25話 準備
「シグマ様。もう、お加減はよろしいのですか?」
自室に、マーサさんを呼んでいた。
「ああ、大分楽になった。心配掛けたね」
「それはようございました。それで何か御用でしょうか?」
「うん、この館の維持費用のことなんだけど」
「やはり、そうでしたか。少々お待ち下さい」
マーサさんは、この部屋の本棚に歩み寄ると、革張りの薄い冊子を持ってきた。
「こちらが参考になるかと思います」
「これは?」
「こちらがまだ子爵様の別邸だった折に、家宰の方がつけておられた帳簿の写しです」
どれどれ。
俺は中を開いて見ていく。
年間費用、固定資産税580D、修繕保守費4800D、庭維持費3600D、家具・リネン類更新費用2260D、水道料金1200D、魔石更新費2640D、廃棄物引き取り料金600D、消耗品購入費1200Dか。非常に参考になるな。
俺が指差しているところをマーサさんが見る。
「シグマ様、そこまでを合計しますと……16880ディールです」
「へえ。マーサさんは、暗算もできるんですね」
流石は士爵の未亡人だけのことはある。
このランペール王国の庶民は、識字率は30%前後、計算は四則演算がようやくというところで、普通計算には筆算を使う。
固定資産税は、おそらく貴族の特権で優遇されているはずだ。だが俺が持ち主となったので、次回は1000Dくらいだろう。
「ええ、まあ」
これは、思わぬ拾い物か。
「失礼ですが。メイド業よりも、もっと実入りの良い職があると思いますが」
「ほほほ。シグマ様。世の中そんなに甘くないですわ。女が1人立ちするには、そうですね、昨日見えられたシーナさん程の実力がなければ、やっていけませんわ」
「そうですか?」
「そうですとも。あと、こう見えても私メイドという仕事が大好きですの」
ふむ。
「ところで、この屋敷で使う魔石は、何色ですか?」
「ほとんど赤で、1割ぐらい緑です」
「赤と緑?」
「ええ。コンロや熱源に赤、空調などに緑です」
マーサさんは注意深く答えた。
「では、これぐらいで足りますか」
左手から赤、右手から緑。10kg余りの魔石を出庫した。
「えっ、ええ。これだけあれば数年持つと思います」
目を見張って居る。
「前置きはこれぐらいにして、本題だ」
「承ります」
「我々は、この館には長くは滞在しない。ついては、こちらの経理も任せたい」
「本気ですか?シグマ様」
「ああ」
いくらか間が開く。
「……お引き受け致します。それでは私からも提案があります。先ほど、申し上げた費用は、子爵様の対面もあり、かなり無駄があります。もっと切り詰めますので、若いメイドを2人雇用させて頂きたく存じます。いかがでしょうか」
「分かった。任せる」
「ありがとうございます」
「それでは、当座の資金だ。預かってくれ。あと、これは金庫の鍵だ」
1万ディール白金貨2枚と、予め両替していた、1千ディール金貨10枚をとりだして。テーブルへ置く。
「は、白金貨…ですか。全部で3万ディールも…これでは、食費を含めても、1年分の経費を超えます…シグマ様。昨日会ったばかりの人間に、こんな大金を預けるのはどうかと」
「アンナさんとは、昨日契約した。契約した人間は、信じることにしてるし、俺はこう見えても人を見る目がある…と思っている」
「そうですか…では精々ご期待に答えるよう努めます」
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昼過ぎ。禹歩を使ってゼノン商会に来た。
王都内を一人で移動するときは、乗合馬車を使用しなくなった。商会に入って、泡影を解き、姿を顕にすると、受付嬢と警備員に詰め寄られた。
そりゃあ、突然店の中に魔術士が現れたら、テロ?とか思っても仕方ないよな。
俺も悪かったが、こちらも自衛のためだ。許してくれ。
それから、待つこと3分。シーナさんが受付に来た。応接に通される。
「シグマ様。わざわざ、お越し頂き恐縮です。それにしても、受付の娘がびっくりしてました。人が悪いですね」
朗らかな表情からして、本気で咎める気はないようだ。
「すまんな。ただ、しばらく、こちらに来るときは同様にさせて貰うが」
「はあ。何か訳ありのようですね。わかりました。受付と警備員には伝えておきます。ところで、新しい館の住み心地はいかがですか」
「ああ、昨日の今日だが…まあ悪くはないと思っている」
「それはなによりです」
にっこりと微笑んだ。
「今日お越しになったのは、お館の契約書の件でしたでしょうか?そうでしたら私共が参ろうと思っておりましたが」
「ああ、それもできたら済ませておきたいな」
「と、おっしゃいますと。今日は、別のご用でしょうか?」
「納品と依頼だな。あと手に入れて貰いたいものがある。パウロさんはどのぐらいで戻られるかな?」
「おそらく1時間も掛からないと存じます。では、それまでに書類の手続きを済ましておきましょう」
館と土地の登記、水道や廃棄物の回収など行政サービスの利用開始、庭師の手配等の書類にサインしていく。それが一段落して紅茶を出して貰った頃、パウロさんが戻ってきた。
