31話 魔獣島(3) 死の影
魔獣島生活2日目。
前日は、土属性魔術で作ったドーム状コテージで泊まった。不自由がないと言えば大げさだが、野営するよりはずっと良い環境だ。十分な休養が取れる、はずだった。
しかし、起きてみると俺の息は荒く、胸には重い鈍痛があった。
言うまでもないが、手形の部位だ。
病棟にいた頃のように、死の影を肌で感じる。
自己感知魔法の我空を意識しても特段の異状は見られないが、無視している呪いのビィジョンは、以前より暗さが増している。
そして、俺は何かを思い出せそうで届かない焦りが、心を占めている。
なんとか,気持ちを切り換え、ベッドから立ち上がるのに15分を要した。
「おはよう。シグマ」
起き出してリビングに出ると、既にラムダがキッチンに居た。
「ああ、おはよう」
頭が覚醒したら、良い匂いがしてきた。ダイニングの椅子に座る。
「はい、どうぞ」
パンにサラダ、目玉焼きが、俺の前のテーブルに並ぶ。
「ん?これ、俺の分か?」
「そうだよ」
ラムダが、くるっと躯を右に回してはにかむ。
何だか、新婚家庭みたいだ。
ラムダが、何かにはっとなって口を開く。
「顔色が…」
「そうか悪いな。頂こう…おお黄身が良い感じだ」
聞こえない振りで、声をかぶせた。
「あっ…うん。シグマはさぁ、半熟が好きなんだよね」
やや引き吊った微笑みで続けた。
ああ、そうだ。白身はやや堅め、黄身は半熟が良いよな。
「旨い」
「そう?はい、これもね」
スープ皿にポトフをよそってきた。
これが良い匂いの元か。
ベーコンとトマム芋と葉が透き通って艶やかなキャベツが、澄んだスープに浸かっている。木の匙で掬って飲むとコンソメの豊かな香りが鼻孔を満たし、舌全体に幸せな味が広がる。
「はあぁ。おいしいな。これ」
食べていると、ようやく身体の調子が戻ってきた。
ラムダは、つかつかとこちらに来ると、左脇に座って、ニコニコしてる。
なんだろう。ラムダは煮物が旨いよなあ。それに食べると、とても落ち着く。
「ラムダは?一緒に食べないのか?」
「ボクはもう食べたよ」
「そうか…そう言えば、夕べ悲鳴が上がったが。何かあったか?」
寝付けなくて、水を飲みにリビングに出たときのことだが。
ラムダは、なんだかモジモジとしてる。
「あっ!ああ、あれね。ボク、ちょっとびっくりしたけど。気に入ったよ、あれ」
「ん?」
何のことだ?
「ああ、あのう。トイレ」
ぴんと来た。
「そうか、悪い!説明してなかったな。シャワー便座のこと」
まあ予備知識になしに使うと、びっくりするよな。昔は日本しか普及していなかったから、びっくりする外国人の動画を見たことあるし。
「そういう名前なんだ…もう良いけど。あのさあ、あれ、王都の館にも付けない?」
「ああ、今度帰ったら付けようと思っている。リスィ村の方にもな」
小さい声でいいなあって聞こえたが、後はどこに付ければ良いんだ?
外扉が開く音。アンジェラが入ってきた。
「ただいま戻りました。行く方向を見てきました。岬の方には、1パーティが居ますが、大分離れているので問題ないかと」
そこまで行けるとは。流石の隠遁能力だな。
「では、出発しよう」
歩き出して20分程経った頃、岬が見え始めた。さらに手前に沢がある。
小さいせせらぎを横切ろうした時に魔獣が現れた。
「うわぁ、気持ち悪い」
ラムダと同意見だ。甲殻類の魔獣、大黒陸蟹だ。タラバ蟹を5倍位に巨大化させた姿だ。それが3頭。長細い節足がうねうね動く様は、これが小さいと美味そうに見えるのが不思議なぐらい気味が悪い。
タアァーーッ。
鉾槍が煌めいて、突進からの3連撃が炸裂するも、キチン質の強固な外殻に、僅かな凹みを作るに留まった。
「もう硬すぎ」
大黒陸蟹も動いているので、若干ブレたな。
鉾槍から棘玉棍へ持ち替えたので、よしよしと思いながら、俺は別の個体に向かう。
ラムダ達を回り込み、魔獣へ石の礫を当て、こちらへの憎悪を上げる。狙い通り俺を追って来る。
俺は、軽くステップを踏んで進行方向と逆を向き、光魔術を放射した。
─ 煌芒閃 ─
凄まじいビームが大黒陸蟹を貫通、大地に突き刺さった。
甲羅に直径1cm程度の穴が穿たれ、そこから湯気が上がる。
それでも蟹魔獣はダメージが余りないのか、勢いを落とさず向かってる。
甲殻類にピンポイント攻撃は不向き…。
「これならどうだ」
─ 煌芒閃 ─
同じ光魔法、しかし、腕を振ってビームを掃く。
大黒陸蟹の甲羅に縦の筋が入り、数秒後にそこを境界面として真っ二つとなった。
