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銃のある風景  作者: MENSA
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第四章

 

第四章

 

     1

 

「調停申し立ての件は、どうなったのかね?」と、門脇は、隼斗に対して問いかけた。ずっと気に掛かっていたことだっただけに、慎重な口調となった。

「不成立という形になったんだよ」と、彼は答える。「あの人は、出てくるべきところにでてこなかった。だから、放棄という形でもって取り止めにされたんだ。まあ、予想していたけれどね。それで、用意していた訴状をだした。今は、認知請求事件として訴えが成立した段階。これから、家裁のほうで認知裁判が行われることになる」

「権利のほう、認められるといーね」と、隼斗の横に付き添っている、志保里がのんびりと言う。

「いいもなにも、もう確約だからよ。こっちには、マイナス点なんてどこにもないんだから、申し立てたその時点で、秒読みが始まったようなもんだ」

 彼が家庭裁判所から郵送されてきた封筒を取りだしたので、門脇は何となく問うた。

「書類にはちゃんと目を通したのだろうか?」

「ざっと斜め読みだよ。そういうのは、直截挑んでなんぼのあれだからね。ちゃんと弁が立つように、そのことだけは、いまから練習しているよ」

「渡された書類ぐらいは、しっかり目を通しておいた方がいい」と、野武が言った。「見落としなんかがあると、後でえらい恥を掻くことになりますからね」

「問題ない。裁判の仕組みと流れはちゃんと分かっているつもりだからよ」

 得意に言う隼斗に構わず、野武がじっくり精査に掛かった。ふと、気に掛かった記述があったようで用紙を取り上げた。

「これによれば、君と則昭氏は、実の親子ではないということになっているんだが……」

「なんだって?」と、隼斗が血相を変えて用紙に食い入る。

 事実を確認した後も、彼の衝撃を受けた様相は長く続いた。志保里が背中から覗き込んだままに言う。

「そんな大事なこと、どうして分からなかっていうの?」

「畜生!」と、隼斗は用紙を机に叩きつける。ふてくされるように、腕を組んだ。「おれは、この瞬間までだまされていたってことだよ」

「ねえ、まず落ちつきなよ」

「こんな怖ろしいことが分かって、落ちついていられるかって言うんだ」

「最初にさ、この事実が分かって良かったって思わなくっちゃ。開き直り。それしかないでしょ、いまは。だって、裁判はもう出る気でいるんだし……この状況からは逃げられないの」

「まあ、そうだ……、開き直りしかないかもしれん、が、やっぱり、こんなのは許せんことだな。だってよ、考えてみ――」

 口先を封じるように、志保里が隼斗の唇に人差し指を押し当てた。しーっと、やる形だ。

隼斗は口先をもごもごさせた後、黙り込んだ。怒りが引いていく気配。どうも、志保里は隼斗の感情をコントロールする力を持っているようだ。

「ねえ」と、さらに彼に詰め寄る。「あなたの武器って、なに? 開き直りの早さでしょ?これを持っている人は、次にどうするかその場で考えることでうんと人に差をつけることができるようになる……いまは、その怒りを引っ込めて、裁判のことに集中しよう?」

 お、おう……と、完全に手懐けられる。裁判には志保里は登場しないが、二人の関係を見る限りには、志保里の影響はあるというべきだった。

 門脇はうまく隼斗の怒りが収められたのを逃さずに言った。

「話を聞く限りには、裁判に出る意思は、ずいぶんと固いみたいだね」

「……ですね」と、隼斗はうなずいて言う。「向こうをとことん追いつめる気でいますからさあ。今回、さらにとんでもない事実が分かったところで、もう遠慮するところはないって気になっている」

 彼は素の表情に戻るなり、小物入れサイズの発泡スチロール容器を取りだした。蓋を開け、その中身を露わにする。プラスティック製のアンプル型容器が複数本、ビニールに梱包されて並べられており、それぞれに形式的なシールが貼られてあった。病院の検査容器のようだ。取扱説明書の他、サンプル、酵素系薬品の入った用器に、マイクロチューブなどが入れられてあった。

「それが、DNA鑑定の検査キットなんだな?」と、門脇が問う。

「そうそう、昨日郵送されてきたんだ。これから採取して、家裁が認定する業者のほうに送り返す予定」

「となると、鑑定の内の、私的鑑定というやつを申請したんだな?」

「そういうこと」

「どうせなら、いまやっちゃおうよ。わたし、やってあげるよ」と、志保里が干渉して、封筒に触れ、採取方法について説明した用紙を取り上げた。次に、別袋に収められてあった柄の長い医療用綿棒を取りだし、指先でつまむ。

「ねえ、口をあーんしてよ」

 志保里が隼斗の顔を押さえ、持ち直した綿棒を口腔内に挿入しようしている。彼女が気を向けているのは、頬の内側の肉だ。そこを削るようにこすって粘膜細胞を採取するらしかった。あえて間の抜けた声を出しているのは、やはり気が立っている隼斗の感情を配慮した結果だ。

「ちょっと待てよ」と、隼斗が抵抗する。「そういうのは、自分でやるべきだろうが」

「一人じゃ出来ないでしょ、どう考えても」と、志保里が強引に肩を掴んで、押さえに掛かる。「それとも、わたしがやっちゃいけない理由でもあるの?」

 隼斗が暴れ出すと、志保里はむきになったらしく、強引に身を乗り出した。

「やめたまえ」と、野武が声を上げる。「そういうのは、医療行為の一つだから、ふざけてやるものではないはずだ」

 二人は、気を取り直したように大人しくなった。

「でもぉ」と、志保里が甘やかな声で言った。「この人は勇気はあるけれど、こういうことにはだらしないところがあるから、これぐらい攻めていかなきゃ、いつまでも放ったらかしのままになるのよ」

 性懲りもなく、志保里がまた綿棒を隼斗の口許に照準を合わせだした。

「よせ」と、隼斗がまた抵抗する。志保里は彼の手首を掴まえ、押さえた。

「口の横側をちょっと、こすこすするだけでいいのよ。大人しくしていれば、五秒もかからないから」

 無理に自分の膝上に押し倒し、志保里は隼斗の口の中に綿棒を突っ込んだ。抵抗すると危険だと踏んだらしく、隼斗は大人しく綿棒を受け容れた。長い綿棒は大きく開けられた口の内側、頬肉に当てられ、二三度ゆっくりと上下した。

「よしっと、終わり」

 志保里は手引き書を確認しながら、綿棒を所定の検査用器に収め、キャップを被せた。実に簡単な採取方法だ。

「なんだか、納得できないやられかただ」隼斗は不満を口にしながら半身を起こす。「また、やり直しとかそういうのは勘弁だぞ」

「ちゃんと説明書の通りできたよ。あとは、書類を書いて出すだけ」

「そうか」

 二人のやり取りを、門脇は注意深く見守っていた。隼斗は次に、探し出したペンを握り、書類に文字をつづりだした。その際、何度も彼の手の平と甲を交互に見ることができたが、どちらも火傷の痕は確認できなかった。それは、左手のほうも同じである。そのうち、視線に気付いて彼は門脇を見返してきた。