「これは、シグマ様。ようこそお出で頂きました。本日は……お館の契約の件ですか?」
テーブルの上の書類を見て言ったのだろう。
「そちらは今確認を終わりました。ただ、先程本来の御用は納品と承りました」
見上げたシーナさんが、紙を手で揃えながら答えた。
「納品……シグマ様、あのう」
パウロさんがシーナさんを視線で示しつつ目配せした。
「ああ、彼女なら構わない」
「ありがとうございます。シーナ君。これから見るもの、聞くことは他言無用だ」
シーナさんは目を瞬かせて頷いた。
「シグマ様。前回頂きました物ですが、先様にはとても好評でした。つきましては、残りについても、できるだけ早くお取り引きさせて欲しいとのことでした」
「了解だ。約束の残り9つは用意してきた。ここに出しても良いか?」
少々お待ち下さいと言って、厚手のラシャをテーブルに敷かせた。
俺は、その上に9つ出庫する。
「あ、青い…転移結晶…それが、こんなに沢山。ありえないわ」
シーナさんが、大きく目を見開いた後、頭を抱えた。まあ、俺もシャラ郷に行くまでなら、同じ反応をしたことだろう。
「シグマ様って、どういった方なんですか?てっきり大貴族のご落胤か何かかと」
ああ、俺のことそのように見ていたわけだ。まあ若造だからな。
パウロさんが、手で制して彼女を止めた。恐縮して、頭を下げる。
「失礼致しました。すぐに検めさせて頂きますが、申し訳ありません。少々お時間を頂きます」
俺が鷹揚に頷くと、前回使った魔道具の眼鏡を出して確認を始めた。パウロさんが、シーナさんに何事か耳打ちをすると、彼女は部屋を出て行った。
俺の表情を見たのだろう。
「これらを侯爵家へお納めするための箱を取りに行かせました」
確かに、虚空庫に入れず、そのまま持って歩くのは、まずいだろうな。結晶同士が当たって欠ける可能性もなくもない。
「なるほどな」
シーナさんが、箱を3つ携えて帰ってきた。それを置くと、再び部屋を出て、ティーポットを持ってきた。シーナさんは、俺の前でしゃがむとカップにふたたび紅茶が注ぎ、席に戻った。高貴な香りが俺に届く。
「こちらは、もうよろしいのですか?」
「うむ、その2つは確認した。箱に詰めてくれ」
「はあ。これは如何程のものなのでしょうか」
パウロさんは、眼鏡をしたまま、そちらを見遣る。
「聞かない方が、手が震えなくて良いと思うがな」
はぁと、恐る恐る詰める姿は、見てる方が怖くなるんだが。
「この紅茶旨いな」
パウロさんがこちらをちらっと見た。
「流石に舌が肥えていらっしゃる。そうだ、この茶葉と、それに米と味噌をお宅に届けさせましょう」
そういうつもりで言った訳ではないのだが。
呉れるものは貰うけどね。
それから15分ほど優雅に茶を楽しんでいると、シーナさんが最後の箱に鍵を掛けた。
「確かに、9つ全て完品でした。ありがとうございます。それでお支払いはいかが致しましょうか。630万ディールとなりますが」
微かに630万と女声が聞こえたが無視だ。まあ驚くのも無理ない。30億円余りだからな。
「この商会に我が家の口座があるよな」
ゼノン商会と取引があることは、リスィ村の館にあった帳簿で確認済みだ。それに受付の横に、信託業と鑑札が掲げられていたからな。ちなみに、この世界の信託業だが。貴族や地主は農作物を委ね、信託商は換金はもちろん納税手続きを代行したり、残った利潤を運用する業務も実施している。
「はい。もちろんございます。申し遅れましたが、こちらは貴族の皆様向けです。西街区と東街区に別店舗が有ります」
「では、その口座に500万を入れてくれ。残りは現金で貰うとしよう」
「よろしいのですか?今のままですと、お宅様のハンス殿が全て引き出せてしまいますが」
「かまわないが…いや、それでは、この商会の方が困るのだな?」
このような大金を簡単に引き出されようものなら、信託業務に支障を来すからな。
「ご明察。シグマ様は魔術士にしておくのは惜しいですな」
最近同じこと言われたな。向いてないのか?俺。
「では、推奨案を示してくれ」
「話が早くて助かります。如何でしょう。ご先代様の意を受け、ハンス殿が今進めていらっしゃる灌漑に土地改良事業を5倍にしたとしても、必要額は100万ディールに満たないかと存じます」
「では、400万を1年ごとに継続判断する運用とする扱いにしてくれ。それで良いか?」
「ご配慮に感謝致します」
商会の二人に、立ち上がって、深々とお辞儀された。
「では残る現金を用意致します」
「ああ、悪いが100万は白金貨でも良いが、15万は金貨、5万は銀貨で用意して欲しいのだが」
「承りましたが、あと10万は?」
「実は、欲しいものがある」
「はあ…」
それぞれの硬貨を用意して貰い、虚空庫へ格納した。しかし。有るところには有るね。金ってやつは。
「それから、シグマ様…」
「うむ」
