭を擡げた。
明菜は一度咳払いをしてごめんなさいと漏らした。その表情は先ほどのものから一歩普段使いのものへと変わってはいたが、そもそも秋斗には筒抜けだろう。
「取り乱してごめんなさい。でもこの国では実際に起こっていることなの」
「でも俺にはどうにも出来ないだろ」
「そうかもしれないわ。でもやれることは何でもしなければならないところまで来ているのよ、この国はね」
そういえば机の引き出しから分厚いファイルをアキとの前に出した。すらりとした指先が白くなるほどには重いものらしい。
アキとが遠慮なくそれをめくれば中にはラングエンドの言葉がぎっしりと書かれていた。瞬間秋斗は見るからに嫌そうな顔をする。
「…読めない」
「あら?ナプジャでは十二の年齢からラングエンドの言葉を習うんじゃないの?」
「ナプジャのラングエンド語講座はこれは花か机かって聞いてくるレベルのもんだぞ」
「ナプジャの人間は花と机の区別がつかないの?」
嘘でしょう?という表情の明菜がウェットに言えば、秋斗がそうなんじゃねーの?と返した。
嫌に打ち解けているぞ。僕以外。
元より僕は要るのだろうか、この会話に。さめ始めて湯気の立たなくなったカップを眺めながら一つ息を吐く。それに気付いた明菜がにやりと口角を上げた