「なにか、あったんですか?」

「いや、どういう字を書くのかなって思ってね」

 彼は書類につづられた自分の字を目で追って、気恥ずかしそうにした。

「この通りですよ。教養なんてないようなもんだから、読めればいいという程度の内容でしかない」

「代筆してあげようかー……?」志保里が髪を掻き上げながら言った。

「いいよ、こういうのは、自分でやらんと駄目だろう、さすがに」

 この時、観察の目であったということがばれなくて良かった、と門脇は胸を撫で下ろしていた。

 暴発銃による火傷。犯人はそれを負っている可能性がある。しかし、佐貴子殺害時に自分の手を保護するために皮グローブを装着するなど準備していたならその限りではないのだった。

 犯人は計画的に殺人を実行した。そうしたものをあらかじめ装備している可能性は、高いほうと言って良かった。現場から有益な証拠となるぐらいの足跡だって見つかっていないぐらいなのだから、それぐらいは実行したと見たところで差し支えはないはずだった。結局、隼斗が犯人である見方はやはりまだ崩せないといえた。

「刑事さん」と、隼斗がいきなり振り返って言った。「おれ、今刑事さんが考えている事が何となく分かるような気がするんだ」

 思わずどきっとした。だが、考えている事が顔に表れるほうではなかったから、藪から棒に放たれたその一言に、いちいち反応する必要などなかった。

「考えている事って、いったい何だろうか……?」と、努めて落ち着いて問う。

「こんなものを送ってまでして認知を取り付けようとしているあたり、なんて強欲な人間なんだろうって……そう思っているんじゃない? いつかにおれは、自分らしく改心して生きていこうと思っていると口にしたけれども、そのことについて信じていないってことさ」

 まるで当て外れで、肩から力が抜けた。彼はとくに警戒するほどに鋭い方の人間ではないようだ。

「そんなことは思っていない。君の言ったことは、ちゃんと胸に受けとめている」と、門脇は語調を強めて言い返す。「だいいち、今回駆使された認知請求権というのは、母とその子供に認められた、立派な権利だ。どのように駆使しようと、それは当人の自由というやつだろう。これが、どれほど保証された権利なのか、わたしは良く知っている。父から、認知を求めないという誓約書を理不尽に、また合理的に書かされていたとしても、これを覆すことができるほどのものなんだ。わたしの中にある君の意思を尊重する精神は嘘ではない。それは、後ろにいる彼も同じだ」

 野武が同意を示すように、軽くうなずいた。

「まあ、信じるとしますよ」と、隼斗は浮わついた具合に言った。書類を書き込む手を再開させつつ、「それでも、半分よりもちょっとというぐらいだけれども。おれ、本当のオヤジと、信頼関係がない環境で育ってきたからさ、生まれつき人を信じるっていうことができないっていうか、薄い程度でしかないんだ」

 則昭との関係性。

 それが、彼の気質に悪影響を及ぼしている実情があるようだった。子は父の背中を見て育つ。それだけに、背中の存在しない環境で育ってきた彼には、あるべき手掛かりがないというべきなのかもしれなかった。

「もしかして、改心して生き方を変えていこうと以前に言ったのは、自分に自信が欲しかったという意味で言ったのだろうか?」

「それもあるね」と、隼斗はペンを止めて言った。「それがすべてかもしれない。おれは……自分に自信がない。どう足掻いても、なんだか苦しい所に閉じ込められたままの人生を過ごすことが運命的に決められているっていうか、いまもそんな感じなんだ。実際、いろいろな人から、自分の出生について言われたよ。〝コンガイシ〟とかさ、〝オトシダネ〟とか〝オトシゴ〟とか……。もう、うんざりするほど言われたね。その時のそいつらの汚い顔……これまたうんざりするほど、見てきたね」

 彼は悲しそうな顔をしていた。その顔のなかに、一種の人生に対する倦怠感のような念が含まれていた。

「どういうわけかさ」と、自分を嗤うように言った。「そういう嫌なことに限って、繰り返しおれのなかで思い出させられるんだ。勝手に脳がそう仕向けてくるんだ。不気味に笑って、繰り返しおれの出生を嘲笑うんだ。そのたびに、気持ちが黒くなる。どうにも抑えられないほど気持ちがぐちゃぐちゃになってさ、何もかも破壊して回りたくなるんだ。いいことがあって、明るい気持ちになった時だって油断はできない。そういうのがぱっと思い出されて、一気に台無しになったなんてことは、一度や二度じゃないよ」

「もういいじゃない、つらくなるだけのことは止めて」志保里が叫ぶように言って、自分の胸に隼斗を強引に掻き込んだ。隼斗はそれに対し、冷めた感情で受け容れていた。馴れ合いの続きをやるような、感傷的な気分ではないようだった。やがて、身体を起こして、自分から離れた。

 乱れた髪を直しつつ、隼斗はぼんやりと気味に言った。

「今日は、なんだか全部吐き出してしまいたい気分なんだ」

「そう……」

 志保里は同情する気持ちが強いらしく、軽く涙をたたえていた。自分が力添えできないことに、歯がゆい思いでいるに違いなかった。また、彼を慰め、思い切り自分の愛で埋めてしまいたいに違いなかった。

 本当の父と呼べる存在が、欲しい――

 彼のその思いは切実で、実はかなり根の深い問題のはずだった。単に法定書類上の繋がりを得られて、それで解決するというような問題ではない。

 あくまで、生きるきっかけを変えるのは、彼自身の強い精神の問題だ。その精神について、彼は現在持ち合わせているだろうかといえば、それは否といわざるを得なかった。彼は二十歳になったばかりである通り、まだまだ未熟な男でしかない。期待だけを膨らませ、それに過度な希望を投影している。それは、あまりにも空虚に過ぎるものだ。

 結果、彼は現実を思い知らされ、また裏切られたという感情を抱え持つに決まっていた。

 裁判の行方がどうなるかは、分からない。

 しかし、いよいよ無視できない状況になってきたのは、確かだった。

「おれは、諦めたくないんだ」と、隼斗は言った。「自分に対して、あの人に対して、両方ともに、だ。これは、これからおれが成長していく上で、必要なことだろう。おれは、これを何とか乗り越え、父、という存在になってみたいんだ」

 彼の中で確かなモデルがないものを目指し、それになっていく……。名や、実体の知れない山の踏破に挑戦しようとしていると形容すれば、それはともすれば無謀な挑戦ともいえるものなのかもしれない。

 門脇は、彼はいま、どこに向かっているのだろうか、と彼のその身が危ういものでしか見えなくなってくるのを感じた。

 いつしか、志保里がさめざめと泣きに暮れているのに気付いた。彼の思いを知って、感極まったに違いなかった。

 二人は、そのうち、一緒になる。

 最初は、二人の身持ちの悪さからして軽薄な繋がりだと思ったが、それは決めつけでしかなかった。二人は繋がるべくしてくっついた、良きカップルだ。それだけは認めたいところだった。

「とりあえず、君の希望が適うことを祈っているよ」と、門脇は言った。「まずは、裁判の結果だ。あらかじめ言っておけば、どのような結果が出ても、受け容れるだけの大きな気持ちを持って欲しい」

