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箱庭と精霊の欠片  作者: 日室千種
迷子の欠片
9/10

迷子の欠片

 翌朝は、酷く寝坊して、侍女に渋い顔をされた。


「ミリアンネ様にしても、遅うございます。今日は、皆様お屋敷にいらっしゃるとのことで、遅めの朝食を揃って召し上がるとのこと。先ほどから、皆様お待ちです」


 それはいけない。

 大慌てで身支度をしたが、どうもおかしい気がした。


「ミリアンネ様、皆様お待ちですよ」


 老執事まで迎えに来た。ますますおかしい。


「お姉様も、ご一緒されるの? 昨夜はとても落ち込んでいたようなのだけど」

「一晩たって、今は幸せいっぱいのご様子ですぞ」


 やけにすました顔で答える老執事に、侍女がそっと顔を俯けるのが気になった。


「幸せ? お姉様の婚約者様は、どうされたの?」

「ご一緒です。朝食の席に、すでにお揃いですよ」

「??? 朝からいらっしゃるの? 昨夜は泊まられたということ? では、夜によいお話し合いができたという……こと?」


 さようで。と重々しく執事が頷き、侍女はいつの間にか退室していた。

 何かがおかしかったが、ともかく、姉が婚約者と和解をしたというのなら、よいことだ。

 ミリアンネは執事に先導される形で、会食の間へと向かった。ミリアンネを待って、皆が前室でくつろいでいた。一人掛けのソファに父。その傍らに母。そして、長椅子に並ぶ、姉と婚約者。皆が入室したミリアンネに視線を向け、にっこりと朝の挨拶をくれる。父がいつもより固い表情にもかかわらず、さっと立ち上がって迎えに来てくれたのに、びっくりした。

 母は扇で顔を隠しているが、どこか呆れた様子だ。一昨日、あんなに取り乱していた人が、今はただ、静かである。

 姉と婚約者は、挨拶の後はお互いをちらちらと見合って黙っている。やけに、距離が近い。婚約期間中の適切な距離、というものがあった気がしたけれど、その堂々とした様子を、父も母も、咎める様子がなかった。

 父に手を取られて、会食の部屋に入るのは、初めてのことだ。どういった心境なのか。そっと見上げた顔は、これまた初めてみる渋さだった。

 会食は、婚約解消の手前まで言ってたことなど嘘のように、和やかに進んで、和やかに終わった。

 父と婚約者との会話に、言い知れない緊張感があったのだけが、少し変わっていたことだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ティールームのノックに振り向いた時には、後ろから抱きつかれていた。

 母とは違う優しい香りと、柔らかな温もり。


「お姉様?」

「ミリアンネ。また、しばらくお別れね。これから、王宮に戻るから」

「もう?」

「王妃様を、お一人にするのは、もう限界」


 腕を緩めた姉が、手元を覗き込んでくる気配がしたので、眺めていたものを持ち上げて見せた。

「これ……!」

「あ、ごめんなさい。勝手に預かって、しかも少しだけ、手を加えちゃった。ここの、実なんだけど」

「そう、この実よ。夏なのに、季節外れに実っていた、甘い実」

「甘い?」


 姉妹は互いに顔を見合わせた。

 色合いは違っても、二人は面差しがよく似ている。そのことを、ミリアンネ本人も、ふと気がついた。


「甘いって、なんのこと? この実は、飾りで、食べられないけど」

「違う。夢でね、出て来たの。これって、庭のあの木を模したのでしょう? 私たちが、よく遊んでいた場所だから。——そこに、光り輝く実が生っていたから、取りに行ったのよ」

「夢の中で?」

「ううん、初めは夢で。次には、本当に」


 ミリアンネは、まじまじと姉の顔を見つめてしまった。どうしてしまったのだろう。


「いやね、おかしなものを見る目はやめて。つまり、私は夢でこの木に実が生っていることを知って、起き出して、夜中に庭に出たのよ」


 パチパチと、ミリアンネは瞬きをした。

 今、姉の語りと同調するように、藍色の夜の空気をゆったりとかき分けながら、おぼつかない足取りで歩く、寝間着姿の姉を幻視した。まさか、だ。屋敷の庭とはいえ、夜、そんなはしたない格好で、外に出るはずはない。


