お兄ちゃんは本当は私のためなら死ねる
目の前の景色が拓けた。
そこはバスケットボールのコートくらいの広さの空間で、中心には巨大な球体状の機械がドンっと構えていた。プラネタリウムの映写機みたいな形をしている。ただし、映写機とは違い、球体から飛び出しているのは、レンズではなく一本の銃身だった。銃口の大きさは、ちょうどテニスボールが通るくらいである。
そして、その銃口が向けられた先にいるのは、真白……ではない。真白に似せて作られた等身大の人形だ。ダッチワイフ、と表現すれば読者には伝わりやすいかもしれない。ただし、ちゃんと洋服は着ている。なぜか真っ赤なチャイナドレスを。
「俺はここで何をすればいいんだ?」
俺は天井のスピーカーに向かって問いかける。
「10分間の間、降り注ぐ矢から真白を守ればよい」
「このバカでかい球体から矢が出てくるのか?」
「左様。この機械は360度どこにでも照準を定めることができる。逃げる隙などどこにもないぞ」
「もちろん、矢は本物じゃないよな?」
「もちろん、本物だ。殺傷能力がもっとも高いものを使用している」
「俺を殺したいのか!?」
「そんなことはない。君が生還することを心から祈っている。イヒヒヒヒヒ」
「その笑い方、確実に俺の血を見たがってるよね!?」
「とにかく、その、チャイナドレスから伸びる生脚が眩しい純情可憐天使真白ちゃんを抱き上げろ。そうしたら、ゲーム開始だ。決して変なところは触るなよ」
「自分で天使とか言って恥ずかしくないのかよ……」
俺は小声でそう呟きながらも、グデッと地面に倒れていた真白人形を持ち上げた。女の子特有の柔らかい感触がする。そして、普通に重い。おそらく、体重も真白本人に合わせているのだろう。
俺が真白人形を持ち上げるのに合わせて、球体から伸びる銃口も少し上を向いた。銃口の中がキラリと光った。殺気を感じる。
俺は真白人形を抱えたまま、ダッシュした。パンっという音と同時に、矢が俺の背中を掠める。振り返ると、矢は洞窟の岩壁に突き刺さっており、棒の部分の半分以上が埋まって見えない状態だった。なるほど。人間に命中すれば助かりそうもない。
一息つく間もなく、次の矢がセットされる音がした。銃口は既に俺と真白人形に向いている。俺は、真白人形を下敷きにするような格好で、うつ伏せに倒れ込んだ。矢は俺の上側を通過したのだが―
「重い!!」
真白人形が悲鳴を上げた。
「お兄ちゃん、重い!!どいて!!」
「おい、なんだよこの人形……余計な機能搭載してるだろ……」
「極力までリアリティを追求した結果だ。声のパターンは1000通りある」
「下らない……」
俺はギャーギャーと喚きまくる真白人形の上からどいた。
「もうお兄ちゃんったら乱暴なんだから。今度押し倒すときはもっと優しくしてね」
「本当に下らない……」
俺は真白人形を拾い上げると、ジャンプをし、ギリギリのところで矢をかわした。これを10分間も続けるだなんて、絶対に体力がもたない。
「おい、ちなみに真白人形に矢が当たった場合にはどうなるんだ?」
「真白が爆発して、お前もろとも粉々になる」
「抜かりないな」
「お兄ちゃん、死ぬときは一緒だよ。フフフ」
「怖いわ!呪いの人形か!!」
俺はなるべく球体から離れるように、洞窟の壁面に向かって斜めにダッシュした。矢が俺の通った道とクロスするようにして放たれる。
おそらく、この機械は自動的に真白人形に矢の照準が合うようにできている。とすれば、矢の照準が合うよりも速いスピードで壁に沿ってグルグルと走り回れば、矢は絶対に当たらないはずだ。もちろん、この重たい真白人形を持って10分間も走り続けることができればの話だが。
「レディーに向かって重たいとは失礼だよ!私だって毎日ダイエット頑張ってるんだから!」
「え!?読心術!?この人形、余計な機能備えすぎだろ!!」
「女の勘は鋭いんだからね!それに、お兄ちゃん、私はダッチワイフじゃないからね!」
「そこまで分かってるの!?っていうか、1000通りしか声のパターンがない割には完全に会話が成立してるのはなぜ!?」
「お兄ちゃん、おはよう。今日も学校頑張ろうね」
「急にテンプレートになった!?」
矢が俺の背中のすぐ後ろを掠めた。風圧でシャツが破れ、背中がヒリヒリする。真白人形と漫才をしている場合ではないということだ。俺は集中し直し、ダッシュのテンポを速めた。
最初の矢が放たれてから、もう8分くらいが経過していた。