「それは、裁判所がノーって提示する場合を想定しろって言っているんですよね」彼は、どういう訳かにこりとした。「そういうのは、ないですよ」

 見せた余裕の表情に、確信が含まれているように感じられた。何かしら、引っ掛かるくすぶりが胸の内に沸き起こった。

「裁判所は、必ずおれに、イエスの決定を下す」

 門脇は何とも言えない気持ちになって、じっと彼の姿を見つめていた。

「そのとき、おれの中で、こみ上げてくる幸福の感情……それをたっぷりと味わって、おれはこれからの人生をもう一度見直すんだ」隼斗は、満悦をたたえて言った。

「応援してる」と、志保里が彼に寄り添って、言った。まだ涙が止まらないようだった。

「自分自身、楽しみにしている。おれの中で欠けていたものが、その時、甦るんだ」

「うんうん」と、志保里が泣きながら、隼斗の頭をくしゃくしゃする。「感動の瞬間だ、ね」

 裁判の結果、彼らにどのような判決が下るのだろう。厳しい結果しか待っていないように思われてならなかった。

 しかし、門脇には彼らの幸福を願う気持ちだけがあった。審判の結果はどうあれ、彼らにはこれまで満ち足りなかった生活を過ごしてきた分、幸せを受け止めてもいいはずなのだ。そういう機運が彼らに巡っている今、彼らの意志でもって、しっかり掴んでもらいたかった。

 外は、静かな雨だった。出掛け前から、ずっとこんな天気がつづいていた。これから先も、ずっとこんな雨が続くはずだった。

 

     2

 

「おーらい、おーらい……まだまだ行ってー。行ってー。はい、ストップ」

島田の掛け声に合わせて、那須の運転する五トントラックは工場搬入口の手前に停まった。場内に運ぶ用に用意された専用台車が、クレーン傍に待機している。

トラックに乗せられている、ブルーシートに包まれた機械は、小春が労働金庫から融資を受けて購入した、光学造形方式の3Dプリンターだ。

 相談してから、わずかに五日目で納品となったのは、発注から、搬入まで全従業員が骨身を惜しまず協力してくれた結果だ。

 いま、その機器がクレーンで降ろされ、台車に乗せられた。それを押していくのは、島田と、細貝であった。彼らは正式に和解したわけではなかったが、このままではいけないとは分かっているらしく、いまのところ融和を意識した均衡をたもっている。

 運転手の那須がトラックを降りた。近くにいた小春に気付くと汗を拭きながら言った。

「いやあ、運転中は緊張したよ。向こうからさ、機器には精密部品があるから気をつけろって何度も口を酸っぱくして言われたんだわ。運搬に関しては素人だって完全に舐めていると受け取ったから、おれとしては逆に燃え上がったんだけど、実際、この仕事は難しかったよ。何より、道がびっくりするぐらい悪いんだ」

「お疲れ様でした。こんなことは本当に、もうこれきりだと思いますので……」

 小春は心から、ねぎらう言葉を掛けた。みんなが協力体制になっていることについて、胸がいっぱいでいた。

「ホントだよ。もう、これきりにして欲しいよ」と、彼はまんざらでもなさそうに言った。「こういうのは、一生に一度あるかないかの大仕事ってやつだ」

 それから休む間もなく、汗を拭きながら作業場に向かいだした。いいかげん疲労が溜まっているはずだったが、それでも意欲ではねつけているあたり、今回のことに希望を持っているらしかった。ここまできたら、則昭があとから何かを言いつけにきたところで、きっと彼も宥め役を買ってくれることだろう。

 そんな彼が工場入口手前まで進んでいった所で、「那須さん」と、小春は呼び止めた。

「うん? なんだ、お嬢さん」と、彼は猪首を苦しそうにねじって振り返った。

「ちょっと、お話があるんです」

「話? ……大事な?」

 小春はうなずいた。彼は、工場内の機械搬入模様を物欲しそうに眺めながら、渋々小春に身体を向けた。

「短めに……頼みますわ」

 彼は汗を拭きながら言った。額から首周りに掛けてねっとりと汗が吸い付いており、汗の層ができあがっていた。

「社長のことです」と、小春は言った。「DNA鑑定の方式について、忠告に行かれたんですよね。たしか、私的鑑定を選択してはいけないということでした。この件、どうなったんですか?」

「それは……」と、彼は口籠もった。掻いていた汗が、急に脂汗の模様を呈しだした。「私的鑑定を薦めたんだが……社長は、これに応じなかった。向こうの要求どおりに、私的鑑定という方式を受け容れたんだ。すでに、検査用のサンプルは提出したと思う。それからは分からない。たぶん、直に裁判所から呼ばれ、出廷するんじゃないか。体調不良ということが相手に伝えられているから、もう少し後のことになるんだろうけれども」

 則昭の精神が思わしくない程までに落ち込んでいるのは、小春にもよく知っていることだ。全快までまだ時間がかかることが見込まれる。一度だけ病床の彼を訪ねたが、自分の弱い所を見せることを特に忌み嫌う則昭は、すぐさま帰れ、と突き放してきた。あと少しで復帰してみせると約束した上で、それまで工場は何とか食いつないでくれと、委任続行の意思を提示してきた。

 小春がいま、何をやっていて、工場がどうなっているかについては表面的なことだけしか訊いてこなかった。独自に采配を振るっている時分だけに、本心を抑え、じっと耐えるような時間となった。彼の前から離れてようやく大量の汗を掻いていることに気付いたぐらいだったから、かなり長いこと緊張していたはずだった。

「どうして、私的鑑定だったら駄目なのでしょう……?」と、小春は訊いた。「それこそ社長の秘密……そのことに觝触することなんですね?」

 那須の顔色がさらに悪くなっていくのが分かった。汗の噴出は、止まっている。が、彼の拭う手は、尚もせわしく繰り返されていた。

「お嬢さん、すまんが、おれの口からは言えんよ……」

「どうして、ですか?」

「こういうことを打ち明けると、社長が怒るからよ……だから、言いたくないんだ。それに、こういうことは、本来ならばタッチするものではなくて、おれらの中で封印しなければいけないことでもあるんだ」

「でしたら、私的鑑定を社長さんが受け容れたことの理由についてぐらいは教えて下さい。わたし自身、その中身を知っているわけではないんですが、そのうち、分かるんですよね?でしたら、いま理由を訊いたって、とくに問題はないはずです」

 那須は苦しそうに思案に暮れていた。足が、二三歩工場へと逃げる素振りを繰り返した。すぐさまここを離れたい――そう思っているにちがいなかった。

「答えて下さい」と、小春は彼の足を縫い付けに掛かる。

 そんな……と、哀れな顔を見せたところで、彼は長い息をついて、観念した風に肩を下ろした。

「受け容れた状況だけでいいなら……答えよう」と、彼はのたうつような低い声で言った。「とくに抵抗を持っていないようだったよ。相手の言いなりになっても構わない……そんなやけな感じがあったが、まるっきり自暴自棄でいるかといえば、違う。ちゃんと、分別があってそれを受け容れたようだ。もしかしたら、向こうのことをかなり信頼しているのかなって思ったけれど、やっぱり親交はないみたいだから、それはちがう。……結局、最終的に何を考えていたんだか、よく分からないんだ」

