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箱庭と精霊の欠片  作者: 日室千種
迷子の欠片
3/10

姉の反撃

 貴族の屋敷の一日は始まったばかりだったが、街はすでに活気に満ちていた。

 まずは立派な門構えの店の車寄せに、馬車を付けた。紅茶店だった。そこでいくつか茶葉を買うと、次は看板に花と帽子が描かれている店。誰かへの贈り物でも見繕うのかと思えば、妙齢の女性の店主と二言三言話すと、奥へ通された。ここが目的地で、茶葉が手みやげだったようだ。そこへ、もう一人、珍しくも眼鏡をかけた女性が加わって、店主と姉と、テーブルを囲んだ。

 ミリアンネにも、姉の横に席が設けられた。


「妹よ。ミリアンネ」


 姉はそれだけで、紹介を済ませてしまった。それでは、この場に適切な挨拶もよくわからない。おたおたしてから、結局黙ってぺこりと頭を下げた。目上の人間から紹介された時に、勧められない限りは、自分から紹介を追加しないもの、だったと思う。

 眼鏡の女性はちらりと視線を寄越しただけ。店主はにこりとして来たが、それで、とすぐさま姉に向き直った。


「やばいよー、もう私まで届いてる。なんなの、わざとなの?」

「違う。傷心すぎて、ちょっとそこまで頭が回らなかったの」

「傷心て。え、まさか、気付いてなかったの?」

「——そう、そう、そのとおり。仕事ばっかりで、なんていうの? 背中を預けるほど信頼してたっていうか? 疑うなんて思いもよらないというか? ——ってことは、そっちは何か気付いてたって事?」


 店主は、奇妙なものを見る目で姉を見て、それから眼鏡の女性とふたり、肩を竦め合った。


「あのアリアルネ・サリンガーがねえ。ここまでべた惚れとは」

「色恋で物事を見る目が曇るようでは、今後困る」


 姉の、姉らしくない、初めて聞く砕けた話し言葉にぽかんとしていたミリアンネは、眼鏡の女性の声を初めて聞いて、思わずその顔を凝視した。美貌というわけではないが、丁寧に磨かれた容貌。どうしても女性にしか見えないが、顎の線と、体つきは、そういえば少し、厳ついようにも見える。

 混乱しきりのミリアンネは、しかし空気のように扱われていて、誰にも気付かれないし、咎められなかった。


「ほうっておいて。惚れているのは自分でも承知よ。だから、きっちり、きっっっっちり、片をつける。——そのための、情報をちょうだい」


 姉の言葉を理解して、叫ばないように口の内側を噛み締めたのは、自分で上出来だったと思う。

 仮にも侯爵家の娘として、教育は受けて来ている。いずれ社交の場に立つ時になったら、情報というものが、なにより貴重な戦力となる事も、充分に教え込まれている。独自に持ち得た情報源については、たとえ親兄弟であろうと、むやみに明かしてはならない。そう教わったと記憶しているのだが。

 何故姉は、何も知らず役にも立たない妹を、自分の情報源のもとに連れて来たのか。


「プライベートでしょー。手当付けてよ」

「何がいいの?」

「そうねー……」


 店主は上を向いてしばし考える間に、姉はそうそう、と言って、ミリアンネにちらりと視線を流した。


「これも、お礼」

「!!」


 いつの間に、という言葉も、懸命に飲み込んだ。

 それは今朝まで居室の端に置いてあったはずの、ミリアンネのものだった。

 釣り鐘型のガラスの世界に、瑞々しく繁る青い苔と、数粒の赤い実をつけた小さな木。頂部には金具があり、吊り下げる形になっている。


「へえ。えー、ちょっといいじゃない」

「でしょ。店に飾るかな、と思って。一点ものよ」


 姉の言葉は正しい。あれは正しく、一点ものだ。

 ミリアンネは猫のように全身の毛を逆立て、けれどそれ以上、どうしていいか分からずに、固まっていた。

 いいのだろうか、あんな子供の工作のようなもの。あんな、苛立ちを吐き出すために、手慰みで作ったようなもの。


「テラリウムだ」


 眼鏡の——女性、が、ぽつりと言葉を落とした。


「テラリウム?」

「そう。こういう、箱庭の一種だけれど、草や木が主役なもの。小さな風景を切り取って詰め込んだようなもの。お祖母さまの若い頃には、隣国でかなり流行ったそうだ」

「ふうん。世界が、凝縮されてるみたいね。こんなに小さくて簡単なものなのに、目が離せない」

 店主は、ことのほかそのテラリウムを気に入ったようだった。

 いいわ、今日は何でも聞いて! と腕まくりを始めたのに、姉が不審げな顔をした。

 ミリアンネも、相当に不審な顔をしたと思う。けれどやはり、その場の誰も、ミリアンネを気に留めていなかった。


「友人が落ち込んでても心動かされない貴女が、急にどうしたの? 悪いものでも食べた?」

「どういう目で私を見てるか、よおくわかった。まあ、伊達に長い付き合いではないわね。友情と、商売とは、別よ! ——ねえ、このテラリウム、絶対に受けるわ。他には秘密にして、私にだけ、作り手との繋ぎを付けてよ」


 姉は、ミリアンネの方をうかがう様子もなく、さらりと首を振った。当然だ。姉だって、顔には出さないが困惑しているに違いない。そこまでの価値がある品ではないのだ。

 ミリアンネは、きゅっと唇を引き結んだ。


「それは、職人が作ってるわけじゃないから。注文なんて受けない。言ったでしょ? 一点ものなの」

「そんなあ」

「友情と、商売とは、別なんでしょ」


 いいから、こちらの欲しい情報をちょうだいよ。姉はそう言うと、笑みを消して、見えない何かを見据えたようだった。


「まずは、知らなくちゃ」


 震えながらも立ち上がる、子馬のような、ひたむきな目だった。


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