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箱庭と精霊の欠片  作者: 日室千種
迷子の欠片
4/10

姉の推理

「ま、私が気がついた事は以上よ」


 言われるなり、姉は机を叩く勢いで立ち上がった。

 何故か、綺麗な爪が割れはしないかとばかり気になって、ミリアンネははらはらとしてしまう。

「五分ちょうだい」


 言い放ち、目を伏せ、立ったまま軽く腕を組んで。

 綺麗な爪で、組んだ腕にリズムを刻む以外、彫像のように動かなくなった姉をよそに、店主はいそいそとお茶を入れ、茶菓子まで出してミリアンネにも勧めてくれた。空気でいたつもりが、彼女はきちんと認識してくれていた事に、ようやく気がついた。


「ねえ、ミリアンネさん。おうちでも、アリアルネってこんななの? 大変ね、妹も」

「い、いえあの」


 歳が離れてて、今まで一緒に過ごす機会もなく——とは、何となく言いたくなかった。


「あの、いつも姉は完璧で……。でも今日は初めてこんな、こんな……そのままの姉を見られました。びっくりしましたけど、私は、嬉しい、と思います」


 自分の中の言葉をそのまま口にすると、店主は、いい子や〜とお茶菓子を勧めてくれたが、眼鏡の女性は、冷めた目を隠さなかった。


「完璧な姉さんか。これだけできる姉がいると、息苦しいだろうに。随分と優しい感想だな」

「姉は、大好きです」


 そこは、心の中に根を張っている部分だ。変わる事はない。


「姉は、今の私の歳には王宮勤めを考え始めてたって。家のため、国のためにできることを探してたって。そんな姉は、尊敬すべき人です。……息苦しいって言えるほど、私は比べるようなものじゃなくて。追いかけようにも、私の中は空っぽで、少しも、なにも姉のようにはできないから……。姉とは全然違って、父や母にも心配ばかりかけていて。どうしようって。このごろになってようやく、そう思ったところなんです。——どうしよう、って」


 どうしよう。

 私には、姉のようにはなれないのに。


 俯いてしまったミリアンネには、眼鏡の女性が顔を顰めたのは見えなかった。十分、息苦しそうよね、と店主が声なく呟いたのも。


「うん、だいたい、わかったわ」


 幕を引くように、姉が澄んだ声で宣言したのは、その時だ。

 ふう、と勢い良く息をつくと、いささか乱暴に席に座り直し、店主が入れた茶を飲んだ。


「で、シロなの? クロなの?」

「面白がらないでよ。それに、わかったのはだいたいの流れ。決定的な何があるわけじゃない」

「のらりくらりと言っても仕方ない。君にとっての問題は、浮気が事実かどうか、だろう?」


 姉が、ティーカップをぴたりと止めた。

 舞い降りてくる鷹のような目で、答えを絞り出した。


「シロ、ね。限りなく」


 ミリアンネは、体の強張りがほどけるのを感じた。婚約者が心変わりしていないのならば、姉の憂いは晴れるはずだ。

 けれど、姉の表情は暗い。苦しげで、それでいて何者も逃すつもりのないような、鋭い顔。


「不特定多数の女性と密会の目撃証言。これが、ある時期にいきなり出て来た。おそらくそのうちの、少なくとも二人と街で会っているのも目撃されてる。その一人が、昨日私に突っかかって来た、子爵家の娘ね」

「街での目撃証言は、金の髪の娘と会っていた、というのが、三日分。それだけで二人以上って断定できるの?」

「最初の女性たち、目撃場所や時間、服装なんかからすると、すべて王宮勤めの下級侍女たちだと思う。上級侍女は数も少ないし、立場も身分もはるかに重いから、相手にされなかったのかもね。あるいは、さすがに私に近いからやめたのか。

 ともかく、下級侍女の中で、遠目でも金の髪と分かる娘は、三人。子爵家の娘も下級侍女として勤めているし、金髪は見事ね。街で目撃された日のうち、子爵家の娘が休みを取った日は、一日だけ。となると、残り二日は、別の金髪女性が相手だ、ってこと」