 最後に、彼はごめん、と付け足した。彼自身、未整理の部分が多くあるようであった。そのことが、口を出していくことを控えさせているということもあるはずだった。

「お嬢さん……悪いが、ここで切り上げさせてもらうよ」と、彼はそそくさと立ち去っていった。申し訳ない、という気持ちを顔いっぱいに満たした表情であった。

 小春は、また問題が先送りにされてしまったと、胸がつかえる気持ちになっていた。

 いずれにせよ、この問題は、足立金属の過去に觝触する問題ということでいい。この問題はいまになっても、深刻に尾を引いていることから、相当なことだと見るべきだった。

 悩ましい思いに悶々としている折、「お嬢」と、声が掛かった。

 背後には、細貝が立っていた。先日の諍いで打ち付けたらしく、こめかみに擦り傷が残ったままであった。それ以外は、いつものように感情を消した表情をしていた。

「そんなに深刻な顔をしなくていいだろう?」と、彼は言った。「みんなにうつる。……何を考えているのか知らないが、社長のことだったら、気にしなくていいはずだ。あの人は、自分のことは何でも自分で解決しなければ気が済まない人だ。お嬢が気に病むのは、余計なことだっていうもんだ」

 彼は足立金属の従業員中、一番若い男だ。だから、則昭の過去について知らない。言ってみれば、小春と同じ立場にあると見なせた。つまり、彼のその無関心を装おうスタンスは、暗にながら小春が採るべきスタンスを示唆しているということだ。

「この工場が、よその人に取られるなんていうことがあったりすると思います?」と、小春は感情が高ぶって、思わずそう言った。「ある日突然、権利を振りかざしてわたしたちのなにもかもを奪っていく人がいたら、いまのこの職場が同じようなものではなくなります。そんなことって、起こりうると思いますか……?」

 仮に工場の権利を奪われるというようなことがあれば、今回のこの努力だって、すべてが無駄になる可能性だってあるのだった。

「杞憂だよ」と、彼はしばらくしてから言った。「余計なことをごちゃごちゃ考えすぎだ。この工場はなくならない。ずっと、社長のものであり、お嬢のものであり、そして、おれら従業員のものでありつづける」

 なんだか今日だけは、彼の顔が勇ましく見えて仕方がなかった。

「いま、やるべきことは、目の前の仕事をやる。それだけでいいんだ」と、彼は目を少しずつ細めながら言った。「……過去のことを知らないから、そんなことを言えるんだって、そう非難したい気持ちがあるはずだ。しかし、そんなことはどうでもいいんだ。過去を知らない人間が、知らないが故に恐れを飛び越えてできてしまうことだってたくさんある。今求められているのは、その部分だ。おれらの時代がそこにきているんだ」

 彼は息を吸い込んでから、改まった口調で言った。

「そんなに、そのことが気に病んでならないというのならば、裁判を直截見に行けばいい」

「直截……?」

 小春には考えつかなかったことだ。確かに権利として許されていることだから、傍聴はやろうと思えばできるはずだった。

「実は、開廷日について知らせを受けている。というより、鵜飼さんがしょっちゅう社長の世話役に就いているから、鵜飼さんに直に訊いてきたんだ。あと一週間と、三日後ということだった」

「でも、社長さんが許さないだろうし、それに、わたし自身、新しい機械の受注が落ちつくまで働かなければいけません……。発起人なんだから、それは当然ですよね。やるべき3Dモデリングの仕事がたくさんあるんです」

「仕事については、根をつめてやってもダメだ」と、彼はたしなめるように言う。「無闇に受注を受けたところで、それで軌道にのるというわけではないだろう。そういうのは、信用を勝ち取って少しずつ増えていくものなんだ。うちらの仕事というのは、いい加減儲からないようにできているものなんだよ」

 彼の方に分があった。無闇に働いたところで、それで一財産が築けるかといえば、そうではない。彼の言うとおり、まず発注会社から信頼を獲得しなければいけなかった。儲けは、その積み重ねの上で成り立つものだ。むろん、こういうことには、時間が掛かるのはいうまでもない。焦ったところでどうにもならない。

 意気込んでいたことの力が、しなしな抜けていくのが分かった。すこし力みすぎていたのかもしれなかった。

「それに、データだけでいうなら、ストック分がある」と、彼は勢い込んで言う。「しばらくはそれだけでやっていけるはずだ。取扱説明書はすでに把握した。あと、パンフの方も。

コストは従来の三分の一以下で、さらにはできあがるまでの製造時間が、かなり短縮される……。これなら過去の受注データを使用して、相手に納入スピードでインパクトを与えることが可能なはずだ。作り出した製品の精密さで驚かすのは、それからだ」

 彼なりに、光学造形方式の3Dプリンターの勉強をしていたということが分かって、小春は努力しているのは自分だけではないと、少しは連帯意識を感じた。

「当面の所は、お嬢が出る幕はないさ」と、彼はぴしゃりと言い切る。「だから、堂々と行ってくればいい。社長が許さないかもしれないということだが、そんな心配もいらない。社長は、体調不良を理由に代理人を立てるつもりでいるらしいからな。弁護士に頼むということだ」

「だったら、行っても問題ないようね……」

 小春はこの時、裁判を傍聴する自分をイメージしていた。そこでいったい、どのような景色が繰り広げられるのか。そのことが則昭や、工場の未来に関わることならば、決して他人事ではない。自分も、闘うつもりで臨まなければいけなかった。

「誰が、代理人を立てるなどと言った」と、怒鳴りつけるような声が飛んできた。

 はっとして振り返ると、そこには則昭が立っていた。

「黙って聞いていれば、勝手な事を言いくさって……。それに、おれの事について、なんでお前たちが干渉しようとしているんだ?」

「社長さん……。これは、悪気があってやろうとしていることでは……」

 小春はうまく弁解できないような気がして、途中で言葉を打ち止めにした。則昭は激しい怒りを燃やしていた。髪が振り乱れた上に面やつれしているせいか、迫力が凄まじい。ただ足腰については、病床から起き上がったばかりであると思わせるほどに不安定な感触があった。

「おい、細貝。お前は、下がっていろ」

「いえ、ここにいさせてください」

 細貝は言うなり、口を閉ざし、きっと則昭を見つめ返した。

「なぜだ?」

「この状況で、下がってもさして変わりはないか、と。それに、お嬢を責め立てるのでしたら、この自分を責めて下さい。すべては、この自分が悪いんです。情報を提供したのも自分ですし、裁判についての話題を取り上げたのも自分です」

「そんなことは分かっている」と、則昭は苛立った口調で言った。「おれはいま、小春を責めたいのではない。話さなければいけないことがたくさんありすぎて、プライベートなやり取りになりそうだ、と思っているんだ。だから、お前には下がれと言ったんだ」

「時間は、自分にもたっぷりとあります。ですから、そのことにも付き合えると思います」 「どうあっても、下がる気はないらしいな」と、則昭はいまにも舌打ちせんばかりに苛立った口調で言った。「だったら、そこにいろ。余計な口を挟むなよ?」

