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箱庭と精霊の欠片  作者: 日室千種
迷子の欠片
5/10

姉と父の対決

 馬車に乗り込みながら、姉が憤然とした様子で、ミリアンネに宣言した。


「王宮に行くわ」


 はい、と頷きそうになって、思い直す。いつ、行くのだろう。誰が?


「今からよ。ミリアンネも付いて来て。お父様が屋敷に戻られるのを待っていては、時間がもったいないもの」

「え、え、けど、お姉様、私たちは街行きの格好だし。このまま参上して、通してもらえるの?」

「……通用口から入って、王宮の私の部屋で着替えましょう。ミリアンネは……いえ、そうね。急ぎすぎては、ダメね」


 逸る気持ちを抑えるためか、姉が深く息を吸って、吐いた。

 ミリアンネが留守居をして、姉一人で王宮へ参じればいいではないかと思う。けれど、どうやらミリアンネが同行する事は、姉の中では決定事項のようだ。意図はわからない。けれど、ミリアンネはただ、はい、と受け入れた。

 馬車は来た時より勢い良く走り出した。

 王宮に参じると言っても、正式に表から行くわけではない。それなら、華美に飾り立てず、清楚な装いであれば、正装でなくとも問題ないらしい。

 ミリアンネは屋敷に戻ると姉の部屋へと連行され、そこで、まだ仕立てて着る機会のなかったドレスを身に着け、姉の侍女に化粧とアクセサリーを施されて、慣れない靴によろめきながら、再び玄関へと姉の後を追った。

 先ほどとは違い、御者もついた、乗客の見えない箱型の馬車がすでに用意されていた。ただし、黒一色の外観で、扉の取っ手付近にひとつ、きらりと侯爵家の紋章が光るだけの素っ気ない姿だった。

 老執事が丁重に見送ってくれて、姉妹は連なって乗り込み、一路、王宮を目指した。

 王宮は、街の北、高台にある。

 正面の大門は街の中心を堂々と貫く大路に続くが、その巨大な門扉は特別な日にしか開く事はない。王宮への客はその隣にあるやや小さな門を潜るが、王宮で働くものたちは、ぐるりとまわった横手、通用門から出入りする。

 通用門とは言っても立派な門の前の、さして広くもない急勾配の道は、人で埋め尽くされていた。お仕着せを着た女官、鎧を纏った騎士、官服の役人と、荷運びの人夫、大勢の下働きの女たち。

 ぎりぎりまで馬車を寄せて、少しだけ遠巻きになった人々の間に降り立ったミリアンネは、見知らぬ世界を見る心地だった。

 これほどの混雑は、生まれて初めて見る。ましてそのただなかに、降り立つなど。

 喧噪と、埃っぽい匂いが、押し寄せる。

 ぼんやりとしていたらしい。姉に手を引っ張られ、意識を戻す。着いて来いと示して、姉はぐいとスカートを掴み上げると、足首が見えるのも構わず、ずかずかと歩き始めた。ミリアンネもまた、姉の背中に遅れまいと、ひたすらに追いかける。

 人の間をするすると縫い進めてようやく門を潜り、すぐに人ごみから少し離れた。姉の顔を見て道を空けた衛兵の背後、頑丈な扉を潜り、建物内の薄暗い廊下に入り。そこでようやく姉妹はスカートを下ろしたが、姉の勢いは一向に衰えなかった。

 時折すれ違う人間に会釈をしながら、石床を歩き、階段を登り、もうミリアンネだけでは戻れない複雑な通路を行くと、やがて、足音が消えた。

 広々とした廊下を、柔らかな深紅の絨毯が覆っていた。


「執政棟よ。奥の方に、お父様の部屋がある。お部屋にいらっしゃるといいのだけど」


 国の中枢だ。

 ミリアンネが一生立ち入る事のなかったはずの場所。

 けれど実感がない。

 ミリアンネにとって確かなのは、目の前の華奢な姉の背中だけだ。

 広い廊下に並ぶ扉ごとに立つ衛兵は、特に何も誰何しては来ない。空気のように、静かだ。

 やがて、姉が立ち止まった。


「ここよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 



「アリアルネ。どうした、急に。それに……ミリアンネまで?」


 衛兵と補佐官と、二段階の防波堤をこともなげに乗り越えて、姉はミリアンネを連れて、サリンガー侯爵の執務室に入った。

 娘の来訪を聞いてもなお厳しい顔つきのまま顔を上げた侯爵は、ミリアンネを見て、思わず、というように、何度も瞬きをした。


「お仕事中に申し訳ございません、お父様。私の婚約者のことで、お話したいことがございます」

「ゴホン……、いいとも。だが、個人的なことだ。屋敷で話すがいい」

「そうして引き延ばされる事が分かっていて、おとなしく屋敷で待つとお思いですか?」

「何? 待つべきだろう。待たずになんとかできると考え、押し掛けてくるその厚かましさは、改めるべきだ。……そしてお前は、なににつけ、表に立ちすぎる」

「お父様。厚かましさも、私の戦略です。表に立ちすぎるとおっしゃる意味はわかります。けれどそれは、今更です」


 凛と立ったまま、姉は真っ直ぐに父親を見つめて、動じなかった。


「私が、王妃様にお仕えしたいとお話しした時に、議論し尽くしたではありませんか。王妃様にお仕えする限り、私は矢面に立たなければなりません。お仕えする事をお許しいただいたその時から、私の立つ場所は、変わる事はなく。そしてこれこそが、サリンガー侯爵家を守るための、私の役目です」