「先日の注文は、これで完納となりましたが。王国、そして外国でも、転移結晶の需要はございます。今後も注文を出させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ああ。供給者が誰かを秘密とするので有れば、応じても良い」
「その点は、間違いなく。私どもも聖教会を刺激するのは得策ではありませんので。君もだ、シーナ君」
話を振られて、大きく目を開く
「はっ、はい。お約束致します…もしかして、ご来店の時、姿を消されていたのは、それが理由ですか」
頷く。
おどかすためじゃなかったのねと小声が聞こえた。
うぅぅんとパウロさんの咳払いで遮られた。
「シグマ様。先日こちらにお越しになったとき、ご出身のリスィ村をどうするかとおっしゃられましたが。転移結晶売買がシグマ様のご意志ですか」
「転移結晶は、それほど大量の需要が有る訳ではないだろう。単価が高くとも、それでは、村単位を継続的に潤すのは、無理だからな」
「もしかして、先ほど依頼事項が有ると言われたことに繋がりますか?」
どう切り出そうかなと思っていたが。抜けてるようで、できる女だな。シーナさん。そういう女性は好きだな。
「ああ、その通りだ。依頼と言うのは、業者もしくは職人の紹介だ。金属の板金加工ができる者、それと、フェルトの同じような人材を紹介して貰いたい」
「板金加工とフェルト…フェルトは羊毛から作る布のことですよね」
「ああ、そうだ」
商会の2人は顔を見合わせ、首を傾げ合った。
「申し訳ありません。その二つの共通点が分からないのですが」
「どちらも、ある物を作るための部品だ。それを作って欲しいのだ」
「ある物…それが何かをお聞きしても」
何か、2人は興味津々だね。流石商売人。
「いや、そんな大した物では無いが」
「いえいえ。シグマ様のこと。そんなことはないでしょう」
かなり買い被られているな。
「仕方ない」
俺は虚空庫から、試作品の一部を取り出す。
形は、卵を倍の寸法にして半分に切ったようなもの。底には穴が開いた直径2cm程の円筒突起がある。縁から紐が括られて伸びている。
「何ですか?これは。陶器で作ってあるんですか?シーナ君、分かるか」
確かに、俺が土属性魔術で作った物だ。
「さあ、漏斗ですか?ちがうかな」
漏斗とは、液体を細口の容器に注ぐための道具だが、全くのはずれだ。
「これは、このように使う」
「お面?ですか」
俺は試作品のへこみを顔に合わせて、密着させるように装着した。紐を頭の後ろで結ぶ。
「いや、お面では無いようだぞ、シーナ君」
そりゃそうだ。こんなおもしろみが無い、お面がある訳がない。
「作って貰いたいのは、この先に付けて使うものだ」
そう言って、口の先にある高台、円筒部分を指差した。
「そして、これが、部品の図面だ」
紙を広げると、2人が覗き込んだ。
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ゼノン商会に行った帰り、紹介して貰った業者に寄った。結果は1敗1勝というところだ。
板金職人のドワーフの親父は、何だか最初から虫の居所が悪かったようで、パウロさんの紹介だから話だけは聞いてやるという感じだった。缶の作り方を懇切丁寧に説明したのも裏目に出て、素人が五月蠅い、そこまで言うなら自分で作れと言う話になり。真に受けた俺が土魔術で作ったら、それでいいじゃ無いか、儂の技術はお前のための量産技術じゃねえ、帰れ!そう言われ、工房を追い出された。
まあ、職人なんてあんなもんだよな。
ただ、紹介を受けるだけ合って、陳列されていた、主に防具と馬具はすばらしいものだった。あきらめずに、また頼みに来よう。
フェルトの方は、俺の依頼にかなり興味深く対応してくれ、その場で試作品まで作ってくれた。上々だ。とりあえず1000個でいくらかと尋ねたところ、量産のための道具を作るということで、初期投資1200ディール、1セット1ディール50セルクということで同意して2700ディールを支払った。納期は10日後だ。
夕食の場で、俺はラムダとアンジェラに切り出した。
「そろそろ一度ドミトリー伯爵領に戻ろうと思う」
ラムダは、腕組みをしたまま反応しない。
アンジェラは、数秒それを見ていた。
「私は、そのお言葉を待っておりました。戻れば、私の任務も終わりますし」
「わかった。ラムダは?」
「なんで聞くの?」
はい?
じっと見ると、怒っているような、もじもじしている様な。ずっと見続けていたら目を瞑った。
「そりゃあ、この家は楽しいし、王都は食べる物がおいしいし。だけど、シグマが帰るなら、ボクも一緒に帰るに決まってるよ。当たり前でしょう」
何だかじーんと来るな。
「そうか。ただし、アンジェラには悪いが、簡単には帰らない。転移ゲートは使わず、旅をする」
「ちょっとお待ち下さい」
「ボクは賛成!」
ラムダの声に、アンジェラがお嬢様と呟いて項垂れた。決まったようだ。
「出発は3日後にしよう」
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