2話 パートナークリエーション
ゲームを始めるときに、パラメータ設定できるとわくわくしますよね。
5日ほど遡った現実世界。
「はい。由良です」
『よう!史久真。早見だ。荷物は届いたか?』
ヘッドセットの傾きを調整しつつ、取り出したデバイスには、早見先輩と表示されている。
「ええ。1時間ほど前に。それで、ちょうど今、部室の棚に戻したところです」
デバイスをポケットに戻し、ロッカーの引き戸を閉める。もう一方の手は杖にある。
傾き掛けた陽がガラスに映えて、一瞬目が眩む。
『悪いな。おまえの研究室と部室は遠いのになあ。しかし、ゲー研・鉄の掟その6、持ち出した物は、死んでも戻す!だからなあ』
先輩のいつもの口癖だ。掟はいくつあるのか知らないが。俺は備品の机に寄りかかりながら口角を上げた。ゆっくりと杖を、傍らに立てかける。
「いえ、大したことないです。それにしても先輩。どうしてゲーム研究会の資料を?」
『ああ、新作にちょっとな』
「LSF(The Lithic Stage Fulldiver)ですか?」
剣と魔術のゲーム。フルダイブ、完全没入型のロールプレイングゲームだ。
この完全とは、視界全てのと言う意味で、感覚が全てという意味ではない。感覚については、規制があって20%は残されている。
開発陣やユーザーは、ゲーム名が長いので概ねリスタと呼んでいる。
『うん。まあ昨日で一段落したし。きりが良いから返しておきたくてな。今度一杯奢るからさ』
相変わらず、この人は正直だ。
「いやいや。17歳に酒はだめでしょう。そうだ、今日から旅行でしょ。お土産期待してます。でも…」
『どうした』
「こんな時期に、海外へ行っても大丈夫なんですか?」
『うーん。βも順調だったし。正式稼働からはスペクターと出向してる運営班の受け持ちだからな。問題ない』
早見先輩は、中堅ゲームメーカに勤める自称敏腕ゲームディレクターだ。実態はシステムクリエータ系プログラマが主体らしいが、入社3年目を考慮すれば十分デキる人間であろう。ちなみにスペクターとは、アメリカと日本の通信大手のゲーム系ベンチャー分社会社のことだ。
「まあ、デバッグ、α、βと手伝ってきましたけど…」
『けど?』
「正直これまでに無い良い出来と思います」
ちなみに、ゲー研に入会したときは14歳で就業制限があったが、15歳になったときに、ゲー研鉄の掟その1、会長命令は絶対!とやらで駆り出され、既に延べ3年。忙しい時期のみではあるが、アルバイトしている。
『ふふん。そうだろ、そうだろ。俺の初作品だしな。コケさせるわけには行かない』
オープンβテスター募集の競争率も高いし、批評サイトの前評判も高い。既に大人気と言って良い。
話が横にそれた。質問せねば。
「ところで。資料にあった、論文ですが…」
『論文?』
「不確定性複素宇宙論ですよ。ページの角が折れてましたからね」
『あれな…。それがどうかしたのか?』
先輩は、その話題には触れたくないようだ。だが、訊かないと。
「結構トンデモ理論ですよね」
『まあな。って全部読んだのか』
「はい」
『おまえ。やっぱり、修士課程が終わったら、ウチに就職しろ。ウチは実力重視だぞ』
「先輩が僕の記憶力を買ってくれてるのは嬉しいんですが。最近劣化してきてますからね。だって、今じゃ、憶えておこうと思わないと、憶えられないんですよ」
数年前は、意識しなくとも何でもあっと言う間に記憶できたし、かなりの部分長期記憶へ移行できていたのだが。
『あのなあ。普通の人間は、憶えようとしても、そう簡単には憶えられないんだよ。集中したら、見た端から憶えられるような状態を劣化とか言ってると、同年代の奴らに恨まれるぞ』
「はあ、まあそうですね。身体の障碍が軽くなった替わりの気がしますしね」
医者からはギラン・バレー症候群の患者に見られる現象と言ってたからな。良いことだと思わねば。
「だから、そのうち記憶力は健常者並に戻って、先輩の期待には…。って見事に話題逸らされましたけど」
『……ばれたか』
