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箱庭と精霊の欠片  作者: 日室千種
迷子の欠片
2/10

姉の突撃

 翌日、朝日に目蓋をくすぐられながらも、温かな寝台で微睡んでいたとき。


「ミ、リ、アンネッ」


 突然にしなやかなものに伸し掛かられ、顔にはいい香りの髪がばさりとかかって、ミリアンネは跳ね起きた。跳ね起きようと、した。

 ぐっと胸を押さえて止められる。中途半端に首を起こした状態で、自分の上に乗った人を、呆然と見上げた。


「ふふっ、お寝坊ね。まあ、お母様もまだ夢の中でしょうけど。せっかくですもの、一緒に朝食をいただきましょう」


 昨夜の涙の名残もなく、目蓋の腫れもいささかもなく、輝かしい笑顔なのは、とても良い。

 けれど、淑女であるはずの姉が、ミリアンネの腹を跨いで膝立ちをしているのは、なんだか良くない。マナーの講義で、そうと学んだことはないけれど。


「え……、え、ええ? 姉様?」

「おはよう、ミリアンネ」

「お、はようございます……」


 反射で挨拶は返しても、頭の中は疑問符ばかりだ。

 そんなミリアンネの鼻をつつき、面白そうに覗き込んでから、姉はさあさあ、と促して来た。


「着替えて。何でもいい……これがいいかな」


 ミリアンネのクローゼットから、適当に選んだ一着を押し付けてくる。自力で着替えられる普段使いの服を、半覚醒の状態で、もたもたと身につけた。

 それから隣の部屋に移動すれば、すでにそこには姉妹用の朝食が用意されていた。湯気を立てて、美味しそう、なのだが。

 ここはミリアンネの居室であり、昨夜寝台に入るまでは、こんなテーブルセットは置いてなかったように思うのだが。


「座って。食べましょう」


 言われるがまま、指定された席に着き、勧められるまま、食事を始めた。

 いつもより、品数が多いように思う。ひとつひとつの量はごく少ないので食べきれるだろうが、盛りつけはもちろん、味付けも、いつもより複雑でひと味違う。

 時々、レシピの確認として家族の食卓にも並んだ事がある。サロン用の軽食のようだ。

 また近くそんな予定があって、練習でもしているのだろうか。

 ミリアンネは内心首を捻りながら、いつもより贅沢な朝食を楽しんだ。


「うん、さすが、侯爵家(わがやの)料理人。ぶっつけでここまで再現するなんて、さすがね」


 姉は、さらに楽しそうだ。どうやら、姉の要望によるメニューらしい。そう気がつくと、厨房の張り切り具合も予想がついた。

 姉はたまに家に戻ってくると、いつも家の空気を変える。皆が、ぴりっとした緊張と気合いとを漲らせるようになる。それは将来の女主人として、得難い資質だと、皆が口を揃えるものだ。

 だが昨日あれほど萎れていたのは、夢だったのだろうか。そしてそもそも、こんなにあけっぴろげで、おおらかな人だっただろうか。

 そう思って、ミリアンネはふと気付いた。

 姉と二人きりで食事をした事など、一度もない。


「ミリアンネと、こんなにゆっくりするのは初めてね。もっと一緒に過ごせたらよいのにね」


 まさに同じ事を言われて、姉を見る。じっとこちらを見る緑の眼。彩られた綺麗な指が、小さくちぎったパンを口に押し込んだ。

 なんと答えるべきなのだろう。ミリアンネは忙しく瞬いた。姉と二人の食事は、少し緊張するが、純粋に嬉しい。けれどその嬉しさを前面に出すには、姉が忙しすぎることを知っていた。


「ね、姉様は、お仕事がお忙しいから」

 ミリアンネの返答に、少し姉の眉が寄った。

「まあ、そうね……」


 さらに少し声が尖っていたので、ミリアンネは思わず、歪な笑みを浮かべてみせた。それに、姉は少し首を傾げ、気を取り直したようだ。

「確かに家にあまり帰れなくて、疎遠になってしまうのは、申し訳ないけれど。毎日同じことはなくて大変だけれど、王妃様はとても良くして下さるし、楽しいのよ」

「楽しい、のね……」

「そう、楽しいのよ。ミリアンネは、王宮に出仕したくはない?」


 無意識に言葉をなぞってしまったのに、姉から追求がかかってしまった。答えあぐねていると、たっぷりとクリームを乗せたビスコットを頬張って、姉がにんまりと笑った。


「出仕どころか、社交も好きではないのかな」

「そ、そんなことない」


 否定を口にしたが、手は正直に震えて、フォークからベーコンが落ちてしまった。

 なけなしの意地で、何ともないふりをして、カトラリーを置いて口元を拭った。


「そう? 別にいいのよ、好きでなくても。——もしかして、夜会で華麗な駆け引きができないと、侯爵家の娘として恥ずかしい、って思ってるの?」


 さもおかしそうに、姉は笑った。

 ミリアンネが、時に夜も眠れないほどに悩む事を、いかにもくだらないと言わんばかりに。

 ぐらぐらと世界が揺れる。安らかにいられるはずの小さな小さな箱を、誰かが無遠慮に揺すっている。わんわんと、わめき声まで耳元で聞こえるよう。


「ね、それより、このごろ、進んでる? 一時は、作っては気に入らないって壊していたと思うのだけど」

 姉の声が遠い。

「……うん、すこし」


 嘘だ。ひどい嘘だ。作っては、思い描くものに及ばず、吐き気がするほど落胆して、それでもまた作る。何をどうして良いのか道も見えず、結局はまた自ら壊すと分かっているものを。


「そうなの。ね、後で、見せてちょうだい」

「……うん」


 嫌だった。誰にも、見せたくない。見せるために作っているのでは、ないのだ。

 悩みを塵のように笑い飛ばされたその後で、作品()の事に触れられるのは、苦痛だ。叫んで、暴れたい。この衝動は、突発的に膨れ上がり、ミリアンネにはどうしようもない。いつもなら、一日部屋に篭って、気が収まるのを待つ。待つしかない。

 けれど、慕う姉だから、姉が言ったことだから、ミリアンネは耐えた。

 すっかり、食欲はなくなった。

 しょげ返ったミリアンネに、姉はすこし苦笑いをしたようだったが、もう食事がいいのなら、と切り出した。


「少し、街につき合ってちょうだい」


 不快な思いをしたとしても、姉は姉で、ミリアンネにとっては絶対だ。つき合えと言われれば、断るという選択肢はない。

 数十分後には、姉は、二人乗りの小さな馬車を用意させ、なんと自ら手綱を握った。そしてまだ静かな屋敷から、ハラハラするほどの勢いで、街へと繰り出したのだ。



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