「……分かりました」と、粛々と言ってから、彼はちら、と小春を見やった。大丈夫なのかと、案じている様子だ。

 則昭が横柄な足取りで、小春に迫ってきた。下から覗き込むような具合に、小春を見上げてきた。

「おれが何を言いたいのか、分かっているな?」

「……はい。納入した、機械のことですね? 勝手な事をしてしまいました。怒っていらっしゃるのでしたら、謝ります。すいませんでした。ですが――」

「なぜ、謝らなければいけないんだ」と、則昭は言葉を奪ってきた。

「え?」

 則昭は、きっと眉間に怒りをたたえて言った。

「なぜ、謝らなければいけないんだよ。お前さんは、工場のためにやってくれたんだろう?代行を申し付けたのはおれだ。新しい機械を導入するというような、勝手な事に踏み込んだ上に、これは社長権限で実行されることである――ということだったが、実に度胸が据わっていて面白いじゃねえか。先日、見舞いにきたお前に、委任続行を告げたのは、頼もしさを買ってのことだ」

 やつれのある顔に、笑顔が薄く浮かんだ。

 この時小春は、自分がやったことについて、全部筒抜けの状態であったことに愕然としていた。なぜ、則昭がすべてを知っているというのか。その答えは、考えずとも決まり切っていた。

「鵜飼さんから……全部、聞いていたんですね?」

「だから、なんだ。あいつは、おれの太鼓持ちというわけではないぞ。これは、仲間として打ち明けてきたことなんだ。と、そのことはどうでもいい。社長権限として堂々とやったのなら、最後まで堂々としていろ。それがまず言いたい」

「…………」

 則昭は自分のことを、認めてくれたのだろうか。少なくとも、そのことについてひどく責め立てる感情がないことだけは確かだった。拍子抜けというよりも、則昭について少し勘違いしている部分があったように思えてならない。

「お前には、工場を愛する力が、少しずつではあるが芽生えてきているように思える。その調子だ。仲間たちから手を借りながら、工場を盛り上げていくんだ。従業員と、工場のことだけを考えるんだ。自分のことは、ずっと後回しでいい……」

 彼から微笑みが立ち消えになると、神妙一色になった。

「おれは、まだ全快ではない。だが、いつまでも床に就いているわけにはいかないことは分かっている。裁判までには復帰する予定だ。その時、おれのなかで隠されていることのすべてが明らかになるだろうから、あえてここでは口にしない。お前に見届けてもらうまでのことだ」

「傍聴……許して下さるんですね?」

「許すも何もない」と、彼は口調を鋭くして言う。「こんなことは、個人の自由に任せられることだ」

「鑑定についてなんですが、先程、本来ならば選択すべきではない、私的鑑定をあえて受け容れたというようなことを聞きました。これについて言いますと、覚悟があって、そうされたんですね?」

 則昭は一旦口を閉ざし、くるりと背を向けた。

「それは、覚悟の問題ではない」と、彼は言った。「受け容れてもさして問題がなかったから受け容れたというまでのことだ。そのことで、おれが困ったようなことになることはない。物事は、なるようになるというだけのことだ」

 則昭の隠していたことが、その時、明らかになる。

 これほど、もったいぶって口にしない事実だ。何か重大なことが報されるに違いなかった。ようやくその時が来たのを感じ取って、いまから皮膚先がぴりぴりと来るほどの、緊張を感じた。

「なんだ? 気になって仕方がないのか」と、則昭は強気で言った。「お前には、知ろうと思えばチャンスはあったはずだ。島田と那須……鵜飼もそうか。あと、再雇用組の三木という選択肢もある。そいつらから情報を授かろうと思えばいつだってできたはずだ」

「島田さんと那須さんには、一度訊ねました」と、小春は言った。「ですが、ちゃんとした回答を得ることはできませんでした。こういうことは、自分の口から語るべきことじゃないって言われたんです。それは、鵜飼さんだって三木さんだって同じだろうって思って……それで、ずっと聞かないでいたんです」

「余計な気を使うやつらだ」と、則昭は悪態をついた。「……が、義理を果たそうという感情をまだまだ持っていたのは、おれにとってみれば、好意的に受け止めるべきことなのかもしれん」

「とりあえず、裁判を見守って良いというのでしたら、その日までずっと待ちます。今日の所は、これ以上何も聞きません。……社長さん、ゆっくり休んで下さい」

 小春が則昭の横に付き、彼の弱った足腰に手を貸そうとすると、則昭はぴしっと手を弾き、乱暴に突き放してきた。

「よせ。余計なことはせんでいい」

 一人でに、自宅のほうへと向かって行く。右足を引き摺るような歩き方だった。その足がぴたり、と止まると彼はゆっくりと振り返った。

「引き続き、このボロ工場を頼むわ」と、彼は言った。「こんなんでも、なくなると困るんだ。おれのすべてを賭けたものだからよ、これはおれの精神そのものなんだよ」

 彼は重い足取りで、小春の前から立ち去っていった。何となく、余韻を持って彼の最後の一言が胸に響いていた。どこかしら、感謝がこもっていた一言のように思われてならない。

 きっと、頼りにしてくれているのは本当のはずだった。もっと調子を上げ、盛り立てていかなければいけない、と小春は思った。

 工場を振り返り、その外観をぼんやりと眺めやる。初心の念が、沸々と熱くたぎってくるのが分かった。

 

     3

 

 足立金属に新しい機械が導入された一報を受けたことが、再訪問の後押しとなった。門脇は、さっそく訪れるなり、その機械を目の辺りにした。色つきアクリル板でヘッド周辺が保護された、デザイン重視の仕様であった。コンパクトに機材がまとまっており、どっしりとした台座の重苦しさを解放するためか、上部は台形型になっており、全体としてユニークな感じがある。

 樹脂液を満たした槽があり、そこにプラットフォームが浸される具合に接している。下部に仕込まれたレーザーが何やら丹念に仕事をしている。樹脂液を糸のように伸ばした光でもって、切り刻んでいくかのような動きだ。だが、その動きは速すぎて、何が起こっているのかよく分からない。

 次に、槽が一気に下がったかと思うと、プラットフォームにぶら下がる形で、蝋色の造形物がぬっと姿を現した。ディティールまでしっかりとした、じつに緻密な製品であった。それが作り出されるのは一瞬だった。まるで、魔法でも見届けたという具合の鮮やかさで製品は槽から生まれていた。

「すばらしい機械が導入されましたね」と、横合いから野武が言った。「こんなのは、初めてに見るものです」

「一個できるまでに、そう時間が経っていない。これなら、データさえあればいくらでも量産が可能だろう。……悪用をしようと思えば、軍事的利用まで可能なものなのかもしれん。3Dモデリング技術を持った人間が、重宝される時代がやってきたように思える」

「今日は、誰に会いに来たんですか」

 無愛想な顔をした細貝がそこに立っていた。できあがったばかりの3Dプリント製品を取り上げ、さっと鮮やかな手つきで包み紙の中に収めた。機械はまだ動いていた。二個、三個とたてつづけに型の違った製品が吐き出される。槽に樹脂が満たされている分だけ、製品が作られつづけるにちがいなかった。