「先輩とは長いですからね。そんなことより、この論文の筆者…高林って人は、どういう人なんですか?」
先輩は、やや言い淀んだ。
『あの人のことは、学部じゃタブーになってるんだがな』
「タブー?」
『はあ。まあいいや。話してやる」
「やっぱり知ってるんですね。ゲー研に所属してたんですよね?」
『ああ。まあ、俺はあの人の学生時代のことは知らないけどな』
「と、言うと?」
『あの人は、学位取ってから大学に残ってな、准教授まで行って、俺も修士1年までは研究室で指導してもらったんだが。紙一重ってくらい優秀な人だったよ。まあそれもあって教授会と揉めたそうだ』
ほう、先輩はよほどのことがなければ他人を褒めない人だが。
「なるほど。それで、学内データベース見ても、論文どころか、高林という人物自体のデータが見つからないわけですね。だから部室に残ってた資料を持ち出したと」
まあ、一般人や学生が入れないところには、残っているんだろうけど。
『相変わらず、鋭いなおまえ。それで?なぜあの人のことが気になる。ゲー研の先輩だからってだけじゃあるまい』
先輩こそ鋭いって。
「俺、高林って名前に何か引掛かるんですよね」
『引掛かるか、お前にしては、えらく曖昧だな』
「前にも話しましたが。手術の前の記憶が、所々虫食いになってまして。ずっと俺は付属病院の病棟に入院してたので、接触していたのなら、そこしかないですが」
『付属病院か。まあ、あの人は大脳生理学もやってたからな。それ以上は俺も知らない』
大脳生理学…かあ。
「それで、この高林さん。LSFのスタッフロールにも名前がありましたけど。なぜなんですか?今どこに居るんですか?学内には居ませんよね」
またも、先輩は言い淀む。
『…LSFのNPC行動コアクラスは…まあそれだけじゃないが、あの人が作ったんだよ。作ってから1年後。今から4年前。失踪したんだ。おまえが入学に入る前だな』
「失踪?」
『今もどこに居るんだか分からない。死んだって噂もあったが…』
先輩はふっと一息吐いた。
『俺も研究室の指導教官が変わるって、とばっちりもあったけど。まあ、あの人が提唱したゲーム理論アルゴリズムで、今の会社との共同研究を仕上げて。その縁で入社したしな。生きててくれると良いんだが』
「そうでしたか…話してくれて、ありがとうございます」
割り切れない思いで、俺は無意識にデバイスをつついていた。
『いや。いいよ。気になるものな。…ところでいつからだ、冬休みは?研究室も三賀日は流石に休みだろう』
何か救われた気持ちで、話を続ける。
「俺は今日で終わりです。研究室は…教授と他のメンバーは、もう今日から海外の学会で出かけてますから。誰も居ません」
『史久真、なんでおまえは行かないんだ。バイトで金も入ったろ?アシストシステムがあっても…行けないわけじゃ…』
「良いんですよ、別に。教授が発表する論文には僕の名前も入ってますしね。あと、明けて4日には、システムのメンテナンスなんで。第一…僕が居ると何かと足手まといになりますから」
『そうか…じゃあ。LSFでもやっててくれ』
「何を言ってるんですか。2週間は1人でログインはできなんですよ」
2人ログイン規制を掛けたのだ。通常VRMMORPG(大人数参加型仮想現実ロールプレイングゲーム)は、思い思いにログインしてソロプレイしたり、待ち合わせてパーティプレイできるのだが。LSFは前評判の高さに、初期混雑緩和と新規ゲーム端末拡販のために、ロビーで固有IDペアが揃わないとログインすらできないという、凶悪な制限を掛ける。スターターセットが2倍売れるという企みだろう。2週間という暫定措置だが。
「僕に、ゲームが一緒にできそうなリアルの友達は、研究室にしかいませんよ。ご存じの通りずっと病院でしたからね。それにβでそこそこ遊びましたから。年明けからで良いですよ」
書くのが遅れたが。俺は14歳で大学に入って、学部の課程も2年スキップした。本来なら人も羨む素養なんだろうが…。それ故に、友達と言うか親しい人も極々少数だ。
『うーーん。じゃあ、とっておきのやつで』
「え?」
