9話 叙爵(士爵を授かる)
翌朝。
10時まで時間をつぶし、内務卿の政庁を訪ねる。
来たのは俺だけだ。ラムダは街をぶらつくらしいし、アンジェラは分からない。何事か用があるようだ。1時間程待たされて、別室に通される。閣僚の部屋にしては、簡素だ。そう思いながら、布張りのソファに腰掛けてた。
「お待たせしたようだな」
「いえ」
俺は立ち上がって礼をしようとする。
「ああ、礼は不要だ。小官は、内務卿首席秘書官のダーレム子爵である。座られよ」
「失礼します。シグマ・ペリドットです」
腰を下ろし視線を上げると。子爵の顔が目に入る。血色が良い中年男性だ。
「士爵への叙爵申請と聞いたが。若いな、歳はいくつになられる」
「17歳になりました」
答えながら、ドミトリー伯爵の推挙状を差し出す。
止め輪を外し、丸まった羊皮紙を開いて、目を通している。
「承った。申請理由と言い、推挙人のドミトリー伯と言い、申し分がない。小官の付記を併せて、事務方へ回しておこう。叙爵の公文書は、明日には渡せるようにしておく」
「ありがとうございます」
俺は立ち上がり、礼を申し上げる。
「ただ」
「はあ」
促されて、再び座る。
「申し訳ないが、内務卿は万事お忙しい身の上でなあ。式典の方は、3ヶ月に一度とさせて頂いている」
何人か、まとめてと言うことだろう。そもそも、晴れがましい席に出たいわけではない。
「うむ。叙爵の手続きは公文書の授与で完了ではある。まあ若い内は、式典の重要さが分からないと思うが。人脈作りのために、是非出席されるが良かろう。そういった意味でも、間を開けて開催しておる。次は。ふむ。2ヶ月後の10日だ。出席される場合は3日前までに、知らせよ」
50日以上先だ。
「分かりました。できるかぎり、出席致します」
「それがよかろう」
「ありがとうございました。では、失礼致します」
俺は、政庁を辞した。
庁舎を出ると、そこにはアンジェラが待っていた。昨日の露出度とは無縁の紺のマント姿だ。
「シグマ様」
「もう、用は終わったのか」
「はい。で、ご首尾は」
「明日公文書を受け取れる。流石は伯爵様のご威光というところだな」
「それは、ようございました」
「ああ、一度宿に戻るか」
宿に入ると、受付横の椅子に、ラムダが座ってる。
こちらを認めると、にこやかに手を振った。が、その速度が一瞬でぐっと遅くなって、表情も無機質になっていく。
どうした?
ああ、なるほど。後ろから来るアンジェラを見つけたか。
「3人揃ったことだし、食事にしよう」
ラムダに、予定通り叙爵されたことを伝える。そこでアンジェラと合流したとも話すと、若干機嫌が戻ったようだが。まだまだだ。どうしても反りが合わないと見える。
料理が運ばれてきた。
豚肉のソテーに、トマム芋を蒸かせた付け合わせ。粗野な作りにも見えるが、なかなかの味だ。このトマムイモは、ジャガイモに近いな。しかし、ジャガイモにしてしまうと、歴史考証が大幅に崩れるからな。一通り食べ終えたときに、現実逃避は、ラムダの声で遮られた。
「ボク。今日、朝から調べていたんだ」
なんだか、ご機嫌だ。
「何を調べたんだ?」
「へへー。シャラ境がどこにあるか」
おお、やるねえ。ラムダ。
「へえ、気が利くな」
満面の笑みを浮かべた後、アンジェラを睨んだ。
「で、何か分かったか?」
「うん。ここから、西に出て行くと、メ、メ、メリヌ川ってのが流れていて。その上流のどこかで支流があって、そこを遡ると、シャラ境があるらしいの」
だが、いちいちアンジェラを睨まなくても良いんじゃないか?