 その模様を門脇は横目で見ながら言った。

「若いあなたには、あまり馴染みのない人ですよ」

「誰です?」と、細貝は作業を止め、腰を上げた。

「三木さんという、一度定年されたお方ですよ。事前に約束を取りつけていたんですが、まだきていないようですね」

「ああ、あの人か」と、また作業に取り掛かる。「あと、十分もすればくるんじゃないかな。いつも、時間には几帳面な人なんだ。毎日同じ時間に、同じ作業を明け暮れる生活を四十年間もつづけてきたわけだから、遅れるはずがない。体内時計ってやつが一分も狂わずにインプットされているって、本人が言っていたことがあった。だから、あの人は予定どおりくるはずだよ」

 時計を確認すると、約束の時間まであと三分といったところだった。それまで、3Dプリンターが製品をプリントするところを観察しようかと思った。その途中、細貝はふと手を止めて言った。

「いつまでそうしているつもりです?」

「迷惑でしたか? 待機する場所があるならそちらを紹介してもらいたく思いますが」

「別に迷惑じゃありませんよ」と、彼は腰を立てて言った。「邪魔にならないだけ離れてもらえれば、そこでも構いませんが」

 包み紙に収めた製品を、専用の段ボール用器に収め、彼はそれを行き先と締め切り時間が書かれたボードを引っ掛けた搬出用キャリーボックスに乗せ上げる。製品は、すでに三十個以上積み重なっている状態だった。朝から決まった仕事を繰り返しつづけているのかもしれなかった。

「けっこう、新事業の依頼があるようですね」と、野武が訊いた。

「営業の大黒さんが、あたらしい開拓口を見つけたみたいで、次々に契約を持ってくるんですよ。なんでも、納入スピードが速いことを売りに押して、他社との固定契約で参入の余地がないところを無理に切り開いたみたいなんだ。そういう強引な所、さすがにベテラン営業マンって感じですよね」

 彼のせいでいま自分は忙しいのだと不満をぶちまけるような言い草であった。感謝しているのかそうでないのか、よく分からない態度だった。とにかく、ここ数日、目が回るほど忙しい日々を過ごしているというのは正しいはずだった。

「皮肉なものですよね」と、細貝は引き続き作業に明け暮れながらぼんやりと言う。「うちがこうして仕事を確保した分、契約を切られたところは、損害を受ける。業界全体の仕事が増えるという訳じゃないんですよ。それで言うなら、いままでどおりの仕事量でよかったんじゃないかって、思うときはある」

 彼は、仕事に明け暮れながら、自責の念に駆られていたようであった。それだけ、職場環境が一変したという状況にあるのだろう。新規導入の3Dプリンターはそれぐらいの能力を有する、機械ということでいいようだった。

「営業の大黒さんというお方はなんて言っているんです?」と、門脇は何となく問う。

「一度、訊いたよ、その人に。そしたら、いま目の前にあることだけをやっていればいいんだって突き返された。次に、ここの会社が潰れそうになった時期があったことを延々と話し出すんだ。なんでも、決まった小口の注文をめぐってサービスを提供することで奪い合っていたそうだね。それで、勝ち残れずに落ち目になっていった……元々、社長は頑固だから、人付き合いがまるでできなかった。だから、競争には負けていく一方だった……。大黒さんがここに加入したのは、そうした低迷期を脱出し始めた頃だったようだけど、でもその時期についての苦労をよく知っていると、言っていた」

「それは、何度も、足立社長に繰り返し聞かされたから?」

「そうみたいだ」と、彼はうなずいて言った。「そうした危機こそが、ここの原点なのだというようなことを、何度も繰り返し言っていたみたいだ。それを受けたからこそ、大黒さんも妥協の知らない攻めの営業をつづけているみたいなんだ。それで、あの人が言うことには、落ち目になった零細工場ほどみじめなものはないらしいよ。その部分だけ、特にしつこく繰り返し訊かされたことのようで、大黒さんもそこだけはやたらと強調していたね」

 細貝は、北山の存在を知っているだろうか、と門脇は彼の顔色をうかがいながらそう考えた。おそらく、はっきりとは知らないのだろう。足立金属が潰し、不幸な一途を辿っていった、同業者。足立金属にとっては、闇に封印したい存在というべきもののはずで、彼のような若い世代には、事実関係のあらましだけが伝えられているという程度に抑えられているはずだった。

 その時、背後から約束を取りつけていた三木が現れるのを見た。時計を見ると、ちょうど九時を指していた。

「お待たせしましたな」と、彼はにこやかに言った。

「いえ、わざわざお呼び立てして申し訳ありません」と、門脇は一度、お辞儀をした。「今しがた、目の前の機械を見ていたところだったんです」

「新しい機械ですね」と、彼は3Dプリンターをちら、と見やって言った。「ある程度なら話は聞いていましたよ。維持費や、コストが従来の半分以下で、さらには製品を作り出すスピードも倍以上……。いやはや、とんでもないものが導入されましたよ」

「やはり、三木さんとしても、こういうのと一緒に仕事がしたかったのでしょうか?」

「どうですかね」と、彼は小首を傾げた。「新しい機械の操作を覚え、それを自分のものにするのはたまらなく爽快ですよ。ですが、自分の場合、あくまで職人技術を駆使する機械の扱いが好きというだけのことであって、今回のこれはまた別の違った種類のものだと思います」

 3Dプリンターについて、彼はとくに興味を引かれるようなものを持ち合わせていないということでいいようだ。かつて3Dプリンターのデータ管理をしていたのは、則昭の指示を受けてただやらされていたというだけのことだったのだろう。

「……と、我らの話をしなければいけませんね。そのために呼び付けたのでしょう?」

 こちらへ、と三木が工場の奥手へと導いてきた。門脇たちはその案内に従った。喫煙スペースでもある、休憩所だった。部屋の隅にカラーボックスが二つ設置されてあり、手垢のついた週刊誌と、漫画本が何冊か乱暴に並べられてあった。

「訊きたいことというのは、なんだったのでしょう?」と、彼の方から口を切った。

「足立社長のことですよ」と、門脇は言った。「なんだか、我らに対して、隠しているようなことがあるように思えましてね。そこで、古くから付き合いのあるあなたに注目が集まったんです」

「隠していることですか?」

「ええ」と、門脇は相槌を打つ。「とくに、足立金属が経営が不安定だった時期の頃について、何かしら我らに伝えられていないことがあるのではないか、と思うんですがね。例えば、人間関係とか、そういうことです」

「そういうのは、社長本人に訊くべきことなのではないでしょうか?」

「彼はいま、精神的にダウンしている状況にあります。そこを追いつめていくようなことはしてはいけないでしょう。無理に押していけば、強制になってしまう訳ですし」

 三木については、以前から聴取を掛けたいと目していた男だった。それだけに、則昭がダウンしている今、彼を攻めていく口実が揃っているのは、この上ないチャンスといえた。

「でしたら、わたしがお答えしますよ」と、彼は軽く吐息をついてから平たく言った。「ですが、人間関係について話せと言われましても、具体的に何を語ったらいいのか、よく分かりませんね。あの時期は、本当に何もかもが不安定だったのです。辞めていった社員たちの気持ちも、よく分かるぐらいになんだか色々と荒れていたんです。隠しているのが、その頃にまつわることだというのでしたならば、隠しているのではなく、言いたくないというのが本当のところでしょうね」