『内緒だけど、1人でもログインできないわけじゃない。ふふふん』
「はあ?」
『元々、俺はあんな制限掛けるつもりはなかったんだよ。あれはスペクターのごり押しでな。メールで専用ID送るから。それでログインしな』
「いいんですか?」
『いいんだよ。史久真には、バイト代の何倍か働いてもらったからな。うん。テスターの時のような、フィルターも掛かってないから、次のキャンペーンシナリオが出るまで無敵プレイできるぞ』
「ははは。わかりました。じゃあ、そうさせてもらいます」
『じゃあな。次に会うのは、年明けだろうけど。飲もうぜ』
「だ・か・ら。年が明けても未成年です」
先輩の高笑いと共に通話が切れた。
おもわぬ長電話になったな。俺の鈍い皮膚感覚でも、ぶるっと寒気が来た。
鼻炎もぐず付き出した。
さっさと帰ろう。
大学から、徒歩10分の学生住宅に戻ったのは、若干日没を過ぎた時刻だ。冬休みに入って、他の学生達は帰省したのか、ほとんど明かりが点いていない。両親が居ない俺にはその予定はないが。部屋に戻って2時間ほど、ネット系在宅アルバイトをこなし、夕食を食べた。
「高林実かあ」
ネットで検索すると、次々出てきた。脳科学と情報工学で、かなりの業績を上げたようだ。しかし。個人情報がほとんど出てこない。我が母校A大学の校風はかなり寛容だ。失踪したにしても、あのような仕打ちを受けるものだろうか。納得しにくいな。
そして、俺が入院していた病院へなぜ来たのだろうか。大脳生理学か。確かに、うちの大学病院は神経外科がかなり優れているようだが、関係はあるんだろうな。
それより、俺はなぜこんなに高林という人物が気になるのか。何か有ったのだろうが、失った記憶は戻ったことが無い。まあいい、新年になれば先輩にもっと詳しいことが聞けるだろう。
軽く仮眠を取り、目覚めた俺はLSFを始めることにした。正式サービス開始から2時間経ったし。そろそろコアなお客様に、掛ける迷惑も少ないだろう。エアコンは20℃設定にして、ベッドに横たわる。
一般人の場合は、通称AS互換機と呼ばれるゲームハードウエアとワイヤレス接続された通称バイザーと呼ばれるヘッドセットを被る。バイザーは、フルダイブ環境の根幹技術の結晶で、マイクロ波で網膜を刺激して視覚情報を伝達する機能と頸椎を通る体性反射を上書きする機能を持つ。後者は、身体各部に伝わるべき体性反射を横取りして独自にフィードバック系を築き、生命活動に必要な神経伝達を除き、主に筋肉の伝達を8割程度阻害する機能を持つ。これで実際手脚を動かしていなくとも、プレイヤーは動かした気になるわけだ。
10割の感覚カットも技術上できなくはないが、数十年前に頻発した死亡事故対策として、国際機構による勧告で各国とも法律で禁止されている。これに連続プレイ48時間超過時とバイオメトリクス異常時の強制ログアウト、他プレーヤーキャラクタへのゲーム内セクシャルハラスメントの現実等価罰が、VRMMO3大原則となっている。
ゲーム機、ゲームソフトウエア製造企業団体がこれを遵守しないと、官憲に簡単にサーバーを止められるので、関係者はそれはもう気を使っている。
話が逸れた。
2割の体性反射の他、もちろん内臓反射は、完全に透過するので、心臓や肺は問題なく動く。よって、VRMMO3大原則が機能していれば、最低限の生命維持には危険がないと言う認識が一般的だ。
だが、俺の場合はやや異なる。お気づきのことだろうが、俺は障碍を持っている。今の状況は、杖を付く程度だが。実は脊髄バイパスとシナプスブーストというシステムが入った、カラーと呼ばれる襟巻きのようなデバイスを首に付けているおかげだ。
気持ちの悪い話で恐縮だが、脊髄バイパスの先は後頭葉。大脳の一部にナノマシンでカーボン針を刺すインプラントになっており、ここから電位を拾って双方向のフィードバック系を成立させている。これがなければ、俺の下半身は動かないし、両腕も麻痺があるので身体を動かすまでには至らない。
要するに、俺はある意味サイボーグだし、強化人間とも言える。もっとも、脚は麻痺が長かったため完全には動かず、杖が手放せないため、ご大層に自称するのは憚られるが。