半日、その情報を探してくれたのか。
「おお、なかなかの情報だな。ありがとう」
「どう致しまして。もう少し調べれば、もっと詳しく分かると思う」
だから、アンジェラに勝ち誇らなくても。
アンジェラはマントの前合わせを開くと、巻紙を取り出した。
「お嬢様。それは、不要です」
巻紙をテーブルに開く。
「ここが王都。西方街道を下って行くと、20kmのところにメーリル川が有りまして」
絵地図だ。アンジェラは青い筋を指す。
「そこから8km遡りますと、右に分かれる支流があります。合流点に宿場町バルムがあって、そこから、やはり20km程、険しい渓流を昇ると、湖があります。そこがシャラ境です」
精密な情報だ。メリヌ川ではなくて、メーリル川か。
アンジェラは、俺を見て、そしてラムダを上目遣いで見た。口角が上がる。
ラムダは、つーんとそっぽを向いた。
「アンジェラさん。ありがとう。ふむ、西方街道沿いならば、バルムまでは駅馬車があるよな」
「はい、シグマ様。1日に1便、朝7時発と昼間11時発の便が1日交替で、西大門前広場から出ています」
抜かりないなあ、アンジェラは。ラムダは、益々不機嫌そうだ。
「わかった。明日、公文書が貰えたら、シャラ境に行こうと思う。二人はどうする」
「もちろん、ボクは一緒に行くよ」
なんで、そんなこと聞くのさって勢いだ。
「王都見物はもういいのか?」
「見物はいつでもできるからね」
「なかなか、行程は険しそうだが」
「行くったら、行くの」
可愛くも鼻息が荒い。
「そうか、ではアンジェラさんは?」
「私は、お二人が一緒に居る限り、付き添わして頂きます。任務ですから」
その後、装備店や食料品店を、ラムダと回り買い出しした。
次の朝。再び内務卿の政庁を訪ねると、既に公文書は発行されていた。昨日の首席秘書官は不在で、一般の官吏から渡される。
受け取った瞬間に、初めて聞いたファンファーレが脳内で鳴った。
─ 士爵位が叙爵されました ─
キャプションが閉じると、ステータスを呼び出す。
ふーむ。最初のページの姓名のすぐ後ろに、士爵と表示された。官吏に促されて、身分証を更新してもらう。ペリドット士爵家当主となった。まあ、一族は俺だけらしいが。
政庁の玄関ホールに戻ると、ラムダとアンジェラが居る。
「待たせたな」
「おかえり。座って座って」
ベンチに腰掛ける
「それが叙任証?」
「ああ」
「見せて見せて」
羊皮紙の巻紙を渡す。
ラムダとアンジェラが並んで読み始める。
「えっと。叙爵証。シグマ・ペリドット。上の者、内務大臣 公爵ベネディクト・ブルームの名において、ランペール王国士爵に叙するものなり。うーん。お父様のと同じ文面だ」
士爵レベルだと、名実共に内務大臣の権限で叙爵させられる。子爵以上になると、実はともかく、名前は国王陛下で署名されるが。
「おめでとう」
「おめでとうございます」
そう言われると、そこはかとなく嬉しくなった。
「ありがとう」
叙任証では浮かばなかったが、二人の笑顔で初めて士爵となった実感が湧いた。ゲームの中の話だけど。
何だか照れるな。
「いやあ。あのやんちゃな、シグマ坊やが士爵様かあ。お姉さんも嬉しいよ」
誰がお姉さんか。ラムダよ。
「感動のご対面のところ恐縮ですが。今の時間帯ならば、11時の駅馬車に間に合いますが」
「ああ、それに乗のう」
乗合馬車に乗り、外環路を北上、東西大路を左に折れ、西大門前広場に着く。
差し渡し200m程の石畳みの広場だ。
懐かしい。戦士の時は、ここ良く通ったものだ。東の大路の角は余り縁の無かった一流の商店が並び、南にはいくつものアーケードが走る王都の台所、西大市場がある。そこには、行き付けの旨くて安い飲食店がいくつかあるのだが…今日は寄る暇は無い。というか、もうすぐ発車の刻限だ。
3人が小走りで門に近づく。
西城門前には、大型の駅馬車が何台も並んでいる。御者台に行き先の書いた札が書かれているのを見ながら、目的の馬車を探す。
「あれですね」
アンジェラが指差す先に、バルム経由ファーレン侯爵領行きと書かれた一台があった
間もなく発車しますと言う声が聞こえてくる。
おっ。見ると横に居たはずの、アンジェラがもう御者に話しかけている。すげー、縮地法かな。
4頭立ての8人乗り。我々の他は、老婆と商人らしき壮年の男性が既に乗っていた。アンジェラは自ら支払っていたので、前払いの料金を2人分16ディール払い、キャビンの後ろのドアを開けて乗り込む。ドアの上半分は幌だが、布生地が巻き上がられており外が見える。
馬車が走り出すと、早速西大門をくぐって、王都を出た。
城壁の周り数百メートル程、。攻城軍に陣地を作らせないための何も無い空き地を走ったが、間もなく王都外縁と呼ばれる集落を通り始める。城壁の外ではあるが、結構建物が建っており、人々の往来もある。そこもあっと言う間に背後に消え、田園風景が広がった。リスィ村と同じく、秋蒔きの小麦のためであろう、大勢の農夫が農地を耕している。如何にも地味が良さそうな黒い土壌が見える。
ラムダは、先程まで前に座っていた老婆と話していたが、今は静かになった。アンジェラと同じく眼を閉じている。まあ、アンジェラの方は寝ているかどうかは疑問だが。
この辺りは肥沃だなあ…。