何かの拍子に胸や太ももに触れるたびに、「お兄ちゃんのエッチーーー」と声を上げる真白人形に構うことなく、無言で洞窟をグルグルと走り回る俺。脚にはすっかり乳酸が溜まってきていた。
「くそっ、上手く矢をかわしやがって……」
スピーカーの声は苛立っているようだった。
「やっぱり俺に死んで欲しいのか?」
「違う。私の目的は、お前が八鳳真白をどれだけ愛しているのかを確かめることだ」
「だったら、こんな仕掛けを作るのはやめようぜ。これだと、俺の真白愛というよりは、俺の身体能力が試されているだけだろ」
「いや、私はただ、お前が愛する妹のために命を捧げられるかどうかが知りたいんだ」
「結局、死んで欲しいんじゃん!?」
―不覚だった。スピーカーとの会話に気を取られていて、注意が散漫になっていた。身体が宙に浮く。足元の石ころに躓き転んでしまったのだ。
「きゃああああああ!!」
真白人形が今までで一番大きな悲鳴を上げる。俺は真白人形を押し潰す形で地面に倒れ込んでいた。悲しいことに胸のサイズまで等身大であるため、真白人形はクッションとしてはあまり機能してくれなかった。
まもなく矢が発射されるだろう。俺は咄嗟の判断で、機械と真白人形との間に転がり込んだ。
「八鳳和生、素晴らしいぞ。愛する妹の盾になるだなんて美しい!!さあ、華々しく散るがよい!!ワーハッハッハッハ」
俺は恐怖のあまり目を閉じた。今度こそ思い出が走馬灯のように駆け巡る。めいりん、俺まだ死にたくないよ。このダンジョンから生きて帰れたら、今隣にいる真白人形のめいりん版を作ってもらって、毎晩甘い夜を過ごす予定だったのに……
しかし、不思議なことに、いつまで経っても矢は発射されなかった。
「ちょっと、めいりんと甘い夜ってどういうことなのよ」
真白人形がブツブツ文句を言うのが聞こえる。
「なぜ、矢が発射されないんだ……」
「なぜ、矢が発射されないんだ……」
山彦ではない。俺とスピーカーの声の主との異口同音だ。
スピーカーの声の主が機械のスイッチを切ってくれたわけではないことがこれで確定した。もっとも、さあ、華々しく散るがよい!!ワーハッハッハッハ、とか高笑いしていた時点で、その筋は消えていたのだが。
「私、思うんだけど」
口を挟んだのは真白人形だった。
「この機械って、私に自動的に照準を合わせて矢を発射するんだよね。だとすれば、今の状態だと、お兄ちゃんが私のブラインドになってるから、機械についてるセンサーが私のことを察知できてないんじゃないかな?機械から私が見えてないから、機械が矢を発射することができないんじゃないかな?」
「なるほど……」
「なるほど……」
再び異口同音。間違いなく、真白人形の方が本物の真白よりも冴えている。っていうか、声のパターンが1000通りっていうのは確実に嘘だろ。
機械音とともに飛び出ていた銃身部分が引っ込み、殺人マシーンはただの球体となった。おそらく制限時間の10分が経過し、機能停止したのだろう。
「まあ、とにかく、お前が愛する妹のために自己犠牲を図ったから、お前は助かることができたのだ。最初から、お前が自己犠牲によって妹愛を示せば、機械は止まるように設計されていた。まさに私の思惑通りだ」
嘘つけ。俺の断末魔を見たがってたくせに。
「お兄ちゃん、私、すごく嬉しい。お兄ちゃんは自分の命よりも私のことの方が大切なんだね」
「ああ、当たり前だろ」
もちろんそんなはずはない。少なくとも、この真白はただの人形に過ぎないのだから、この真白のために命を捧げる気など毛頭ない。あのとき俺が真白人形をかばったのは、真白人形に矢が当たって真白人形が爆発するのを恐れたからだ。矢だったら、当たり所が良ければ死なずに済むかもしれない。しかし、真白人形が爆発した場合には、俺は確実に死ぬ。そういう冷静なリスクマネージメントの下、俺は真白人形の盾になった。
「お兄ちゃん、今思ったことも読心術を使って明らかにした方が良いかな?」
「いや、やめておいた方がいい。知らぬが仏ということもある」
「ふーん。まあいいや。お兄ちゃん、今夜はどこよりも熱い上海の夜にしようね。中華三昧ならぬ○○(自主規制)三昧だよ」
またまた轟音とともに壁が崩れて、次のステージへの道ができあがった。
さて、どうしようか。先に進もうか。それとも今来た道を少し戻って、マグマの海にこの気色悪い人形を沈めてしまおうか。
「ちょっと、お兄ちゃん、馬鹿なこと考えてないで先に進もうよ!もう時間はほとんどないんだからね!」