しかし、VRMMOをやるには、それが却って有利に働く。俺は、視覚系のユーザインターフェースはそのまま使うものの、体性反射フィードバックは、バイザーを改造すると共に自作コンバータを介在させて自身のカラーとつなげている。要するに大脳とゲーム本体が結合されるアクティブシステムだ。頭蓋外のセンサーを使うパッシブシステムである市販システムに比べ、反応が圧倒的に速く、弱点であるノイズが、大幅に抑えられるため、チートといえるほどの機敏さ(AGT)を得ることができる。
デバッグ時やテストプレイでは、自前の減衰フィルタとシステム側にソフトで遅延フィルタを噛ましていたが、早見先輩の言によれば後者の遅延は入れていないのであろう。それが、ゲーム内で無敵プレイできるということに違いない。
「よし」
自作ゲーム機の電源スイッチを押して、しばらく待つと意識が一瞬途切れた。次の瞬間、電子音と共に暗闇に本体の起動画面が現れ、次にメニュー画面に移行した。ふうと一息吐くと、LSFを選ぶ。ほぼタイムラグなしに、重厚なファンファーレと共にTHE LITHIC STAGE FULLDIVERとタイトルバックが浮かぶ。良く見ると、EDITOR’S EDITION 777と如何にもな型番号が小さく書かれてある。
最初のメニューは、言語選択だ。いくつもの言語表示され、ゲーム内の基本言語を選べと要求される。デフォルトの日本語を選ぶ。文字も日本語、漢字かなカナだ。LSFの舞台は日本の文化圏では無いので、ややシュールな感じになるが、気にしないことにしよう。α版で架空文字を選んだ時には、雰囲気は良かったものの、ひどい目に遭ったしな。度量衡もMKS(メートル、キログラム、秒)単位系だ。オプションの尺貫刻って誰が選ぶんだ。
次はフィードバック系のアジャストラーニングだ。初回には起動が強制されるが、β時のコンフィグレーションがセットされているので、スキップされた。アバター設定も継承で済ます。
キャラクタータイプは、先輩には悪いなあと思いつつ、魔術士タイプを選んだ。このとき、戦士タイプはいい加減βで飽きているからなと言う思いが強く、事の重大さを認識することにはなったが、それは後々のこと。そのときは、こっちで良いだろう程度のノリだった。
初期ボーナスパラメータは、戦士の時とは異なり、体力VITと頑強さSTRが設定可能だった。その他のパラメータは、グレーアウトしていて設定不可だが、知性INTと精神MNDは既に最高になってる。STRを中間として、その分VITを極力強くした。最後に名前は”シグマ”で良いですかと訊かれ、OKを返した。
そう言えば魔術士だけど、第一人称は俺で良いよな?まあフォーマル時は私になっているから良いだろう。
この後、βではゲームスタートに移行したのだが、このエディションでは異なっていた。
「パートナークリエーション?」
ああ、そうか。
市販エディションと矛盾しないように、本来は人間プレイヤーがなるべき相方を、非プレイヤーキャラクタ(NPC)で作るのだろう。
「あれ?ちょっと…」
基本設定で、男性が選べない。メニューがグレーアウトしている。畜生。一人でログインできないわけじゃないと、先輩が言った後の含み笑いは、このことにつながるのか。まあ良い。所詮NPCだ。
まずは、外観を選ぶ。金髪碧眼は知り合いの管理者に見とがめられたら嫌らしいので、黒髪一択だ。敢えてあまり好みが出ないように、最大公約数的なスリムながらそこそこのプロポーションにする。基本キャラクターは、どうでも良いが。俺が魔術士だから、戦士系が良いだろう。戦士系でも回復魔術だけは使えるしな。初期ボーナスパラメータも、心底どうでも良かったが初期値のVITが高かったので、そのままにした。
名前は…ふと思いついて、ラムダにした。
皆様のご感想をお寄せ下さい。
誤字脱字等有りましたらお知らせ下さい。
訂正履歴
2015/05/23 ゲームのタイトルバックを訂正
2015/11/28 3点リーダ訂正