ここは東にはジェーヌ川が流れ、古くは蛇行していたが、治水工事を実施して作ったのが王都パラス・ランペール。その周りは大きな平野を成しており、農耕が盛んだ。
─ 鑑査 ─
王国直轄領、王都外縁。畑作地、評価A。
やはり、リスィ村とは段違いで評価が高い。まあ、良い土地だから、王都になったわけだが。我が村も何とかならないものかなあと思案したら、馬車の揺れが心地よく眠りに着いた。
5時間強。クッション性のある敷物はあったが、時間が経つ程に苦痛を呼び、現代の移動手段が天国と思い知る。13時に遅めの昼食休憩と、15時に小休憩1回を挟んで、4時過ぎにはバルムに着いた。
鄙びた宿場町。規模は王都と比べるべくも無いが、ここはここで素朴な味が合って悪くない。三人とも疲れているようなので、余り迷わず3軒ある内の一番手前の宿をとった。1泊10ディール。元の相場だ。川魚料理を食べて、さっさと自室に入った。
「ログアウト」
今回はポーズでは無く、ログアウトした。
「ふう、こっちは大晦日の昼か」
現実世界で、我に返る。先ほどまでの下肢にあった鈍痛は嘘のように消えたが、精神は癒えない。
腹減った。厚着して、外に出る。あっちは暑いが、こっちは寒い。人の身体で、ヒートショック試験はまずいよなあ。買い物をしたかったので、昼飯はファストフードで済ませる。ゲームより貧しい食生活はどうなんだろうかと反省。せめて正月ぐらいはまともな物を食べようと思って、肉を買った。明日はすき焼きにしよう。
それにしても、現実世界は味気ない。あの世界の方が、俺は生き生きしてるに違いない。
あそこなら、障碍もないしな。
ここまで回復させてもらった、付属病院の先生方や看護師の皆さんには、感謝が絶えない。大学で研究するようになって、生活にもハリができたことは嘘では無い
だが、あのゲーム世界なら、健常者を通り越えて、超人の域だからなあ。
いかんいかん。ゲームに入れ込みすぎてはだめだ。
寒いことに加えて、節目の日にはナーバスになりがちだ。気分を変えよう。
前回忘れたこと、大掃除を兼ねてしっかりやる。
ポーズでは無くログアウトしたのは、掃除をやるためだ。
ゲーム本体も一旦電源を落として、中を空けてブロアを吹く。
おお綺麗になった。はあ疲れた。
仮眠を取ったら、もう夕方だ。ちと早いが、そばを食べて、準備万端。LSFやろう。
いや、その前に。
ネットに繋いで、呪文の意味を調べよう。
日本語-ヘブライ語翻訳っと。
「あった」
入力欄に、コード表から呪文を入力していく。
面倒くさいが、劫烈火の分ができた。
… אלוהים אני דורש את זה ומדבר
「翻訳っと」
神よ 我は求め訴えたり。 ?????????????──
「あはっははは…」
最初の呪文はかなり有名なやつだ。
意外にひねりがないな。
しかし、その部分以外は、全然だめだ。全く訳されない。
何か間違えたか?
何度か見直したが、間違ってない。
この手の記憶は、絶大なる自信がある。
「うーーん」
単純に先輩か誰かが、設定の手を抜いたことことも考えられなくも無いが。
いや、ネットの翻訳機能を使えば、簡単に変換できるわけだから、でたらめにする方がかえって手間が多いはずだ。
ならば、考えられる目的は…暗号化か。
念のために、他の魔術の呪文も試したが、同じだった。訴えたりの以降は不明だ。
あれか、神の御業は、人の言葉に出来ようもない説。
まあ、釈然としないが、今のところ何ともならない。
さて今度こそ、LSFをやるか。
ログインしようとしたら、新着情報が出てる。
2時間前だな。第12サーバーが稼働しました。日本エリアも含まれます、かあ。
まあ、ゲームやる分には、特に意識はしないけどな。これで混雑は幾分解消されるだろう。悪くない話だ。
ポーズから復帰。
良い朝だ。ベッドから起きて伸びをする。窓から見るメーリル川は、朝日に映えて緩やかに流れている。早速出発だ。
渡し船で、右岸に渡る。
左が本流。右が支流のメーリル川と言うそうだ。
「……川の別れるところ」
アンジェラのつぶやきは、最初の部分は聞こえなかったが、どことなくもの悲しかった。
右岸には、船着き場の他、何もなかった。
「シグマ様に、提案があります」
「何ですか、アンジェラさん」
「昨日も申し上げましたが。士爵様になられたのですから、アンジーとお呼び下さい」
いろんな理由で、そうはいかんな。
「で、なんでしょう」
「はあ。えーと。私、先行してもよろしいでしょうか」
「先行?」
ラムダが先に反応する。
「ええ。大変失礼ですが、徒歩では皆様と移動速度が違います。ここからは、このメーリル川を遡るだけで、迷いようがありませんし。泊まらなくても、目的地へ着くと思われますので」
「良いんじゃない。どうぞ」
ラムダ。一緒に居たくないだけだろう。
「先行して、どうする」
「ラティス卿のお住まいを探しておきます」
まあいいか。
「わかった。頼むとしよう」
「はっ」
その声が消えぬうちに、アンジェラの気配が消えた。
あいつ。シーフじゃなくて、忍者だろ。
「邪魔者は居なくなったし。大した魔獣も居ないってことだからね」
「ああ、二人で行こう」
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訂正履歴
2015/7/29:用語訂正:陛爵→叙爵,叙任→叙爵,推薦→推挙