「北山という男について、あなたは知っていますね?」

 彼の目にわずかな緊張が走るのが分かった。

「まあ、知っていますよ。知らないはずがないですね」

「そのお方と、足立社長にまつわる何かしらのエピソードを知っていましたら、ここで話していただくことはできませんか?」

 彼は一分近く、思案の間を持った。

「エピソード……というまでではないのかもしれませんが」と、彼は渋った口調で切り出した。「とにかく、憎々しいライバル同士っていう感じでしたね。相手のやることなすことすべてが気に入らないといった感じで、常にいがみ合っていました。が、それ以前は、形式的な親交ぐらいはあったようです」

「どういった親交でしょうか?」

 則昭がこの点について、社交辞令という程度の付き合いだったと口にしていたことは、まだ記憶に新しかった。

「まあ、零細の経営者同士といった、立場を意識した親交ですよ。物を送ったり、譲ってもらったり……と、何かあったときにお互い助けてもらうつもりでいたんじゃないでしょうか。あと、競争が過熱しないように、という牽制のつもりもあったと思います。その頃は、共同事業なんかもあって、それぞれが協力し合って、大手メーカーへの納入製品を作っていたという事実もあったんです」

「それが、どうしていがみ合う関係になったのでしょう?」

「まず、そうした協力して一つの製品を作るという、発注がなくなったわけです」と、彼は小さくなって言う。「それから、向こうの方が、従来ならば足立金属が作っていたような製品を作り、仕事を奪うような行為に走ってきたわけです。いわゆる裏切りですよ。それを実行してきたわけです。それからですよ、反感が高まって、いがみ合うようになったのは」

「実は、北山の方が、先に仕掛けたんですね」

「向こうも零細ですから、大口契約がなくなれば、慌てるのは当然でしょう。よくないのは、協力していた間、足立金属の技術を吸い上げていたということです。同じだけの商品を提供し、しかも納入が早いとなれば、向こうに仕事が流れるのは当然。一気に、こちらの仕事がなくなりました。あの時間潰しだけをしていた時の頃を、わたしもよく覚えていますよ。本当に、悔しいといいますか、情けないといいますか……」

 この男にも、北山を怨む感情が少なからずあったようだ。だとしたら、佐貴子殺害の件について決して無関係ではないということになる。

 はっとして、彼の手を確認したが、両手とも火傷の痕は、認められなかった。そういえば、細貝についてもその事実を確認すべきだったと後悔したが、彼の作業姿を眺めていたことから、その手元はしっかり見届けていた。ゴム製の手袋を装着していただけに、その模様を確認することはできなかったはずだ。

「社長もですね、かなり怒っていましたが、それでも向こうを出し抜いて契約を奪い取り、とうとう潰したときには、後悔していましたよ。なんだか酒ばかり飲んで、荒れ狂うわけです。結果、北山については、あのようなことになってしまったわけですが、一番に責任を感じているのは間違いないですね。彼を殺したのは、自分だ、と。そうとまで考えているはずです。まあ、これはあなたも当人から、一度ぐらいは聞いたことでしょうが」

 そのことを語っていたときの則昭が思い出された。

 苦痛に満ちた表情をしていたのは、確かだ。重苦しい記憶と対峙しただけで呼気が乱れるというのは、よっぽどのことだ。彼自身、相当の思いで、そのことを封印しているにちがいなかった。

「一番気に病んだのは、北山にまだ小さなお子さんがいたことですよ」と、彼は続けて言う。「実は、相手を潰した頃は、自業自得だなんて、まだ悪口を言っていたんです。それで、ずっと後になって、社長が真っ青になって帰ってきたことがあったんです。以来ですね、悪口を言わなくなったのは。酒だって、呑むのはやめたんです。どうしたのかって問い質せば、北山のお子さんを見かけたって言ってましたね。哀れになったんでしょう、それで自分のやったことの意味をはじめて自覚レベルで思い知らされたのでしょう」

 生活態度が一変するというのは、それだけ衝撃的だったということだ。本当に心から憎むべき相手ではなかったとその時、気付いたのかもしれなかった。

 それにしても、彼が見た衝撃を受けるまでの光景というのは、どういうものだったのだろうか。おそらく門脇が見れば、それは、ごくあり触れた平凡なものなのかもしれない。例えば、母親に抱かれた娘といった、日常の一部を切り取ったようなものだ。

 しかし、彼にとっては、それがショックに映って見えた。

 その裏にある崩壊について、その切っ掛けを作ったのは、自分なのだ。だから、彼らの姿は、自分の罪悪そのものであり、直視することができない残酷な風景であった。

「そのずっと後というのは、どれぐらいの話です?」と、野武が問うた。

「まあ、北山があんなことになってから、半年ぐらいですか?」

 経営再建に出た足立金属が、上昇期に入った頃ということでいいだろう。

「しかし、荒れていた生活が一気に立ち直るだなんて、これは見過ごせない事実ですね」と、野武は言った。「そうなるところをみれば、やはり社長さんは根からして真面目な男だったということでいいんですね?」

「それは、間違いないですね」と、彼は言った。「もともとそうであったのが、今回のことでより一層引き締まったといった具合ではないでしょうか。それに、やめたのは、お酒だけじゃありませんよ。煙草もやめましたし、余計なことに浪費もしなくなりました。会社と自分のお金を分けて考える事もやめたようです。全力で、工場のことだけを考えるようになったということです」

 昔の則昭と、今の則昭とでは、かなり感じがちがうのかもしれなかった。ただ、頑固な気質だけは変わらずに継承されているように思える。

「さらには、人付き合いも悪くなりましたね……」と、彼は言った。「あ、これは、仲間うちでの交際という意味での付き合いですよ。仕事関係の付き合いについては、ちゃんと自分から出ていくように努めていました」

「仲間内の交際まで断つようになったというのは、これはかなりのことだといえる」と、門脇が言った。「夜中にひとりで過ごす時間を増やすためにそうしたのではないか。だとしたら、自分のことを見つめ直したいという思いがあったのかもしれない。たぶんじゃなしに常態的に、自分を追いつめていたのだろう」

 北山の後追い……そのようなことを考えていたということもあるのかもしれない。いずれにせよ、彼の中のショックは性格と、生活模様を変えた。経営が立ち直っていくこととなったのは、そのことが起爆剤となったからでもあろう。

「いろいろと悩んでいたようですね」と、彼は言った。「あまり、声を大にして言えることではないですが……その頃の社長に相談を受けたことがあったんです。それは、性的に不能になったということです。いえ、正確に言うと、子供という存在が怖ろしくてならないという感情を持ったようです」

「それは、ずっと続いたのです?」と、野武が口を挟む。

「その時期が、一番の過度期ですよ」と、彼は答える。「佐貴子さんと出会ってからは、さすがに少しずつ緩和していきました」

 それでも、彼女と結婚しなかったのは、自分の中の戒めが引っ掛かっていた結果だ。そのことは、則昭から直截話を聞いたとき、一度答えを導いている。彼の中の恐れは、ずっとつづいていたのだ。そして、おそらく今もそれは尾を引いている。

 子供が怖い。

 則昭の中の、その感情がどういうものなのか他人には理解できない。おそらく、存在そのものを怖れるというまでの畏怖だったりするのではないか。拒絶反応というのは、意識レベルから異常をきたすものだ。それそのものを見るに留まらず、考える事にも生理的に不愉快な気分をもたらす。