「今日の話は、個人的なものなのだろう。みだりに陛下のお名を出すな」

「はい。その通りです。今日は私の婚約者と、サリンガー侯爵家の事をお話ししたいのです。

 ——彼が、婿入りをしたとしても。サリンガー侯爵家を実質継ぐのは、私です。彼では、ありません」


 父の顔と仕事の顔がせめぎあっていた侯爵が、再びみるみる険しい顔をした。


「どちらが実務を執るにせよ、王宮に勤めながら当主の仕事量をこなせると思うのは、思い上がりだ。儂とて、当主として長く経験を積み、手足となる人間に恵まれているからこそ、今はかろうじて両立できている」

「存じております。そのあたりは、彼に助けてもらいます。彼だって有能なのです」

「あれがか!」


 苦々しい顔になった侯爵は、一度大きな息をつくと、ぐいっと眉間の皺をもみ消した。


「お前が結婚を機に、王妃陛下のもとを辞するのであれば、何とかなろう。その決意を聞けば、父はそれでよい」

「まさか、でしょう。お父様。先ほど申し上げたではありませんか。今更、私は決意を変えはいたしません」

「思い上がったものだ」

「お父様は、耄碌なさいましたね」


 ふん、とサリンガー侯爵は鼻で笑った。冷たい笑いだ。


「その通り、耄碌しているので仕事に時間がかかる。——おとなしく、家で待っておれ!」


 一喝。

 補佐官が駆け込んできて、表情のないまま、丁寧に姉を扉へと誘った。

 きゅっと唇を結んだ姉は、じっと父を見つめたあと、身を翻した。

 ミリアンネには、誰も目を向けない。当然、姉に付いて行くと思われているのか。デビュタント前の子供は、彼らにとっては空気のようなものなのかもしれない。


 ミリアンネは、父と姉の背中を眺めて、口を開き、そして閉じ、やがて俯きがちに姉の後を追って部屋を出た。 

 姉は、廊下に立ち尽くしていた。


「お姉様」


 近寄って、小声で問い質す。ここまで付いて来たのに何も説明されないことに、諦めを感じながらも、尋ねてみるのは許されると、そう思った。聞くだけなら、できるはずだ。


「どういうことなの? お父様に、あの方に何を言ったのか、聞きに来たんじゃないの? どうして、侯爵家の当主のお話しになるの?」


 姉はすぐには答えずに、そっとミリアンネの手を引き、父の執務室に背を向けて歩き出した。

 少し離れた小さな部屋が無人であることを確かめると、中へ入り、そっと扉を閉めた。


「……お父様が彼に何を言ったのかは、実はほぼ予想がつくのよ。お父様は、彼への評価が厳しいから。次期当主としては、頼りないと思っているのでしょうね。おそらく、彼は試しを言い渡された。その内容を問い質すより、お父様の彼への評価を正さないと、同じこと。そう思ったの。けど、うまくいかない」


 姉は暗い目を、じっとミリアンネに宛てながら、どこか遠くを見ているようだ。


「うまくいかないのよ。王宮に上がってからずっとね。——これが、華麗な駆け引きの世界よ、ミリアンネ。親子であろうと、自分の道を通すためには関係ない。私は決めた道だし、私の未熟による結果よ。わかってる。

 けど、ミリアンネ。好きでもないのに、わざわざこんなところに、来なくってもいいの」


 いいのよ、と姉は、ミリアンネに向けて哀しく微笑んだ。

 もしかして、と思う。

 もしかして、姉はこの一言を伝えるために、ミリアンネを王宮に連れて来たのだろうか。

 朝食の時に言われていたなら、どうせ私なんか、と素直に受け取れなかったかもしれない。けれど目の前で姉が父に厳しく叱責されて退室したところを見ては、上辺だけの言葉だとは、到底思えない。

 ミリアンネの目から見た姉は、両親の期待と誇りを一身に受けて、華々しく王宮へ、駆け引きの世界へと身を投じたようだったのだが。

 ——いや。


「お姉様、お父様に駆け引きなんて、必要なの?」

「お父様は、初めから私の王宮勤めに反対されていた。ことあるごとに、失敗や至らないところを見つけては、家に引っ込め、勤めを辞めろと、心ないことをおっしゃるの。私が王宮で、最も神経を使って交渉しなければならない相手よ。直接の利害関係はないのが、幸いね」

「でも」


 言い止したミリアンネに背を向けて、姉が溜め息をついた。

 その姿に、じわりと悟る。今、姉の心は、閉じている。今朝のミリアンネと同じ。何かを言ったとしても、その言葉のとおりに受け取られることは、難しいだろう。

 細い肩。少し目線の高さは負けているが、もうミリアンネと変わることのない小柄な背丈。いつも背筋を伸ばして堂々としているために、いままで大きく見えていたのだろうか。

 いつもなにをしても、姉のようにはできない自分を否定する声が頭に響いて、ミリアンネをがんじがらめにして来た。その声は、母のものだったり、父のものだったり、使用人たちのものだった。家族が、皆が、自分を否定する。

 もしかして、姉も今、そんな気持ちでいるのであれば。


「あの、私からもお父様にお話してみたい」


 思い悩むより前に、そう、言葉にして言うことができた。言った言葉が、さらにミリアンネの背中を押した。


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