焦げ臭い匂いが立ちこめた後、星屑と消えた。
パルス状にビームを出すのはそれ程でもないが、継続して放射し続けると魔力を喰うな。威力があり過ぎか。
「凶悪ですね、その魔術」
後ろにアンジェラが居た。てっきりラムダを見守っていると思ったが。
「ふっ」
では、もっと醜悪な物を見せてやろう。
もう一頭の大黒陸蟹が、迫り来る。
「アンジェラ。離れていろ」
集中…。
ガフの間に入った。同時並行励起──
─ 気弾圧縮 ─
─ 天焼猛火 ─
風属性魔術と火属性魔術を同時発動。融合魔術だ。
敵の周りの空気が圧縮するようなビジョンが見えた瞬間、現実に戻る
ドォォゥーーーン。
爆散。
オレンジ色の火が見えた刹那、空気が白くなり、大黒陸蟹が居た空間から衝撃波と爆風が走った。
甲羅が細かく砕け、引きちぎられた破片が飛び散り、ばらばら辺りに落ちて来る。
無論事前に障壁魔術を張ったので、俺に当たることは無いが。
大きな炎が燃え上がるはずの天焼猛火を圧縮してから点火することで、一瞬で燃やし尽くし、膨大な熱と猛烈な爆風を生じせしめる。爆炎魔術とでも呼ぼうか。
それにしても耳が痛てぇ。
振り返ると10mほどの所に、アンジェラが呆然と立ち尽くしている。
「なんなんですか。この凄まじい破壊力。魔獣が跡形もなく吹き飛びましたよ」
俺は、そちらに歩き、彼女の肩を軽く掌で叩く。そして気になるラムダの方に取って返す。背後で声した。
ありえないわ──。
50m程戻ると、ラムダが苦戦していた。
無論彼女が優位なのではあるが、打つ手がなく焦り始めている。
「どうだ。ラムダ。加勢は要らないか?」
「シグマ。い、要らないよ」
「そうか…随分手こずっているようだが」
ラムダの膂力とセンスが有れば、斃して貰わねばな。
「あの2頭は…斃したんだよね」
「ああ」
ラムダは棘玉棍を一閃すると、左第2脚を叩き折った。
しかし。
ズシュ。折れた上の関節から、粘液と共に新たな脚が生えやがった。
「これなのよ。脚は生え替わるし。殻は硬いし。もうやんなっちゃう」
厄介だよな、打撃だけで押すのは。
それにしても。
スカート短いだろう。後ろから見てると、棍棒を揮う度に捲れて、白い物が見えてしまう。まあ、露出するのはドロワーズというヤツで、太股の中程まで覆う立派な下穿きではあるものの、享楽の現代に育ってきた俺には、”はあ、見せパンね”止まりで健康的なお色気以上の感慨はない。
ただ、この時代では大変扇情的な光景なはずだ。ドレスコードと言う言葉があるかどうか知らないが、明らかに反している。逆に、俺としては、ハーフカップのトップスの方に眼が向きそうになるが、この世界ではそちらは大らかなんだよな。よく分からん。
「さっきのものすごい音は、なんなの?」
おっと、姿に見惚れていたら、質問が飛んできた。
「俺の魔術だ。そんなことより、目の前の敵に集中した方が良いぞ」
「…だけどさ。シグマがボクだったら、どうやって斃す?」
ふむ。俺が戦士だったらと言うことだろう。
「連撃だ。次の攻撃があると思うな。渾身の力をを込めるんだ。そして自分を信じろ」
「…わかった」
ラムダが、鉾槍にスイッチする。
気が膨れあがった。
だぁーーーー。
吶喊。
4連撃。
鉾槍が半ばまで、大黒陸蟹に食い込んだ。
魔獣は、力尽き、光と散った。が、最期の力で泡をラムダに浴びかけていた。
「ああああ」
受けた泡革鎧の隙間から入り込んでいる。
まずい、まずい、まずい!
掛かった鎧やラムダの皮膚から白煙が上がる。
強酸だ。
「お嬢様──」
「ラムダ!」
あわてて駆け寄る。油断した。
「シグマ。ボクやったよ…うううう」
「動くな」
─ 竜涎 ─
─ 滂沱 ─
回復魔術を掛けつつ、水魔術で酸を洗い流す。
「ふうぅぅ」
とりあえず痛みは引いたようだ。
「アンジェラ。胸当ての下を見てやってくれ」
「はい」
俺は後ろを向く。
数分の後。
「シグマ様。大丈夫です。何事もなかったように綺麗な肌ですよ。よかったですね。ふふ」
明らかに言外のニュアンスを込めてるな。
「ああ」
まあ、ラムダが無事なら、どうでも良いことだが。
さらに数分の後。
「シグマ、もう振り返って良いよ」
ラムダの声は元気そうだ。
彼女は微笑んでいた。
「ありがとうね。シグマ」
「いや、障壁魔術を掛けておけば良かった」
「それじゃあ、過保護だよ」
そうだな。
「ふふふ…」
アンジェラが再び笑ったので、そちらを見た。
「これは失礼しました。シグマ様が、取り乱したところを初めて見ました。少し安心しました…ふふふ」
なんだそりゃ!