「そうしたら、木の下に彼がいて。どうも、父の勧めで泊まっていたようなの。——で、彼が言ったの。どうしても夢で見た実を手に入れたくて、こっそり来たんだって」


 そう言って、ふふと笑った姉は、あどけなく楚々としているのに、なぜかミリアンネは胸が高鳴った。


「……実はあったの?」

「ええ、ひとつだけ」

「仲直りしたみたいだったから……半分こしたのね?」

「そうね、一緒に、私の部屋で食べた。……甘かったのよ、とても」


 ミリアンネは首を傾げた。

 庭のあの木に、そもそも実が生ったことがあっただろうか。特に、日差しが強くなりつつあるこのごろ。淡かった新芽も、濃く力強く開き、葉擦れの音絶え間ないこの時期に。

 ふと、手元のテラリウムを眺めた。

 緑茂る木の中に、宝石のように一粒光る、赤。そこに宿った、姉の背の靄を思い浮かべて。


「そうか、きっと、このおかげね。精霊かなにか、宿ってるんじゃない?」


 答えが出る前に、姉がそう言って、テラリウムを取り上げた。

 大切そうに掲げて覗き、にっこりと笑われれば、もうミリアンネも、そうかな、と思うことにした。


「精霊というか」

 それは、貴方の背から、迷子になった欠片。


 言わないでおいてもいいことかと、口を噤む。


「それで、いったいどうして仲直りできたの?」

「それはもう、心からの謝罪と、愛の言葉で」


 テラリウムをパートナーに見立てたように、くるりと回る姉からは、まともな説明はなさそうだ。結局、二人のことは二人にしか分からないのだろうか。ふと、老執事の持論を思い出して、ミリアンネは溜め息をついた。

 そういえば、もう解決したのなら不要なのかもしれないが、伝言を預かっていたのだった。


「お姉様のお知り合いの、眼鏡の女性……男性?から、伝言があるのだけど。もう解決したのなら、要らないのかもしれないけれど」

「え、ルージェが来たの?」

「テラリウムの図版も預かってる。伝言は『それで、黒幕は?』って——」


 つと真面目な顔をした姉だが、すぐには思い至らないらしい。考えてみる、と言う。


「図版は貸し付ける、ということなの?」

「それは……」


 図版に意識を捕われていて、よく聞いていなかった。揃えて差し出した図版を、姉は受け取ろうとはしない。ただ、少し口を尖らせて、恐ろしいことを言う。


「あの人のおばあさまって、隣国のとてもよいところの方だから、たぶんそれ、とっても貴重なものよ」


 取り落としそうになって、慌てて持ち直す。薄々、そうではないかと感じてはいたのだ。個人の趣味でまとめた図版にしては、絵の質が高く、紙も絵の具も劣化の様子がない。


「お、お返しした方がいいかな」

「わざわざ持って来たんでしょう? いいんじゃない? 参考になるの?」

「とても、とてもいい図版なの! すごいの! わたし、これでやっと、作りたいものが、作れそう」


 勢い込んで返事をすると、姉がえも言われぬ、嬉しそうな顔をした。


「なら、いいじゃない。大事に見せてもらったら。何かあっても、ちゃんと助けて上げる。ミリアンネがそんなに喜ぶなら、ほかにもそんな図版がないか、調べてみるしね」


 にこにこ、と花のように姉が笑う。

 その笑顔が、自分の喜びが引き出した輝きなのだと、わかって。

 ミリアンネは姉の肩口に、頭をすり寄せた。


「精霊さん、ありがとう」


 声に出さないお礼に、姉の手の中で、赤い林檎がきらりと光ったようだった。





 

 かくして、侯爵家令嬢の愛を取り持ったアイテムとして、ミリアンネの造ったテラリウムは、次の社交界の大きな話題となった。

 幸運の精霊が住む小さな箱庭。幸運のテラリウム、あるいは、精霊の箱庭として。


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