 もしかして、と店主が呆れた声を上げた。


「貴女、下級侍女のすべてを把握して、休みの日まで、頭に入ってるの?」

「城の女たちは侍女から下働きまで皆、王妃様の管轄だもの。補佐する私が把握してなかったら、何もできないじゃない」

「や、それ当然のような顔でできる事じゃないと思うけど。一体何人いるのよ」


 姉はそんな情報屋に、眉を上げた。


「耳に入った噂話を一字一句覚える人が何を言ってるの」

「うん、お話としては覚えられるけどさ。名前と日付だけ、とかだと無理無理。——まあいいとして、それ、それでもシロなの? 浮気無し?」


 きりりとした顔が一転、ぐしゃりと歪んだ。

 口はへの字になり、眉は垂れ下がり、鼻の頭に皺。そんな顔で姉はミリアンネを見て。そして、涙を飲み込んで、再び前を向いた。


「シロ、だと思う。希望じゃなくて。何か、必要に迫られての行動だと思う。浮気を意図しては、いなかった。

 執政宮の方で、何かなかった? 昇進に必要な条件、資格審査、あるいは、意味不明な圧力……」


 姉と店主の視線が、眼鏡の女性を向く。

 ここまで、情報を提供して来たのは店主だけだ。店の客、品物を納めに行く屋敷、王宮の客室……そんな場所で、軽いおしゃべりにちりばめられた真実の断片を、まるごと暗記する、情報通だそうだ。

 では、眼鏡の彼女(・・)は。


「ずっと記憶を探っていたが、特に変わったことはない。彼の勤務態度としては、ここのところ少し気鬱な様子だったようだが——昨日は、あの後、使い物にならなかったので、家に追い返されたと聞く」


 少し面白そうに、片頬で笑う。姉が眦を吊り上げた。そうすると、母ととてもよく似ているし、穏やかにいてほしいと思うミリアンネだが、さすがに少し気持ちがわかった。仕事ができずに追い返されたなら、アリアルネを追いかけて、謝罪に来てもいいはずだったのに。

 実際は、手紙すら来なかったようなのだ。

 ぐぐっと、姉の頬に力が入った。


「楽しそうよねえ、執政宮。繰り言愚痴に恨み言、喧嘩に議論に、牽制の仕合! 一般人が入れないのが残念。どうしてあんたはそんなに淡白でいられるのやら」


 店主が、酩酊したように薄く頬を染めて、うっとりと問う。眼鏡の女性は、冷たく鼻を鳴らした。


「知識を整理して蓄積させるのが、私の趣味だ。仕事上の理解が広がるし、深くなるから、その点においては、実益も兼ねている。個人の感情には興味はない。愚痴も喧嘩も、その中の知識だけを抽出して、私の中で再構成するだけだ。

 どこで男女がくっつこうが、それが仕事に影響を及ぼす場合以外は、単なる個人の私事。まったく興味がわかないな……」


 ふと、眼鏡を煌めかせて、彼女(・・)は思考を巡らせたようだった。


「——そうだ。私は興味がなかったから、無意識に記憶から追いやっていたが。勤務時間中に、サリンガー侯爵が彼を呼び出していた」


 ぽろりとこぼれた名前に、姉妹が顔を見合わせた。


『お父様が?』


 声がきれいに重なった。


「ああ。税率の微調整があった、特に忙しい時期だったから、主力を引っ張られて室長がぼやいていたのを覚えてる。三ヶ月ほど前だ」

「ちょうど初めの目撃証言が出てくるころね。——つながるわね」


 王妃陛下の懐刀は、触れずとも切れそうな声で、呟いた。

 夜会の黒百合とも呼ばれているというが、そちらは嘘かもしれない。


「ありがとう、ルージェ。思い出してくれて」

「礼は、さっきのテラリウムでいい」

「え、でもあれはひとつしかなくて……」

「両腕を広げたくらいの広さのを、作ってもらいたい。うちのジョイを入れてやりたい」


 う、と姉が顔を引き攣らせた。


「ジョイ、ってまさか、あの?」

「そう、土蜥蜴。これだけ緑の気が強い環境なら、少し穏やかに過ごせるようになるだろう」

「う、うーん、ちょっと、作り手に尋ねてみるわ。あまり期待しないで」


 頼む、と追い討ちをかけたルージェは、ちらりとミリアンネを見てから、そっと人差し指で眼鏡の位置を直した。


「もし作ってもらえるなら、祖母が集めたテラリウムの図版を譲ろう。参考になるだろう」


 にやり、と片頬で笑う様子は、まさに悪役。

 その肩に、店主がぽんと片手を置いて、こちらもにんまりと、人を食ったような笑顔を浮かべた。


「とにかく、けりをつけてよ。感傷に浸るうちに蹴落とされてました、なんてへま、しないでよ」

「君に、我々の命運もかかっているわけだからな」


 言い放つ彼らは、どこまでも真剣なのが、伝わる。

 姉は黙ったまま、その激励に、優雅な一礼を返してみせた。



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