「そうだね。やっと17歳に見えたよ」
ブルータス、お前もか!
今まで何歳に見えていたんだ?
「ふん。笑えるなら大丈夫だな」
珍しく強がりを言ってしまった。
沢を越え、やや昇りに入ると、引き返してきた一行に遭遇した。
先頭の男は、俺たちが居る左側とは逆の右側を向き通り過ぎる。
壮年から20歳位の、年齢が混成の男ばかりの7人パーティだ。
俺たちの横を無言で通り過ぎる。
ラムダが、途中で凛々しい顔を顰め、辛そうに目を伏せた。
─ 修慧 ─
「あんた達」
「なんだ、何か用か?」
疲れ切った様な表情で、最後尾の男が振り返った。
「分かっているのだろうが、その男…」
俺は、白いのローブ姿の男を指差した。両脇に肩を入れて2人で支えながら歩いている。右脇腹には大きく切り裂かれた跡があり、裾から赤黒い液が滴っている。
「…放っておけば、間もなく死ぬぞ。治癒魔法の使い手は居ないのか?」
打ち捨てず、連れ戻っているとこからしても、助ける気があるのは分かるが。
「ああ、このプラムの他は居ない。だか、それを訊いてどうする」
回復役だった男がやられた訳か。
「俺に診せて貰って、いいか?」
「おおい。みんな止まれ」
俺は、プラムと呼ばれた20歳代前半の男を、地面に横たえ胴を外した。
見るからに深く傷が食い込んで、止血すら済んでいない。
「ポーションは飲めず、この傷口に吹きかけたのだが…」
それではダメだ。男の意識がないので、苦肉の策なのだろうが。ポーション系は飲んで吸収せねば、ほとんど効き目が出ない。
先ほど鑑定魔術で見たところによれば、小腸が引き裂かれ、肝臓がつぶれ、大きく欠損している。大きい血管が切れていないので即死を免れているものの、ここまで酷い怪我では、HPを上げてもすぐ低下してしまう。まずは治療だ。
─ 零陵 ─
中級回復魔術だが、効果は治療主体。そして費やす魔力次第で治癒の度合いが異なる。内臓や組織が欠損している場合に向く。
「ふうう」
─ 竜涎 ─
こちらは、切り傷、刺し傷、皮膚の治療に向く。
なんとか内臓は元に戻り、皮膚も塞がっていく。
ふうぅ。魔力を3割方消費した。結構疲れる。
「す、すげーー」
「ああ、凄まじい治癒魔術だ」
男達が、驚きの言葉を口にした。
「とりあえず、内臓を治療して、傷は塞がった。これで運んでも大丈夫だ」
俺は鑑定魔術で見た結果を述べた。
「あ、ああ。ありがとう。プラムを救ってくれて」
「お、俺たちは、あんたに何をすれば良い?」
比較的、若そうなメンバーが声をかけてきた。
「いや、特に要求はない。じゃあな」
「ちょっと待て。これより軽い怪我でも街で魔術医に掛かったら、数千ディールは払ったぞ」
この世界には保険制度などはない。そのぐらい治療費を請求されても不思議ではないな。だが、この男達というか、冒険者あるいは賞金稼ぎにとっては大金だ。
「せ、せめて名前を聞かせてくれ」
そうだ、そうだと取り囲まれる。
「おい」
先頭を歩いていた、男が。こちらに寄ってきた。
港で声を掛けてきた、案内人と名乗った男だ。
「なんだ」
「商売のジャマをするな。港に戻れば、ハイポーションで治せたものを。飛んだ甘ちゃんの所為で、儲け損なったぜ」
「甘ちゃん?」
ラムダが訊き返す。
「大体貴重な魔力を、見ず知らずのヤツらに使うような奴を、甘ちゃんと言うんだ。ふん!」
確かにな。自分と仲間に使うべきだ。一般にHPよりMP、魔力を回復するのが困難だからな。おそらく、この世界の最大公約数的意見だろう。だからこそ、彼らも何も言わず通り過ぎようとした。
「まあいいや。成功報酬だからな。無駄にならなかった。旦那達、戻りますぜ!」
男は、癇に障るに表情で笑った。
そこから100m程歩いていた頃。
「ごめんね。シグマ。ボクが。ボクの所為だよね」
そうだ。お前が悲しい顔をするのは見たくない。
「いや。俺の気まぐれだ。ラムダがそんな顔をする必要は無い」
「ありがとうね」
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訂正履歴
2015/11/28 三点リーダ訂正