 もしかしたら、隼斗が小さい内に、佐貴子と離縁し、離ればなれになったのは、そのことの恐れがあった結果なのかもしれない、と門脇はそう思った。子供が傍にいるだけで、耐え難い感情がわきあがり、どうにも自分が統制できなくなってしまうのだ。

「佐貴子さんに子供が生まれてからの、彼がどんな感じだったか教えていただけませんでしょうか?」と、門脇はさりげなく訊いた。

 その問いが差し向けられることが分かっていたように、彼はすぐさまうなずいた。

「明るく装っていましたよ」と、彼は一先ずそう言った。「でも、ときおり悩み深そうな顔を見せることがままありました」

「つまり、違和感を感じていた、と」

 彼の表情が曇った。

「まあ、そんな感じ……なんでしょうか」

 何となく引っ掛かる言い回しだった。

「何かあるのでしたら、話していただきたいんですがね。子供について、扱いに困っていたという感じがあったということなのでしょうか?」

「まあ、そうですね。扱いに困っていた……それは事実でしょう」と、彼は言った。「その子を幸せにしてあげることはできないとその時、彼が言っていたことを覚えています。彼自身、その思いを持った瞬間、佐貴子さんとは別れることの決心がついたようでした」

 離別は、子供のためでもあり、自分の精神を守るためでもあったということだ。

 以降、則昭は仕事一筋に生きる人間となったのだから、自分の望みどおりに生きているということでいいだろう。

 やはり、事件について則昭には疑わしい部分などはないのだ。門脇はそのことをここで強く確信した。

「その時期の彼については、よく分かりました」と、門脇は話題を引き取る。「以降はどうでしょう? 不安定になるとかそういうことは、ありませんでしたか?」

「それからは、ずっと一本調子ですよ。とくに欲得のない、がむしゃらに働くだけの日々……。なんだか、寂しそうな感じもあったんですが、まあわたしらには介入することではないので、ずっと黙ってきましたね。結局、今の形が一番ベストなのかもしれません。こういう仕事ですから、女っ気のないほうが上手くいくということもあるんです」

「それで言いますなら、新しく入った小春さんはどういう扱いになるんですか?」と、野武が高い声で問うた。

「ああ、そうか」

 彼はしまったという顔で言った。すっかり、小春のことを頭から離していたようだった。顔を改め直して、自分を肯定するように言った。

「あの子は、言ってみれば別格ですからねえ」

「別格と言いますと?」

「社長の親戚筋ですし、次期社長としてすでに重宝されています。まあ、本当、別格扱いですよ。その子が、たまたま女性だったというだけで、ある意味、性別なんて関係のない存在ですよ」

「そういえば、彼女が導入したという新型の機械、あれはすばらしいものでしたね」と、門脇はずれ始めた話題にあえて乗っかかった。

「なんでも、聞くところによれば、警察さんに没収された機械がしばらく返ってこないと判断した瞬間、その計画を実行に移したのだそうな。思うに、あれはただでは転ばないタイプだと思いますよ」

「その辺りは、こちらとしては胸が痛くなるような話です」と、野武が言った。「すべては、我らの没収という処置がきっかけだったわけでしょう? そうと分かれば、自分らも無関係ではないということになってきます」

「それで、没収はいつまで続くのでしょうか? わたしはあくまで正規の従業員ではないんですが、まあ知ってはおかなければいけない立場にあると思っていますのでお訊ねしますよ」

「お預かりは、あと一ヶ月はつづくと思って下さい」と、門脇が答えた。「いえ、それ以上かもしれません。というより、事件が膠着すればするほど、それは延期されると思って下さい」

「解決の見込みと言いますか、糸口は見つかったのです?」

「だいたい、絞られています。が、これは捜査情報ですよ。あなたには伝えるべき事ではありません」

「とりあえず、社長が無実である事はここで確かに言っておくとしますよ。アリバイについては、いまどうなっているのでしょうか? それさえ証明できれば、すぐさま疑いは晴れるんですよね?」

「近所の住民が、同日彼を見かけています。それは、推定時刻なのですが、例の事件が発生してから、一時間半後のことです。ちょうど、事務所から出てくるところを見かけたようです」

「ならば、完全にセーフですね。一時間半では、実行時間を含めて行って帰ってこられる範囲内ではない」

「本当にそう思いますか?」と、門脇は言った。「無理をしたら、できる範囲ではあるんですよ。同じ市内ですからね、移動時間だけはそんなにかからない。それに、計画的な犯行ですから、長くそこにいることもなかったはずなのです。ですから、アリバイが証明されたというまでには受け取れないのです」

「ふうむ」と、彼は唸った。「社長がまた呼び出しされたら、彼の精神状態が持ち堪えられないのかもしれませんね。ただでさえ、寝込んでいるわけですし……」

「そのあたりは、承知していますよ」と、門脇は言った。「我らとしても、最大限の配慮をする準備があります。それより、なんでも、いまは来るべき裁判の出廷日に供えて力を温存しているようで」

 彼はおやという顔をした。

「刑事さん方も傍聴を希望されるので?」

「どうしようか、迷っているところですよ。家裁の認知裁判ですからね、すぐに終わるでしょうし、身内だけが集まってやる民事上のことですから、どうにも我らが干渉していい条件にはない。ま、後日、関係者から話を伺えば、それで済むことですから、結局、見送ることになりそうなんですが」

「そうですか」と、彼は軽く息をついて言った。「では、結果を見守るということでいいんですね」

「言質を取らなければいけないほどに、心配ごとがあったんです?」

 彼は慌てた反応を示した。

「いえ、そういうわけでは……」

「そういえば三木さんって、定年されて雇用形態が変わっているんですよね。それなのに、ほとんど従業員と変わらないような立ち位置にいるように思えるんですが、これはどうしてなのです? 以前に足立社長がおっしゃったことには、家でじっとしているより、ずっといいということでしたが、他に理由があるのではないでしょうか」

「理由はないですよ」と、彼はあっさりと言う。「多くの、困難と共にやってきたところです。潰すわけにはいかないし、自分が死ぬまで行く末を見守りたい……そういうことだけですよ。足立社長にも言ってもらいました。この会社は、自分だけのものではない。だから、気の済むようにしてもらってけっこうだ、と。もちろん、再雇用されているわけなんですが、自分としてはそれ以上といいますか、身に甘んじず、献身の精神でやっているつもりです」

 足立金属を守りたいという一心で、彼は連日かよってきているということだ。そうなると、則昭について心証が悪くなるようなことは口にしないはずだった。

 それでも、収穫は大いにあったと言っていい。

 則昭の態度が変わってきたことの中身を押さえる事ができたのだ。子供恐怖症。そして、一時的ショックによる性的不能……。それらは、則昭からは直截採取できない情報だ。

 もしかしたら、隼斗に対して彼が抱いている感情は、いまも恐怖という感情だけなのかもしれなかった。

 だとしたら、彼と対峙する裁判は、苦痛でしかないことなのかもしれない。いや、成人した場合は、その対象から外れるということで良いのだろうか。

 いずれにせよ、裁判に向けて力を蓄えているという以上、かなりの思いがあることだけは確かなはずだった。

 

 

 

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